1月28、29日、30日と米沢スキー場のスキー授業担当しました・・このところ毎日雪降り・・そんな日は気が進まないですよね、早朝出かける前に家の前を除雪して、朝8時半のミーティングに間に合うように米沢スキー場へと向かいます・・いつもより道路は混んでおりました・・駐車してる間に20~30㎝程積雪ですよ、昨日31日も雪でした・・今日から2月早いものです、今朝はようやく降りやんだようですね、久しぶり除雪なしで家出れそうです、今日は休みして米沢スキー場でテク検定攻略講習受ける予定でしたが、夜天元台アルブ助勤頼まれて・・天元台で自主練習しに行きます・・
宿直
1975年(昭和50年)山形から東京日野市(東芝日野)へ就職して(東芝小向)へ移籍、そして東芝とNECの宇宙事業部の統合でNEC鴨居に移籍、再度、宇宙事業部再編でNEC府中へと移動して都会生活41年を経て、定年60歳を前にして。65歳までの雇用延長の道を選択する歳になった、自分の人生は自分でという自立自営の有給休暇、東芝からNECに移動したためで東芝にはなかったこの制度を利用できた・・しの制度利用で60歳前に田舎に戻る、会社の有給休暇を使い、60歳以降の道は半自給的生活と茅葺職人と思って、習ってはみたものの、葺き替えのほこりとススが胸に刺さる・・思えば喘息傾向にあるわが体、これは無理でした、しかも一人前になるには10年はかかりそうと、登山やスキーの出来そうな天元台に勤務、スキーパトやアルブ手伝い索道とお手伝い昨年から西吾妻山案内人クラブに誘われて今シーズンからは登山企画に参加予定です・・ちなみにお年寄りと慢性的な人出不足で宿直当番がちょくちょく割り当てられる・・昨年まで除雪でいつもいた”Gじい”と一緒に夕食であったが・・退職した・・今の除雪担当は通いで来るので宿直は一人でとなった・・たこ焼き、お好み焼き、おでん、手作り餃子、スパゲティとこの繰り返し・・今年はメニューは増やそうか・・気が付けば明日で一月終了ですね・早いです
自然界で生きる
天元台高原ロープウエイ湯元駅(920m)付近にいるおさるの集団、以前はロープウエイ支柱を登る白ざるが見られたが今現在はこの集団にはいない、小野川温泉から船坂峠にかけての集団で3回ほど白ざるを見かけたことがある、天元台付近のむれでも、いづれかは白ざるの子が生まれることであろうが・・早く見たいものである。世界にすむ多種多様なサルの仲間で、最も北にすむサルがニホンザルである。青森県の下北半島にいるのが北限で、本州以南、九州の屋久島に至るまで幅広く生息しているが、北海道にはいないとあります。下北のサルは一年を通して冷涼な環境下にいるため、ほかの地域にすむサルより毛足が長く、ふさふさとしている。野生のサル、冬を越すのはなかなか大変なようで、年老いた個体や親とはぐれた子ザルなどは、越冬できないことも多いと言います・・ここ数日朝は非常に冷え込んで寒い、ロープウエイから下の木に数匹が抱き合って寒さをこらえている、2匹から3,4匹と密着している・・なんか違う生き物のようですよね、中に子が入っていたりする・・高原の厳しい冬、もっと暖かいとこに行けばいいのにと思うのだが、今が一番寒い時期、この時期、抱き合うサルが見れますね
カラオケ
かなり久しぶりにカラオケ店へ行く、午後からの用事に時間があるので昼用弁当を買って、まねきねこ米沢店行ってきた・・2人カラオケで隙間なく2時間弱ですからね・・すぐに回ってくる・・ストレス発散になりましたね・今は持ち込み自由だし料金も安いですよね・・カラオケのカラは「空」、オケは「オーケストラ」の略で、楽団・楽隊による生演奏ではなく、レコードやテープで代用することを指しますね、本来は放送業界で使われていた用語であった。そうですよ楽団員らの雑談から出た言葉という。録音機材が発達する前は放送は基本的に生で行われていたが、次第に録音素材が用いられるようになり、費用がかかるオーケストラを準備させずとも、あらかじめ録音した「カラオケ」に歌手の唄を重ねることが技術的に可能になると、番組制作経費の削減目的で普及した。カラオケという言葉が普及する以前は「空演奏」と表現することが多かった。現在でもこの意味での「カラオケ」は放送業界用語として使われている。とあります・・昔、実家で8トラックのカラオケがあり年末とか集まるとカラオケ自宅でやってましたね・・1980年代にはいりはやりましたね・・私が就職したのが1975年昭和50年のこと、この年、新宿の歌声喫茶に行っているがこの年で最後だったと思う、歌声喫茶は、集団就職で単身東京に移住してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった。とあるが1965年(昭和40年)頃をピークに、歌声喫茶のブームはうたごえ運動の退潮に連動して急速に衰退、その後の10年ほどでほとんどの店が閉店していった。とある・・就職した東芝日野・・職場の宴会は何か一人芸を披露しないといけない時代、ピンクレディやヒデキのまねしたりしましたね、歌を歌うと手拍子で全員で歌うというスタイルでした、それも1975年を境にカラオケスナックがはやり、家庭用カラオケ機械が出現して個人で「人前で歌を歌う」ことに移行した。因みに、歌声喫茶は一般の喫茶店やカラオケボックスとは異なり、客全員が合唱する形態のため、飲食物の注文が少なく客単価が低いという経営的な問題もあった。とあります・・