西大塚薬師堂の社殿の歴史が記されている棟札を拝見した
今年は雪が無いので12月の半ばでも快諾戴いた事は幸いであった
神殿を開けていただくと中央の薬師如来座像の下に高さ60cmから90cmほどの板の棟札が複
数立てかけられている
詳細は写真を見て調べようと取り急ぎ撮影させていただいた
先日、石井紀子さんから白鷹町瑞龍院の棟札から越後の仏師菅原鹿蔵の名前が発見されたので
薬師堂の社殿の見事な彫刻も菅原鹿蔵ではないかという疑問がわいてきた
以前薬師堂の当主である高田さんから、彫刻の作者は越後の仏師だったらしいとう話を聞いて
いたからである
棟札には古い順に
寛保二年(1742)再興葉山権現堂 大工飯沢与◯◯ (◯は解読中)
明和八年(1771)再興薬師堂一宇 大工◯◯村 中野又四郎
明和九年(1772)再興薬師瑠璃光如来堂一宇 大工 中野◯四良
弘化三年(1846)再興葉山大権現堂一宇為 大工渋谷嘉蔵む
渋谷嘉蔵は長井市寺泉の名棟梁で米沢笹野観音を建築している
そして
昭和15年に獅子と鬼面の塗り替えを長井町 板垣太助が行っていた
昭和36年は拝殿改造大修理から百年記念祭
昭和45年は屋根の大改造 これは茅葺きからトタン葺き替えだろうか
当主の話だと、詳しい資料は亡失してしまい詳細不明だが、今の社殿は
創建以来三度目の改造を経ての社殿とのことで
弘化三年 名大工 渋谷嘉蔵の建設だろう
しかしこの見事な社殿彫刻の作者は不明のままである
獅子彫り師、竹田吉四郎の名前も記された棟札もある
調査の後、お茶を戴き懇談していると当主が思い出したように話してくれた
社殿建設の際、彫り師がこの家に逗留して建設したそうで、その時に恵比寿様と大黒様を
彫って残しているのだという
その像を見せて戴いた
大変手の込んだ像である
像の裏を見ると微かに文字が見えた・・・・
ここで石井さんが芸工大修復科の本領発揮だ
女史曰く「常廣」と読めると
右上に文字も見えるが不明
仏師だろうか?
また新たな謎の彫り師の登場であった
ズブズブと深い泥沼に片足が沈んで行く様を見ているようである
謎と言えば拝殿の机に無造作に置いてあった板も気になる
よく拝殿の壁に奉納した品々を記した板が貼られているのだが、その類いだろう
前に書かれた記名の上に強引に書かれている木札
赤外線カメラで撮影してみた
なになに? 棟梁◯◯◯・・・・七拾四?? 棟梁の年齢?
薄暗い所での撮影なので赤外線が足りないようである
必死の解明作業が今も続いているのであった・・・
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玉眼
玉眼とは仏像の眼に透き通った水晶を嵌め込む技法である
鮎貝の獅子頭には円形のガラスを嵌め込んで仕上げたのだが、今回は球体のガラスレンズを使用して
みた
というのも球体の眼に球体のガラスの方が自然ではないかという試みである
平面の円形ガラスの場合は表からガラスの厚みの凹みを作って嵌め込むのだが
球体のガラスは内部を刳り貫いて裏から嵌め込むと考えた
しかし結局、球体ガラスも表から嵌め込んだ方が実際仕上がりは綺麗だった
赤い紙を丸く切り、瞳孔の部分を切り抜き黒くして裏から貼付けた
白眼の部分は金箔が入る
球体レンズなので裏から光を照射してはどうだろう?・・と
やってみたりする
鮎貝の獅子頭には円形のガラスを嵌め込んで仕上げたのだが、今回は球体のガラスレンズを使用して
みた
というのも球体の眼に球体のガラスの方が自然ではないかという試みである
平面の円形ガラスの場合は表からガラスの厚みの凹みを作って嵌め込むのだが
球体のガラスは内部を刳り貫いて裏から嵌め込むと考えた
しかし結局、球体ガラスも表から嵌め込んだ方が実際仕上がりは綺麗だった
赤い紙を丸く切り、瞳孔の部分を切り抜き黒くして裏から貼付けた
白眼の部分は金箔が入る
球体レンズなので裏から光を照射してはどうだろう?・・と
やってみたりする
作者判明
以前こちらでご紹介した瑞龍院の彫刻の作者が判明した
調査した方は、今年から「しらたか地域おこし協力隊」に赴任された石井紀子さんだ
白鷹町山口地区担当で、先月獅子頭制作実演でバッタリお会いした
石井さんは芸工大の修復科卒のバリバリの歴女というか仏女で、お若いのに大変詳しい
これから白鷹山口地区を中心にインディジョーンズのごとく歴史文化を発掘して戴け
のではないかと期待している
さて瑞龍院史にその発見があったらしい
実は先日、私も白鷹町の図書館でその本を手にしたのである
パラパラと点読大般若のように読んで後回しにした本である
瑞龍院観音堂の棟札に銘があったとか
(略) 棟梁北越村村上 稲垣八郎兵衛藤原正重 正重代
有磯周左衛門藤原高則
(略) 脇棟梁菅原鹿蔵藤原重正」
*銘文は『瑞龍院史』(平成3年、稲荷山瑞龍院史編纂委員会)より抜粋
彫り師は新潟村上の菅原鹿蔵だったのだ
このブログでもご紹介した十王龍澤寺の彫刻を三人の名人と共作した彫り師である
三人とは菅原鹿蔵、長谷部吉之助、新海惣松
・・・すると明治25年頃に制作された西高玉稲荷神社の獅子頭の彫り師の可能性も出て来た
二頭の内一頭は長谷部吉之助なので菅原鹿蔵の可能性大である!!
同神社長谷部吉之助作の獅子頭
・・・するとアレも?コレも?と獅子頭の顔が浮かんでくる
調査した方は、今年から「しらたか地域おこし協力隊」に赴任された石井紀子さんだ
白鷹町山口地区担当で、先月獅子頭制作実演でバッタリお会いした
石井さんは芸工大の修復科卒のバリバリの歴女というか仏女で、お若いのに大変詳しい
これから白鷹山口地区を中心にインディジョーンズのごとく歴史文化を発掘して戴け
のではないかと期待している
さて瑞龍院史にその発見があったらしい
実は先日、私も白鷹町の図書館でその本を手にしたのである
パラパラと点読大般若のように読んで後回しにした本である
瑞龍院観音堂の棟札に銘があったとか
(略) 棟梁北越村村上 稲垣八郎兵衛藤原正重 正重代
有磯周左衛門藤原高則
(略) 脇棟梁菅原鹿蔵藤原重正」
*銘文は『瑞龍院史』(平成3年、稲荷山瑞龍院史編纂委員会)より抜粋
彫り師は新潟村上の菅原鹿蔵だったのだ
このブログでもご紹介した十王龍澤寺の彫刻を三人の名人と共作した彫り師である
三人とは菅原鹿蔵、長谷部吉之助、新海惣松
・・・すると明治25年頃に制作された西高玉稲荷神社の獅子頭の彫り師の可能性も出て来た
二頭の内一頭は長谷部吉之助なので菅原鹿蔵の可能性大である!!
同神社長谷部吉之助作の獅子頭
・・・するとアレも?コレも?と獅子頭の顔が浮かんでくる
外で制作
12月の半ばで外に出ての制作は滅多に無い
神様からのプレゼント的な天候だ・・・
東京での学生生活を思い出す
冬になるとピカピカの快晴が続き、雪が降っても屁のような量
ちょっと厚着して済む寒さでもあった
あれから40年も過ぎてしまったのだが、あっという間というしかない
先週の金曜から始めた試作の顎を制作
木屑が散らかっても片付け簡単なので楽である
日差しを受けて気分も良いのだ
牙があり歯にカーブがあるので、上下をの噛み合わせが大変難しい
以前、モデルの七星神社の獅子頭の模刻で苦労したのを体験している
さて今回はその経験が活かされるか
穏やかな天候に猫達が次々にやって来る
チェーンソーの音にもだいぶ慣れて来た様で、多少の騒音には逃げ出さなくなった
次第に上の部分が沈み込むように隙間が無くなってくる
この辺が獅子彫りの醍醐味
猫達の応援もあって難しい顎合わせは成功
神様からのプレゼント的な天候だ・・・
東京での学生生活を思い出す
冬になるとピカピカの快晴が続き、雪が降っても屁のような量
ちょっと厚着して済む寒さでもあった
あれから40年も過ぎてしまったのだが、あっという間というしかない
先週の金曜から始めた試作の顎を制作
木屑が散らかっても片付け簡単なので楽である
日差しを受けて気分も良いのだ
牙があり歯にカーブがあるので、上下をの噛み合わせが大変難しい
以前、モデルの七星神社の獅子頭の模刻で苦労したのを体験している
さて今回はその経験が活かされるか
穏やかな天候に猫達が次々にやって来る
チェーンソーの音にもだいぶ慣れて来た様で、多少の騒音には逃げ出さなくなった
次第に上の部分が沈み込むように隙間が無くなってくる
この辺が獅子彫りの醍醐味
猫達の応援もあって難しい顎合わせは成功