9月28日下界にくらべ一足早い紅葉を楽しみながらの、秋の西吾妻山を歩く 西吾妻山・秋の市民トレッキングに西吾妻山案内人クラブのガイドとして参加、このイベントは年3回あり、コースは人形石コースと西吾妻山頂コースの二つ、特に米沢市民だけではないのですが・・市民トレッキングという名がついている、初回は7月20日で高層湿原や高山植物の群落、天然のお花畑と気分も癒やさる 初夏の市民トレッキングで、雪が遅く消えたところには既に終わったコバイケソウ、ワダスゲ、チングルマが見れたりする、チングルマは雪が消えると割と早い時期に咲きます、そんなチングルマ、大凹登山道木道すぐ右にまだ咲いているチングルマがありました・・びっくりですね・早い場所は4月に始まり、6月が盛りでそのあと、雪がたまり雪解けが遅れる大凹は7月にまた見れるのですが、9月になって咲いてるのはねーー
西吾妻山トレッキング(天元台)
吾妻山は東西20km、南北10kmに及ぶ標高2,000m級の火山と山塊が連なる山脈で2,035mの西吾妻山が最高峰となる、日本百名山でもあり、その最短登山口は天元台湯元駅920mからロープウエイで高原駅1350mにそこから、リフト3本乗り継いで北望台1820mへそこから登山開始で山頂へは約1時間半で行けます。
昨日は西吾妻山案内人クラブで西吾妻山コースのガイドを担当した・・今年3回あったトレッキングのうち2回目は悪天候で中止になりましたが、今回は秋晴れで、さわやかな風が気持ちい登山日和でした・・高原8時半出発で登山口9時半~カモシカ展望台→大凹→梵天岩→天狗岩→西吾妻小屋→西吾妻山頂→天狗岩降りて12:10分昼食・山頂付近からカモシカ展望台付近まで紅葉が進みいい感じですね・・これから北望台から下に徐々に移動していく。。今年はこの後、紅葉散策ハイク、グランデコ縦走が残る・・山岳遭難隊の訓練が10月16日に、そしてクラブの納会、10月18日で案内人クラブとしての夏山シーズン終了となる・・明日で9月も終わる・・早いものですね・・あとひと月10月は26日でリフト、ロープウエイの営業も終わります・・
米沢藩の砲術
衛星の電源開発に関わり、種子島には仕事で出張することがありました、空港にお土産品として鉄砲(火縄銃)がありまして、買おうかどうか迷っていて、結局は買わずじまいでしたが、わが故郷、上杉の鉄砲演武を幼少期からみていたのですごく興味ありましたね、昨日は”なせば秋祭り”で人形と野菜を無人販売の”棒杭市”出すので伝国の杜そして神社内で上杉鉄砲演武みるのがここ数年の秋のイベントですかね、大迫力でした、また細かい動作や、小物など,人形つくりに生かせますね、ここ10日ほど上杉鉄砲隊を制作してました・・今年は6個新たに制作・・疲れたね(最後の写真)
ところで、この火縄銃というのは、天文12年(1543)に種子島に漂着したポルトガル人によって 日本へと伝えられたとされているのは歴史教科書でおなじみですよね。織田信長をはじめとした戦国大名は鉄砲の導入を進め、上杉も 鉄砲の導入に力を入れたと伝えられ、その後の上杉景勝・直江兼続も先進地から鉄砲 職人をまねき鉄砲を製造した。白布温泉にて製造したとあり、 遺跡之碑が建ってます。慶長 19 年(1614)の大坂冬の陣、その後も幕末に至るまで米沢藩の藩士たちは鉄 砲訓練に励み、正月に藩主の前で披露する鉄砲上覧は藩士にとって重要な晴れ舞台で あった。 戦国期から江戸初期には、上杉家及び米沢藩の主流砲術となったのは種子島流と稲富流であったといい、 幕末まで伝承されている。米沢藩では洋式銃隊と大砲を整備し たが、明治元年(1868)の戊辰戦争時には整備した洋式銃とともに30匁火縄銃の大 筒が活躍したという。 そして現在保存会で上杉祭り等で発砲演武が行われる、秋祭りでは練習として演武披露してる、なかなか見ごたえあるものです


















