最上義光プロジェクト
search
プロジェクトからのお知らせ
▼最上義光
□最上義光略年表
□最上義光の功績
▼最上家の人々
○父・母
○弟・妹
○奥方
○息子・娘
○最上家一門
◎最上家歴代当主
▼最上家武将列伝
☆最上四天王
◇最上家家臣団(あ行)
◇最上家家臣団(か行)
◇最上家家臣団(さ行)
◇最上家家臣団(た行)
◇最上家家臣団(な行)
◇最上家家臣団(は行)
◇最上家家臣団(ま行)
◇最上家家臣団(や行)
◇最上家家臣団(ら行)
◇最上家家臣団(わ行)
▼最上家関連人物
▼最上家用語の基礎知識
プロフィール
お問合せ
Home
/
◇最上家家臣団(か行)
金原七蔵(きんばらしちぞう)
天正十三年(1585)~没年不明 里見民部 の小小姓。生年十六にして慶長出羽合戦に出陣。「最上記」によると、民部は剛力の足軽共を集め、七蔵に手柄を立てさせるよう言いつけ戦場に送り出した。その一団が上杉軍の大将・上泉主水泰綱と遭遇、 漆山九郎兵衛 が組みかかり、谷川へ転げ落ちたところに七蔵が飛びかかり、泰綱の首級をあげた。
2018.04.22
小泉讃岐守(こいずみさぬきのかみ)
生年不明~没年不明 楯岡満茂 の重臣。3千石を領したという。 後世の軍記物である「最上記」では、酒田城攻略戦の場面に寄せ手の一人として登場する。
2018.03.26
牛房野三七(ごぼうのさんしち)
生年不明~没年不明 午房野楯(尾花沢市午房野)の楯主。後世の軍記物である「最上記」によると2千石を領したという。 最上義光 が小国郷の細川氏を攻めた際、最上勢の道案内を務めたと伝えられる。
2018.02.22
近藤壱岐守(こんどういきのかみ)
生年不明~没年不明 2千5百石を領す。 最上義光 は山形城三の丸の十一口にそれぞれ重臣を配置して防衛を固めた。このうち、山形城西方の小田口に配されたのが近藤壱岐守である。小田口には当時最も重要とされた煙硝庫(火薬庫)があり、その守護神として財部稲荷大明神が奉られた。後世の軍記物である「最上記」には進藤壹岐守と記載されている。
2018.01.05
糟谷延元(かすやのぶもと)
生年不明~没年不明 野辺沢(延沢)城主・野辺沢家の重臣。出雲守を称す。岩手県指定文化財「漆塗曵馬絵馬」(岩手県陸前高田市の観音寺所蔵)に、「奉納絵馬」「所願成就」「慶長七年(1602)壬刀(寅)六月十七日」「糟谷出雲守延元」の銘が残されている。
2017.11.19
19件中/6件~10件