最上義光プロジェクト
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里見市正(さとみいちのかみ)
生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると2千3百石を領したという。上山城主であった 里見越後守 ・ 里見民部 父子、または東根城主であった 里見薩摩守 などと同じ里見一族と思われる。
2018.01.08
高楯俊福(たかだてとしとみ?)
生年不明~没年不明 高楯正福 の子。父と同じく遠江守を称す。最上家改易に際し、 最上家信 (義俊)に従って近江国大森に赴いた。俊福の娘は、義俊の二男である義長の妻となった。
2018.01.07
高楯正福(たかだてまさとみ?)
永禄二年(1559)~慶長二十年(1615) 高楯城(山辺町山辺)の城主。遠江守を称す。2千5百石(一説には1万2千石とも)を領した。大坂夏の陣では、江戸城留守居役であった 最上家親 から派遣されて参陣、57歳で討死した。菩提寺は山辺町の正福寺。
2018.01.06
近藤壱岐守(こんどういきのかみ)
生年不明~没年不明 2千5百石を領す。 最上義光 は山形城三の丸の十一口にそれぞれ重臣を配置して防衛を固めた。このうち、山形城西方の小田口に配されたのが近藤壱岐守である。小田口には当時最も重要とされた煙硝庫(火薬庫)があり、その守護神として財部稲荷大明神が奉られた。後世の軍記物である「最上記」には進藤壹岐守と記載されている。
2018.01.05
大久保主馬介(おおくぼしゅめのすけ)
生年不明~没年不明 大久保城(村山市大久保)の城主。最上家3代 最上満直 の三男満頼が大久保の地に入部し、大久保を名乗ったといわれるが、主馬介がその直系子孫かどうかは不明。「最上義光分限帳」によると3百石、「最上記」によると3千石を領したという。
2018.01.04
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