最上義光プロジェクト
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井上綱知(いのうえつなとも)
生年不明~慶長二十年(1615) 鮭延秀綱 の弟。将監を称す。合海城主として1千石を領したという。また、一説には、秀綱が 最上義光 に攻められて降伏したのち、許されて元の所領を安堵されると、岩鼻館(戸沢村蔵岡字岩花)に綱知を配したという。合海とは川の合流場所のことをいい、合海城とは最上川と鮭川の合流場所に近い岩鼻館のことか。
2017.05.01
鮭延左衛門尉(さけのべさえもんのじょう)
天正十四年(1586)~慶長十七年(1612) 鮭延秀綱 の嫡男。名は左右衛門(さえもん)とも。慶長出羽合戦(長谷堂の戦い)にて初陣を飾る。奥羽永慶軍記には、この戦いでの上杉軍本陣に迫る勇猛な活躍ぶりが記されている。一方、鮭延越前守聞書には、敵陣に深入りして散々に攻められ、父・秀綱が助けに入って、一緒になった退いたとある。のちに家督を継ぐことなく、若くして亡くなった。
2017.04.30
鮭延秀綱(さけのべひでつな)
永禄五年(1562)~正保三年(1646) 佐々木貞綱の子。名は愛綱(ちかつな)とも。典膳、越前守を称する。鮭延城(真室川町内町)1万1500石の城主。 最上義光 に攻められ降伏したが、その後は最上家家臣として活躍した。慶長出羽合戦では、長谷堂城の副将として奮戦し、上杉本陣を脅かすほどの戦果を挙げ、直江兼続に「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなし」と言わしめた。
2017.04.29
大風右衛門(おおかぜうえもん)
生年不明~没年不明 最上義光 から長谷堂城に援軍として派遣され、上杉軍の包囲を破って入城に成功する。 横尾勘解由 らとともに春日元忠の陣に夜襲を仕掛け、上杉勢が同士討ちを起こすほどの大混乱に陥れた。
2017.04.28
横尾勘解由(よこおかげゆ)
生年不明~没年不明 志村光安 の家老。光安の娘婿といわれている。慶長出羽合戦では、 大風右衛門 らとともに上杉軍に夜襲をかけ、春日元忠の陣を大混乱に陥れた。最上家改易により横尾家は東根にて帰農し、代々郡中総代名主を務めた。
2017.04.27
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