上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

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直江兼続公の戒名は没後100年を過ぎてから院殿号がつけられたと言われています。つまりお亡くなりになられた時は「達三全智居士」だけだったということです。正室お船の方様がまだご存命中にもかかわらずどうして院殿号のない戒名とされたのでしょう。残念ながら経緯を知るための史料(古文書)は遺されておらず今も不明となっています。

「英貔院殿達三全智居士」(えいひいんでん たつさんぜんち こじ)


直江兼続公没後18年、お船の方様がお亡くなりになると、藩の中の権力構図は一気に塗り替わります。「反直江派」の上杉謙信公直参の家臣団「国衆」が権力を掌握したのです。これにより直江兼続公の家臣団「与板衆」は藩の中枢から追い出されてしまいました。これは直江兼続公が長年に渡りあまりにも偏り過ぎた藩の人事を行って来たために起きた「反直江派」による憎悪に満ちた”クーデター”でした。

直江家は後継ぎがいないため断絶、支えて来た家臣団「与板衆」は力を失い、藩の中では直江兼続公を処分する声が高まるばかり。そんな混乱から史料(古文書)が意図的に歴史上から消されたのかも知れません。



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)


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