最上義光プロジェクト
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江口光清(えぐちあききよ)
生年不明~慶長五年(1600) 畑谷城(山辺町畑谷)城主。慶長出羽合戦の際、 最上義光 から山形城に退却するよう命令されたが、城を棄てるのは武士の名折れとしてこれを拒否し、直江兼続率いる上杉軍2万との徹底抗戦に出た。約3百の兵で奮戦したものの、畑谷城は落城し、全員討死した。最上家家臣の中でも連歌の才に秀で、連歌会に何度も参加している。
2017.05.10
鳥海信道(とりのうみのぶみち)
生年不明~慶長五年(1600) 最上義光夫人 の侍女・花輪と恋仲になり、これに怒った 義光 から死罪を申し渡されるが、 鮭延秀綱 の取り成しにより事無きを得、晴れて夫婦となった。このことに恩義を感じていた信道は、慶長出羽合戦では秀綱のもとで出陣、秀綱の身を守り討死した。妻の花輪も夫の葬儀を済ませると自害したという。このことを聞いた義光は、自らを恥じ入り、二人を丁重に弔ったと伝わる。
2017.05.07
庭月広綱(にわつきひろつな)
生年不明~慶安三年(1650) 佐々木氏(鮭延氏)の一族。理右衛門。庭月楯(鮭川村庭月)の楯主として1千石を領す。 鮭延秀綱 が 最上義光 に攻められた際、同じく攻撃を受け降伏した。広綱は所領を安堵され、その後も最上家家臣となった秀綱に仕えた。
2017.05.04
岡野孝以(おかのたかもち?)
生年不明~万治二年(1659) 九郎左衛門。主馬を称す。 鮭延秀綱 の娘婿。鮭延家の家老として400石を領した。鮭延越前守侍分限帳によると550石という。最上家改易後は、秀綱に従い古河藩土井家に仕えた。
2017.05.03
井上義綱(いのうえよしつな)
生年不明~没年不明 井上綱知 の子。父の死去により家督を継ぐ。最上家改易後は、伯父である 鮭延秀綱 に従い、古河藩土井家に仕えた。のちに土井利勝の推挙により、幕府直参として召し出されることとなったが、病没してしまい果たすことができなかったという。その子孫は町医師として加賀藩前田家に仕えた。
2017.05.02
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