上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

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川が史跡なの? と思われるかも知れませんが、実は直江兼続公が米沢に遺した一番大きな史跡が 堀 立 川(ほったてがわ) なのです。上杉時代館の記憶の中に「直江兼続公」の名前が刻まれたのもこの「堀立川」がきっかけで、それは小学校の授業の時にまでさかのぼります。

直江石堤(谷地河原堤防)蛇 堤(へびつつみ) を完成させ城下南部と東部の安全を確保した直江兼続公は、南部の広大な土地と西部の更なる開墾を目指しこの地域に新しい水路を通す計画を立てました。松川上流部の 猿 尾 堰(さるおぜき) で取水され2つの地域を通り城下北部で再び松川に戻る新しい水路は 堀立川(堀楯川) と名付けられました。人口的に掘って造った川ですが、「掘る」の「掘」ではなく「お堀」の「堀」の字が使われています。











松川(最上川)の水が猿尾堰で取水され堀立川として城下を流れます。


お堀の目的がない城下の外では川幅は広くありません。


三の丸の堀の代用 となる林泉寺手前から川幅が広くなります。


三の丸の堀の代用は 林泉寺から法泉寺(禅林寺)まで 続きました。


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昭和42年(1967年)8月28日から29日にかけての記録的な大雨は、米沢市内に大きな被害を及ぼしました。「羽越水害」と名付けられたこの水害以降、堀立川は全域に渡り護岸工事が施工され、掘削当時の面影はほとんど見られなくなってしまいました。
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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
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