ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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 夜、散歩がてら、ホタルを探しに出かけた。とは言っても我が家のほんの周辺を歩いただけだけど。ひんやりした夜風がうれしい。鶏舎のそばを流れる小川のほとり、木立の中、田んぼの上・・・。ホタルの季節はもう終わっているのかもしれない。そう思いながらたたずんでいると、垂れ下がる栗の木の葉がポッポッとぼんやり青く点滅しているのが見えた。揺れる木の葉の向こうの遠いまちの灯りかと思ったが、間違いない、ホタルだ。まだ居てくれた。間に合った・・・。

 なんてね。こんな書き出しで始める話ではないんだけど・・。
田んぼへの堆肥散布あたりからじわじわ来ていた腰の痛みが、田植え終了とともに堰を切ったように襲いかかり動けなくなったのが5月25日。整体治療や針にお灸とまわってから、整形外科の門を叩いたのが6月6日。MRIやレントゲンなどの検査と診察、順番待ちなどでようやく入院したのが6月19日。手術は30日。痛みの原因である脊柱間狭窄症が3ヶ所、ヘルニアが1ヶ所で、手術にあたった担当医は「順調にいきました。ずいぶん厳しい痛みだったでしょうね。」と。そりゃ痛かったよ。尻から痛み止めの座薬を打ち、更に鎮痛剤を飲んでもなお、耐えがたい痛みが襲ってくる。あんなのははじめてかなぁ。ひどい経験でした。(病院からメールを送り、ご迷惑をお掛けした方々、痛みの中ゆえの妄想が多分にありますので、お忘れいただきますように)

 今月の14日に退院しました。今は痛みはうそのように消えたけど、多少右足を引きずるような感じは残っていて、腰をコルセットでカバーし、そろりそろりと歩いている。医者の話では術後45日で、事務職に復帰、90日で肉体労働も可能だとか。稲刈りには間に合わないけど息子の助手はできるだろう。
入院している部屋に佐藤藤三郎さん(山形県上山市・農民・農業評論家)が見舞いに来てくれた。

「オレも5年ほど前に脊柱間狭窄症の手術をしたよ。2ヶ所だったけどな。なんでもない、なんでもない。今はこのとおり、田植えから稲刈りまで何でもやっているよ。大丈夫、希望はあるよ。」

 えつ、希望があるって!ニュアンスは「あきらめるのは早いぞ。」ってことだよね。術後の農業現場への復帰は、露ほども疑ってなかっただけに、笑いながらひょうひょうと語る藤三郎さんには参ったよ。

 50代も後半、ゆっくりと考える時間を与えられたという意味ではいい機会だったのかもしれません。

 「病院の中に入ってしまうとよく分かります。身体に申し訳なかったと。支えてくれていたのに感謝がなかったと。いたわりがなかったと。謝罪しています。」

 こんなメールを友人に送ったけど、本当にそう思います。
どなた様もお身体を大切に・・平凡な言葉ですが・・・。

ま、のんびり療養いたします。たくさんのコメントありがとう。ご心配いただいたんですね。感謝!

写真は、今の田んぼの姿です。順調です。

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5月25日の田植え終了日、腰に激痛が走り、まったく動けなくなりました。やがて治まるだろうとしばらくは痛みに耐えながら天井のフシを数えて過ごしました。でも痛みはとれませんでした。針と灸、整体治療に通い、近くの病院にも行きました。
でも治まりません。山形の大きな病院に行き、ようやく治療方針が確定したところです。
原因は「腰部脊柱管狭窄症」。19日に入院し21日に手術の予定です。二週間後に退院いたします。その後2ヶ月ほど働けませんが、ニワトリの世話と田んぼの仕事は息子と、事態を知って駆けつけてくれた友人が担ってくれています。

蝉の声が響く頃、再び戻ってきますのでしばらくお待ち下さい。



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ようやく田植えが終わりました。
たんぼの畦にはきれいな花々が咲いています。田植えはほとんど機械で植えますが、田んぼの四隅は手で植えます。田んぼは全部で16枚。よって四隅は64箇所。これはこれでなかなかの世界ですよ。大きな身体を折り曲げて一株、一株植えていく作業は腰にいいわけない。でもやるしかないよね。どこかで腰を曲げてとぼとぼ歩いている私をお見かけしましたら、どうか、見てみぬふりをしてやってください。
3月の下旬に種もみ消毒(2006,4,20「種もみの消毒」参照)、種まき、苗代、育苗管理、田んぼへの堆肥散布、耕運、代掻き、田植えとすすんできた農繁期。ようやくここまできました。これまでの数々の作業を振り返れば、やっぱり、堆肥散布がもっともきつかったですね。 私は二種類の堆肥を撒いています。レインボープラン堆肥と自然養鶏の醗酵ケイフンです。化学肥料は極力つかいません。作物を食べることは土を食べることだと思うからです。食べられる土をつくる・・・これが農業の基本だと思うんですよ。
なんて・・・こう言えばカッコウはいいが、その世界を実現するのは大変です。2・6ヘクタールの田んぼ。化学肥料をパラパラと撒けばものの半日ですんでしまう。最近はそれさえも省き、田植えしながらポトポトと機械が肥料を落として行く。簡単なもんです。でも、堆肥散布はそうは行きません。一週間以上かけての力仕事です。レインボープラン堆肥は機械で撒く。大変な中でもこれは比較的容易です。醗酵ケイフンが問題だ。鶏舎からトラックに積み上げ、運び、更に田んぼで運搬車に移し、運搬車を動かしながらスコップで撒く。ケイフンはチッソ比率が高いため、レインボープランの堆肥のように、大雑把に撒くわけにはいかないのですよ。ドサッと落ちたところは肥やしが効きすぎて、大概はイモチ病にかかっておしまい。お米は作れません。だから少しずつスコップにとっては平に、均等に撒く。これが難儀で、終われば難関突破のほっとした気持ちになりますよ。
いまは、大変な時期を振り返りながら、四隅を丹念に植えています。
田んぼの畦にはオオイヌノフグリ、忘れな草・・・それに名も知らない小さな花々。本当にきれいです。それらを見る余裕がようやく生まれてきました。種まきから始まった農繁期、ようやく終盤です。


・・・と、ここまでは5月の24日に書いたもの。
25日の日曜日、本当に腰を壊してしまいました。「腰部脊柱管狭窄症」と診断され、半月後の今も安静の日々をつづけています。このことにまつわる顛末記はいずれ書きましょう。腰の痛いのは大変ですね。どなた様もお気をつけください。
写真は畦の花たちです。きれいですよ。いいですね。野のはな。


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たくさんのコメントありがとうございます。
いまは田植えの最中です。ようやくここまできました。これまでの数々の作業を振り返れば、やっぱり、堆肥散布がもっともきつかったですね。私は二種類の堆肥を撒いています。レインボープラン堆肥と自然養鶏の醗酵ケイフンです。化学肥料は極力つかいません。作物を食べることは土を食べることだと思うからです。食べられる土をつくる・・・これが農業の基本だと思うんですよ。化学肥料をパラパラと撒けばすんでしまう作業を一週間以上かけての力仕事。これが終われば難関突破のほっとした気持ちになりますよ。これも息子とともにやっているからできるんです。オレだけじゃできません。
アレヤコレヤのブログに書きたいことがいっぱいたまっているんですが、も少おまちください。あと4日もすれば田植えが終り、さらに3日もすればへろへろ状態から解放されましょう。
オオイヌノフグリ、忘れな草・・・それに名も知らない小さな花々。田んぼの畦は本当にきれいです。それらを見る余裕がようやく生まれてきました。種まきから始まった農繁期、ようやく終盤です。
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米価が安い、安すぎる。
前回お伝えしたように農家への仮払いが一俵60kgあたり平均1・1万円、20年前の1/2以下の価格だ。東北農政局が発表している一俵あたり生産原価よりも4,000円も安い。おまけに10aあたり35%の減反がついている。これではやっていけない。作れない。世界中が穀物不足だというのに・・。

3月の下旬、農繁期の前に集落の総会があった。

「おみちさんから田んぼを手放したいという申し出がありました。どなたか買い求めてもいいという方は役員まで申し出てください。」

 おみちさんは80歳。10年ほど前に旦那さんを亡くして、一人暮らしをしている。田んぼは地域の転作組合に貸していたのだが、子どもがいないということもあり、手放す気になったのだろう。全部で五反歩、一反歩(300坪)あたり30万円ということだから五反歩で150万か。ずいぶん安くなったものだ。30年ほど前には一反歩あたり100万はしていたのだから。

 総会があってから一ヶ月ほどになるが、まだ田んぼの引き受け手がいないという。誰も手をあげない。米づくりに熱心だった市さんも「おみちさんの都合は分かるけど・・、今の米価ではなぁ。30万が20万でも無理だ。自分の田んぼを維持するだけで精一杯だよ。」という。村の農家の平均年齢は67歳。ほぼ日本農民の平均と一緒だ。これから田んぼを手放さなければならなくなる人が増えてくるのに、引き受け手がいない。

 我が村は東京の生協との交流をおよそ30年ほど続けてきた。いまでも1万俵以上のお米が首都圏に向けて出荷されていく。その米は特別栽培米といって、農薬を慣行栽培の1/2以下に抑えたものだ。通常価格に60kgあたり800円加算。安全・安心をモットーとする米づくりをうながす生協からの加算金だ。農家も多くのリスクを負いながら、向かう方向に意義を感じて応えてきた
 20年ほど前までは、2万数千円に800円加算だった。それが1・6万円に800円加算、1・3万円に800円加算と下っていき、今は価格の面だけでいえば、ほとんど説得力を失っている。

 月一回、NHKの「ラジオ深夜便・日本列島暮らしのたより」で話をしている。毎月第一月曜日の夜、11時20分からの10分間、村や農業にかかわるアレヤコレヤをしゃべっているのだが、今回、「米の話」をひととおりおこなった上で、次のように呼びかけた。

「皆さんの友人や知人のつながりのなかに米作り農家はいませんか?いましたら、どうか直にその農家からお米を買いもとめてください。慣行栽培米なら10kg、4,000円ぐらいで買えるでしょう。まざりっけのない純粋品種のお米を求めることができます。一方、一俵60kgからは55kgの白米ができます。10kg4,000円なら農家の手取りが2万2千円。農協の仮渡金のほぼ2倍の価格になります。ある程度の数があつまれば農家に利益ができますし、なによりも勇気づけられるでしょう。消費者の皆さんの行動が農家を救うことができるかもしれません。」

 そんな話をしたら、義憤を感じたと、夜の12時前だというのにたくさんの電話があった。農家を紹介してほしいという申し出もあった。数日たったいまでも問い合わせが続いている。うれしかったですねぇ。うれしいですよ。

 ところが残念。この季節、農家にお米の在庫がない。自家用米以外は全て出荷してしまい、ご要望に応えるためには秋の新米をまたなければならない。肝心の点をうっかりしていましたよ。だめですねぇ。アホですよ。

 ですが・・ですがです、みなさん。今すぐにご要望にはお応えできませんが・・・、それでも・・・秋にむけ、今からでもお知り合いの農家にお声をかけてみてください。

 そんなことで日本農業が護れるのかいというご意見もあるでしょうが、ま、今は何よりも行動です。はじめてみましょうよ。

(念のために・・私のお米を買ってくださいという小さな利益からの提案ではありませんぞ。写真は昨年の秋の水田風景,わが村・・いつまでつづくか。)

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 春だ。今年もそろそろ米作りの作業を始めなければならない。
その第一歩は、こちらで「しおどり」と呼んでいるもので、生玉子が浮くほどの塩水の中に種もみをいれ、充実している実とそうでない実を選別する作業だ。浮力が高い塩水の中でもなお沈む実だけを取り上げ、種にする。とりあえずこの作業は終わったのだけれど・・イマイチ気がはいらない・・。

「早いなぁ。もう終わったのかい?」
先日、水に浸している種もみをみながら、隣の健ちゃんが話しかけてきた。健ちゃんは70歳。奥さんと二人、3.5haほどの水田を耕す専業農家だ。村では篤農家で通っている。
「おれはこれからだが、こんなに米の価格が安いんじゃ、なかなか力が入らなくてよ。」
「そうだよなぁ。村のみんなはどうすんだろう。今年、作るべか?」
「作るべなぁ。田んぼあるし・・」

米価格の下落はすさまじい。
JAが当地で発表した今年の買取価格は1俵60kgあたり、平均1万円。20年前の1/2以下だ。東北農政局が発表したH18産米の生産費は1俵あたり15,052円だから、今年は米一俵出すごとに5,000円のお金を貼り付けてやらなければならないことになる。それに35%の減反だ。これではやっていけない。作れない。

自民党政府は長年、日本の水田農業の国際競争力を問題にし、執拗に大規模稲作への転換を進めようとしてきたが、ここまでくれば規模の問題ではない。日本列島で米を作って暮らすという行為自体が不可能だということだ。

 おそらくあと10年もすれば、日本の水田農業は壊滅だろうなぁ。田畑に囲まれた村々も崩壊だろう。のどかな田園風景は一変するに違いない。農業、農村などというものは一朝一夕にして出来上がったものではない。田畑と暮らしの数千年の営みのなかで形成されてきたものだ。それがいま、崩壊していこうとしている・・・。つらいですねぇ。たまらんですねぇ。

急速な日本農業の崩壊・・・。この背景にはWTO(世界貿易機関)がある。関税を取っ払い自由貿易を進めようという政策のなかで生みだされてきたものだ。
このままでいいのかい?本当にいいんかい?

こんな記事が毎日新聞に載った。

「 現在は高い関税によって保護されている日本の米だが、仮に撤廃されたらどうなるか。農林水産省の試算によれば、日本の10分の1以下の価格のコメが入ることで、日本のコメ産地は崩壊。農地の60%、1万以上の集落が消滅する。
 日本の食料自給率は現在39%。オーストラリア237%、米国128%、フランス122%、英国70%などと比べて極端に低いが、これが何と12%になってしまう。この時、世界の異常気象や戦争などで輸入がストップすると、終戦直後の配給制度が復活し、イモなどに頼る食生活もあり得るという。」
(毎日新聞10/11東京夕刊http://mainichi.jp/life/food/news/20071011dde012200010000c.html)


このような試算があるにもかかわらず、政府は関税撤廃の道をすすんでいる。なんでだべ?その方が経済的に得だからだべ。お金になるからだべぇ。

 でもなあ、なんかおかしくないかい?あまりにも目先の利益で考えてないかい? おれには長期的に見ればとり返しのつかない道を転げ落ちていっているとしか思えないのだけど。

「で、健ちゃんはどうする?作るのかい?」
「おれか?やっぱり作るよ。それしかないべぇ。いまさら他に仕事ないしよ。でも機械が壊れたら終わりだなぁ。」

田畑の雪もすっかり消えた。
忙しい田んぼの季節はそこまで来たのだが・・・力が入らない。この国はどうなっていくのだろうか。考えれば考えるほど恐ろしい・・・。

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申告が、あぁぁ申告が・・。
もっとも苦手な経理の実務。
その世界から抜け出せないまま、
もう何日になるだろうか。

野山はまだ厚い雪に包まれていて
春の兆しがみえない寒い夜。
遠くで猫がケンカをしている。
それ以外は何の音もしない。

というわけで・・・

ブログの更新はもう少しおまちください。

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 白銀の世界が広がっている。冬は土の休息の季節。雪の下で静かに、ひっそりと眠っている。

 土は今まで生きていたものたちの遺体の集合体。地上に最初に棲みついた植物はコケのようなものだったのかもしれない。それらが朽ちて少しの土ができる。その何千、何万回のくり返しの中からやがて草や木ができ、動物達が生まれ、それらが次々と遺体となり、土となってきた。数十センチという土の層は膨大な歳月をかけた、生きていたものたちの堆積。

 森のブナの木が、その種を土の上に落とす。やがて成長し大木となる。その成長を支えるものは、かつてその場で土となった全ての生きものたち。幾百万、幾千万の生きものたちの力によってブナの木は成長していく。

 畑の大根を育むものも、やはりその場で土となり、養分となった生きものたち。大根のいのちのなかに、かつて生きていたものたちが参加していく。

 私たちは、大根を食べながら、同時に大根のなかに参加し、活かされたおびただしいいのち、あるいはいのちのつながりをいただいている。

 空を飛ぶ小鳥も、森を駆けるウサギも、道端の草も、私も、君も・・・ひとつひとつの生きものは、かつてその地で生きていた、たくさんのいのちの集まり。

  これから生まれてくるものたちも、私たちを含む全てのいのちの集積として新しいいのちを得ていくのだ。

 遠い過去からはるかな未来に至るまで、いのちがかたちを変えながらめぐって行くところ、壮大ないのちの循環の場。それが土。

 春にまた種が撒かれる。いのちのめぐりのはじまり。

 シーッ!静かにしよう。土が休んでいる。春まで起こしてはいけない。雪がせっかくつつんでくれているのだから。

写真をダブルクリックすれば拡大してみることができます。俺たちの村とその前に広がる雪原。 

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初めて我が家の玉子を食べてみた方から、たくさんの感想が寄せられた。ことの始めはTBSラジオの久米宏さんの番組に出たこと。その後、玉子の注文があいつぎ、てんやわんやの毎日だったが、おかげでたくさんの方々と知り合えたばかりでなく、玉子への貴重な評価をいただいた。

そのほとんどは
,△辰気蠅靴討い襦
△△屬蕕辰櫃ない。
生臭さがない。
げ身が淡い黄色

なるほど・・・ね。これが自然に近づけて飼うニワトリ達が産んだ玉子の特徴なんだね。他人事のようだけど。

僕はゲージ飼いの玉子はほとんど食べない。スーパーから買い求めてくることもない。旅先の旅館などでは残してしまう。なんというか・・気持ち悪くて・・・な。だからゲージ飼いの卵の味は分からない。もちろん我が家では生玉子かけごはんは毎日のように食べている。味の変化には敏感だ。でも、k工業養鶏の卵と比べてどうなのかというのはわからない。本当はそれも嫌がらずに食べてみる必要があるんだろうなぁ。この辺が何十年と自然養鶏に取り組んでいても、なかなか素人ヌケできないところなんだべな。

先日、小田原で自然養鶏に取り組む達人の養鶏場を見学し、久しく意見交流する機会があった。ニワトリが好きで子どものころから親しみ、やがて高校教師をやめてニワトリ飼いをはじめたほどの方だ。笹村出さん。「醗酵利用の自然養鶏」(農文協)という本も出している。飼い方の基本は我が家と同じだがずいぶん勉強になった。その笹村さんが雑談で、

「最近のゲージ飼いの卵はこってりとした、油っぽく、クリーミーな味が主流だよ。」といった。

食べていたんですねぇ。さすがだよ。

その味は「魚粉」をエサのなかにたくさん入れればできるという。

「魚粉」の多投は産卵をあげ、業者の利益にも貢献するだろう。だが他方で動物性タンパを過剰に与えればニワトリの身体に無理をかける。健康を損ね、寿命を短くする。人間の場合の肉食偏重と共通するところがある。同じだね。ニワトリ達を追い詰めて、いいたまごができるわけがないのに・・。

で、そのいい玉子というのはどんな玉子なのだろうか。

「生命力の強い玉子がいい玉子の基準になるだろう。」
笹村さんは明快だった。

「卵が産まれてからいつまで孵化(ヒヨコにかえること)できるかの実験をしてみました。『こってり系』はほぼ2週間で孵(かえ)らなくなるのに対して、草や野菜をふんだんに食べさせた『あっさり系』は60日を過ぎてもヒヨコに孵(かえ)ることができたんです。」
説得力がありますねぇ。実験で確かめた結果なのですよ。さすが達人。

我が家の玉子は、できるだけ自然に近づけてニワトリたちを飼い、草や野菜などの緑餌をたくさんあげ、放し飼いで充分運動させる。こんな飼い方からうまれた。実験の結果を受けて到達した飼い方ではないけれど、なんか、自信がもてたね。飼い方に確信ができたよ。

TBSラジオのから始まった反響で我が家の玉子が「あっさり系」であることを知り、達人の実験結果を通してそのもつ生命力を知った。ひとしきりまわりをまわって帰ってきて始めて己を知る、己に気づく・・・いつまでも未熟ですなぁ。

黄身の色はトーモロコシと緑餌からで、いま主流の色素ではない。このことはブログのバックナンバーにすでに書いてある。

「こってり系」にしても、色素の入ったみかん色の黄身にしても、いびつな飼い方でニワトリ達に無理をかけてつくりだしたものだ。そんな卵は身体にいいわけはない。
んー、やっぱり、食いたくはないなぁ。いいよ。いつまでも未熟でも。

写真はオンドリを中心にして遊ぶニワトリ達。



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積雪は150cmほどになった。昨日、今日は吹雪。玉子を配達しようと車で外に出たが、雪はうなりうをあげてかぶさってくる。雪に襲われている・・そんな感じさえするほどだった。1m先も見えない。こんな時には動いてはだめだ。車を止めておさまるのを待つ。ライトを点けて、オレはここにいるよとアピールしながら。

吹雪のときでもニワトリ達は元気だ。鶏舎は透明のビニールでおおわれていて、お天道様の光は入るが吹雪は入ってこない。一坪に10羽、鶏舎のなかで走ったり、恋をしたり・・と、寒いだろうが、冬に負けることなく春を待っている。

きのうの朝、雪を掻き分け、エサを与えようと鶏舎に近付いていった。するとにぎやかな小鳥たちの声が聞こえてきた。中に入っていくと、おどろいた小鳥達は一斉に鶏舎の中を飛び回る。スズメだ。30〜40羽はいる。ニワトリ達と一緒にエサを食べていた。

別な鶏舎にもそっと行って見る。ここにもスズメ達がきていた。冬以外の季節には、スズメは入ってこない。たとえ来たとしても、ニワトリ達はその侵入者を追い出そうとする。これは何度も見かけたことだ。でも、今は冬、そして外は吹雪。

「大丈夫だ。安心してこごさ居(え)ろ。いっしょに喰うべな。」こんな感じなんだべか。鳥たちの友情。いい光景ですよ。人間的というか、人間の我々がわすれてしまったもの・・・というか。

これがもし、ゲージ(カゴ)飼いの養鶏場ならばどうだろう。ニワトリ達は「おいで、一緒に・・・」というだろうか?たぶんいわないだろう。「ここはやばいぞ。つかまる前に早く逃げ出せ!」たぶんこっちの方だろうなぁ。

 話はわき道にそれるが、実際のところゲージ飼いのニワトリほど不幸な生き物たちはいない。この地球上で一番不幸だと思う。動物園の像だって鎖の長さほどの自由はある。金魚鉢の金魚でさえもっと自由だ。ただ毎日立つか座るか。常に隣人の体温を両脇に感じながら、歩くことも、羽を伸ばすことさえできず、ストレスで自分の羽をむしりながら・・・、毎日、毎日卵を産んでいる。卵はストレスのかたまりだ。どうしてこんな飼い方ができるのか。なぜ平気でこの卵を食べることができるのか。わっからなーい!話が止まらなくなってしまいそう・・・本流にもどそう。

 
我が家のニワトリが「安心して一緒に食べよう」と呼びかけることができるのは(・・と勝手に思っているわけだけど)、自分たちが幸せだからだよね。

 鳥のインフルエンザ対策から言えば、あまりいいことではない。息子も野鳥が入って来ないように、あっちこっちの穴をふさいでいたのだけど・・。でも、いいじゃないか。

ニワトリ達だって、インフルエンザの危険をみんな知りながら、あえて迎え入れているのかもしれないぞ。

だったら・・・・・なっ・・・、いいじゃないか。いいよな。かかったら?そん時はそん時だべぇ。

写真は、外のスモモの木に一旦引き上げて、オレの様子を眺めているスズメたち。小さくてわからないかな。写真をダブルクリックすれば大きく拡大できる。そしたらわかるよ。写真は白黒のように見えますがカラーなのです。

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 えーつ、なしてこげに反響あんなだべ?

新年そうそう、びっくりするやら忙しいやら・・・。

 ことの発端はTBSラジオの知人から電話が入ったこと。

「あっ、菅野さん。あのね、久米宏さんの番組に出ていただきたいんですけど。はい、知っているようでよくは知らない職業の人、それも現場で働いている方にお願いして久米さんと対談するという番組なんです。ええ、今までは左官屋さんとか、新幹線の売り子さんとか、さまざまな職種の方々に出ていただいています。農民は初めてです。田んぼやニワトリの話、レインボープランのことなどをざっくばらんにお話していただけませんか?」

番組の名前は「久米宏 ラジオなんですけど」。
赤坂のTBSに出向き、生で話をするということらしい。おっもしろそう!二つ返事でOKした。

「そげな服装で行くのか?それじゃやっぱり百姓だって馬鹿にされっぞ。靴も一番いいもの履いていけ。ひとは足もとをみるんだからな。」さまざまな忠告をする88歳の母親の言葉を背中で聞きながら雪の中を駅にむかう。

 「打ち合わせは別にありません。思うがままに話してください。ただ30分はすぐに終わってしまうので、後でこれを話そうなんて思わずに思いついたらすぐに話したほうがいいですよ。」
TBSで知人の話。なるほどね。
「それに久米さんは、本人以上に相手のことを勉強してこられます。菅野さんの書いた『生ゴミはよみがえる』(講談社)はとっくに読まれていますし、ブログも見ているはずです。でも、対談の場には一切のメモは持ってこられません。しっかり勉強し、後は自然にということでしょう。」
そうか。対談の達人の背後にはたくさんの準備の時間があったのか。

久米さんがはいってきた。オレも立ち上がって握手。「いやー大きいですねぇ。」ま、どなたとあってもまずはここから始まる。黒っぽいセーターに同じようなズボン。普段着っぽいラフな感じ。(母親の助言をいれずによかったよ。)ニコニコ笑いながら話す様子はTVで見るとおりの人だ。

スタジオの中に通される。TVでよく拝見する女子アナの小島慶子さんはオレの隣。久米さんは机を挟んで向かいだ。様子はこんな感じ。
http://www.tbs.co.jp/radio/kume954/guest/index-j.html
(この中のバックナンバーから「菅野芳秀」をみてください。)

 対談はリラックスした雰囲気で続いた。話題を終始リードするのは久米さん。それに応えているうちにオレは気づいたね。この方はオレの3年前のブログの文章まで読んでいる。恐るべし久米宏。

あっという間の30分。終わって一人新宿にでた。そこで電話が鳴る。「何かあったのかい?あなたのブログへのアクセスが1,000を越えたよ。」友人からだ。「えーっ、まさか・・。」別な友人からも「ブログが・・交通事故にでもあったのかい?」
番組ではブログの話は一切しなかった。それでもこの数。尋常ではない。いつもの一日のアクセス数は30から40ぐらいなのだから。それが1000を越えているって!恐るべしラジオ。

家に帰ってきてパソコンを覗く。たくさんのメールが入っていた。
玉子がほしい。食べてみたい。どうしたら手にはいるのか。送ってほしい・・・という問い合わせの数々。すごいことになっている。どうすんべ。

息子が22歳で就農し、自然養鶏の羽数を少し増やしていた。その分の新しい売り先をどうするか、頭を悩ましていたときだったので、グットタイミングではあったのだけれど・・。

一パック送れ。四パック送れ・・・・。いただいたご注文は一様ではない。
近所の魚屋さんから色んな大きさのダンボールをもらってきた。他の農作業の合間をぬって、切ったり、貼ったり、加工したり、新聞紙をつめたり・・・20個、30個・・・と小荷物が出来上がっていく。

1月12日から22日ぐらいまでの10日間は嵐のような日々でした。恐るべしラジオの力。

「 早速昼に皆で生卵かけご飯をいただきました。“美味いッ”と中3の息子と女房、続いて高3の長女。
彼ら曰く、何でも『味の素や鰹節を入れないのに美味いんだよ』との事。
私も食べさせていただきまして率直な感想として今まで食べていた玉子の生臭さと何とも言えぬ食後の胃袋の重たさが感じられなくとにかくおいしいと感じました。」

「私のつれあいは朝の目玉焼きや夕餉のサラダのゆで卵などの黄身を私にくれて自分は白身を食すのです。
その連れ合い曰く
「このたまごならもう黄身をあなたにあげない。
私がいつも卵の黄身を食べられないわけは黄身が脂っぽくてドロッとして重たいからいやだったのです。
このたまごは黄身も白身もさらっとしてさわやかなのでまるで新しいたべもののようです。」
どうやら私と同じ印象だったようです。」(原文のまま)



寄せられたメールの一部です。ありがたいですね。ありがたいですよ。ほんとに。
他にもたくさんいただきました。なんか百姓やっていてよかったな。自然養鶏やっていてよかったよ。そんな気持ちにさせられましたぞ。

今日のブログはいつになく素直な感じでおわります。そうさせてください。
メールから転載させていただいた方には申し訳ありません。お許しください。

スタジオの写真は撮らなかったので、冬の鶏舎の中で野菜を食べるニワトリの様子にしました。



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新年明けましておめでとうございます。

元旦の朝、裏山の朝日連峰の裾野に分け入り、

今年も「山の神様」に初詣に行ってまいりました。

“いのちが朽ちて土となる”

土は生きた物達の膨大な蓄積。


終わったいのちたちはことごとく土となり養分となって、

新たないのちに活かされていきます。

いのちのめぐり、いのちの循環。

私が「山の神様」と呼んでいますのは、

この地域のいのちの母体である土と微生物たちのことです。


真っ白い森は、凛とした静寂の中にありました。


今年もよろしくお願いいたします。

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