最上義光プロジェクト
search
プロジェクトからのお知らせ
▼最上義光
□最上義光略年表
□最上義光の功績
▼最上家の人々
○父・母
○弟・妹
○奥方
○息子・娘
○最上家一門
◎最上家歴代当主
▼最上家武将列伝
☆最上四天王
◇最上家家臣団(あ行)
◇最上家家臣団(か行)
◇最上家家臣団(さ行)
◇最上家家臣団(た行)
◇最上家家臣団(な行)
◇最上家家臣団(は行)
◇最上家家臣団(ま行)
◇最上家家臣団(や行)
◇最上家家臣団(ら行)
◇最上家家臣団(わ行)
▼最上家関連人物
▼最上家用語の基礎知識
プロフィール
お問合せ
Home
/
○息子・娘
禧久姫(きくひめ)
生年不明~寛文四年(1664) 最上義光 の四女。最上家家臣で東根城主・ 東根景佐 の嫡男・ 親宜 に嫁ぐ。最上家改易に伴い、夫とともに徳島にて暮らした。
2017.02.21
竹姫(たけひめ)
天正十二年(1584)~寛永三年(1626) 最上義光 の三女。最上家代々の重臣である氏家家に嫁ぐ。はじめ 氏家光氏 の子である尾張守(名は不詳)に嫁ぐが、若くして亡くなってしまったため、弟の 親定 に再嫁したという。最上家改易に伴い、夫とともに長州萩にて暮らした。
2017.02.19
駒姫(こまひめ)
天正七年(1581)~文禄四年(1595) 最上義光 の二女。東国一の美少女との評判が高く、時の関白・豊臣秀次が側室に望んだため、京に上ることとなった。京に到着してまもなく、秀次が謀反の疑いにより高野山で自害させられた。秀次の身内一族や近臣も捕らえられ、まだ実質的に側室となる前であった駒姫も処刑された。父・義光の憤りと悲しみは深く、のちに関ヶ原の戦いで徳川家康に味方する一因になったといわれている。
2017.02.16
松尾姫(まつおひめ)
天正六年(1578)~慶長十一年(1606) 最上義光 の長女。義光に対抗していた国人領主連合「天童八楯」の有力武将であった 野辺沢満延 を懐柔するため、その嫡子又五郎と婚約することとなる。これにより、満延は義光に味方するようになったため天童八楯は瓦解した。のちに 野辺沢康満 (又五郎)と正式に夫婦となるも、29歳の若さで亡くなったという。
2017.02.13
大山光隆(おおやまあきたか)
慶長七年(1602)~寛永二年(1625) 最上義光 の六男。内膳正。元和元年(1615)に2万7千石にて庄内大山(尾浦)城主となり、大山姓を名乗った。妻は 楯岡満茂 の二女である於陳女郎。元和八年(1622)最上家改易により広島藩浅野家に身柄を預けられ、その数年後に死去。
2017.02.02
10件中/1件~5件