最上義光プロジェクト
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◇最上家家臣団(た行)
高橋勘解由(たかはしかげゆ)
生年不明~没年不明 高橋但馬守 の子。最上家改易後、新庄藩戸澤家に仕え、谷地の代官を務めた。妻は最上家家臣の 草刈虎之助 の娘。
2018.03.12
高橋但馬守(たかはしたじまのかみ)
生年不明~没年不明 義光分限帳によると1千石を領した。後世の軍記物である「最上記」にも1千石を領したとの記載が残る。もとは越前の朝倉氏に仕え、その滅亡後に最上家に仕えたという。一説には、高橋但馬守の娘が 最上義光 の嫡男・ 最上義康 に嫁いだといわれている。生まれた子のうち、二男が義康の死後も生き延びて高橋姓を名乗り、後に帰農したという。
2018.03.07
高楯俊福(たかだてとしとみ?)
生年不明~没年不明 高楯正福 の子。父と同じく遠江守を称す。最上家改易に際し、 最上家信 (義俊)に従って近江国大森に赴いた。俊福の娘は、義俊の二男である義長の妻となった。
2018.01.07
高楯正福(たかだてまさとみ?)
永禄二年(1559)~慶長二十年(1615) 高楯城(山辺町山辺)の城主。遠江守を称す。2千5百石(一説には1万2千石とも)を領した。大坂夏の陣では、江戸城留守居役であった 最上家親 から派遣されて参陣、57歳で討死した。菩提寺は山辺町の正福寺。
2018.01.06
滝沢六右衛門(たきざわろくえもん)
生年不明~没年不明 滝沢政範 の二男。最上家改易後は、本荘藩六郷家に仕え、兵粮方を務めたという。
2017.12.22
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