上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

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上杉景勝公が入部された頃の米沢は、城下を南から北に流れる松川(最上川)が度々氾濫を繰り返し、米沢城の東側には居住はもちろんのこと耕作も出来ない土地が広がっていました。そこで直江兼続公は、暴れ川「松川」を鎮めるため 赤 崩 山 (あかくずれやま)に登り治水工事の計画を立てたと言われています。

松川上流部の赤崩から谷地河原(やちがわら)にかけては、川底が浅い上にここから城下に向かって土地が下っているため、大雨の度にあふれ出し城下南部から東部にかけてを水浸しにしていました。慶長18年(1613年)に完成した石積みの堤防 直江石堤(谷地河原堤防) は、この浸水被害を無くし城下に新たな居住区と広大な農地をもたらしました。400年という年月を経ながらも直江石堤は今もなおその姿をしっかりと留めています。

松川の氾濫により浸水地域(イメージ図です)


松川と城下の間に造られた直江石堤。




雨に濡れ黒光りを見せる谷地河原堤防「直江石堤」


大きな石を中心に置き周りに小さな石を置いた「亀甲組み工法」


雑草の有り無しの違いは、砂が入っているかいないかの違いです。


熊が出没する地域です。くれぐれもご注意ください。


直江石堤(谷地河原堤防)の駐車場の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
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