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恵みの雨

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おはようございます。今日は朝からどんよりとした天気で先ほどから大粒の雨が降ってきました。この雨は午前中いっぱい続きそうです。

農家さんには恵みの雨になりましたね!

公民館の花達も元気いっぱいに咲いています。

2020.06.26:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

岩部山三十三観音めぐり紀行25

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第25番「御嶽山 播州清水寺 十一面千手観世音菩薩」

 

あはれみや 普き門の 品々に なにをかなみの ここに清水

 

観音様はあわれみ(慈悲)の心を持っている。

普門品※(観音経)を唱えれば何も悩むことはなく、清水の観音様が救ってくれる。

 

◇「なみ(波)」に「清水」を組み合わせています。

観音経は「或漂流巨(略)波浪不能没」大海を漂流しても観音様を念ずれば波の中に溺れることはないと説いています。

 

※法華経の「観世音菩薩普門品第二十五」の略称で観音経のことです。

2020.06.25:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

新田の日本廻国供養塔

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新田地区と川樋地区の境に地蔵様が祀られています。

地蔵堂の隣には日本廻国供養塔が造立されています。

日本廻国とは書写した大乗妙典(法華経)を、1国1社寺ずつ納めて、日本66ヶ国を廻る巡礼のことです。

六十六部とも云います。

 

塔には「寛政十二申」の文字が刻まれています。(1800年)

ちょうど新田村が川樋村から分村した時期になります。

 

2020.06.25:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

岩部山三十三観音めぐり紀行24

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第24番「紫雲山 中山寺 十一面観世音菩薩」

 

野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため

 

多くの人々が野山や村里を越えて、中山寺の観音様にお参りに行く。

観音様は、後世救済の手を差し伸べてくれる。

 

第24番の観音様が彫られた岩は、貴族が被っていた烏帽子の形に似ていることから「烏帽子岩」と呼ばれています。

「烏帽子岩」は茅ヶ崎だけでなく山形にもあるんです。

2020.06.24:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

宝山塔

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6月19日に紹介した新田の山崎神社境内に宝山塔が建立されています。

江戸時代、減免を認めさせた大沼金右衛門(剃髪して宝山と号す)への報恩塔です。

 

新田地区はその名のとおり、江戸時代に新たに開拓された村で川樋新田と称していました。

新しく田畑を開発した村は収穫高が少なく、本田の村より年貢が安いのが普通でしたが、米沢藩の厳しい検地により本田の川樋村と同じ年貢率(税率)でした。

そのため、新田村の農民たちの生活は苦しく、食べるものも事欠く状況でした。

 

時の肝煎(村長)大沼金右衛門は米沢藩庁に年貢減免を何度も嘆願しました。

やがて年老いた金右衛門は肝煎を譲り、お坊さんとなって「宝山」と名乗り、領内の神社仏閣にお祈りして回りました。

その甲斐あって、寛文七年(1667年)に米沢藩は新田村の窮状を認め、年貢率23%を13%に減免する命令が出ました。

 

村人たちは藩庁へのはばかりがあり、公けに感謝することは出来ませんでした。

約200年後の嘉永六年(1853年)、金右衛門の恩を忘れないように「宝山塔」を建立しました。

 

参考:南陽市史・市報なんよう(平成29年1月1日号)

 

2枚目の画像は神社入口の遠景です。

2020.06.24:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

南陽PA

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中川地区には南陽市唯一のPAがあります。(東北中央自動車道)

下り線(山形方面)のPAからは以前紹介しました「びっき石公園」を見ることができます。

東北中央自動車道を利用の際にはぜひ南陽PAに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

2020.06.23:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

大洞の八幡神社

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川樋の大洞地区にある八幡神社です。

大洞は東北中央自動車道の南陽PAがある地区です。

川樋字白旗平に八幡神社があります。その入口の橋を渡ると左側に「華表供養塔」が見えます。華表とは鳥居のことで、鳥居を立て直した安政五年(1858年)に供養塔を造立しました。

 

神社近くに3つの石造物が建っています。

向って右側の石塔には文化四丁卯年(1807年)と陰刻されています。

真ん中の碑は庚申供養塔で、安永五丙申年(1776年)と刻されています。

左側の石造物ですが、上側に日月、仏像は一面六臂(一つの顔に6本の手)の立像で、憤怒の表情をしていることから、庚申講の本尊である「青面金剛」(しょうめんこんごう)と考えます。

 

大洞は江戸時代前期、大洞千軒と云われるほど鉱山が繁栄していました。しかし寛永七年(1642年)廃坑後は戸数減少し、鉱夫の長屋がどこにあったのか定かではありません。

 

参考:南陽市史(ただし石造仏像の解釈は違います。)

2020.06.23:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]