上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
ログイン

米沢市関根にある 普門院 (ふもんいん)は、同地区にある羽黒神社とともに 上杉治憲敬師郊迎跡 として国指定史跡となっている寺です。

普門院は、萱葺き屋根の一部が陥没するなど近年老朽化による痛みが顕著になって来ており、今年度から 平成の大改修 が始まることになっています。大改修が終わるのは平成30年(2018年)の予定ですので今後7年間に渡りシートに覆われることになります。拝観を希望される方はぜひお急ぎ下さい。





今年で216年になる細井平州先生お手植えの椿。








普門院の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
皇太神社(こうたいじんじゃ)は、 上杉謙信公の家臣 が伊勢神宮から分霊を賜り、「天照皇大神」を祭神として 越後国魚沼 に建立した神社です。上杉家の会津移封、米沢減封により魚沼から現在の地に移されました。尚、米沢市内の 皇太神宮 (こうたいじんぐう)とは縁起や所在が全く異なります。



皇太神社の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
皇太神宮(こうたいじんぐう)は、天文23年(1554年)に 上杉謙信公 が伊勢神宮から分霊を賜り、「天照皇大神」を祭神として 越後国糸魚川 に建立した神宮です。上杉家の会津移封、米沢減封により糸魚川から現在の地に移されました。尚、米沢市内の 皇太神社 (こうたいじんじゃ)とは縁起や所在が全く異なります。







皇太神宮の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
米沢の熊野神社は、伊達氏の時代にこの地に居住していた富豪が、紀州熊野権現から分霊を受け屋敷内に社を建てて祀ったのが始まりです。毎年8月には境内で大々的に盆踊りが催され、初日は氏子が揃って 上杉家御廟所法音寺 に参拝することが慣例となっています。

境内で毎年8月に開催される盆踊り。


櫓の天辺には「毘」「龍」そして「天地人」ののぼりが立ちます。


上杉家御廟所、上杉謙信公廟に参拝。


法音寺、上杉家御霊所に参拝。


熊野神社の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
昭和の喜劇俳優 伴淳三郎 さんの映画祭が今年も米沢で開催されます。年を追うごとに盛り上がりをみせている映画祭ですが、今年は更に内容がボリュームアップし 8月24日(金)〜26日(日) までの堂々の3日間開催となりました。まち歩きワークショップ・トークショー・ゲストとの交流会・映画6本上映とまさに伴淳づくしの3日間です。この機会に現代のエンタメとはひと味違った笑いの壺にあなたもはまってみませんか。



【米沢偉人伝】 伴淳三郎の墓 - 極楽寺



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
福島県の「新島八重」マスコットキャラクター ”八重たん ”

2013年の大河ドラマ 八重の桜 の主人公 新島八重 は、明治4年(1871年)に実兄の山本覚馬を頼り京都へ移住するまで会津に暮らしていたと見られて来ましたが、最近行われた調査で明治元年(1868年)9月の会津戊辰戦争終戦後から京都に移住するまでの間、米沢県(山形県米沢市)に暮らしていた時期があったことが判明しました。

会津図書館に保存されている旧北会津郡の戸籍を調べていた野口信一氏(会津歴史考房主宰)が、八重の戸籍を発見したことに由来するもので、そこには 米沢藩士の内藤新一郎方 に川崎八重(新島八重)と山本一族4人(母、兄嫁、兄娘、伯母)が身を寄せたと記載されているそうです。

内藤新一郎なる米沢藩士については今後情報収集の上掲載致しますが、今までお隣の県のこととして見ていたことが、今回もたらされた情報により俄然「新島八重」という人物に親近感を感じるようになったことは確かです。


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)