最上義光プロジェクト
search
プロジェクトからのお知らせ
▼最上義光
□最上義光略年表
□最上義光の功績
▼最上家の人々
○父・母
○弟・妹
○奥方
○息子・娘
○最上家一門
◎最上家歴代当主
▼最上家武将列伝
☆最上四天王
◇最上家家臣団(あ行)
◇最上家家臣団(か行)
◇最上家家臣団(さ行)
◇最上家家臣団(た行)
◇最上家家臣団(な行)
◇最上家家臣団(は行)
◇最上家家臣団(ま行)
◇最上家家臣団(や行)
◇最上家家臣団(ら行)
◇最上家家臣団(わ行)
▼最上家関連人物
▼最上家用語の基礎知識
プロフィール
お問合せ
Home
/
◎最上家歴代当主
最上義春(もがみよしはる)
生年不明~文明六年(1474) 最上家5代当主。 最上満家 の二男。嘉吉三年(1443)父の死去に伴い家督を相続、山形城主となる。このとき兄の 最上頼宗 は既に亡くなっていたとされる。はじめ政家と名乗ったが、将軍足利義政から「義」の字を賜り義春と改めた。義政の命により古河公方足利成氏攻めに参加している。旱魃に苦しむ領民のため、雨の神である諏訪明神(山形市諏訪町)を勧請したという。菩提寺は龍門寺(山形市北山形)である。
2017.01.09
最上頼宗(もがみよりむね)
生年不明~嘉吉元年(1441) 最上満家 の嫡男であるが、最上家の歴代当主には数えられていない。応永三十一年(1424)に家督を相続したとの説もある。父・満家が長瀞城に隠棲している間、山形城主を務めた可能性もある。光姫という美しい娘がおり、自分のために男が処刑されたのを悲しみ観音巡礼の旅に出たという。これが最上三十三観音の始まりになったという伝説がある。光姫の子が 最上義春 で若松観音にちなんで若松君と呼ばれたという話も伝わる。
2017.01.07
最上満家(もがみみついえ)
生年不明~嘉吉三年(1443)? 最上家4代当主。 最上満直 の嫡男。父から家督を譲られ山形城主となる。正室は寒河江氏の娘という。のちに山形城を去って長瀞城(東根市長瀞)に隠棲した。菩提寺は長瀞の禅会寺。没年については応永三十二年(1425)説もある。
2017.01.06
最上満直(もがみみつなお)
生年不明~応永二十年(1413)? 最上家3代当主。 最上直家 の嫡男。応永七年(1400)父から家督を譲られ山形城主となる。正室は蘆名詮盛の娘。二男・満基は中野(山形市大郷)、三男・満頼は大久保(村山市大久保)、四男・満国は楯岡(村山市楯岡)にそれぞれ城を構えた。菩提寺は法祥寺(山形市七日町)である。没年については応永二十三年(1416)と応永三十一年(1424)説もある。
2017.01.04
最上直家(もがみなおいえ)
生年不明~応永十七年(1410) 最上家2代当主。 斯波兼頼 の嫡男。永和元年(1375)父から家督を譲られ山形城主となる。正室は伊達宗遠の娘。屋形号(最上屋形)を称することを許され「十六葉八重菊紋」と「五七桐紋」を賜った。息子が6人おり二男・頼直に天童家を継がせるなど、各地に配置して最上家の支配体制を固めた。菩提寺は金勝寺(山形市山家本町)である。
2017.01.03
11件中/6件~10件