昨日10月14日をもって、今年の天元台高原,夏山リフト営業を終了しました。3連休はお天気よく、多数の登山客に観光客と来台されました、写真は第二リフト乗り場から中吾妻を望む景色です、紅葉は第二リフト付近まで下がってきてます、来週は第一リフト付近、再来週はロープウエイ付近が紅葉を迎えますね・・あっという間にリフト営業も終了して、冬の営業準備が開始されます。今年は第三リフトの設備更新で早めの営業終了です、雪が降る前に電気設備更新とリフトの冬山営業準備を行うためです、ただし、ロープウエイは11月4日まで営業します、ロープウエイからの紅葉に高原から吾妻山を望む景色も良いですね・・秋も深まりました・・
マツタケ
従妹から松茸をいただいた、小さいの一つだけのお裾分けだという・・息子の彼女のお父さんが採ってとってきた貴重な三本の一つでした・・松茸は日当たりのいいいアカマツの林に生えているのがほとんど、香りがとても良いキノコでキノコの最高峰と言っていい、小学生も低学年の頃は家の近くが、川西ダリア園で、そのすぐ奥の山は松茸にイクジも簡単に採れた時代があった、林は手入れが行き届き、日当たりがいいし、自然が残されていた時代、時代は高度成長へと移り、燃料は薪から灯油へと、河原は護岸工事が進み魚がいなくなる、家の周辺の小川もコンクリ―ブロックの生活用水垂れ流しの川になり、田んぼは農薬でタニシもざっこ一瞬で消えた、家の周りに飛んでいた蛍もいなくなる、それに遅れてアカマツが枯れ始めいまでは松茸が生えていたなんて夢のような話・・何処で採ったかは知らんが、自然が残るとこもあるにはある・・残しておいてほしいものだ・貴重な一本少ないが、松茸ご飯にした。
芋煮会
米沢の城下町整備を命じられた直江兼続が力を注いだ治水事業。家臣を動員して築いた直江石堤とよばれる石の堤・・現在公園として整備され、芋煮会場として賑わう・・昨日は3連休初日、天気も良くにぎわってました・・今年私は、3回目となる芋煮会でした、元会社の先輩友人たちとです。会社先輩は、山大工学部卒でそのクラブ友として卒業後もスキーと芋煮会で集まる仲となっている、すでに50年もたつ、私は東芝入社組、先輩はNEC入社組で宇宙事業部にかかわり、2000年にNECと東芝が宇宙事業で合併した同じ会社勤務となり、相模原市の家も割と近く、通勤も一緒で趣味も同じで山登りとスキーをする仲になり、芋煮会、スキーに誘われ、休みが合えば参加するようになった・・私より7つ上ですが、先に定年になってからも、私が移住して米沢に住んでからも、付き合いが続く・・芋煮会は千葉と相模原からやってくる、最初は年金の話、そして健康の話、今年はお墓の話で盛り上がる・・そんな歳になったと・・しみじみと思うのです・・そしてまた来年・・生きていればというのが挨拶となっている・・
宝くじまちの音楽会
「宝くじまちの音楽会」は、宝くじの社会貢献活動の一環として、宝くじの収益金を基に地域文化の振興のため、地元合唱団等との共演コーナーを設けたコンサートを行っている。6月24日(月)に予定された、岩崎兄弟のコンサートがコロナ感染により延期となってましたが、この10月4日振替公演が行われ、兄と友と三人で行ってきた・・2000円とはお安いでございますね・・ 岩崎宏美さんは私より一つ下の1958年生まれ・岩崎良美さんは1961年(昭和36年)生まれ、私の弟と同い年と同世代ですね、東京に就職した1975年昭和50年の夏、三浦海岸で歌っているのを観たことがあり、写真が残っている・・あれから49年と半世紀がたつ・・今でもこうして仕事してるがすごいねとても若いです・・歌も良かったわー、親衛隊が再前席にいましたが、みな同世代でした・・