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酬恩碑

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酬恩碑は寺子屋の師匠の遺徳をたたえて筆子たちが建てたものです。

北条郷(南陽市)では江戸時代寛政期(1789~1801)頃から寺子屋が各地に出来ました。

 

中川地区でも舟山吉左エ門、北条智学の私塾があり、子弟の教育に従事していました。

北条智学は法印で、川樋学校が創立されると訓導として教育に務めました。

(法印については後日紹介します)

 

画像1・2・3枚目は川樋諏訪神社の境内に建てられた酬恩碑です。

左側面に「一村中」、右側面には「明治十八年」(1885)と刻まれているようです。

明治18年ですと中川村が出来る前なので、川樋村で建てたと思われます。

 

画像4・5枚目は小岩沢地区にある酬恩碑で明治二十七年(1894)に建てられました。

正面に「境清和君 境徳泰君 酬學」と彫られています。

 

参考:南陽市史

2020.07.20:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

金華山講(巳待講)

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川樋諏訪神社の鳥居をくぐると右側に池があり、池の中に祠があります。

弁財天(弁天様)を祀っています。

 

また参道と境内には金華山の石碑が三基建立されています。

巳(み)の日に行う弁財天を本尊とする金華山講で巳待(みまち)講とも云います。

 

南陽市史民俗編には川樋で行われていた講の様子が記されています。

 

講が開かれるのは、稲刈りが済んだ頃の巳の日で、講元の佐竹を招いて開かれる。

当日は午後3時頃まで講中の男衆が宿に集まる。

まず祭壇がつくられる。正面に本尊が祀られ、その前に灯明・お神酒・いり豆をつけた団子が供えられる。

一同揃って拝みあげの後、会食する。賄いは精進料理で、酒は二級酒※二升と決めている。

年一回、金華山から佐竹宛にお札が届くので、それを三組に分け、それから各戸に配られる。

 

宮城県石巻市にある金華山は江戸時代(神仏習合の時代)まで、弁財天を祀っていました。

 

引用:南陽市史 民俗編

 

※平成4年まで日本酒には級別制度があり、酒の味は二級酒で覚えました。

2020.07.17:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

公民館 Little things

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おはようございます。金曜日です!

どんよりとした曇り空ですが今日はこのまま雨は降らなさそうです。

 

公民館前の草刈りを実施中です。

花壇の花ももっさりと大きく育っています!

2020.07.17:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

御詠歌の旅

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公民館日記に掲載していました「岩部山三十三観音」の記事を冊子にまとめました。

令和2年度山形ふるさと塾補助事業の一環で行っているもので、今後古くなった御詠歌を更新します。

交換作業の日程が決まりましたらお手伝いボランティアの方を募集いたします!ぜひご参加ください!

2020.07.16:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

修理

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2階手すりの「ガタガタ」しているところを館長が修理してくれました。

これでまた安心ですね!

2020.07.16:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

供養塔

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川樋諏訪神社の拝殿に向って右側に供養塔が建立されています。

正面に「南無観世音菩薩」と陰刻され、右側面に「延享三丙寅(1746)八月十八日」、左側面に「講人衆廿六人」と刻まれています。

 

今野竹蔵氏によれば

「神社裏にあった鉱山の事故で亡くなった人々を供養したものであろうか。」

と推測しています。

 

大洞金山は寛永十九年(1642)に廃抗となりましたが、寛政四年(1792)の「樹蓄建議」に川樋村の鉱山について、

「川樋村の内、千枚、二十枚、北ノ沢、山居沢、処沢、各金山也」

と記されていますので、場所を変え鉱山は続いていたことを示しています。

(この頃は川樋村の中に新田も入っています)

 

諏訪神社の西側にある鉱山は、戦前まで掘られていて、残土で社殿前を平らにしました。

廃抗後、鉱山跡地は川樋の子供達にとって水晶取りのメッカとなりました。

 

左側面に「講人衆」と刻まれていることから、観音講※の石碑とも考えられます。

 

※観音講は定例の集りをもち御詠歌を奉詠する講で、札所観音巡りを行うこともあります。

延享の時代ですと岩部山三十三観音はありませんが、置賜三十三所や最上三十三所巡りが行われていました。

 

参考:今野竹蔵著「北条郷鉱山史話」・南陽市史 民俗編

2020.07.16:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

7月16日号

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中川公民館だよりを掲載いたします。

2020.07.16:nakagawako:コメント(0):[◇中川公民館だより]