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山口羽黒から西田尻毘沙門天へ

  • 山口羽黒から西田尻毘沙門天へ
早いもので連休も終盤に入って、もう四日である。

なんだか吹き下ろす西風が強い・・のぼり旗が風圧で軋んで悲鳴をあげている。

ちと肌寒いが同じ気温でも秋より春の風は心理的に暖かい気がするのは自分だけだろうか。

新緑も一日一日と濃さを増してきた。

新調制作中で塗りに出している白鷹町山口地区羽黒神社の獅子舞を拝見しに出向く。

昨年破損し修理してカムバック戦で、ちょっと不安心配な親心も備わったところだ。


獅子舞創作中、公民館前で車窓からチラッと白装束の人の姿が視界に入った。発見!

昨年11月、収穫祭で獅子彫り実演を行なった公民館でもある。

丁度公民館を獅子宿にし、お休みの最中だった。

やがて出獅子になり、ご信心を受ける場面となる。






写真の様に獅子頭の顎を、傾げた信者の頭にそっと乗せる所作である。

十王や浅立ではその所作を「いただかせ」という。

浅立では頭の上でパクンと歯打ちをしてもらうが、鮎貝系は乗せるだけだ。

以前も話題にしたが、塩井の毘沙門天でお大般若を受けた時、最後に僧侶に経文を頭の上に

乗せてもらった所作と共通する感がする。

「戴かせ」か「頂かせ」なのか不明で研究の余地がある。



羽黒神社の社殿は山の上なので下山の際、太鼓は山伏の背負う笈(おい)という形の太鼓台を

用いるが、下界では太鼓を吊り下げ棒を通して、担いで叩きながら移動する。







さて次の公民館に移動を始めた所で、私は次の目的地西田尻に向かう。





移動して直ぐに丁度よく毘沙門天の獅子舞いと出会った。

横越文珠かと勘違いした。横越は10月だ。

横越文珠の獅子頭も制作していて、獅子頭がそっくりなので戸惑って驚いてしまった。

獅伝の親分が自分を見つけて目の前にヒョッコリ現れた。

西田尻の毘沙門天はお初なので心強い。近くに熊野神社の獅子舞もあり、ややこしい。


熊野神社の神殿の彫刻の記名に「菅原◯◯」の記名を見つけて写真を撮影したが、風化が著し

く判別出来ない。

「菅原」と言えば十王龍沢寺の彫り師 菅原鹿蔵 近くの瑞龍院の彫刻も手掛けてい

る事もあり「菅原」となれば「鹿蔵」になるはずだが・・・判別出来ないまで風化してしまっ

ている。北向きで風雪に晒されている場所だ。




毘沙門天の獅子舞い一行は、獅子頭を担いで移動し獅子宿に休憩だ。

敷地の庭で獅子が舞い、屋敷の住人が座敷に座りながら獅子がお休みするのを待っている。









春を告げる花々で長閑な農村風景は心を和ませる。

宿を離れ、すぐ近くの毘沙門天社殿に訪れてみた。



チェックポイントを撮影すると拝殿に置かれた獅子頭を納める獅子箱を撮影させてもらった。




しっかりとした記名が残っていたが、達筆古文書でナカナカ読めない。

二つの穴は鼻の穴、ぶら下がる物は耳、妙な木箱は稽古用の箱獅子だった。





春は強風にあおられ駆け足で進んでいく。










2016.05.05:shishi5:コメント(2):[獅子彫り日誌]

貝生から十王へ

  • 貝生から十王へ
5月3日・・白鷹町は今、新緑を背景にした獅子舞に出会える。

獅子頭制作中の白鷹町貝生地区へ出向いた。

川西の詳しいオジサンは高畠町阿久津八幡の巫女舞取材に出掛けたという・・珍しく報告が入った。

阿久津八幡にも獅子頭が一対あると宮司さんから聞いていたが、興味深い獅子頭だそうだ。



白鷹町バイパスから貝生地区に入ると工場敷地にゴザが敷かれテープルが並んでいるのが目に

入った。

獅子舞のお休み場として準備された物だ・・・獅子舞の気配である。


大里神社の獅子舞いは既に町内を練り歩いているので、車のガラス窓を開け耳をダンボにし太鼓の音

を検索する。苦笑


微かに太鼓の音が聞こえる方向に向かうと発見!




何やらトラブっている様子、頭が道具箱から糸を出して獅子頭と幕の縫製修理をしていた。

さすが準備周到迅速に処理し続行・・手慣れたものだ。





気温が上がり、これ以上無い獅子舞い日和となって和気藹々の獅子舞だ。

荒砥の八乙女八幡から習った獅子舞である。太鼓の音が乾いて響いて実に快い。



氏子からのご奉仕は獅子頭の口に入れるのは長井の伊佐沢神社獅子舞と共通している。





次はバイパスを挟んで隣の十王地区の皇大神社の獅子舞がターゲットだ。

資料には場所は関寺山東とあるがよく分からない。

すると、すぐ発見!





丁度、元小学校隣の消防ポンプ入り口で警護が獅子舞の到着のため警護棒を横に持って待機してい

る。獅子を誘導する様な体制で珍しい。





なにやら獅子舞一行が、30m程前で突撃する体制である。声が掛かって鼓舞している。

すると一気に駆け出し宿のポンプ小屋に突入した。









長井であれば警護や角力が対峙して一悶着あるのだが抵抗無く休憩だった。

獅子の気持ちはまた、所違えば異するのだろう。



翌朝、蕎麦打に獅子宿に到着するとお客さんが待っていた。

なんと、昨日訪れた十王の獅子舞の創始者のご子孫だった。








2016.05.04:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

神社拝殿ミュージアム

  • 神社拝殿ミュージアム
あらためて伊佐沢神社の拝殿の内部を見て驚いた・・・何回も見ているはずなのに。

古いのに、大きくて鮮やかな絵馬が飾られ、鬼面や獅子頭の数々。



合社された八幡神社の絵馬ではないか?

元治元年の絵馬だが、背景のウルトラマリンの顔料は如何に入手したのか・・?

暗い拝殿で一際光っている。

見る者の感受性によって変わったのだろう。

以前関心が無かった物も、数多く見ていると脳の何処かの回路が繋がるのかも知れない。

正に目からはらはらウロコが落ちる状態だ。





この絵馬の明治27年の記名と同じ年に梅津弥兵衛の獅子頭も奉納されている。

明治27年前後に何か記念すべきことがあったのか・・?

一番の目的は婆獅子検分であったが、絵馬にも目覚めてしまったようだ。

大きな絵馬には元治元年と見えるあるが、その他は顔料皮膜が剥離して赤外線カメラでも判別

出来なかった。この大作の絵師の足跡も謎である。




花筏の化粧回しも展示している。平成8年頃齢90の翁、山口久吾氏との出会いがあり

獅子宿に展示していた事がある。この化粧回しは紅花で染めた毛氈(もうせん)地に花筏

の文字を中に綿を入れ膨らませている手の込んだ仕事だ。

木製の鬼面はかなり前から板壁の鴨居に差し込まれたままで、茅屋根をトタンに葺替えしたと

きに取り外されたのだろう。邪鬼によって厄から神社を守ってきてひっそりと引退している。




口を開けた鬼面と口を閉じた、仁王のような表情の鬼面である。

総宮神社の平吹市之丞寄進し高橋小平の彫り風の鬼面なので赤外線カメラで記名を探ったが

見つからなかった。 合社した棟札を拝見すれば感動する名前が出て来るかも知れない。


記念撮影の写真も興味深い。

長井では最古の七代目梅津弥兵衛が写真館を始めたので、弥兵衛が撮影したかも知れない写真

だ。当時伊佐沢村長の山の神、鈴木琢磨氏の姿も伺える。ヒゲの立派な宮司も興味をそそる。




まだまだあった

神社の西隣に寂れた小屋がある。小屋と言っては失礼だった。

婆獅子が奉納されたという中伊佐沢にあった稲荷神社だったのだ。

大正16年ゴロに合社というか伊佐沢神社として合併されて仕分けされてしまった時に

曳いてここまで運ばれたのだそうだ・・・高橋敏永宮司伝




現在の元稲荷神社は獅子舞保存会のお休み宿になっている。

以前から何か曰くありげな建物と感じてはいたのだが・・まさか。

板壁に薄ら文字が見えるので、先月米沢の長手 三宝荒神神社の拝殿にあった墨書

を思い出し、赤外線カメラで撮影するとアルアル!!

落書きもあるし、川柳らしきものもある。三宝荒神神社の拝殿も昔、出羽三山詣りの

行屋だったらしいので、ここも行屋だった可能性も出てきた。






長くなりそうなので、ちょっと休憩



肝心の婆獅子を拝見した。

大きい!しかしその割に軽い・・かなり薄く彫り込まれていている。

彫りが大胆で、しかも繊細に眼の内部や鼻の内部を彫り込んで、6mm厚位で薄く軽量化

を計っているようだ。


これは、やはり成田八幡の最古の獅子頭の作者と推測している高橋小平色が強くなる。

いゃぁぁぁダイナミックだ!




青い矢印をお気づきだろうか?

実は見た事無い大きなコブ?状の突起だった。タテガミで気がつかなかった。

角でも無い、宝珠でも百毫でも無い・・・謎の追加オンパレードである。



顎の軸穴付近の形も、どこかで見たよーな気がする。





軸棒の位置も成田八幡の獅子頭の位置と同じである。


念仏踊りの写真もありちょっと色付けしてみた。





境内での撮影バージョンもある。



大正8年の貴重な写真を詳しく分析してみる事にする。
2016.05.03:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

獅子舞始まる・・白鷹町

  • 獅子舞始まる・・白鷹町
いよいよ連休に入った。29日は白鷹町荒砥、新町の秋葉大権現の例祭である。

午後一時半から獅子舞が獅子舞が渡行。寺院の側の蔵の一部が秋葉大権現に改造されている。

白鷹町で時々見かける様式である。

こちらの獅子頭は二頭あり、現在使用しているのは長井市九野本の竹田吉四郎の作。

幕が付いて中まで覗けなかったが、後日拝見する事を御願いした。







稽古獅子と呼ばれる右手の古い方の獅子頭は詳細不明であるが、長谷部吉之助の可能性が

あるのではないかと考える。

現役総代の齢90の古老の話でも、勧進代の作者だと記憶していると聞く。




八乙女八幡を中心として、

荒砥の新町秋葉大権現、出来町金比羅神社、仲町深山神社、仲町滝本稲荷神社の計五社の獅子

頭の形が共通しているので荒砥グループと命名した。いま制作している貝生の大里神社も仲間

入りするだろう。





稽古獅子の内部を赤外線カメラで撮影した発見はなかった。

あとは獅子頭の奉納札が残っていたらラッキーである。






道中の獅子舞の所作で興味深い動作があった。獅子頭を上に向けて建物の屋根を凝視

するような所作があった。獅子舞ではテンコ向くと言って顎を上げるのを避けるのだが

あえてそうした動きをしているようである。




山口地区の佐野、稲荷神社でもお祭りだった。

こちらは白鷹では珍しい事に、総宮系の獅子頭を用いた獅子舞いである。

宮司も南陽市ので、獅子舞いは明治26年勧進代総宮から習ったとあり広域的だ。

獅子頭は二頭あり、古い方は小関久蔵の作で、今使用しているのは昭和60年長谷部

健吉氏の作とある。



荒れ模様の中の獅子舞で、急ぎ足・・慣れない道で獅子を探すがナカナカ見つからず

ようやく遭遇した頃には暗くなってしまった。


新緑まだ早い山里の小振りの社殿が、鄙びた風情を描いていた。

2016.04.30:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

弥兵衛3

  • 弥兵衛3
また弥兵衛さんの話

どうやら問題の弥兵衛さんは六代目と七代目らしい・・・。

故十代目が過去帳を紐解いて調べていた。

六代目は梅津弥兵衛昌利

七代目は十日町から婿入りした梅津弥兵衛吉蔵

獅子頭の記名に梅津弥兵衛昌利の名がある写真も出てきた。

はたして吉蔵も二代続けて獅子彫りしたかが問題で頭が痛いのである。

兎に角、この問題を解読するには川西の詳しいオジサンを呼び過去帳を解読してもらうしかないと

いうのが本日の結論。


梅津写真館から出てきた古い写真の一部である。

獅子頭修理の為に毛を取り外したものである。



修理完成後バリバリの再生獅子の写真



ネガの中に弥兵衛っぽくない獅子頭があった。

伊佐沢神社の獅子頭とすれば渡部 亨氏の作だと思うのだが。

2016.04.27:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]
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