最上義光プロジェクト
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川俣貞次(かわまたさだつぐ)
生年不明~没年不明 主膳正を称す。武蔵国川俣城の城主であったが、天正十一年(1583)家臣の裏切りにより川俣城が落城、姻戚を頼って最上家に仕えた。慶長出羽合戦後は、庄内尾浦城主・ 下次右衛門 の奉行として尾浦に居住した。千三百石を賜っていたという。最上家改易後は庄内藩酒井家に仕えた。
2019.01.10
東海林成盛(しょうじなりもり)
生年不明~没年不明 谷地城主・白鳥十郎の重臣。隼人助。名は昌種とも。沼平楯(西川町岩根沢)の楯主。白鳥滅亡の際、白鳥十郎の息女・日吉姫をかくまったが、最上軍の攻撃を受け降伏した。その後は最上家に帰属し、慶長出羽合戦にも参戦、庄内にて奮戦したという。子は昌勝、孫は豊後光勝。
2019.01.09
辻吉助(つじよしすけ)
生年不明~没年不明 加賀を称す。武蔵国の生まれ。北条家に仕えて数々の戦功を挙げ、下野足利の戦においては、北条氏直から感状を賜った。その後上杉家に仕え、慶長出羽合戦ののち最上家に仕えた。最上家改易後は、庄内藩酒井家に登用され、同じく最上家旧臣から召し抱えられた五十三騎の筆頭とされた。
2019.01.08
笠原隆元(かさはらたかもと)
生年不明~没年不明 笠原隆親 の子。葛西・大崎一揆では、父と共に宮崎城に立て篭もるも、奮戦及ばず城を落ち延びた。のち出羽楯岡に来て、父・隆親は、楯岡城主・ 楯岡満茂 に召し抱えられたが、隆元は、名を宮崎太郎左衛門に改めて楯岡に土着し、楯岡笠原氏の祖になったという。
2019.01.07
笠原隆親(かさはらたかちか)
生年不明~没年不明 民部少輔を称す。大崎家旧臣で加美郡宮崎城主を務めた。妻は 小国光基 の娘。葛西・大崎一揆では、伊達政宗率いる鎮圧軍を相手に宮崎城に立て篭もるも、奮戦及ばず城を落ち延びた。岳父・小国光基を頼ろうとしたが、迷惑がかかるとして出羽仙北地方に逃れたという。のち出羽楯岡に来て、楯岡城主・ 楯岡満茂 に召し抱えられ、名を笠原織部と改めた。
2019.01.06
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