昭和9年

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古い画像は旧国道13号(現一般県道南陽川西線)のバイパス工事の様子です。

 

昭和9年(1934)東北地方を冷害が襲いました。

昭和5年以来の恐慌と6~7年の凶作の中で、農産物は下落し農村は極度に疲弊していました。

そこに追い打ちをかけるように冷害に見舞われ、山形県では平年作の約半分強の収穫しかありませんでした。

当時、中川村の農地は他市町村の大地主(不在地主)所有が多く、3分の2が小作地でした。

大凶作にもかかわらず、自家飯米も顧みず、小作料を現物で納入したため困窮を極めました。

 

国は被害農家を救済するため各地で土木事業を行い、農民に現金収入の途を与えました。

中川地区内では、国道鳥上坂の切り下げ工事、川樋から中川駅裏を通るバイパス新設、花窪坂の切り下げ工事などが行われました。

賃金は60銭内外で希望者が多く、未明から起きて現場で待っていたといいます。

 

参考:南陽市史下巻、中川風土記

2022.03.12:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

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