ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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タイに行ってきます。
タイにいってきます。
期間は今日(3/15)から22日まで。
アジア農民交流センターの事業です。
アジア農民交流センターとは下のアドレスを検索してもらえば分かります。
http://afec.hp.infoseek.co.jp/books.htm
村から村へ、地元の住民、農民とともに、リュックを背負って訪ね、交流して歩く旅。宿泊場所も半分は農家です。
タイの二つの市で「レインボープラン」への取り組みが始まっています。
これは、長い日本ータイ農民の交流の成果です。
ODAでなく、一時的な「支援」活動でもなく、それぞれがそれぞれの地域の
生活者として、それぞれの地域に主体的、自発的にかかわって行く。そんな経験交流の中から生まれた「レインボープラン」です。
これは同時に、国境を越えて交わされる農民、住民の交流事業を我がことのように取り組んでくれた多くの個人、団体の成果でもあります。
今日から始まる旅に、色んなジャンルから20名ほどの方々が参加されます。
さまざまな厚みのある課題の交流が行なわれるでしょう。
タイで待つ、友人達の顔が思い浮かびます。
この場での報告をお待ち下さい。
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2007.03.15:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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沈丁花の香り
かるーいお茶のみ話です。ぼくの文章はどれをとってもそんなモンなんですが、これは特にそう。申告のための作業が終わってほっとしていたら、ふっと、書きたくなっただけなんです。「ほっと」で「ふっと」なんですよ、あくまで。誰にでもある青春時代の・・・。
早朝の4時、18歳の私は、自転車に270部ほどの新聞を積み、まだ暗い東京の住宅街を走っていた。途中で自転車を止め、新聞を一抱え持っては路地を抜け、階段をかけ上がり、ハッハッハッと息をはずませ、配ってまわる。まだ日が昇らない暗い家並みのなかに「沈丁花」の香りが漂っていた。
朝刊と夕刊の間に大学に通い、日曜日は集金で終わるそんな日々の始まり。新聞店の二階の作業所に作られた二段ベットのひとつがぼくの部屋。作業所とはカーテンで仕切られた一畳半のなかに小さな机をおいて本を読み、その下に足を突っ込んで寝る。汚れた窓を開ければ、隣の飲み屋の排気口があって、たえず、焼き鳥の黒い煙を吐き出していた。
それでも東京のひとつひとつの風景が面白く、出会う人それぞれが新鮮に思え、決してつらくはなかった。なによりも、ここからぼくの人生が始まっていくのだと、「青雲のこころざし」に燃えていたのだから。
すでに兄を私大に送っていた我が家の家計はきびしく、どう考えても大学への道は閉ざされていた。そもそも高校を卒業すれば農家を継ぐ、それが普通高校に通う条件となっていて、進学は高校入学の時からあきらめざるを得ないとおもっていた。
そんなぼくにも大学への道があるのだと、小躍りするような世界に出会えたのは、もうじき高校三年生という年の三月だった。なにげなく新聞をめくっていたぼくの目に、「朝日新聞奨学生募集」という囲み記事が飛び込んできた。そこには授業料、初年度納入金、衣食住など、大学に通う上で必要なほとんどのものが補償されると書かれていた。条件は東京での新聞配達。大学に行けるかもしれない!
ぼくは高校一年からの勉強をやり直した。浪人する余裕はなく、時間が足りない・・・。どうせ農業だからと、それまでほとんど使わずにさび付いていたぼくの記憶装置は、ぎしぎしいいながら動き出した。
今年も「沈丁花」がその甘い香りを放ち始めている。その香りのなかでぼくは40年前の「春」を思い出す。
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2007.03.11:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜農業版〜」
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いましばらく・・お待ち下さい。
もう少しの間お待ち下さい。
ただいま申告のために、伝票を整理したり、領収書をあつめたり・・格闘中です。
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2007.03.04:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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玉子を売るー涙をさそう奮闘記ーその1−
1983年の冬、最初に導入した160羽のニワトリたちが少しずつ玉子を産み始めたころ、ぼくは三日後に予定していた「玉子の試食説明会」のチラシを持って町に出て行った。
それまでにずいぶんとチラシを作ってはまいてきたけれど、自分自身の為にまくのは初めての経験だ。
行きつけの床屋さん宅前を会場として借り、周囲100軒ほどの住宅にチラシをまいて歩いた。妻は
「まだ160羽のニワトリしかいないし、100軒もまいたら注文に応じ切れなくなるんじゃないの?」とのんきなことを言っている。
当日の朝、産みたての玉子をカゴいっぱいに入れ、皿、醤油、箸などをもって出かけていった。少し小雪が降っているが、問題はない。会場となる床屋さん前に舞台を作り、皿を並べ、玉子を割って展示した。さて何人来てくれるか。
予定の時間となった。誰も来ない。三十分ほど待ってみても誰も来ない。床屋さんのご夫婦が心配して見に来てくれた。
「やっぱりなぁ。玉子の為にわざわざ家から出てくることはないかもなぁ。どれ、どれ・・」と言って玉子をひとつ食べて「『商(あきな)いは飽(あ)きない』と昔から言うんだから・・」などと慰みを言って帰っていった。
結局、雪の上で一時間ほど待ったが、誰も来なかった。皿の上の玉子は半分凍っていた。
玉子をそのままもって帰ったのを見た両親は
「やっぱりダメだったべぇ。値下げするんだあ。このままなら家中が玉子だらけになるぞお。」
なにも儲けようと思って価格を決めているのではない。産卵率、生存率、経費などから割り出して決めているのであって、まだ一個も売れてないのに値下げしましたでは、笑い話にもならない。
更に二日後、公民館から借りた拡声器を持って同じ場所に出かけていった。チラシなら読まなかったということはあるだろう。今度は拡声器でまわってみよう。そう考えてのことだった。ニワトリ達の産みだす玉子もどんどん多くなっていく。一日に100個以上産むようになっていた。このままでは本当に家の中が玉子だらけになってしまう。少しあせってきた。
「ただいまより、床屋さんの前にて、自然卵、『にしねの地玉子』の試食説明会をおこないまぁす。大地の上に放し飼い。お日さまを浴び、自然の草を腹いっぱい食べて大きくなったニワトリの玉子でぇす。どうかお出かけくださぁーい。」
その時も、一人も来なかった。何でだべ?玉子に問題はない。このような玉子は求められてもいよう。その辺のことは呼びかけのチラシにきちんと書いている。拡声器の呼びかけでもはずしていない。だけど誰も来ないって、なんで?いよいよあせってきた。「たいがいの人は安売りのたまごで充分だと思っているんだよ。高い玉子なんて買ってくれんべか?」と心配していた両親の顔が浮かんだ。
話を聞いてもらえなければ何も始まらない。来てくれなければこちらから出向こう。翌日からは、一戸一戸を訪問し、チラシを配りながら試食用の玉子を置いて歩いた。
「私のニワトリたちが産んだ玉子です。試しに食べてください。」
十軒まわって一軒ほどが聞いてくれた。だけどほとんどは門前払い。押し売りか何かと間違えられることもあった。こんな家が続くと、気の小さなぼくのこと、チャイムのボタンを押すのも怖じ気付いてしまう。だけどやめるわけにはいかない。
この各戸訪問は話を聞いてもらう唯一の方法で、後は数をあたるしかないのだが、反省点もあった。それは私がドアを開けた瞬間、話の聞き手が、ビックリしてしまい、うわの空になってしまうことだった。ちなみにぼくの身長は191cm、体重は当時95kgほど。ドアを開ける。聞き手はいつもの習慣どおり、訪問者の顔の辺りに視線を向ける。しかしそこには顔はない。あるのは大きな胸。あわてて視線を上に向ける。そこにはたまご、たまごとまくし立てる、ひきつった顔の男が・・・。訪問者の為に用意されていた容量はそれを見ただけで満ぱいとなり、ほとんど話など聞く余裕がなくなってしまっている様子。すぐにドアを閉めてしまうか、聞いてくれる場合でも目がうつろ。まったく話は上の空なのがよく分かった。
「それはあんたが緊張していたからでない?大きな身体と緊張した顔との組み合わせでは、知らない人がおよび腰になるのもムリないよ。」と妻がいった。なるほど、たしかにぼくは緊張していた。あせってもいた。
次の日、一軒の玄関の前に立つ。深呼吸してチャイムを鳴らす。ドアが開く。家の人が顔をだす。一瞬、目線はぼくの胸、すぐに上に上がる。そこで待っているものは・・・。こぼれるような笑顔。昨夜、鏡の前で練習した顔面いっぱいの笑顔・・・。
このようにして一軒一軒訪問していくうちに、少しずつ購買者がうまれていったのだった。
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2007.02.12:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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食べてみませんか?「空を飛ぶ」ニワトリの玉子
山形県は朝日連峰の麓、自然卵です。
妊娠されているお母さんに、お年寄りに、病弱な方に、大切な子ども達に、何よりも健康を考えておられるご家庭に・・自然卵はいかがでしょうか?
【どんなニワトリたちが産んだ玉子か】
1、自然に近づけて飼っています。春から秋にかけては外で放し飼い。雪に閉ざされた冬の間は一坪に10羽以内の平飼いです。
2、 薬、添加物の類(たぐい)は一切使用していません。
3、 エサから遺伝子組み換え作物を排除しています。
4、黄身の色は自然の色です。エサに色素は入れていません。
5、 雑食のニワトリ達には「雑」といえるほど多くの種類の食べ物を食べさせています。特に緑の野菜はかかせません。
6、 メンドリとオンドリが一緒に暮らしています。全てとはいいませんが(相性の悪いものもいますので)多くは有精卵です。
7、 最後に「愛情」です。我が家の愛情をいっぱい受けて育ったニワトリたちが産んだ玉子です。
昔は風邪でもひかなければ玉子などというものは食べられませんでした。そして今日、私たちの暮らしもそうですが、玉子そのものも大きく変わりました。ほとんどの卵は(玉子ではなく)薬漬けのゲージ飼い。黄身の色も色素で染められています。
でも、この玉子は違います。朝日連峰の四季の変化の中で暮らしているニワトリたちが産んだ玉子です。昔の「庭とり」の玉子です。生玉子や半熟でいただきますとその味の特徴がよりはっきりいたします。
【価格と申し込み方法】
1、 価格は10個入りで一パック580円。何パックでもOKです。送料は10kg以内ですと県内で525円、首都圏は630円、関西は945円です。価格に送料を加えてください。
2、 申し込み方法は
narube-tane@silk.ocn.ne.jpにメールでお願いします。
【支払い方法】
振込み用紙を同封いたします。
お気軽にご連絡ください。
お待ちしています。
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2007.01.29:
kakinotane
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お米と玉子を食べてみたい方のために・・
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沖縄への旅
これは今までのシリーズものとは少しばかりおもむきが違う文章です。どう違うかといえば・・ま、読んでもらえれば分かるよな。そしてね、あろうことか、この文章を今晩(1月14日)「沖縄タイムス」に投稿したのです。長すぎてダメかもしれないが、削れないんだよなぁ。以下・・・
昨年の11月中旬、私は妻をともなって沖縄を訪れた。それは20代から50代の今日までの私の人生に大きな力を与えてくれた「沖縄」へのお礼の旅だった。
私はいま、山形県長井市で農業をしている。その傍ら「レインボープラン」という名の、生ゴミと農作物が同じ地域で循環するまちづくりに取り組んできた。そのレインボープランは2003年朝日新聞「明日への環境賞」、2006年日本農業賞特別部門「食の架け橋賞」大賞受賞、また、環境省の環境白書に「循環型地域社会」の模範事例として、農水白書には「資源循環型地域農業」のモデル事業として取り上げられるなど、他にもこれまでさまざまな賞をいただいている。
私はその事業のリーダーとして18年ほど夢中で取り組んできて、昨年の夏、レインボープラン推進協議会の会長を辞めた。農業とまちづくりへの取り組みはとても忙しい日々だったが、そんな私を支えてくれたものは沖縄からいただいたおおきな力だった。
私にも後継者として期待されながら農業を嫌い、田舎から逃げ出したいと一途に考えた青年期がある。幾年かの苦悩の末の26歳の春。逃げたいとおもう地域を、逃げなくてもいい地域に。そこで暮らすことが人々の安らぎとなる地域に変えていく。その文脈の中で生きて行くことが、これから始まる私の人生だと考えるに至り、農民となった。その転機を与えてくれたのが沖縄での体験だった。
76年、25歳の私は沖縄にいた。当時、国定公園に指定されているきれいな海を埋め立てて石油基地をつくろうとする国の計画があり、予定地周辺では住民の反対運動が起きていた。私がサトウキビ刈りを手伝っていた村はそのすぐそばだった。小さな漁業と小さな農業しかない村。村からは多くの人が安定した生活を求めて「本土」へ、あるいは外国へと出て行っていた。
「開発に頼らずに村で生きて行くのは厳しい。だけど・・・」と村の青年達は語った。「海や畑はこれから生れてくる子孫にとっても宝だ。苦しいからといって石油で汚すわけにはいかない。」
その上で「村で暮らすと決めた人みんなで、逃げなくてもいい村をつくっていきたい。俺たちの代では実現しないだろうが、そのような生き方をつないでいけば、何世代か後にはきっといい村ができるはずだ。それが俺たちの役割だ。」
私はこの話を聞きながら、わが身を振り返り、大きなショックを受けていた。この人たちは私が育った環境よりもずっと厳しい現実の中にいながら、逃げずにそれを受け止め、自力で改善し、地域を子孫へとつなごうとしている。この人たちにくらべ、私の生き方の何という軽さなのだろう。この思いにつきあたった時、涙が止めどなく流れた。泥まみれになって働く両親や村の人たちの姿が浮かんだ。
それから数ヵ月後、私は山形県の一人の百姓となった。
沖縄からいただいた考え方を「地域のタスキ渡し」という言葉にし、減反反対運動、農薬の空中散布をやめようという取り組み、そしてレインボープランと・・・、「逃げ出したい地域を逃げなくてもいい地域へ」「ここで暮らすことが安らぎであり、誇りでもある地域へ」、百姓の合間をぬいながら夢中で歩んできた30年間だった。
その私が・・・、昨年の秋、「もう、(社会における)俺の役割は終わったのかもしれない。」という気持ちにとらわれ、すっかり落ち込んでしまった。目的の喪失感なのか。あなぽこに落ち込んでしまったような・・。
再び沖縄に行こう。私はその後の30年間、このように生きてきたという報告とお礼の旅に出よう。だれ、かれにというのではなく、「沖縄」そのものに・・感謝をこめて。
30年前と同じように沖縄は暖かく迎えてくれた。海も空も友人達も・・・。滞在した5日ほどの間、涙腺がゆるむことが幾度かあり、少しずつ元気になっていくのを感じた。
30年前にいただいた「こころざし」はまだまだ途中だ。地域をタスキ渡しする日まで、もっともっと歩み続けよう。あらためてこんな気持ちを持つことができた。
ありがとう海、空、沖縄のみなさん。ありがとう、沖縄。また助けられたという思いがある。まだまだ道は続いていく。
これだけの文章なのですが・・・。
いまかい?もちろん俺は元気だよ。アッタリマエダ!
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2007.01.14:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜農業版〜」
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正月に読んだ本
あけましておめでとうございます。
皆さんはどのようにお正月を過ごされたでしょうか?
我が家族は当然ことながら、まったく普段と変わらない暮らしでした。ニワトリにエサをやり、玉子をとってパック詰め、曜日がくればそれを配達する。変わったのは元旦の朝、お酒をいただいたのと、伝統的な風習に従って、決められた料理で食事をしたぐらいのことでしょうか。
あらためて年頭のご挨拶をいたしますが、今回はお正月の間に読んだ本を紹介させてください。
山形市に齋藤たきちさんという農民がおります。その方が昨年の秋「北の百姓記(続)」(東北出版企画)という題名の本を出版されました。一昨年に出された「北の百姓記」に続いてのことです。両方とも読み応えのある本です。どんな本かを「書評」風に書けば・・こんな本です。(以下)
三十五年ほど前になろうか。まだ私が東京の学生だったころ、よく読んでいた書物の中で幾度か「齊藤たきち・山形県・農民」の著名入りの文章に出会った。
当時、私は農家のあとつぎとして期待され、農学部に在籍してはいたものの、その道がいやで、何とか田舎に帰らない方法はないものかと考えていた。そのくせ、人生の方向を見つけられないまま、成田で起こっていた農民運動などに顔をだしていた。
その時のたきちさんの文章は、同じ農民という立場から、運動を担う成田の農民に心を寄せて書かれた、どっしりとしたものだった。農民であることに誇りをもつ、土の香りがする文章だった。
「山形にもこんな方がいるんだ。」同じ山形県人であることに親近感をもちながらも、当時の私にそれらの文章は重くこたえた。
やがて私も農民となるのだが、その時以来ずっと今日まで、「齋藤たきち」の名前はいつも気になる存在として私の中にあった。
齊藤たきちさんは山形市門伝で農業を営むかたわら、農民の立場から詩をつくるなどの創作活動に精力的に取り組んでいる方だ。山形県を代表する詩人で野の思想家、真壁仁がおこした「地下水」の同人でもある。
そのたきちさんが昨年の秋、「北の百姓記(続)」(東北出版企画)を出した。一昨年の春に出版された同名の本の続編である。「あとがき」に、先に出した本には「六十年余に渡る私の『百姓暮らしの叫び』」を、このたび出した続編には「百姓としてどう生きているか」を書いたとある。
読みながら、三十数年前の感情がよみがえってくるのを感じた。たきちさんはずっとあの時の姿勢のまま生きてこられたのだ。
彼は単なる知識人ではない。それは彼の広い肩幅と、厚い胸、がっしりとした体躯をみたら分かる。田畑に働くことでつくられた身体だ。そこから出てくる情感、思想を詩人の言葉でつづったのがこの本である。作物や郷土に対してそそがれる目がやさしい。
たきちさんは自らを「百姓」という。彼にとって百姓とは単なる職業なのではなく「生き方」そのものである。
まさにこの本には、土の上で懸命に生きてきたひとりの百姓、齋藤たきちの生き方があり、哲学があり、世界観があり、詩がある。
そのたきちさんがついに自分を「最後の百姓」と呼ぶに至った。そこまで彼を追い詰めたものは何なのか?我々とて決して無縁ではない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書評風の紹介はこれで終わりです。たきちさんは今月の21日、真壁仁を記念して設けられた「野の文化賞」」を受賞されます。
この二冊の本は、農業に従事されている方だけでなく、広く社会人、学生にも読んでもらいたい本です。
ナンカ、オオマジメニ、カタッチャッタナ・・・。
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2007.01.10:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜農業版〜」
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レインボープランが新年の番組に
お忙しい年の瀬をお過ごしのことと存じますが、ちょこっと、ご注目ください。
新年の1月1日、私どものレインボープランの取り組みが放映されます。
NHK総合TV 午後7:20〜8:43
NHKスペシャル『ふるさとからのメッセージ』
司会 春風亭小朝 武内陶子アナウンサー
ゲスト 内橋克人、加藤登紀子 大林宣彦 ほか
過日、NHKのディレクターがまいりまして
「閉塞している日本社会の中にあっても元気な地域がある。新年にそんな地域を紹介することで元気を出そうというメッセージにしたい。」
ということでした。
「いやいや○○さん、長井市は全国でも財政危機ワースト11番目にいる自治体ですよ。破綻寸前なんだ。」
「それは知っていますよ。でも、住民が元気だ。こんなまちは他にありません。番組の『おおとり』にと考えています。」
「えーっ、私たちの事業が?そんなもんですか?」
そんなことで取材となったのですが、もし、あなたがほろ酔い気分で、退屈な時間をお過ごしでしたら、どうぞ見てやってください。
どうでもいいことなのですが、わたくしめは出ていません。ハナミズ垂らしながら、寒さにふるえて農作業をしていました。
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2006.12.30:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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鶏舎の雪囲い
たいへんお待たせいたしました。ようやく「稲刈り」が終わりまして、今日から再開です。なんか、文章の書き方をすっかり忘れてしまったかのようです。気楽なニワトリの話は「ぼくの・・・」へ、それ以外の文章は「虹色の・・」へ。それぞれが重複している文もあるので、バックナンバーの文章も含めて、雪が降ったら休んで整理しなければと思っています。それではおのおの方、これから・・参りますぞ。
里にも何度か雪が降った。春まで消えない雪を指して「根雪」というが、いまやそれがいつ来てもおかしくはない時期に入っている。例年ならば、消えたり、降ったりを数回繰り返したうえで、ドカッとやってくるのだが、昨年は初雪がそれだった。「まだ大丈夫だよ。」とタカをくくっていた農家は大いにあわてた。でもあとのまつり。収穫すべきたくさんの越冬野菜が、雪の下でそのまま春を迎えることになった。
「農家は・・・」なんて、他の人のようなことをいっているけれど、この辺がぼくの限界でしょうか。お察しのように自分のことなのだけど。
何しろわが里は毎年2m弱の積雪を記録するところ。根雪はいつ?明日か、明後日か・・・、その時期がせまってくると、人びとは家や畑の周りを走り回るようになる。野菜の取り入れ、家や庭木の雪囲い、果樹の支柱たて・・もちろん雪の下で潰れてしまうようなものは外に放置することはできない。やるべきことはたくさんある。さすがに12月も半ばとなると、すっかり冬の準備を終えている農家がほとんどなのだが、横着なぼくは例年のように、まだ半分しかすんでいない。肝心の鶏舎の雪囲いがまだ終わっていないのだ。
「よしひで、早くしないと雪がくるぞぉ。あっちだこっちだと農作業をほっといて飛び回っているからこんなに仕事が遅くなってしまったんだ。世間に笑われるぞぉ。みっともなくてはずかしいごとぉ。外に出て行くのはやめて、はやくしんなねごてぇ。」
88歳と84歳の両親は嘆く。嘆かれるのは50代になったぼく。情けない話だが、毎年のことだ。
冬の間、ニワトリ達は鶏舎の中ですごす。屋根があって、四面が金網で、新鮮な空気が通り抜けていく。春から秋にかけては快適だが冬はまったく事情が違う。雪囲いをしなかったら大変だ。金網を通して吹雪が容赦なく入り込み、一晩で中は真っ白になる。鶏舎の中で積雪10cmとなることもめずらしくはない。そうなると寒さと冷たさでニワトリ達は動けない。すみの方でひとかたまりとなってじっとしている。
やがて雪が解けても床はどろどろ、田んぼのなかにいるような状態になってしまい住まいとしては最悪だ。玉子を産むどころではなくなってしまう。鶏舎のなかにぼくが入っていくと
「どうにかしてくれよなぁ。やってらんないよお!もっとしっかりしてくれよな。」
ニワトリからもそんな嘆きの声が聞こえてくるようでなさけない。
スコップを持ってきて丹念に鶏舎の雪をかたづけ、乾燥したモミガラを厚く敷き詰めることで何とか過ごしやすい環境をつくるのだが、ダメージは大きい。ニワトリとぼくとの「信頼関係」にもきっとひびが入っているはずだ。
鶏舎を金網の外から透明なビニールで囲い、板を打ち付け固定する。固定があまいと、吹雪がいっぺんにビニールをはがしてしまい、ビリビリと破いてしまう。吹雪の破壊力は大きい。
もっと早くからやればいいものを、いつもぎりぎりにならなければできない性分。毎年、雪降りのなかでの作業となる。ハナミズを垂らしながら、冷たさで手がかじかむのを耐えながら・・でも、ま、こんな作業も嫌いではないけどね。ヘッ。
ピリピリするような寒さのなかで、かがんだり、伸びたり、釘を打ったり、ビニールをはったり、・・・していたら
「おい、腰を壊すなよ。」といいながら、幼なじみの正さんが手伝いにきてくれた。こりゃありがたい。あんたにはいつも助けられるなと礼をいいながら、ハナミズを垂らしながらの作業を続けたのだった。
写真は手伝いに来てくれた正さんと雪囲いの様子。
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2006.12.20:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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稲刈り中です。
お待たせいたしております。
まだ稲刈り中なのです。もう5、6日はかかります。私は九州は佐賀県の山下惣一さんとともにアジア農民交流センターの代表であり、10月14日には毎日新聞から「国際交流賞」をいただいたことを記念して、早稲田奉仕園にて大切なシンポジュームがあり,私が基調的な話をする予定(とはいっても挨拶程度のものですが)でしたが、参加できる状態ではありません。どうしてこんなに遅れてしまったのでしょうか?それが問題です。実は私の住む長井市で11月に市長選挙があり・・・、このことはおいおいお話しすることもあるでしょう。ま、そういうことでブログの更新は出来ないで居ます。もうちびっとお待ち下さい。
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2006.10.12:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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今年の田んぼはどんな色か?
田んぼは今、黄緑(きみどり)。少しずつ黄色に近付いている。その黄色、年によってはまばゆいばかりの黄金色になることがある。その美しさといったらたとえようがない。長年田んぼの秋を見てきたこの私でさえ、しばらくそこから動けなくなるほどだ。今年はどんな色になってくれるのか。
もうじき稲刈りだ。出穂は例年に比べ10日は遅れていたから、今月の下旬ぐらいからだろうか。種まきから今日までに、たくさんの出来事があった。もしかしたらこのブログを見ているあなたは「菅野がまじめに百姓しているわけがない。」と思っているかもしれないので、ちょっとまじめに・・・・こんなことがあった・・・と。
今年は長い梅雨で、ほとんど一ヶ月、毎日、毎日が雨降り。全身にカビが生えてくるのではないかと思えるほどだったよ。日照不足と、ときおり「あれっ」と思うような低温のなかで、稲の成育は進まない。
こんな気候のときは「いもち病」が心配で田んぼの周りを幾度も見て歩いた。農協の広報も「いもち病注意報」を出して気をつけるよう呼びかけていた。
いもち病とは一種のカビがつくりだす病気で、葉につくと緑の葉に点々と茶色の斑点ができる。それがみるみるうちに増えていき、やがて稲の体ぜんぶが萎縮したようになって枯れていく。葉のいもち病が軽度ですんでも、それで終わりなのではなく、やがて穂のいもち病に変わっていく場合が多い。ひどい場合は、田んぼ全体が茶褐色になり、全てが枯れ上がってしまったかのように見えるほどになる。そうなると悲惨だ。大きな減収は当然だが、残った米も貧弱でまずい。やっかいな伝染病だ。
これにかかると、農家は気落ちのあまり「火をつけて燃やしてしまおうか。」と思うほどだ。私はまだ経験がないけれど、恐ろしさは充分知っている。
雨と曇天が続き、高温多湿。いもち病の蔓延する条件は充分にそろっている。実際、あっちこっちの農家から「ついに発生」の声が上がっていた。すでに農家は一度目の防除を終え、二度目の準備を進めていたが、我が家はまだやっていない。
私は何度か田んぼを見て回っていた。そしてある日、ついにいもち病を発見。まだ軽度だけれど、堆肥が多く落ちて、稲の葉色が濃いところにチラホラと発生している。ザワッときた。
地域づくりだ、レインボープランだといって田んぼをはなれる機会が多い私は「それ見たことか、あいつの田んぼは・・・」と言われることのないように、田んぼの管理には他の人よりいっそう気を使っていた。その上更に、周りの農家には農薬を減らそうと呼びかけていたのだから・・大きな被害が出たら影響は決して小さくはない。やばい。
天気予報を見れば、これからも長雨は続くらしい。長年、殺菌剤、殺虫剤をやらずに来たけれど、今年は止むを得ないと思えた。ここはひとまず殺菌剤をやろう。そう決断せざるを得なかった。お米を待っている関西や関東の人たちの顔が目に浮かんだ。
その後は暑い夏がもどり、いもち病の心配はなくなったのだけれど、あの時点では仕方なかったと思っている。だけど・・・。
今年もようやく収穫の秋が近付いてきた。でも、思いは複雑だ。
おもわず目を細めてしまうほどの輝きをもつ黄金色の田んぼは、朝晩の気温が低く、日中は高温だという天候が条件だという。
今年の田んぼはどんな色を見せてくれるのだろうか。
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2006.09.10:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜農業版〜」
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お盆が終わって
夏のあさの水田風景は美しい。
朝霧の日はことのほかロマンチックで,太陽が上るにしたがって、乳白色の中から少しずつ緑の水田が広がっていくさまは「神様」がいるのではないかと思えるほどだ。
ようやくお盆が終わり、帰郷者やその子ども達で賑わった村はいつもの静けさを取り戻している。家々のおなご衆は勤めを果たした安堵感にホットしているところだろう。実際のところ、お盆が近付いてくると、家の内、外の大掃除や、障子の張替え、お客用のフトン干し、仏壇の飾りつけ、それに料理をどうする、お酒は大丈夫か・・・というたくさんの準備があり、とにかく気ぜわしい。
お盆が来たらきたで、客のもてなしにおおわらわだ。嬉しいやら、気を使うやら、疲れるやら・・・お盆が終われば、村の病院は高血圧が悪化したり、腰が伸びなくなったおなご衆でどっと混雑する・・・それはないか。いいや、あるかもしれんぞぉ。
女房の友人に、お盆に帰郷してきた義理の兄弟、姉妹に
「久しぶりでしょうから、ゆっくりと親子水入らずのお盆を過ごして」と夫の両親をおいてさっさと夫婦で旅行にいく人がいる。これはいい。これだと迎える長男夫婦にとっても無理がなく、お盆の来るのが楽しみだ。おれ達も来年はこれをやろうかな。でも、頑固な両親はそれをゆるさないだろうな。帰ってくる妹は気が強いから、あとで妻が一層つらくなるかしれないし・・・。そんなわけで先の友人の例を知ったのは今から10年ほど前のことなんだけど、まだ実現できていない。実家は何かと難しい。
さてと、こちらのお盆は祭りの季節でもあり、この地方のお祭りには必ず「獅子」が出る。頭が獅子、胴体が大蛇、全長10メートルほどの胴の中には10名ほどの若者が入っていて神社の境内や街道をねり歩く。初めて見た人はその迫力に驚かされる。子どもなら泣き出すぐらいだ。その獅子にまつわるいわれが面白い。
昔(こういう書き出しがいいね)、平安時代のころ、京の都から天皇の御世に従わない東北の豪族を平定しようと、源義家を大将としたたくさんの軍勢がやってきた。
しかし、東北の人たちは互いに連合し、互角以上に戦い、京の軍勢を幾度も跳ね返した。このままでは負けてしまうと思った源義家は策をめぐらし、豪族の娘にラブレターを送る。
「あなたと結婚したい。そしてあなたのお父さんと都で一緒に暮らしたい。」と。
「都の人はウソが多いから、決して信じてはならない。」という父の教えを忘れ、いつしか義家の意のままに砦の弱点を教えてしまう。
「だまされた!」
でも、気がついた時にはすでに遅く、京の軍勢はどんどん攻め込んでくる。
「私のおろかさによって・・・」
多くの村人が殺されていくのを見ながら娘は朝日連峰の山深く、渓谷に身を投げて死んでいく。
以来、その娘、卯の花姫は村の守り神となって、頭が獅子、胴体が大蛇の「獅子」をつかわし、今日まで村々の平安、豊作を守り続けているというわけだ。
恋文を「戦術」にしたのかぁ。きっと源義家は女にもてた京の遊び人だったのだろうけど、田舎のオレなどは今の感覚でも「そこまでやるか」と思う。それに「都の人はウソが多いから決して信じてはいけない。」というくだりが面白い。1000年以上も前からこのような教えがあったのか。オレももう少し早くからこの教訓を知っていたら・・だからといってどうしたというわけではないが・・。
お盆はおわった。村に静けさがもどった。盆を迎えた村の話と卯の花姫の物語とを一緒に思いながら・・・とうとつだけれど・・・みんな幸せになってほしいと思う。
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2006.08.20:
kakinotane
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