ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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人を獣(けもの)にしてはいけない。
<人を獣(けもの)にしてはいけない。>
キツネが来た。我が家は朝日連峰の麓(ふもと)にあり、水田5hと納豆用大豆(小粒大豆)栽培3h、自然養鶏1,000羽とを組み合わせた小さな循環農業を営んでいる。主な働き手は42歳の息子。俺は76歳。村ではついこの間まで「若手百姓のホープ」だったのだが、腰と膝にトラブルを抱え、今は事務労働に専念している。専業農家だ。自然養鶏と言っても聞きなれない方もいようが、要は健康でうまい玉子を得るためと、肥料に使う鶏糞の自家調達が目的で、ニワトリ達を野原に放し飼いする放牧養鶏だ。夜と冬は鶏舎の中での平飼いで、1年もすれば、その年に必要な肥料が貯まる。養鶏歴は40年になる。
山すそ野で自然に近づけてニワトリを飼えば、当然のことながら自然の方だって近づいてくる。そこに生息する腹ペコのタヌキやキツネにとって、ニワトリ達は歩くおにぎりやパンと同じだ。かくして、長きに渡って奴らと我が家とのニワトリ達のいのちをめぐる攻防戦が繰り広げられてきた。意外と思われるかも知れないが、今まで数多くのタヌキやキツネを捕まえはしたが、多くは半死の状態にして森に帰してきた。数多い奴らの中から、数匹をヤッツケテしまうよりも
「あそこには行かない方がいいぞ。殺されるところだった。」とのPR効果をねらってのことだ。しかし、彼らを何度懲らしめても繰り返し, 繰り返しやってくる。同じ奴も負傷した足を引きずりながらやってくるのだ。そこで私は彼らの家庭を思った。
「なんだって?もう行くのは嫌だって?何いってんのよ。子どもたちを飢え死にさせる気?グズグズ言わないで、とっとと行っておいで!」
奴らは女房から(たぶん)こっぴどく叱られ、子を餓死させるよりは・・と、恐怖に震えながらやってくるのではないか。きっとそうに違いない。食べ物がないということは命がけのことだ。
人だって食べ物が無くなれば容易にタヌキにもなり、キツネにだってなってしまうだろう。食べ物をめぐっての争いにとどまらず、殺し合いすら起きかねない。歴史が教えてくれている。
近年、農業の衰退が著しい。農業の問題は農民の収入の問題をはるかに超えて、この国に住む人たちのいのちの問題、この国の存続にかかわる問題だ。人をタヌキやキツネにしてはいけない。ケモノにしてはいけない。
<いま農村で起きていること>
いよいよ農業の世界は切羽詰まってきた。特に稲作では際立っている。「おれ、都会人だから関係ない」って?食糧を供給してきた農業の危機は、あなたの食といのちの危機に直結しているよ。
まず、いま食べ物の供給地である農村で起きていることを、稲作を中心に思いつくままあげてみる。
農民はどんどん離農していっている。もちろんずいぶん昔からその傾向はあったのだが、ここ数年はそれ以前とは比べものにならないぐらいの早さと規模で離農者が相次いでいる。このままでは日本の農村から農民がいなくなる。村がなくなる。農民が作る作物がなくなる。村では今までになかった「農仕舞い」(農終い)という言葉が行き交うようになって久しい。WTOやTPPに示されるように、安さを求めて風土の違う海外の農産物と無理やり価格競争させ、安い方に、より安い方にと国内農産物を買い叩いてきた結果だ。農家のコメの出荷価格は、生産原価にすら届かない年が20年以上続いた。こんな国ではアホらしくて農民なんてやってられないという事だろう。自分の家族の為のわずかな畑や水田を残して、後はきれいサッパリと離農する。
その結果、農業は少数の大規模農業法人と、「今さら勤めには……」と残った年寄りだけになってしまったと言っていい。就農している農民の年齢層(5年刻み)の中で、65歳以上と75歳以上がダントツに多い。その人たちもあと数年で現場から離れていくだろう。そのあとを継ぐ世代はほとんどなく、いてもやがて離農に追い込まれていくに違いない。無策のなか、国内農業には破綻への道だけが大きく開かれている。
戦後の日本農業を支えてきたプロの農民たちが逃げ出すぐらいだから、稲作の現場は慢性的労働力不足。だから圃場も充分に管理できない。水田から春の若草の風景が消えつつある。代わりに広がっているのは、除草剤による赤茶けた枯草の風景だ。農法の省力化、ケミカル化の結果だ。SDGs?どこの話だ?
そこに追い打ちをかけているのが、海外に依存している化学肥料と家畜のエサとしての飼料穀物、そして農業機械の高騰だ。機械への補助金があるだろうって?それは昔の話。今は規模拡大など「成長路線」を基調とした計画書を提出できなければ補助の対象にはならない。よって土と作物の循環を大切にして、経営規模の拡大の道を選ばない我が菅野農園などの家族農業には一切の補助金が無く、いったん大型機械が故障したらそのまま離農するしかない。経営規模の拡大か、離農かを補助金の窓口、地方自治体の農林課に迫られる。つまり、農政の基調は「小農はやめてしまえ」という事。事実、有機農業を旨としている農家を含め、どんどんやめていっているのが現状だ。
その上、かぶさる異常気象や政変などによる流通ルートの不安定さ。それが顕在化すれば、他国の田畑に依存してようやくのところで命をつないでいる現状に狂いが出てくる。その結果、最悪のシナリオが始まっていくように思える。そうなれば遺伝子組み換え作物であろうが、農薬漬けの穀物であろうが、それがコオロギなどの昆虫食であっても、手に入るものは何でも食べなければならなくなる。
予想できるこの事態への対策は国民的な問題だが、深刻なのは国民の多くがこの現実を知らないか、知っていても深刻に受け止めることができないということだ。なんという感性の鈍さだろう。
<多くの都道府県で「令和の百姓一揆」が>
農家が離農する前に、安心して作付けできる環境を作り、他国の農業への依存ではなく、自国の農を守り、育てる道こそ肝心であり、それが、消費者が安定して食べ物を確保できる唯一の道でもあるのだが、農政の方向はそうなってはいない。国民の意識もそうなっていない。
2025年、国の軍事予算は8兆7000億円に対し農業関係予算は2兆2700億円でしかない。国の予算配分の中にどんな国造りを目指しているのかが如実に示されている。明るい未来が感じられない。
そんな情勢を受けて3月30日。東京・青山の公園を主会場に「令和の百姓一揆」が行われた。4500人の農民・消費者市民と30台の農耕用トラクターによるデモが行われ、全国の人々に農業、農村の危機的現状を知らしめると同時に、国民に身近に迫る食料危機への早急なる対応の必要性を訴えた。
その日に連動して決起したのは沖縄、奈良などの13都道府県。それを起点に更に多くの都道府県に飛び火した。東北の一番手は秋田だ。稲刈りが終わった11月10日に秋田市中央部で決行。次は山形。11月24日、農耕用トラクターを先頭に200人の農民、市民のデモ隊が続き、「農民に所得補償を!」「市民が生活できる食の補償を」「食料自給率の向上を」と 訴え、その後、300人が参加して農と食の現状を共有し、これから何をしなければならないかを話し合った。
このような農民と市民が連携した「一揆」は、3月30日から12月下旬まで全国各地およそ25の都道府県で行われた。
2026年3月下旬には再び「令和の百姓一揆」の全国展開が準備されている。日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場を迎える。
<地域の為の農業、生きる為の農業へ>
さて、農業政策には、「産業政策」と、「地域(づくり)政策」の両面がある・・というか、そうでなければならない。しかし今の日本には規模の拡大を進める産業政策しかない。その延長線上では地域を飛び越えて海外と直につながる例も出てきている。地域農業の地域社会離れ。その結果として地域の台所では『外米』食が進んでいる。
さて、ここからだ。進行するこの現実の中に、地域と地域農業の結びつきを取り戻す。地域(づくり)政策の課題は、地域農業と教育、福祉、健康、市民参加をつなぎ、市民の台所や、学校給食、病院などをつなぐこと。俺は山形県長井市の「レインボープラン」(乞う、検索)や、「置賜自給圏」(乞う、検索)を通して実際にその道を歩んできた。
地域の為の農業。生きる為の農業。市民が健康に暮らすための農業。つまりは地域社会農業だ。その全国的な連携を軸に日本農業を立て直す。立て直したい。
この視点に立って、まず、都市の消費者に呼びかけたい。共に「食といのちの自給圏」を作ろうと。ここで言う自給圏とは地理的概念ではない。人と人との関係性を表す概念だ。都市の生活者と全国各地の農民、農村が相互に連携して、共に「自給圏」を作って行こう。
食料危機が予見される都市の暮らしと、危機の中にある農村、農民が具体的、実体的につながることで、食と農の希望を足元から創り出して行こうとする。
求められている地域政策の一つはここだろう。
食糧自給率が38%。実際は、種(たね)が自給できていないことを織り込めば、わずか9%しかないという学者もいる。求められているのは「農と食」を基軸にしたこの国の大胆な軌道修正だろう。進むべき道の根本的な見直しだ。それを人々の共同の事業とすることなのだが、生産者と消費者、町と村、政治的立場の違いなどからくる『対立』からはこの流れは生まれない。求められているのは、違いを超えてつながる共同事業だ。連携なのだ。令和の百姓一揆はこれを求めてやってきた。この矛を収めるわけにはいかない。
小農・家族農業潰しの政策はいよいよ勢いを増し、仕上げ段階に入ろうとしている。果たしてそこに日本の食と農の未来があるのか?俺には、どうしてもそうは思えない。思えないのは俺だけではあるまい。だからこその野火のような一揆の広がりであり、思いを共にする消費者、市民との連携の拡大なのだ。暮らしと共にある農業、家族農業を切り捨てようとする君たちよ!どんな社会(国)を創りたいのだ?それはどこに向かう社会(国)づくりなのだ?
一揆は米どころの秋田、山形、青森を経て、岩手、宮城、福島へと続くだろう。そこから再び全国へ。小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。それは、人々と農、土との結びつき、土を基礎としたいのちの世界の構築、循環型社会の可能性につながっている。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。潰れるわけにはいかないのだ。
「すべての国民が安心して地元産の食料を手にできるために」
「すべての農民に所得補償を」
「未来の子どもたちにも国産の食料を食べてもらえるように」
「日本の食と農を守ろう」
3月下旬の令和の百姓一揆に結集を強く呼びかけたい!
2025.12.18:
kakinotane
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