宿駅を通過する際の駄賃やその他経費についての記事を紹介します。
まず荷物は37貫から40貫(1貫が3.75kgなので140~150kg)の荷を二つに分けて馬や牛の背の左右につけたらしく、それを一駄といいました。
また背負いの荷もありました。
たくさんの荷物を運ぶ時は宰領(さいりょう)がつき、人馬の監督や経費の勘定等を行っていました。
荷物は馬や牛の背につけられたままの形で宿駅を通過することがあり、これを「附通し」といい、通過料として一駄26文の「鞍下銭」を納めました。
また宿駅に一泊する場合には、泊り料は180文で藁代や飼料代は別にかかり、「庭銭」といって荷物の預り料も支払います。
他国(最上領など)から入ってくる物資には「御役銭」という関税とみられる税金がかかりました。
塩の場合、一斗につき約26文かかりました。
問屋職が預かる形で荷主から受取り、それを後で御番所に届けたようです。
参考:南陽市史・南陽市史編集資料第15号
江戸時代の物価と現代を単純に比べることはできませんが、そば1杯16文を立ち食いそば350円で計算すると、1文が約22円になります。
ただし、物価の基準を何にするかで大きく変ります。
画像は米沢街道沿いに建立された新田地区のお地蔵様です。
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