最上義光プロジェクト
search
プロジェクトからのお知らせ
▼最上義光
□最上義光略年表
□最上義光の功績
▼最上家の人々
○父・母
○弟・妹
○奥方
○息子・娘
○最上家一門
◎最上家歴代当主
▼最上家武将列伝
☆最上四天王
◇最上家家臣団(あ行)
◇最上家家臣団(か行)
◇最上家家臣団(さ行)
◇最上家家臣団(た行)
◇最上家家臣団(な行)
◇最上家家臣団(は行)
◇最上家家臣団(ま行)
◇最上家家臣団(や行)
◇最上家家臣団(ら行)
◇最上家家臣団(わ行)
▼最上家関連人物
▼最上家用語の基礎知識
プロフィール
お問合せ
Home
/
◇最上家家臣団(あ行)
伊良子弾正(いらごだんじょう)
生年不明~没年不明 慶長出羽合戦の際、山形市西部の門伝楯の楯主を務め、楯の改修を行ったという。一説には新たに門伝楯を築いたとも。二人の娘がおり、姉は高野蔵人、妹は長沢頼母に嫁いだと伝わる。最上家改易後も子孫は山形に残り、飯野の姓を名乗ったという。
2018.02.01
伊良子信濃守(いらごしなののかみ)
生年不明~没年不明 朝鮮出兵に際し山形にて留守居役を務めた。 最上義光 は滞陣していた肥前名護屋から、伊良子信濃守あてに「命のうちにいま一度、最上の川地を踏み申したく候、水を一ぱい呑みたく候」と書いた書状を出した。
2018.01.31
伊良子長門守(いらごながとのかみ)
生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると1千石を領したという。 最上義光 は山形城三の丸の十一口にそれぞれ重臣を配置して防衛を固めた。このうち、山形城北西の下条口に配されたのが伊良子長門守であるという。
2018.01.22
伊良子宗牛(いらごそうぎゅう)
生年不明~没年不明 甲斐源氏の支流・秋山氏が三河国渥美郡伊良子村に移り住み伊良子を名乗ったという。最上記によると宗牛は柏木山合戦の際、成沢城防衛のため派遣され、武田信玄が日本国で剛の者として名の知られた武者を聞き出し、書き集めた枕屏風の4番目にその名があったという。
2018.01.15
朝比奈讃岐守(あさひなさぬきのかみ)
生年不明~没年不明 井出楯(大石田町大石田)の楯主として2千石を領す。天正十三年(1585)、 最上義光 は井出楯の太田外記を攻めて落城させ、その後に朝比奈讃岐守を配したという。
2018.01.12
54件中/21件~25件