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第一回農工会議開催

  • 第一回農工会議開催
10月15日西置賜産業界の若手グループ主催の
農業者と置賜農業学校、工業系製造業者とうによる
現在の、農業生産~流通等々の現況に、ついて遠藤孝太郎氏
新野敦先生らに、お話を頂、工業関係者らが何かお手伝い
出来る要素等が、あるのか意見交換を行い。
地域活性化を、行っていく中で
このような場を、発展させ農工商のコラボレーションを
通して、地域産業全体の進めべき方向を、模索することに
よって、知消地産を進め、それにより新たな地域産業
の経営を目指そうとの意見が一致した。

老兵の半生(高校生になる)

1961年、私は地元の父親の友達の所で、旋盤工の
見習いとして、働いていました。
その職場は、初代社長と私の二人だけの会社で、
工場は鉄工所の一部を間借りして、仕事をしておりました。
(その会社は、当時機械工場では当地区における、先駆者的
存在で、現在三代目が社長をしており、社員も40名を超え
意欲的に、安定した経営を続けております。)
家庭的には、すぐ下の妹は高校三年生、末っ子の妹は
中学三年生で、毎日夜遅くまで、高校受験へ向けての
受験勉強をやっておりました。
ある晩、私はいつもの通り遊びほうけて、遅く家
帰ってくると、「兄ちゃん来年一緒に高校に行こう」
当時長井工業高校が新しく1962年度から、開校することに
成っており、従来からある長井北高等学校が、閉校になる
事が、決まっておりました。新校舎を建設する間、北校の
一部を間借りして、開校するということでした。
「いまさら高校なんて」そう妹に答えてみたものの、
谷中初音町時代の、初恋の相手のあのセーラー服の高校生
の姿を、思い起こしておりました。
もう大学を卒業している頃だと思うのですが。
その後も、妹たちから「まだ遅くは無いよ、解らない科目
は、教えてあげるから」
私は1962年21歳の春、受験を受けたのでした。勿論定時制
定時制課程で、昼の仕事を続けながら、夜は学校と言う
厳しい4年間の生活に入ったのでした。
同級生は、年齢の差がばらばらで、4~7才まであり
私は当然一番年上でした。
この高校に入学した事が、後々私の人生に対する考え方を
大きく変えていくことに成るのです。
・・つづく・・

ほととぎす

庭先に咲く花に、「このはな、なまえは」

女房いわく「ほととぎすと言うのだよ」

夫婦とは、年を重ねるほど、一日の会話を多くするのが

円満の秘訣…誰からきいたけかなー

少しでも実践しよう。

老兵の半生(帰郷)

1958年夏、私は都会生活に挫折し、帰郷することと
なりました。
19歳のときです。
上京して4年間、必死でもがいてみたけれど、どうも
納得できる状況を作り出せない。
それに、神経性胃炎に悩まされ、沈みきった毎日が
続いており、医者に相談すると、不規則な生活が
原因で、環境を変えないと直らないと言われ、ますます
東京生活がいやに成って行きました。
仕事の都合で、朝食が10時、昼が三時 夕飯が、11時頃
そんな生活が、ランダムに続いていたのです。
こんな生活をしていて、将来どうなるのかな、大きな
夢を抱いて、上京したのにこのまま、靴屋の職人で
終わるのは、我慢が成らなかったのです。
もっと何かが、あるはずだ。
納得できる職業が、あるはずだ。
様々転職をしてみましたが、所詮自分の持っている
キャパ以上の、仕事に就けるはずはありませんでした。
今考えると、幼稚だったんだろうね、其れと同時に
人生をあせっていたことは、たしかでした。

・・つづく・・

老兵の半生(友達)

ある休日、弟弟子の千ちゃんが、見知らぬ男の子を連れて
きました。「善治ですよろしく」「良夫ですよろしく」
二人とも私と年齢は同じか一つ上くらいでした。
善ちゃんは、角刈りの頭で背は、170くらいですが
逆三角形のがっしりした体格でした。良ちゃんは同じ位の
背丈ですが、なで肩の優男でした。
善ちゃんは、彫金見習い、良ちゃんは大工見習い
いずれも地方より、上京していました。
「今日は雷門に遊びに行こう」善ちゃんがそういうと
みんな「いこう」「いこう」初めての出会いなのに
みんなすっかり意気投合です。
当時都電がどこまで乗っても片道13円で、往復買うと25円
でした。タクシーが小型で一区間が、60円
善ちゃんが「タクシーで行こう、60円でいけるところで
降りそこから歩いてすぐだから。」
「都電より2円高いが、一人15円だから、そんなに違わない」
そう言うと彼は、さっと右手を上げ、黄色いルノータクシー
をとめました。その時から彼はもう我々のリーダーでした。
その後仕事を終われば、銭湯に行くのも何をするにも
4人の仲間は、一緒でした。
色々な交友関係を、重ねていくうちに、様々な情報の中で
自分の将来を見たような気がして、とても憂鬱になってきた
のも、事実でした。
・・つづく・・