最上義光プロジェクト
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小野寺道元(おのでらみちもと)
永禄三年(1560)~寛永九年(1632) 刑部を称す。上州厩橋の生まれ。北条家、武田家、真田家、上杉家を渡り歩き、数々の戦功があった。慶長出羽合戦ののちに最上家に仕え、鉄砲奉行を務めた。最上家改易に際し、最上家中から武勇の士として選ばれた七人のうちの一人といい、最後は徳川忠長に仕えた。
2017.07.24
高橋伊賀守(たかはしいがのかみ)
生年不明~正保元年(1644) 亀ケ崎城代・川北三奉行の一人。最上家改易に際し、最上家中から武勇の士として選ばれた七人のうちの一人といい、徳川忠長に仕えた。屋敷のあったところは酒田町代官所(のち酒田町奉行所)となった。(酒田市本町)
2017.07.23
寺内近江守(てらうちおうみのかみ)
生年不明~没年不明 元和二年頃、亀ケ崎城代・川北三奉行の一人であった 安部越中守 の後任となった。以降、最上家改易まで川北三奉行は、 斎藤筑後守 、 高橋伊賀守 、寺内近江守の三名体制となる。屋敷のあったところは近江町と呼ばれた。(酒田市旧近江町)
2017.07.22
安部越中守(あべえっちゅうのかみ)
生年不明~元和元年(1615)? 亀ケ崎(酒田)城主の 志村光惟 が、慶長十九年(1614)に起きた 一栗兵部 の乱で死去すると、 斎藤筑後守 、 高橋伊賀守 とともに亀ケ崎城代・川北三奉行の一人として庄内川北地域を治めた。奉行となって間もなく死去したと思われ、 寺内近江守 が後任となった。
2017.07.19
斎藤親盛(さいとうちかもり)
慶長八年(1603)~延宝二年(1674) 斎藤廣盛 の子。清三郎。母は 東禅寺勝正 の妹という。 最上家親 に近侍して偏諱を賜り、親盛と名乗った。最上家改易後、父とともに越後に赴くが、そこで父は急死してしまったため、親盛は江戸に出て医者になったという。文学の才能があり、如儡子の号で仮名草子の傑作とされる「可笑記」等を発表した。
2017.07.18
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