山形市立図書館で見つけた資料を手掛かりに山寺の日枝神社に獅子拝見に訪れた。
昨日の快晴は実に快かったが、毎日晴天と言う訳にはいかず本日曇天である。
冬の観光オフシーズンの静かな山寺の佇まいもナカナカ良い。
日枝神社参道の石段手前に車を駐車する。立て看板があって「一日300円」とある。
向いの店にポストが有り用紙に車のナンバーを書き込んで投函してと書いてある。
用紙が見つからないのでポストの入り口を覗いたりしていると店の中から
お姉さんが出てきて「用紙が無いのでお金を戴きま~す」という声。
アニメの声優のようなお声だ。
・・・こちらは、どうでも良い話。
石段を上り目的の日枝神社で参拝する。
拝殿の中では祈祷中なので、気を利かせて時間つぶしだ。
奥の院の山門、立石寺本堂、根本中堂・・・こけし塚等もあるのか。
毎年の様にこの境内でお盆ちかく「獅子踊りフェスティバル」が開催されているらしい。
一度、獅伝の頭と小松の詳しいオジサンで見学に訪れた事がある。
ドンドンドンと太鼓の音が響いている。
拝殿のお客さん達は親子連れの七五三の祈祷だった。
宮司さんに案内して戴くと、「寛永21年(1644)」373年前の獅子頭がドンとテーブルに鎮座
されていた。もともとは山王神社の獅子頭が日枝神社に所蔵されている。
獅子頭は20数年前新しい獅子頭の奉納を機会に、お祭りから隠居していた。
新しい獅子頭がケヤキで作られていたため重く、暫くは隠居獅子を用いられていたという。
というのも、桐で作られた獅子と言う事で軽かった為だが、顎は松系の材料で作られ真っ二つ
に破損して棒三本で補強されていた。
虫食いも有り、齢373年の風格は十分すぎる程である。
脳天に直径20cm程の平らな部分が有り、丸みを付けたした部分が欠損したのか、宝珠等を
取り付けた痕か不明である。
まさか宮内熊野大社の獅子のように鏡が取り付けてあった様な気もしてきた。
下地は朱で金箔が施されている。大抵金箔は剥げ落ちているのが常だが、このように残存しているの
は稀だ。
口を開けると舌に黒漆で記名が残っていた。
「寛永廿一 (1644)甲 申 天 卯月 吉日 大工 立宝」とあり獅子頭の作者名が明確に
残っていた。
顎の破損から考えて修理され塗り潰されても良い状態だけに貴重な記名である。
耳が面白い。
たぶん牛の皮だろう。太鼓の皮かも知れない。
裏から見ると耳の軸穴があり塞がれている。皮で作った獅子頭の耳は初めてだ。
三日月型に穴を彫り皮の耳を差し込んで、栓をして固定している。
木製の耳が紛失しての苦肉の作と考える。
5月の17日の例祭日には神輿が渡行して、獅子頭が厄払い役を行なう。
神輿を抱えて勢いよく走る神輿が有名で、地元のニュースにも紹介される祭である。
現在用いられている新しい獅子頭についても不明だが、作風から長谷部健吉氏の作ではないかと
推測する。白鷹町萩野の子獅子の作者でもあり以前修理した事がある。
高畠の深沼の八坂神社の獅子頭も眉や唇の上に沿って毛が植えられているので珍しい。
宮内の熊野大社の獅子頭にも同じ様に毛穴の痕が残っていて、鼻や鼻筋、唇や歯の形が似ている。
黒い円らな瞳がチャーミングで印象的である。
寛永の記名だけに県の文化財級の獅子頭と私也に太鼓判を押している。
こんな山寺の獅子頭を拝見出来て、誠に幸せな一日であった。
昭和44年頃まで三基の神輿が渡行していた。
神輿の前に現役時代の寛永のお獅子が見える。
獅子踊り
この記事へのコメントはこちら