十分一山の北麓に新田(しんでん)堤があります。新(しん)堤とも呼びます。
この新田堤は大正時代に作られた灌漑用の堤です。
元々この一帯は大谷地(湿地帯)で水田耕作が難しい環境が続いていました。
大正時代に新田の銀山地区(谷地地区とも云う)の開墾を進めましたが、泥炭層の場所が沈み、湧水などがたまるので周囲を高く土盛りし、堤として活用することにしました。
この時完成したのが新田堤です。
その後も客土などの土質改良を重ね、茫々たる草原を美田に変えました。
大正9年に銀山地区の開墾を記念し、五十匁(ごじゅうめ)山の麓に記念碑を建立しました。
新田堤は完成から2年ほど経つと、底の泥炭層に浮力が生じて浮き上がり浮島になりました。
水面が上がると泥炭浮島も浮いて移動します。
泥炭浮島には貴重な動植物が生息しています。昭和59年には南陽市指定文化財(天然記念物の部)に指定されました。
山形県のレッドリストの指定を受けた種もいて、動植物の採集は禁止されています。
(堤内への立入りも禁止です。)
参考:市報なんよう 平成28年8月1日号
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