最上義光プロジェクト
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小幡昌高(おばたまさたか)
生年不明~没年不明 播磨守を称す。武田家から北条家、次いで上杉家に仕える。慶長出羽合戦では直江兼続の陣におり、関ヶ原での西軍敗走の報が届いた際にその場に居合わせたという。のちに最上家に仕え、1千石を領した。
2018.02.19
日野数馬(ひのかずま)
生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると1千石を領したという。同じく1千石を領したという 日野備中守光久 の一族か。最上家改易後は、山形藩鳥居家に百五十石で仕えたという。
2018.02.18
中山光信(なかやまあきのぶ)
生年不明~寛永十八年(1641) 中山玄蕃朝正 の子。七左衛門。父とは別に千石を給されており、家督を継いだのちは最上家重臣に列した。最上家改易後は、武功の名あるをもって幕府に召し出され、福山藩阿部家に仕えて家老の職を務めた。
2018.02.04
伊良子監物(いらごけんもつ)
生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると、庄内大山(尾浦)城主である 大山内膳正 (最上義光六男の光隆)の家臣として1千石を領したという。名は貞之助か。子は長崎で西洋医学を学び外科医となった伊良子道牛か。
2018.02.03
伊良子弾正(いらごだんじょう)
生年不明~没年不明 慶長出羽合戦の際、山形市西部の門伝楯の楯主を務め、楯の改修を行ったという。一説には新たに門伝楯を築いたとも。二人の娘がおり、姉は高野蔵人、妹は長沢頼母に嫁いだと伝わる。最上家改易後も子孫は山形に残り、飯野の姓を名乗ったという。
2018.02.01
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