ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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 今日で稲刈りが終わりますが、農繁期はまだ続きます。ブログはなかなか書けません。そこで、昨年ある雑誌に書いた文章をここに載せました。これなら他にもあります。2,3日後、また違った文章を載せますのでおいで下さい。えっ、この話は以前見たぞ、同じような文章はのっけているではないか・・・とか、いい分はおありでしょうが、ま、いいじゃないですか。


 我が家の農業経営は、水田2ヘクタールに畑が少々、それに自然養鶏900羽。山形県の朝日連峰の麓、純農村地帯の一隅で農業を営んでいる。80代の両親と50代の我が夫婦。そこに昨年4月、農業専門学校を終えた息子が帰ってきた。以来、今日まで、田んぼだ、畑だ、ニワトリだとよく働いている。

 「あんなに働いてくれて悪いなぁ、もごさいなぁ(かわいそうだなぁの意)。家のためなら、うんといいけど・・。でも、よろこべないなぁ。気の毒なような、かわいそうなような・・。こんなことさせていていいものか?このまま歳とらせていいものかといつも思っているよ。」

 息子が出かけた夜に、88歳の母親はため息まじりに話す。

「家の犠牲になっているのではあるまいか。本当に百姓すきならいいけど、でもそうでなければさせられない。もごさくてよぉ、あの子のこと・・・。」

 現在の日本農民の平均年齢は60代後半。我が村の農家の平均年齢も67歳。昼間は田畑にほとんど若い人の姿は見当たらない。
お米は20年前と比べ、一俵(60kg)あたり、1万円も安い。それに3割を超える減反があり、野菜は洪水のごとく海外から押し寄せ・・と、まぁ、こんな按配だ。若い人はとても就農できない。

 百姓仲間の造語に、「とき(時)が来る。トキになる。」という言葉がある。時代は生命系の回復に向かい、農業の価値がみなおされようとしているとは言うのだが、その到来をまえに、われわれ百姓は「佐渡が島のトキ」になっちまうよ、という意味なのだけれど、実感だ。
  
 日本に農業はいらないのかい?日本の穀物自給率はたったの27%。世界でも最低ラインに近い。「飢餓の国・北朝鮮」とはいうけれど、それだって穀物自給率は日本の倍の53%だ。日本の食糧事情はすでに破綻している。輸入によって事実が隠されているにすぎない。

「もうすこし、あの子も世の中見えるようになれば、まだ歳若いから、大丈夫だから・・、何して生きていくか考えんなねごで。」

 88年間、いろんなものを見てきた母が、農業では幸せにはなれない、離れたらいいと話す言葉には説得力がある。でも、息子は充分そのことを知った上で、農業をやろうと帰ってきた。その気持ちが続く限り、それを支えてあげなければと思う。
 


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 栄作さんは現役の米作り農民だ。120aほどを耕作している。いつも早朝から田んぼや畑に出ている働き者で、仕事の終りはきまって午後の3時。あとはウイスキーで一杯始めるのが毎日の楽しみとなっている。

 その栄作さん、70代のはじめのころから「80歳までは現役だべ」と、口癖のようにいっていた。そしてそのとおり、めでたく現役のまま80歳となった。
今年は誰よりも早く稲刈りを始めている。冷やかしにいった私に、栄作さんはコンバインのエンジンを止めて話しかけてきた。

「来年から俺の田んぼ、作ってくんないか。」

 息子夫婦は勤めていて農業はやっていない。水田は彼一人の仕事となっていた。以前から、引退の時が来たら田んぼを頼むと言われていた。だけど、栄作さんの姿が見えない田んぼはどこか寂しい。

「来年もできるところまでやってみたら。途中で無理だと思えたら、オレが引き継いでやるからよ。」

 それでいいなら・・・実はやってみたい気もまだあるんだ・・と、酒焼けした頬をゆるめ、ほっとした表情でタバコに火をつけた。来年も大丈夫だ。まだまだいける。なんせ、この世代は本当に筋金入りなのだから。

 我が村は山形県の中でも屈指の穀倉地帯、置賜盆地の中にある。村の農家の平均年齢は67歳。80代の農家は他にもいるし、70代は中心世代だ。
昨年産米のJAへの売り渡し価格は60kgあたりおよそ12,000円。20年前の半分の価格。農水省東北農政局の発表した生産原価は15,052円というのだから、それよりも3,000円も安い。これでは作らないほうがむしろ生活費の節約になる。実際、栄作さんの息子は「俺たちの給料をつぎ込んで、オヤジは米つくりをやっている。」とぼやいていたっけ。ある新聞に稲作農家の時給が179円にしかならないと書いてあった。法で定めた最低賃金の1/4にしかならないという。ここまでくれば水田規模の大小ではないね。この国では米作りそのものが不可能だということでしょう。

「米作りの何がおもしろいかって?田んぼに出ているのが好きなんだよ。眺めているのがいいんだ。銭金じゃないんだ。小さい頃から親しんきた田んぼだべぇ。ここで育ったのだもの、ここで終りたいよ。」

 これはきっと栄作さんだけの気持ちではあるまい。平均年齢67歳。村の農家の気持ちもそこにある。そして年寄りたちのこんな気持ちが日本の米作りをぎりぎりのところで支えている。でも、それももうじき終りだろう。

 この現実を、たぶん知りながら、更に安い米価を農民にせまり、減反を強いてきたこの国の指導者と役人たち。そんな中での汚染米の「米ころがし」。情けない。日本が壊れていく様を目の当たりにしている思いだ。

 まだ3時には早かったが、仕事を切り上げた栄作さんの家に私も転がり込んで、ウイスキーのふたをあけた。

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 ウラの田んぼにいます・・・。

 ただいま稲刈り中。大型コンバインには息子と妻が交互に乗り、ぼくは腰の療養中なので補助労働。刈り取った籾をトラックで運び、乾燥機に入れる仕事だ。これなら楽にできる。

 朝日連峰の山々は青く、柿は色づき、田んぼは黄金色。いい秋だ。村人たちはこぞって田んぼに出かけ、村は久しぶりに活気付いている。

 お米は信じられないぐらい安いけど、刈りいれ時の村の活気には関係ない。
お米にまつわるアレヤコレヤについての言いたいことは山ほどある。だけどな、まずは、刈入れを済ませてからだべ。

 だから・・・ブログはしばらく休み。

・・・ウラの田んぼにいます・・・・。
 
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 2008年産のお米のご紹介です。

 我が家のお米は 朝日連峰直下の土と水と太陽の結晶。いのちたちのつながり。そのパッケージ。カキッと割って耳元に持っていってください。水田を渡る風の音、にぎやかな鳥や虫たちの声が聞こえるかもしれません。

 
今年は例年になく、いい稔りをむかえました。
いままで我が家のお米を食べていて、いつもうまいとお思いの方は
更においしいと思われるはずです。
なんだ、この程度かとがっかりされていた方は、今年の米は違うぞと思われるはずです。

1、品種;「ひとめぼれ」と、もち米の「黄金(こがね)もち」

2、肥料;堆肥主体です。「自然養鶏」の鶏糞とレインボープラン堆肥の二     種類。この二つの堆肥が米の味を引き上げています。
 
3、農薬(殺菌・殺虫剤);田植え時点で一回だけ施しました。それだけで    す。山形県では「特別栽培米」(減農薬米)作りを奨励しています    が、我が家が投入した農薬の量はその基準の更に1/ 3以下。

4、価格;価格は白米,七分、もち米ともに10kgあたり5,000円(送    料別)で、昨年と同じです。玄米はその料金で10%増しとなってい    ます。(もち米の3kgは別価格。)

5、保管と発送;お米はモミのまま涼しいところで保管します。毎月10日が    到着日。風味が損なわれないよう発送直前に精米しお届けしていま     す。

6、ご注文;メール(narube-tane@silk.ocn.ne.jp)かFAX(0238-84ー
     3196)でお受けいたします。各月、一年分の予約が可能です。

7、お支払い;郵便局の振込み用紙を同封いたします。

9、締め切り;120a分の予定収量に達し次第、締め切りといたします。数    に限りがありますので、お早めにお申し込み下さい。

<百姓・菅野芳秀の一言>
 たんぼ一枚一枚に個性があります。一枚の田んぼの中でさえも一様ではありません。当然その土にあわせてお米の味が違ってきます。あなたに届いたおこめがあなたのご期待に添える味であった場合はラッキーと思ってください。少し違うぞというときは次回があるさと思い直してください。ゆめゆめ、「菅野の米はおいしくはない」などという不幸な結論には到達なさりませぬように。


                      

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 白鷹町に草木塔を見に行ってきた。それは森のそばの農家の庭先にあった。高さは約60cmぐらいか。自然石に「草木塔」と刻まれている。うかがえば江戸の後期、米沢藩から森林の管理と木材の切り出しをおおせつかった先祖が建てたものだという。

 亡くなるとき「たくさんの草や木のいのちを奪ってきた。供養と鎮魂の碑を建ててほしい。」と願っていったという。塔はその子孫が建立した。今、森の切り出しはやっていない。だけど毎年、お供え物を添えてその碑を祀り続けてきた。

 当時の人たちにとって森の木々にいのちを感じながら、それらを伐採し続けた日々はきっと気持ちのいいものではなかったに違いない。寝覚めだって悪かっただろう。「亡くなるときには、草木の化け物が・・・というようなこともいっていたそうだ」と守ってきたその子孫の人が話してくれた。分かるような気がする。

 オレですら庭の木を伐採しなければならなくなったときには、やっぱり手を合わせてから作業に入るもの。そういえば娘が小学生のころ、道路拡張で庭の桜の木が切り倒される前日、B5の用紙に「追悼」と書いて泣きながら手を合わせていたっけ。こんな気持ちの有りようは珍しいことではない。植物と一緒に暮らす田舎では生まれやすい感情だろう。

 さて、話は変わるが、今年の春の田んぼ。本来緑であるべき畦の草が除草剤によって赤く枯れあがり、緑の中の赤い帯が縦に横に伸びていた。そんな畦は、我が家の前に広がる水田のおよそ1/3ほどになっていただろうか。草は畦を雨や陽射しから守っている。このことは誰よりも当の農民がよく知っている。だが、忍び寄る高齢化か、日々の忙しさか、おそらくその両方なのかもしれない。痛々しい風景だった。

 そこには草への感謝がない。謝罪がない。崩壊しつつある日本の農業。その再生には「草木塔」の心は不可欠だと思えるのだが・・・。こんなことをしていたら本当に草や木の魂が化けて出るかもしれない。
 

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突然ですが、だいぶ前に書きためていた文章を掲載させてください。
今は玉子価格の改定ともうじきとれるお米の注文取りの準備で忙しいのです。話題は自然養鶏を始めた頃のこと。玉子を売り歩く話です。
<その1(07,2,12)>の続きだけど、忘れたべね。覚えてはいないべな。バックナンバーは時間があったら是非お読みください。

農民がモノを売る。JAなどには頼まずに、直に消費者に売る。むいている人ならば苦にならないだろうけど、オレのように口下手で恥ずかしがり屋は、ダメだね。
 さて、ようやく産み出した玉子を持って、一軒一軒まわって歩く。この一端は前に書いた。大いに恥ずかしい。こんな気持ちは初めてだ。友人の果物売りを手伝ったことがあったがその時はもっと気楽だった。同じように各戸をまわっても、気分のあり方はまったく違う。「売ってやる」と「買っていただく」ぐらいの違いといえばわかってもらえるだろうか?他人のものを売るのとは違って、自分のものを売るときには、もっと切羽詰った気分なのだ。断られたときには、どこか自分の人格が受け入れられなかったような、否定されたような、そんな気分になり、落ち込んでしまう。身体はでかいけれど、気が弱いねぇ、オレ。

 5軒まわって1軒ぐらいの確率で話を聞いてくれ、その1軒が5軒ぐらい集まってようやく玉子をとってくれそうな1軒と出会う。そんな感じだった。
このペースならば玉子があふれてしまう。それはそれでやりながら、次に考えたのが女性団体の代表者のお宅を訪問し、集まりの場で玉子の紹介をさせていただくようお願いすることだった。まず、代表に電話をかけることから始まる。

「あのう・・、市内でニワトリを飼っている菅野と申します。一度お宅にお伺いし、玉子の説明を・・・いや、あの、電話セールスしているわけではなくて・・」

 出だしはこんな感じ。集まりの場で話させてもらうまでが一苦労。なかなか、はいとはいってくれない。話すところまで持ち込めれば上出来だが、当然のことながら、話せたからといって、うまくいくわけではない。全然反応がなく、見かねた代表が「とって見たい方はいますか?」とうながしてもだーれも手をあげず、逃げるように帰ってきたこともあった。こんなときにはみじめで、笑われているようで・・。なかなか「さぁ、次がんばろう。」というわけにはいかなかったよなぁ。

 そんなことを繰り返しながら、玉子をとってみようという方が一軒、10軒・・・と増えていく。食べてくれる方が20軒ぐらいになると今度は口コミの効果が出てきて、私がまわらずとも、食べてくれるお客さんがどんどん宣伝してくれるようになっていったんだ。ここまで来ればしめたものだね。品物は自然卵。いいモノなんだからさ。

 わずか3万1千の人口,9,000世帯の長井市で、200軒以上の方に、毎週、毎週玉子を配り続けている。もう30年ぐらいになったかな。やめた方はほとんどいない。こうなるともう、配達先とは親戚づきあいも同然ですよ。

 当時、オレの目指す農業を自分では「地域社会農業」といっていた。はなっから都会を相手にしない農業ということだけど、気負っていましたよ。地域社会農業の集合体をもって日本農業とするならば、日本は変わる、おれはその一端を担っていくのだ・・・と。ニワトリの玉子からそこまで発想してしまうおれって・・・なんだろうね。「地産地消」という言葉が出てきたのは、そのずっと後、そう15年はたっていたかな。時代の先を行っていたんですよね。だからどうしたって訳じゃないけどさ。

 今は、地域の需要を満たした上で、地域外にも出荷している。食べてみたい方は右の「お米や玉子のほしい方のために」を参照していただきたい。

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今日はご先祖様がお帰りになる日。盆の15日だ。
ダンゴを作って、送り火焚いてご先祖さまをお墓に送っていく。あっという間の三日間だった。それでもお盆の間は、こんな俺でも何かしら先祖を意識しながら過ごす特別の日だ。はたから見たら、接客がてら昼間から酒だ、ビールだと大騒ぎし、メタボの腹つき出して,だらしなく過ごしているように見えるだろうが、おさえどころはちゃんとおさえているよ。

 「霊」とか「魂」などについては詳しくはないが、故人となった方々に思いをはせ、感謝の気持ちを新たにする。そんな機会はお盆やお彼岸や法事、それに日常生活のなかにもたくさんあって、村人は昔から手を合わせる機会を多く持ちながら暮らしてきた。でも、ここで紹介したいのは同じように霊や魂への感謝なのだけど、相手は人間のそれではない。牛や馬などの家畜でもない。草や木や土だ。

 これらの魂をなぐさめ、感謝する碑が山形県の南部、置賜地方に60基ほど分布している。「草木塔」と呼ばれているもので1mほどの自然石に「草木塔」または「草木供養塔」という文字が刻まれている。だいたいが江戸の中期に建立されたもの。碑の一部には「草木国土悉皆成仏」というお経の1節が刻まれていることから、建立の趣旨がうかがえる。草木はもちろんのこと土にいたるまで、皆、悉(ことごとく)成仏できるということだが、先人の自然観、生きることへの謙虚さ、心根の豊かさが感じられておもしろい。えらいもんだ。

 俺たちだけでなく、草も木もみんな等しく土の化身。土からいのちの糧をいただいて生きている。その点では平等だ。俺たちには草や木や土の喜びや悲しみは分からないが、生まれたからには、やはり、天寿を全うしたいはず。それなのに生きるためとはいえ、草木を倒さなければならない。刈らなければならない。焼かなければならない。本当に申し訳ないことだという謝罪と感謝の思いがその碑のなかに込められている。

 山形県置賜地方には、高畠町有機農業研究会を筆頭に早くから自然と共生する農業が芽生え、俺たちの町にはレインボープランという、街中の生ゴミを土に戻すことで、森の循環の営みを人々の暮らしの中に取り戻そうという取組みが行なわれている。
これらの根っこにはこの地方に伝承されている、遠い祖先からの「草木塔」の思想があるのではないかと思っている。・・・合掌。

 写真は朝日連峰を背にした我が家の遠景。前は鶏舎。ダブルクリックで拡大できます。


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 800haの田んぼを前に立小便をする。

 放出しながら、広大な緑の風景を見わたす。横たわる朝日連峰を眺める。田んぼを渡る風は緑の穂波をつくって流れゆき、幾分薄くなってきた髪がさわやかに揺れる。稲の花は咲いたばかりだ。ほのかに稲の香りが漂ってくる。心地いいことこの上ない。

 山での、畑での、野原での、もちろん便所での・・・いろんな放尿があるけれど、やっぱり田んぼのこれが一番いい。タヌキやカモシカなどと一緒。いのちが満ちる母なる大地を通して食と排泄の滑らかな循環がめぐっている。でも、こんな理屈いらないね。理屈抜きで大好きだ。

 かつて娘が小学生のころ、「お父さん、外でおしっこしないでね。今日、学校で先生が、西根は遅れている。立小便している人がいるからっていってた。恥ずかしかったよ。」
 西根というのは娘の通う学区で長井市のなかでも農村部だ。もちろん誇りある俺たちの村。そばにいた妻も「そうだ、そうだ」という。

 な、な、なにおぉぉ!オレのおしっこ、誰かに迷惑をかけたか?ここは都会のアスファルトの上じゃない。田畑に吸い込まれ、土の養分となって草や作物に活かされていくだけじゃないか。

 お前達だって立ち小便すればいいんだ。オレが子どものころには、ばあちゃん達はみんなやってたぞ。女の立ち小便はガキの俺達から見たってなんの違和感もなかった。普通の光景だった。

 あのな、この際だからいうけどな。お前達の自覚の無さゆえ、あるいは都会の文化に無批判に迎合する浅薄さゆえ、今まさに大事なものが消え失せようとしているんだ。なにをかって?女たちの立小便にかかわる文化だ。方法や作法だ。あのな、それは、はるか縄文の大昔から、ついこの間まで、母から娘に、娘から孫へと、ずうーっと受け継がれて来たはずだ。腰の曲げ方、尻の突き出し方、両足の広げぐあい、隠し方など・・・。その歴史的文化が、まさにいま、ここで潰えようとしている。いまやそれを知る人は80代以上の女性、それもほとんど田舎の女性のみとなっている。やがて彼女らがいなくなったら、知っている人は日本列島から完全に消えてしまうだろう。どのようにその文化を伝承していけばいいのか。それを考えたら夜も眠れない。

 オレは男だからしょうがないけれど、お前達のなかに、我こそは・・・という志をもった人間はいないのか!その復権を!という人間はいないのか! 循環の時代だというのに!

 話の途中から、妻娘はいなくなっていたが、まぁ、失ったものの大きさに、あとで 後悔するだろうさ。残念だが、せめて銅像でもたてて、その最中の姿、形を後世に残したいものだと思っているのだが、どうだべね。間違っているべか?おれ。

写真は花が咲いた稲穂・・ダブルクリックで大型化します。

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 いま、田んぼには誰もいない。オレが農業に就いた30年ほど前は、今頃の昼でも田んぼのあっちこっちに農民の姿を見ることができた。それがやがて朝晩だけとなり、いまはそれすら珍しくなっている。

 じゃ、農民はどこで何をしてるんだい。怠けてるんじゃないのか?日本中の人たちが、食糧問題で困惑しているのに、肝心の日本の百姓がこれじゃ困るじゃないか!百姓はどこにいったんだぁ!

 我が村の農民の平均年齢は67歳。昼は・・・孫の子守とか・・・。でもね、勘所を押さえて、田んぼが荒れないようにはしてるんですよ。だけど、なんせ67歳だからさ。

 オレがたまたま田んぼに出ているとき、その側を観光バスが通って行ったことがある。バスはスピードを緩め、中の客のほとんどがこちらをむいていた。ガイドさんがオレに手を振っている。なんだろう?知ってる人じゃないのに。オレも手を振り返してやった。バスはそのまま通り過ぎていったのだが・・・そこからオレはバスの中でのこんな情景を思い浮かべた。

「みなさま、右手をご覧下さい。あれが百姓でございます。日本の原風景を訪ねる旅、ようやく田んぼのなかでのどかに草をとっている百姓を見つけることができました。最近では彼らを見かけることがとんと少なくなっていました。よかったですね。しかも昼間にですよ。やっぱり田んぼには百姓ですねぇ。風情がありますよ。あっ、手を振っていますよ。みなさんもどうぞお愛想してください。」

 ま、こんなとこだろうな。でね、オレはさ。も少しサービスしてやろうと思ってな、その後はなるべく汚い手ぬぐいでホッカムリしてよぉ。腰まげてぇ、鼻垂らしてぇ、手を振ってやろうかとおもってんだよ。彼らのなかの原風景にこたえてやろうかと思ってな。喜ぶだろうなぁと。でも、もう来なかったけどね。エッ作り話だって?ホントの話だよ。ホント、ホント!

(写真は穂が出始めた田んぼ)

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夏の暑さと植物の緑は良く似合う。いのちの勢いを感じるね。田んぼは今、穂が出る直前。見わたす限りむせかえるような緑だ。その只中に立っていると、身も心も全身緑で染め上げられてしまいそうな感じがする。うん、そうそう、以前、田んぼの中にポツンポツンとある柳の木を見ていて、あれはもと人間だったのかもしれないと思ったことがあった。ぼーっと立っているうちに緑に染め上げられて木になってしまったのだと。

我が家の放し飼いのニワトリたちは植物ほどの元気はない。暑さが辛いらしく、いつもは鶏舎の扉が開くと一斉に外に出るのだが、陽射しの強い日中は出ようとしない。出ても直射日光を避け、いつまでも木陰の下でたたずんでいる。この時期は食欲も落ち、水をよく飲む。どうも羽毛のマントを着ている彼らにとって、夏よりも冬の方が過ごしやすいようだ。見ているだけでも暑苦しい。

でも、このしょっぱいような盛夏の中に秋の前触れを感じることができる。夜、ホタルの頃までは確かに聞こえていた蛙の声がいつしか聞こえなくなり、代わりに虫達が鳴いている。栗のイガが大きくなってきた。そして田んぼの稲は穂をはらんで太くなってきている。もうじき穂がでる。あと40日余で稲刈りだ。稲の健康度合いを、姿や緑の濃淡などで大雑把に判断できるが、堆肥がほどよく効いているのだろう、今年のできはいい。暑苦しい季節の中、オレの気持ちの中にも秋への心構えが始まっているよ。それがどうしたのって聞かれたら・・・それだけなんだけどね。

(写真はイガ。ダブルクリックしてみるとよりはっきり見えますよ。)


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いのちあるものすべては土を食べて生きている。いってみたらみんな土の化身だ。
どのような作物も植えつけられた土から必要な養分を吸収し成育する。作物ひとつ一つが土の化身だ。たとえば私達はカボチャを食べる。カボチャを食べながら、その味と香りにのせてその地の土を食べているといってもいい。全ての作物にも同じことがいえて、だから私達も土の産物、土の転移、土の化身だ。
もしその土が汚れた土ならば作物も汚れ、食べる私達も汚れていく。もしその土が疲弊した土ならば作物のもつ生命力は弱く、それを食べる私達の生命力、免疫力も弱いものとならざるを得ない。土の健康は即、人間の健康に反映すると思っている。だからこそ、食べられる土を作ろう、きれいな土を守ろうと呼びかけ、実践もしてきた。
まわりくどい言い方をしているが、ここ30年ほど醗酵ケイフン主体の堆肥を施してきた。それに加えて、10年ほどはレインボープラン堆肥も撒いている。化学肥料は必要最小限か、まったくやらないできた。それというのも上のように、田畑のいい土は堆肥によってしか作れないと思うからだ。
春、2・6haの田んぼの全てに二種類の堆肥を撒く。これは土にこだわる百姓としては当然のことだ。だが、正直にいえばこれがきつい。前にも書いたと思うがそれを実現するのは口で言うほど簡単ではない。
30年が経過して・・・腰を痛めてしまった。おかげで土は問題なく健康だと思える。周りが冷害のときも、そうでないときも「よしひでの田んぼは堆肥が入っているから、いい田んぼだ。」という評価をもらい続けているのだから。でも肝心の私が腰を壊してしまった。健康な土と食を求めて、不健康になってしまった。なんでも物事はするするとは行かないものだが、この現実を前にどうしようかと考えている。

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 我が家の前には、およそ800haの水田が広がっている。一面むせ返るような緑。
 田んぼは今、苗から稲になろうとしている。体の中に子どもを宿しているのだ。稲の出穂(しゅっすい)は人間の出産にあたるのかもしれない。出穂は穂が顔をだすことをいう。その時期は品種によって違うが、我が家の「ひとめぼれ」で言えば、今は出穂の15日前ぐらいだ。たぶん、茎のなかで穂は1cmぐらいにはなっているだろう。濃緑の田んぼのなかで静かに進行する苗から稲への移行。どこか神秘的だ。

 この時期、夜になると「ピカピカッ」「パパパパッ」と稲妻が走る。実際は昼にも同じようにあるのかも知れないが、見えない。雷の音はしない。稲光だけだ。稲妻は昔、「稲夫(いなづま)」と書いたらしい。それがいつしか稲妻となった。稲光、稲妻が男で、田んぼは女。男と女の壮大な和合。稔りの舞台、いのちの舞台。昔の人はスケールの大きな発想をしたもんだ。

 夕方、ゴザとお酒をもって田んぼに出かける。800haのまんなかあたりに敷く。田面を渡る風が心地よい。オレの上には広々とした見わたすかぎりの空。西に朝日連峰が連なっている。雄大な山々。日が傾き、今にも山に入らんとしている。暮れ行く太陽に「人生」を重ねるもよし、逃げていく「希望」を重ねるもよし・・・。そういえば昔、「夕日にむかって叫べ」だったか「夕日にむかって走れ」だったか・・・そんな文句があったなぁ。どんな意味だったのだろう。

 茶碗に酒をそそぎ、口に含みながら、ただ黙って夕日の暮れ行く様を眺めている。静かに時が流れていく。やがて山ひだが消え、ほのかに明るい空と群青色一色になった山々が影絵のように浮かび上がってくる。そのころになれば、空のあちこちに星が姿を見せ始める。ときおり稲妻が走る。そしてオレは・・・まだ一人で静かに酒を飲んでいるのだ。

 くたびれているかい?だったら来いよ。田んぼとゴザは提供するよ。
都合がよければオレも一緒にやんべぇ。

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