ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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菅野農園の「お米通信」10月号からです。毎月、こんな通信をだしています。今回は初荷のコメに入れ、お配りしました。<以下>
       
お米通信 2023,10月 菅野農園 fax0238-84-3196 携帯090-9636-0360
☂皆様には、いつも変わらずに菅野農園の作物をご愛用頂きありがとうございます。
暑い夏でした。
田んぼでの労働は息子が引きうけてくれるようになり、親父の私は主に実務担当となっていますが、日陰の無い田んぼでの毎日の農作業。上からの熱い日射しと、下からの沸騰したお湯が発するような熱気。そんな中に挟まれての農作業。辛そうでした。
そのかいもあって、おコメの方は減収したとはいえ、何とか稔ることが出来ました。
農村に蓄積されている稲作技術と稲自体の生命力に感謝しています。

☀10月は新米の初出荷です。減収が避けられませんでした。原則的に菅野農園では化学肥料を使いません。また、殺菌、殺虫剤も使用しません。10月からお届けする「つや姫」はそのように作ることが出来ました。
ですが、「ひとめぼれ」は農薬8割減(山形県特別栽培米は5割減)に留まりました。来年こそは「ひとめぼれ」もゼロとなるよう頑張ります。

☀おコメに限らず、作物は育ったところの土から水や養分を吸い上げ、その実に蓄えます。ですから私たちは作物を通して周囲の土を食べ、水を飲んでいるのと同じです。菅野農園に入る水は、裏山にある朝日連峰から直に入る自然水。また、40年間に渡って化学肥料を排除し、有機肥料のみで作物を作ってきました。きれいな土と清冽な水。作物はその合作。どうぞ安心して食べてください。これからも食べる者の健康、自然環境に最大限の気を配る農園として、小さいけれど、だからこそ確かなものをしっかりと作っていきたいと思っています。

☂ 苗が成長し、稲になった。一粒の種から一本の苗が生まれ、それがやがて20本の株となって穂をつける。一つの穂には80前後のモミをつけたとして、春の一粒が秋になると約1,600粒になる計算だ。一杯のご飯は2,500粒前後と言うから、元をたどればわずか二粒にも満たない。植物の恵。ありがたいことです。

☂猛暑の夏もようやく峠を越え、朝、晩に涼しさを感じるようになりました。
今年のコメを他の農家に聞いてみると、高温障害(白濁米)が出ていること、全体的に取れて無いこと・・などがあります。これだけの暑さ、何らかの障害があって当たり前ですが、この程度で済んだことは、稲作農家の技術力の高さでしょう。
我が農園でも、例年の対応以外に、息子は時期を見ながら田んぼの水を抜く、冷たい水を引く・・を繰り返し、田んぼを冷やす。周囲の草を回数多く刈って風の通りを良くするなどの努力をしていたようです。こんなにも長く続く夏の高温は今まで経験したことがありません。今年は色んな意味で、未来を予感させる年ですね。

   菅野農園;山形県長井市寺泉1483 tel、faxは0238-84-4196 
      代表;菅野春平

 
 我が家の稲刈りがようやく終わった。
83歳の重太郎さんも終わったが、その直後からの長雨。85歳のけんちゃんは、なかなか作業が出来ず大弱り。息子夫婦が手伝いに来て、雪に変わる前に何とか・・と必死だ。
 重太郎さんは10aあたり8俵。例年の8割しか取れなかったという。わが家では7俵。稲株の間に、充分な空間をとり、健康な稲を作ることで、殺菌剤、殺虫剤、化学肥料に頼らないコメを作ろうとする。もともと作り方が違う。例年、目標が8俵なので7俵も仕方ない。

 なにしろ今年の暑さは稲にとっても俺たち百姓にとっても過酷だった。今年は品質が悪いというが、取れただけでもありがたいとしなくちゃな。

 後は隣組の人たちと一緒に山形の秋、恒例の「芋煮会」だ。
こんばん、今年の新米を家族みんなで味わった。
まず、ご先祖さま、仏様、八百万の神さまに炊いた新米をお供えし、一年間の無事を報告し感謝した。
 おコメに限らず、作物はこの地の水と土と労働の合作。何を祈っていたのだろう?3人の孫娘たちも交互に長いこと仏壇の前で合掌していた。
 
 今年の新米もまた、美味さは申し分ない。香り良く、ほんのりと甘い。
「おかずは要らないね。」「うん、ご飯だけで何杯も美味しく食べられる。」
 孫娘たちは何回もおかわりして食べていた。
 
こんばんは、コメ作り農家にとって至福の時だった。

「日本人は農なき国を望むのかー農民作家 山下惣一の生涯」(9/23:NHK総合・午前6時10分〜)は示唆に富む、とてもいい番組でした。 

過去を回顧するというのではなく、これからの農業、これからの日本を考える上での、大きな視点に立った問題提起となっています。
 見逃した方は再放送があります。真夜中ですが、ぜひ、ビデオにとってご覧ください。

 9月26日 同じくNHK総合TV 午前1;20〜2:03 「日本人は農なき国を望むのかー農民作家 山下惣一の生涯」
さすが日本農業を代表する百姓・山下惣一。私は彼の生涯のほんの一部でしかありませんが、行程をともに出来たことを誇りに思います。

 写真は山下さんと若き頃の俺




        山形・置賜の百姓 菅野芳秀


記録的な猛暑となった今夏、山形県畜産振興課によると、今年の7月1日〜8月31日の2か月間に、山形県内で暑さが原因で死んだと報告があったのは、牛が91頭(昨年同期33頭)、豚が78頭(同39頭)、鶏が5630羽(同527羽)だそうです。昨年同期と比較すると、牛が2・75倍、豚が2倍、鶏が10・6倍に増えているといいます。
 菅野農園には1,000羽のニワトリたちがいますが、暑さが原因では1羽も犠牲になっていません。工業養鶏のように狭いカゴに入れられて身動きが出来なくなっている訳ではなく、お日様の動きに合わせて、日陰の涼しい所を選んですごしているからだと思います。
 菅野農園では放牧養鶏。でもでもこの季節、鶏舎の扉を開けても、日中は外に出ようとはしません。風通しのいい鶏舎の中ですごしています。それももう少しですね。やっぱりニワトリ達には秋の野花の咲く野原が似合います。
まだ30℃台の暑さが続くが、確実に秋は始まり、成長している。
コスモスの花が咲き、庭のリンゴも大きくなっている。田んぼでは緑が黄緑に変わり、早い農家ではすでに稲刈りを始めている。
「去年より10日は早まる。」と我が家でも、稲刈りに備えて田んぼの草刈りや、コンバイン整備に忙しい。
 今日、9月14日。ミンミンゼミも最後の一声を絞り出してはいるが、コオロギたちの声が賑やかになって来た。朝、タオルケットだけでは寒い。

 それにつけても今年の暑さ。人類の生存の危機さえ予感させるものだった。
更に加えて、原発とその放射能汚染。農業、食料危機・・。
 求められているのは今までとは違う時代認識。今までとは違う政治選択だ。お互いしっかりしようぜ。
原発の汚染水は福島に放出するな。

これ以上、福島に犠牲を強いてはいけない。
汚染水は一滴漏らさず、東京湾に持って行く事。放出せざるを得ないならそこでやればいい。
「汚染水だ」,「いや、人が飲めるほどだ」
 そんな議論は、東京湾に運んだうえでやればいいこと。
 とにかく、福島にこれ以上犠牲を強いるな!

原発という国策の失敗を福島に押し付ける。そもそも福島は東電の電力をまったく使ってはいない。貧しさを背景に、敷地の提供を押し付けられただけだった。

「日本という国の尊厳」はそれでいいのか!
「日本人としての誇り」は傷つかないのか!

何よりも人として恥ずかしくはないのか!
 親しい友人で、ライターの小野田明子さんから、拙書「七転八倒百姓記」へのありがたい書評を戴きました。書評を書くのは如何に大変な作業かは理解しています。お忙しい中、恐縮です。ありがとうございました。

        以下

 農業従事者の数の減少が止まらない。高齢化もすすむばかりで自給率の向上を叫ばれて久しいのに、と食べる側としても頭を抱える事態だ。当事者である農家の深刻さは想像にかたくない。
 20代で故郷に帰り農家を継いで「堂々たる田舎」を目指した著者50年の歩みは猫の目のように変わる農政とは関係なく、都会と田舎をつなぐ独自の手法を生み出そうとする。
 1つは家庭の生ごみをツールにした生ごみ循環の町づくりだ。レインボープランと呼ばれるこの取り組みは、山形県の長井市を一躍有名にし、視察者が絶えなかった。  次に着手したのが「置賜(おきたま)自給圏構想」だ。グローバル化が限界にきた現在、地域でエネルギーも食糧も自給する取り組みは様々な地域で挑戦されている。
 
 著者は常に現実的な対案を提案し、あらゆる人たちと共に活動することを信条としてきた。土、食、いのちを扱う農業の現場から社会を具体的に変えたいという意思が溢れている。構造を変えるという過程には苦悩はある。しかし考え続け、やり続ける先に失敗はない。地域を創るタスキを受け取る人々がいると信じたい。
全水道新聞に拙書「七転八倒百姓記」の紹介記事が掲載されました。光栄です。書かれたのは全水道東京水道労働組合で組織部長をされている 国谷武志さん。以下はその本文です。

 山形県の農家に生まれ育った菅野芳秀さんの「自分史」。
表紙に刻まれた言葉、「地域を創るタスキ渡し」は、まさに今の私たちに求められていることだ。

 都会の生活の快適さのために、地方に犠牲を強いる社会。より安いものを求める消費行動は、「効率」の名の下に農業の大規模化、法人化を促進させ、生産者や生産地を疲弊させる。気がつけば日本は世界一の農薬消費国。私たちの生活スタイルが自らの命や健康を脅かしている。
 高齢化や土地の荒廃により離農が進み、国内から海外へと供給元が移りつつあるが、その構造は変わらない。
地球規模で農業が、環境が、地域が壊されてゆく。こんな社会が持続可能なわけがない。

 一度は逃げ出した農業、故郷を、三里塚や沖縄の農民、漁民の生き様に学び、ただ嘆くのではなく、地域、行政を巻き込み、持続可能な社会へと変革していく。子供や大地を危険にさらす農薬空中散布の中止から、生ゴミを通じた消費者と生産地を繋ぐレインボープラン、置賜自給圏へと実践を重ね、土を育むことで台所と農地、都市と農村、現在と未来へのタスキが繋がれていく。

 決して容易ではなかった闘いの記録には、これからの社会を切り拓くヒントが散りばめられている。まさに次の時代へのガイドブックである。
古くからの友人で、日本とアジアを民衆運動でつなごうとする市民運動・「APLA」の理事をしている大橋成子さんが、拙書「七転八倒百姓記」の書評をその機関誌;ハリーナ」(人々が創るもう一つのアジア)誌で紹介してくれました。
 分かりやすく、端的に表現できる筆力は相変わらずです。

 (ダブルクリックで拡大してお読みください。)
暑いですねぇ、みなさん。
少し前だが、久しぶりに訪ねてくれた秋田の友人が、「菅野くん、ずいぶんと老けたねぇ。足がふらつき腰も曲がっているよ。頭の髪だってほぼ無くなっているじゃないか。前回あった時はここまでではなかったのに・・。」と、見てはならないモノを見てしまったかのような表情だった。
 その彼は80歳を前にして、なお、がっしりとした体躯を持つ現役の農民だが、73歳の俺は、かつて肩で風切って歩いていた勢いをすっかり失い、春のそよ風にすらあおられて、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ・・。ヒザと腰の痛みに耐えながら、歩く様は眼を覆うばかりだとその友人は言う。
すっかり年老いてしまったという事だ。
 でもな、このいびつな身体も、長年無理を重ねて、農作業と地域づくりに休むことなく動き続けて来た結果だ。少し大げさに言えば、志のけっかだとも言える。だから俺にとってはご褒美だと思っている。自分のゆがんだ身体を決して否定せず、無くなった頭髪に引きずられることなく、自分を誉め、自分に拍手を送り、肯定して生きる・・今の心境はこれだね。
 とはいえ、写真とはずいぶん違っている訳だから、写真は替えよう。

 蒸し暑い日が続いている。こんな時は「いもち病」が心配で、県や農協の広報も「いもち病注意報」を出して気をつけるよう呼びかけている。
 「いもち病」とは一種のカビがつくりだす病気で、葉に付いた場合、緑の葉に点々と茶色の斑点ができ、やがて葉の全部が褐変する。葉の「いもち病」は、穂の「いもち病」につながり、ひどい場合は、田んぼ全てが枯れてしまったかのようになる。農家は気落ちのあまり「いっそ火をつけて燃やしてしまおうか。」とすらとなるほどだ。私はまだ経験がないけれど、その恐ろしさは充分知っている。
 高温多湿。「いもち病」の蔓延する条件は充分にそろっている。すでに周りでは田植えと同時に一度目の殺菌防除を終え、二度目の準備を進めているが、殺菌、殺虫ゼロを目標にしている菅野農園では、まだ一度もやっていない。それだけに、息子は毎日田んぼを見まわり、その管理にいっそう気を使っていたのだが、遂に我が家の田んぼににも「いもち病」が発生した。
 発生源は昨年同様、けんちゃんの田んぼだ。手がまわらず、雑草が生い茂っていた。そのため風通しが悪く、「いもち病」の巣になってしまった。そこを発生源に菌は周りに飛んでいく。我が家だけでなく、隣地に田んぼにも広がっている。
「全部の田んぼじゃないが、今年も殺菌剤ゼロのコメとはならないなぁ。」と肩を落とす息子。
 その被害は大きい。ガッカリもする。とはいえ、けんちゃんに責任を求めることは出来ない。田んぼはみんなお互い様なのだ。
 けんちゃんは86歳。もう水田管理することは無理なんだな。だからと言って、我が家で引き受けることも出来ない。他の方法を探すしかないだろう。
 ま、けんちゃん、無理せず、楽しくやろうぜ。その内、1升もって遊びに行くよ。けんちゃんが言うようにまだ人生、半分なのだから。