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新潟古町ホテルイタリア軒

  • 新潟古町ホテルイタリア軒
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11月21日から23日まで新潟古町に仕事で、かなり久しぶりの新潟でした。泊りはホテルイタリア軒、ああ懐かしの古町通りが一つ隣の通り、その昔、古町に母の一番上の姉さん夫婦、その近くに婆ちゃんもいて、萬代橋を渡り郊外には一番下の妹夫婦が住んでいて・・小学生の頃は毎年夏休みには母と我が兄弟で新潟に来ていたものだ、そして新潟地震が小学2年生に発生、その3年後の昭和 42(1967)年、私は10歳で小学5年生・・なぜかは忘れたが、一人で「開港100年・ 震災復興記念新潟大博覧会」が開催され夏休み一人旅で古町に住んでいた婆ちゃんに行くことになる、夏の暑い日、従兄の兄さんに連れられて行った新潟博、新潟地震の記録写真の思い出、港の倉庫はまだ砂の中に埋まっている光景だけが思い出される・・そして婆ちゃんに連れて行ってもらった古町の通りや、デパートに行ったことははっきり覚えている・・今は随分と雰囲気が変わったね

泊まったホテルの窓を開けると見える高層ビルはNEXT21という。(ネクストにじゅういち)は、新潟市中央区にある超高層ビル、名称のNEXTは「NIIGATA EXCITING TOWER」の略で、新潟市役所跡地等開発事業計画に基づき建設された複合ビルである。ビル内に新潟市民プラザ、事務所、飲食・物販の店舗、スポーツクラブ、銀行などが入居する、NEXT21が建つ場所にはもともと新潟奉行所から新潟県庁そして新潟市役所が立地したという、江戸時代から新潟行政の中心地となっていた、老朽化し手狭となったため1989年市役所は移転となった。中心街である古町地区の中心という立地であることから跡地は再開発されることになって地上21階、地下3階建ての鉄骨造・一部鉄骨鉄筋コンクリート造である・・・・

2025.12.02:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

春日八郎記念館

  • 春日八郎記念館
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今日から12月はやいですねー、先月会津に旅行、春日八郎記念公園・おもいで館によりました。

会津坂下町出身で名誉町民でもある、春日八郎氏の思い出の品々を展示した記念館で、なんと入場は無料、愛用のピアノをはじめ、ステージ衣装や楽譜思い出の写真等展示されており当時の姿が偲ばれますね。

お土産品買って、休憩コーナーでお茶してのんびりしとりました・・春日演歌が無料で熱唱できるそうですが、なかなかやる勇気はないですね・・隣接する公園内には別れの一本杉の隣に歌碑があり、氏の名曲「別れの一本杉」の曲がセンサーにより流れ出します。会津坂下町の午後5時の時報を知らせる防災無線のチャイムは『別れの一本杉』・・私が現役時代の会社宴会で、お富さんよく歌っておりました・・ノリがいいんでこの曲好きでしたね、でしたねという過去形になってますが、この曲1954年8月に発売された春日八郎の曲である。私が生まれたのが1957年と生まれる前の曲・・古いけどなにか斬新でした

2025.12.01:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

霊山(福島)登山

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11月15日山友さんと今シーズン登り収め、福島の”霊山”へ登山しました・・福島の山友3人と米沢から3人の計6人での登山でした。

登山口近くに温泉施設もあり帰りは温泉つかり買い物して福島市内の山友さんちで納会でした・・毎年花火と登山と2回ほどホームパーティーとなる山友さん・・最近は膝痛めて・・軽登山でないと行けなくなりました・・この霊山は初心者向きで一部だけ鎖つかみして登るところありますが・・全体には楽なところ。岩の間を登り、弘法岩、宝寿岩や甲岩、天狗の相撲場などの岩峰を見る。案内板に従い護摩壇へと向かう。護摩壇は、西側が絶壁となり福島市内や遠く吾妻連峰などが望まれる絶景の地・・この日は天気よく一切経から、吾妻連峰見えました。大きくえぐられた洞穴などの造形も変化があり面白い。霊山城跡が山頂広場である・

霊山最高峰(825m)東物見岩を越え、天の釣船岩や蟻の戸渡りを見て、五百羅漢岩や弁天岩を見ながら下ります、結構午後の遅い時間来てもそんな時間かからず、見晴らしも良くいい山でした・

2025.11.29:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

冬タイヤ交換

  • 冬タイヤ交換

昨日ようやく我が車の冬タイヤ交換しました。雪道や凍結路での安全な走行のために、夏タイヤ(ノーマルタイヤ)から雪道・凍結路面に対応した冬タイヤ(スタッドレスタイヤ)に付け替えです・・雪国では必須の交換作業です。除雪機の整備に始まり、家周りの雪囲い、冬タイヤへの交換作業が終わり、残るはスノーポール立て:家周りの除雪時、境界をわかるようにするためのポール・・序口から市道まで側溝やコンクリ壁の堺を示すもの、除雪機が側溝に落ちたり、コンクリ壁に刃が当たらないようにするため必要ですからね・・除雪器具も小屋から出して、庭木の雪囲いもせんといかん・・まだやることありますありますね・・雪国は何かと大変・・12月7日までにはなんとか

2025.11.29:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

忠犬ハチ公

  • 忠犬ハチ公

都会から故郷山形に戻り、10年経ちましたね、早いものですねぇー・・山形に戻ってからも、相模原市の絵画サークル『どんぐり』のグループ展や軽井沢プリンスホテルスキー場イントラバイト帰りに寄ったりと年に数回都会の空気を吸いに行く、今月初め、弟が中学の同級会で帰省してたので、その帰りの車に便乗して、行きたかった楽器店巡り・・渋谷を皮切りに新宿、お茶の水へ・・渋谷も久しぶりでしたから、まずは忠犬ハチ公前からスタート・・

渋谷の忠犬ハチ公前・・写真撮るのに何人も並んでるではないですか・・外人さんが多くなった印象ですね

この忠犬ハチ公さん:飼い主が死去した後も駅前で帰りを待ち続けた忠犬として知られる。渋谷駅前のハチ公銅像は、いつしか待ち合わせの目印として使われるようになり「ハチ公前」などと呼ばれ、広く親しまれている。

1934年(昭和9年)に渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除幕式にはハチ自身も参列した。ハチの銅像は、第二次世界大戦中の金属供出によって破壊されたが、戦後再建、現在に至る

2025.11.28:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]