虚空蔵様(こくうぞうさま)の祠も中川の各地区に建立されています。
川樋だけでも私が分かるだけで、虚空蔵山、諏訪神社境内、北山にあり、鷹戸山の山頂の祠も虚空蔵様を祀っています。
画像1は川樋諏訪神社境内にある虚空蔵様の祠です。
手前に牛の置物があるのは、虚空蔵菩薩は丑年・寅年の守り本尊だからでしょうか?
画像2は北山の虚空蔵様です。
中川では江戸時代から養蚕が盛んに行われていました。
蚕は「運の虫」といわれ、気候の変動や桑葉の出来に大きく左右されました。
蚕神として地元では元中山と川樋の諏訪神社、初午の稲荷参りそして虚空蔵様や各家のオシラ様が信仰されました。
虚空蔵菩薩は知恵の菩薩とされていますが、白鷹山の虚空蔵尊の場合、江戸後期の養蚕興隆とともに蚕神として信仰を集めるようになりました。
川樋では会津の柳津(やないづ)虚空蔵様に代参を送っていました。
参考:南陽市史 民俗編・南陽市史編集資料第1号
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