小岩沢地区の字中ノ倉山と山の麓が字御林下(オハヤシシタ)です。
御林は江戸時代、米沢藩の官林のことで、御林に取立てられると山年貢その他税負担を免除されますが、その山では草を刈ることも出来ません。
江戸時代は草葉を使った刈敷(カリシキ)※に頼って田畑を耕作していたので困ることになります。
米沢藩は山を単なる木材の供給地とするだけでなく、水林や保安林として重要視していました。
「御林集」という藩の台帳によれば、南陽市に関係ある御林は53カ所あり、中ノ倉は雑木立と書かれていますので保安林として管理されていました。
さて中ノ倉の地名ですが、小岩沢地区には「倉」がつく字名が一ノ倉山、柴倉山、免古倉とありいずれも山で急傾斜地です。
盆地の中にある倉(山)で中ノ倉になったと考えます。
※刈った草葉を地中に埋めて発酵させた肥料
参考:南陽市中巻
この記事へのコメントはこちら