川樋諏訪神社にある泉で、古くから老ぬ清水と称せられ、名物の一つに数えられていた。
「之を飲む者齢を延ぶ、一升而四百二十匁、京都泉町の井に同じ、故に茶水に尤佳なり」※1と記され、
「茶水硯水第一也。性は京都鴨川の水に類す。太閤の右史、和久半左衛門※2も鴨水に替ることなしと賞せり。如何なる大旱にも古今涸れたることなし云々」と称揚している。
紀徳民(細井平州)松島記「雄島の笘」には
出羽なる老ぬ清水の老ぬとや 和歌の浦波たちもまじらぬ
と詠まれている。
又、粟野義広は「越境記事」に
年を経て長井の里に住にけり 老ぬ清水に老を忘れて
と詠まれて、古来より名高かったことがわかる。
明治十四年(1881)、明治天皇御巡幸の節、此清水に「御膳水」の立札が立てられ、京都加茂川(鴨川)の水に等しい水を献上申上げたのであった。
※1 鶴城地名選 文化元年(1804)
※2 豊臣秀頼の右筆をつとめ、のち伊達政宗に招かれ千石を与えられた
右筆とは、文書や記録をつかさどる職
参考:赤湯町史・東置賜郡史
川樋の字名「清水尻」は不老泉の下流にあることから名付けられました。
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