最上義光プロジェクト
search
プロジェクトからのお知らせ
▼最上義光
□最上義光略年表
□最上義光の功績
▼最上家の人々
○父・母
○弟・妹
○奥方
○息子・娘
○最上家一門
◎最上家歴代当主
▼最上家武将列伝
☆最上四天王
◇最上家家臣団(あ行)
◇最上家家臣団(か行)
◇最上家家臣団(さ行)
◇最上家家臣団(た行)
◇最上家家臣団(な行)
◇最上家家臣団(は行)
◇最上家家臣団(ま行)
◇最上家家臣団(や行)
◇最上家家臣団(ら行)
◇最上家家臣団(わ行)
▼最上家関連人物
▼最上家用語の基礎知識
プロフィール
お問合せ
Home
/
記事一覧
楯岡満信(たておかみつのぶ)
生年不明~没年不明 楯岡満茂 の嫡男という。播磨守を称す。のちに満茂は、甥の 親茂 を跡継ぎとすべく養子に迎えていることから、若くして亡くなったものと思われる。満信のほか満茂の子は、 大山筑前守光因 妻・香林院、 大山内膳正光隆 妻・於陳女郎、 楯岡親茂 妻・源高院の3姉妹である。
2017.03.18
楯岡満茂(たておかみつしげ)
弘治二年(1556)~寛永十六年(1639) 楯岡城主。豊前守。文禄四年(1595)雄勝郡に出陣し、湯沢城(湯沢市古館山)を攻め落とした。そのまま城主となり、湯沢氏を称した。慶長出羽合戦のときは、小野寺氏に対する守備を担当した。のちに由利郡に移り、本城城(由利本荘市尾崎)を築城、本城氏を称して、最上家中で最高の4万5千石を領した。
2017.03.16
中野義清(なかのよしきよ)
生年不明~没年不明 中野義建 の子。中野城主。最上家10代当主・ 最上義守 の実父。大永元年(1521)に天童・成生両氏から攻撃を受け灰燼に帰した、山寺立石寺の再興に努めた。
2017.03.12
中野義建(なかのよしたつ)
生年不明~没年不明 最上家8代当主・ 最上義淳 の二男。中野城主。最上家7代当主・ 最上満氏 は中野家の出身であったことから、その子・義淳は、最上家と中野家の当主を兼ねており、嫡男の 義定 には最上家を、弟の義建には中野家を継がせた。
2017.03.07
多田義賢(ただよしかた)
生年不明~没年不明 楯岡光直 の子ともいうが詳細は不明。楯岡義賢とも。楯岡城(村山市楯岡)の最後の城主。楯岡城址の麓にある愛宕神社入口に「楯岡城主多田義賢の碑」が残る。
2017.03.03
258件中/201件~205件