新田 野中森館跡(中ノ森館跡)

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国道13号を赤湯から山形に向い、鳥上坂を越えると右側に独立丘陵が見えます。

中世には野中森館があった場所で、地元では「森こ山」と呼んでいます。

(字名が中ノ森なので、中ノ森館跡とも云います)

 

「米沢事跡考」によると、野中森は粟野十郎藤原義広の後裔(子孫)で粟野十郎左衛門尉宗次※1の父が隠居した館と伝えられています。

周囲を大谷地に囲まれ防御としていました。

 

享保の絵図には「蒲生氏※2の舘跡」と記してあり。近くには「首塚」と記されていますが、首塚の場所は定かではありません。

 

参考文献:赤湯町史・山形県歴史の道調査報告書

 

※1 16世紀の伊達氏家臣で赤湯にあった二色根城主と云われています。

※2 天正19年(1591)奥州仕置により伊達氏は転封、蒲生氏の領地となりました。

   以前紹介した宝山塔の大沼家は蒲生氏の家臣で、この地に残り百姓になりました。

2020.07.02:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

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