ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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 幼鶏がやられたその翌日、朝5時ごろ(19日)、鶏舎の方を見ると、ニワトリ達が外に出ているではないか。
どうしたんだろうと思って、近付いてみたら・・・
「あっ!」
思わず身体が凍ってしまった。
大人のニワトリ達の死体があっちにもこっちにも広がっている。
その数、全部で15羽。

キツネだ。
でも今回は金網ではなく、ドアが開いていた。
昨晩、閉め忘れたのだ。
オレのミスだ。

薄暗くなって田んぼから帰ってきた。
まだ数羽のニワトリ達が外に出ていたので、
息子も疲れているだろうからやってあげようと、係りは違うが、鶏舎に誘い込んで戸締りをしたつもりでいた。
だけど、もう一部屋のニワトリ達も一緒に出ていたのだ。それに気づかずに、一部屋だけの戸締りをして、
「戸締りはしておいたよ。」
そう息子に声をかけ、家に入った。

普通ならば考えられないミスだった。
疲れていたのだろう。
その結果、多くのニワトリ達を犠牲にしてしまった。
身体の疲れに、またドカッと重石が加わったように思えた。

それにしてもキツネめ!

息子は、捕まえたらぶったたいて埋めてしまうといっている。
「お父さんはきっと逃がしてしまう。でも、今回は絶対に許さない。」

無理もない。
幼鶏のときから自分で育ててきたのだから。
これで犠牲は45羽になる。
「ゴンギツネの例もあるでないか。秋になればキノコなどを持って・・・」
一瞬、疲れた頭に浮かんだこの言葉。
とても口に出せる雰囲気ではなかった。

トラバサミをかけよう。
前回もこれで捕まえた。
奴らは、鶏の死骸を埋めたところにやってきて、それを掘り返しては食べていく。そこに罠をかけて捕まえるのだ。

それとは別に、田植え手伝いに来てくれていた清蔵さんが、生け捕りにしようといって、箱方のもので、入れば戸が閉まってしまう仕組みの罠を持ってきてくれた。

ようし、これで捕まえる。

(写真は、朝5時の現場。ダブルクリックで見てください。)



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田植えが始まって2日めの18日、
キツネが来た。
まだ産まれて60日ほどの幼鶏が30羽ほどやられた。
こんなことはタヌキはしない。
タヌキは自分の食べるものを、その範囲で持っていくだけだ。
でもキツネは違う。
いっぺんに10羽でも20羽でも殺し、あたりに鶏の死骸を
転ばして行く。(バックナンバー参照)
鶏舎の金網を破って入った。これもキツネの特徴だ。
タヌキは穴を掘って入っていく。どこかこっそりしている。
それに比べてキツネはどうどうとしたものだ。
正面からドアを蹴破って入ってきて、機関銃をぶっ放す・・・
こんな感じだ。
破られた金網を補給し、田んぼに向かう。

必ず捕まえてやる。

写真は穴をあけられた金網を補強したあと。

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もうじき田植えです。
息子はニワトリ関係、私は主に田んぼ関係と分担をしながら
ここまできました。

田んぼでのケイフン散布、レインボープラン堆肥散布、耕運、代掻き・・・
一方で鶏舎の止まり木の撤去、ケイフンの耕運、田んぼへの運搬、その後の止まり木の取り付け・・これをくり返し、
また他方で苗の生育管理と500羽のヒナの準備と導入、玉子の配達、発送、集金・・・。

ま、口笛吹きながらやってきましたよ。
田植えが終わったなら、温泉に行こうっと。

昨日、突然、札幌からお客様でした。
ラジオ深夜便で菅野さんを知り、ずっとファンでした・・・と。
ご夫妻で。

「想像どおりのところですね。風景がきれいです。」
「これが話されていたニワトリさんですか。幸せそうですね。」

突然でしたので、、また、農繁期でもあり
30分ほどしかお相手できませんでした。
ごめん!田植えすぎにまたゆっくりとおいで下さい。

というわけでさ、
ブログはね、しばらくはこんな感じの文章しかかけません。

空が明るくなり、小鳥が鳴きだしました。
玉子の配達に行ってきます。

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いまは朝の4時半。まだ薄暗い。
今日もタヌキに起こされた。
ヤッコサンは朝の4時にやってきて
鶏舎の周りをはいかいする。

すると1,000羽のニワトリが驚き、一斉に騒ぎ出すんだ。
寝てなんからんないよなぁ!
すごい騒ぎになるんだからよぉ。
今日で4日続けてだぁ・・・。
近所に申し訳ないし、眠たいし・・。
こんど捕まえたら、絶対にタヌキ汁にして食ってやる。
まずい、うまいは関係ない。
自然界の生き物通しだ。
奴も必死かもしれないけれどこっちだって必死なんだから。

もしかしたらお前がねぐらに帰れば
「とぉちゃん、腹へったよぉ!なんか獲ってきてぇ。」
と騒ぐ子ども達がいて、更にその上に「あんた、行くしかないよ。あぶないって?バカいうんじゃないよ。
私たちの危険は産まれた時からだよ。ぐずぐず言わんと
ニワトリ捕まえておいで!」
と尻を叩く女房がいるのかもしれない。

うん、お前のつらさも分からないではない。
けど、だからといって、じゃ一羽やるかって言うわけにはいかないぞ。
来れば俺だって棒もって駆けつけなければならない。

来るなよ。
よその家の猫かねずみでも襲っていろ。
どうしても来たいなら
せめて一週間に2度以内にしてくれ。
毎日ではオレも大変だぁ。

あぁあ、今日も寝不足だ。

堆肥散布と耕運はおわった。
今日は水田に水を入れる。
代掻きの準備だ。
いよいよ田植えも近い。

それにしてもタヌキめ!


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 田植えが始まり、水田は久しぶりに活気づいている。

 ここ数年、田植えと同時に化学肥料を根元に落とす便利な機械が広まり、田植えまでの作業がいっそう短くなった。田んぼに堆肥を撒いている私の作業が、どうしても遅れてしまう。

「まだかぁ、いつごろ耕運できる?」

 隣の田んぼの持ち主が、自分の田んぼに水を引き入れれば私の田にも浸透し、耕運しにくくなることを気づかい、声をかけてくれた。

「申し訳ないなぁ。もう少しまってけろ。」

 せっかくの春なのだから、畦の野花をながめ、残雪と新緑の朝日連峰の風景を楽しみながら、のんびりと作業をすすめたいのだが、周囲のペースがそれを許さない。腰の痛みに耐え二種類の堆肥を撒き続ける。レインボープラン堆肥と醗酵ケイフン。実際のところ、この作業が終われば、米作り作業の半分がかたづいたような気分になる。つらい仕事だ。

 それでもなお、私が堆肥にこだわるのは、私たちは「土を食べている」と思うからだ。土など食べたことないという人もいるだろうが、みんな食べている。

米に限らず、すべての作物は、土のなかのいいものも悪いものも区別せずに吸収し、その茎、葉、実にたくわえる。だから私たちは作物を食べながら、その作物を通して、土を食べているというわけだ。

スーパーに行けば、海の向こうの農作物がたくさん並んでいる。私たちはそれらを食べながら、中国の、アメリカの、あるいは他のたくさんの国々の土を食べている。はたしてその土は安全か?食べるに足る土なのか?はなはだこころもとない。

“食は土からはじめよう”、“土は命の源”。堆肥散布は土を守る基本だ。はずせない。

田植え作業までもうすぐだ。たんぼに漂うほのかな堆肥の臭いがうれしい。





春は山菜の季節。
採りに言っている時間はないが
近所の方からさまざまな種類の山菜をいただく。
山菜特有の風味がたまらない。
微妙な苦さ、香り、味・・・
なんと言ったらいいのか・・・
野菜にはないおいしさだ。
山菜を食べながら、朝日連峰の大自然を思う。
おいしさがまた一段と広がる。

若い頃はこのおいしさが分からなかった。
濃厚な味がよかった。
最近ですね、野菜を含め、微妙な味を楽しめるようになったのは。

日本人一人当たりの食品添加物の摂取量は年間4kg。一日に11g。塩分は一日に10g以下と呼びかけられているのに添加物は11gだ。すごいねぇ。ハンパじゃない。身体にも有機農業を!
でもこれが入るとおいしいんだよな。

以前、90歳の母親に、昔食べた「カレーライス」を作ってもらったことがあった。
小麦粉、カレー粉・・・肉じゃなくて、鯨の白身の部分が入っていた。そしてたくさんの野菜。
このカレーは、はなたれ小僧のころのご馳走だった。
懐かしい香り、色・・・。
これを再現してもらって食べてみた。まずかった。あまりにもあっさりしていて、コクになれた今の舌にはうまさを感じられなかった。
「これがあのときのカレーか?」
「そうだよ。これをお前達はおいしい、おいしいと食べていたんだ。」
すっかり添加物のうまさに慣れている。

うまさは添加物から。
特に若い人達にとってはそうなのかもしれない。
うまい、うまいと食べているうちに・・ガンになって・・か。

添加物世代が山菜の微妙な味、食べ物本来の味を楽しめるようになるには
どのような行程を経ていけばいいのだろうか。

自然養鶏の玉子は「あっさり」系。
最近のゲージ飼いのタマゴは濃いミルキーな味だ。
消費者好みの味付けで、クスリや添加物漬けを覆い隠す。
食べ比べてみたらきっと・・特に若い人にとってはゲージ飼いのタマゴの方がおいしいとなるのだろうか。
自然養鶏の玉子。その微妙な味ではなく、1個58円の高さだけが印象に残るようではちょっとつらい。

単純なオレには「まずは頭で喰ってもらおう。」ぐらいしか思い浮かばないが、他に何があるだろう。


今日はこれから田んぼにケイフン振りだ。
むちゃくちゃ忙しくなってきた。






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しかし、寒いですねぇ。
冷たい春ですよ。
いっとき、暖かくなって、半袖で充分かなというやわらかいお天気を
経験したあとのこの寒さ。こたえますね。
冬に比べたらずっと暖かいはずなのにそうは感じません。

一度貧乏から自由になって、少しの余裕を楽しめるようになった後の
貧乏再びというのも同じようにこたえるだろうなぁ。
オレの場合はずっと貧乏だったから、どおっていうことはありませんがね。

この寒さ、いつまで続くのだろうか?
「どんなもんだ、この低温。夏は大丈夫かなぁ」
近所の優さんが先ほどお茶のみにきて話していった。
百姓は、寒いにつけ暖かいにつけ、田んぼや畑のできに関連付けて受け止める。

種まきが終わって、芽がでてきた。
田んぼには二種類の堆肥を撒くが、レインボープラン堆肥は振り終わった。
後はケイフンだ。今年はケイフン散布用の機械を共同で買った。
うまくいくかどうか。

5月7日には300羽ほどのヒナがくる。
いよいよ忙しくなるなぁ。

・・・ということでまとまった文章は書けないでいます。
忙しさにひと段落着くまでは、こちらの様子を知らせる
短い記事となります。どなた様も、もう少し、おまち下さい。





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 下の文章は、このブログに「種もみの消毒」として一度掲載したものです。
「温湯法」は増えていますが、まだまだ薬剤が幅をきかせており
問題は深刻です。ぜひ、ご一読ください。


春になった。

春になると米作農家は種モミの準備にはいる。まず始めは塩水に浸して、沈むモミと浮き上がるモミを選別する「塩水選」。私たちの地方ではこの作業を「しおどり」と呼んでいる。実の充実した種を選ぶ大切な作業だ。

その後引き続いて、種モミの消毒をおこなう。種モミに付着しているいもち病、バカ苗病などの、もろもろの病原体を取り除くためだ。私はこれを「温湯法」でおこなっている。

「温湯法」とは60度のお湯に種モミを5分間浸け込み、その後冷水で冷やすという方法だ。それまでの私は農薬を使ってこの消毒をおこなっていた。でも、ある出来事をきっかけに今の方法に変えた。15年ほど前のことだ。

「チョット来てみてくれ。大変なことになった。池の鯉がみんな死んでしまったよ。」緊張した表情で訪ねてきたのは近所で同じ米づくりをしている優さんだった。急いで行ってみると池の鯉がすべて白い腹を上にして浮いていた。その数、およそ60匹。上流から種モミ消毒の廃液が流されてきたらしい。川の流れは細く、水に薄められることなく池にはいってきたのだろうと優さんはいっていた。

種モミは農薬のはいった水に浸けられ、殺菌処理されるが、問題はその後の廃液の処理だ。河川に流せば水生生物に被害をあたえる。下流では飲み水として活用する地域もある。流せない。

農協は、河川に流さず、畑に穴を掘り、そこに捨てるようにと呼びかけていた。でも、畑に捨てたとしても土が汚染するだろうし、地下水だって汚れないともかぎらない。どうしようか。種モミの殺菌効果は完璧だが、毎年おとずれる廃液処理に頭を悩ましていた。

そんな中でであったのが「温湯法」である。これを教えてくれたのは、高畠町で有機農業に取り組む友人。この方法はきわめて簡単で、しかも、単なるお湯なのだから環境は汚さないし、薬代もいらない。モミの匂いを気にしなければ使用後、お風呂にだってなってしまう。なんともいいことずくめの方法なのだ。

 へぇー、こんな方法があったんだぁ。始めて知ったときは驚いた。環境にいいし、第一お金がかからない。

 幾年か経験を重ねた後、近所の農家に進めてまわったが、我が集落で同調する農家はごく少数。15年間増えてはいない。どうも私には技術的な信用がないらしいとあきらめていたのだが、この間、農業改良普及センターにいったら、うれしいニュースにであえた。

 「庄内地方に「温湯法」が増加。今年は1,500〜2,000haの見込み」。
いらっしゃったのですねぇ。ねばり強く普及に取り組んでいた方々が。
単純に計算すれば、県内でおよそ400万リットルの廃液ができる見込みだ。

 やっぱり俺もあきらめずにPRしなくちゃ。

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いま、JR東日本の駅に置いてある「やまがた花回廊」キャンペーンの冊子に、ニワトリたちに囲まれたオレが笑顔ででているらしい。それを見た座間のご婦人から電話がはいった。
「見たよ。何年前の写真なの。」
「えっ、この間撮っていったんだよ。」
「まさかぁ、ずいぶん若いじゃないのよ。」
「あったりまえだぁ、まだ50代だよ。田舎のシティボーイのつもりでいるんだぜ。」
「へー、信じられないよ。」
ウソを言ってどうするんだよ。
実物は写真よりも歳をとって見えるということか。写真うつりがわるいと思って見たのだったが。

 また10日ほど前にもこんなことがあった。2年ぶりぐらいにまちでばったりあった友人が
「あら、菅野さん、しばらく見ないうちに、ずいぶん老けたわねぇ。」開口一番こうぬかした。
なにをいってんだよ、お前だって一緒だろうがぁ。

こんなことが続いていた昨日、大きな鏡に映った自分の姿を見る機会があった。顔を映す鏡はあるけれど、全体を見ることができる鏡は我が家にはない。久しぶりのことだ。そして・・。

そこに映っていたのは、白髪まじりの薄い髪。顔の肉はだぶつき、しわのようになって垂れ下がっているどこかうらぶれた男。大きな身体であることには変わりはないが、心なしか腰が曲がって見えるくたびれた農夫。
そして最も肝心なことだが・・・オーラがない。エネルギーが感じられない。全体的にくすんでいるのだ。
なに、これ!これはオレではない。

鏡の中の自分の姿を見ながら、オレは、我が家のオンドリのことを思ったね。覚えておいでだろうか?たくさんのメンドリたちに囲まれたオンドリの悲哀。「もてすぎるのも困りもの」(05,9,1)にすでに書き、たくさんの男達の涙をさそったあの切なくも悲しい物語・・。

100羽のメンドリの中の一羽のオンドリ。若いときにはハールムであった世界は、やがてメンドリたちの要求に応じられなくなって一変する。求愛に応じられないオンドリを「ツン、ツン」とつっつくメンドリたち。朝から晩まで、あっちでツン、こっちでツン、ツン・・・。みるみる間にオンドリの姿から羽根がぬけだし、鳥肌がむき出しになる。やがてオンドリはメンドリが近付くだけで逃げ出し、時には上に渡した横木の上に避難する。かつてあれほどエネルギッシュで、惚れ惚れするほどの勇壮さを誇ったあのオンドリが・・同じオンドリとは思えないみじめな姿に。オレは心からオンドリに同情したものだった。同じ男としてこころを寄せずにはいられない悲しい世界がそこにはあった。

鏡に映ったオレの姿はまさにそれ。オンドリ。もっとも誰も「ツン、ツン」してはくれなかったけどね。

さてどうするべなぁ。
姿かたちの衰えはしょうがないよ。
でもオーラやエネルギーの問題は別だ。そこには年齢に応じたものがなければならない。くすんでいるとすれば・・・。こころざしに向かって歩めているか、見失わずにその方向を見つめているか。そこのところだよ、問題は。あした、オンドリにも何が大切かを教え・・・いや、まず、おれ自身を点検、整理してからだ。
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 「いまや、都会の人達は卵かけご飯は食べなくなっているんだよ。気味悪いから。箱根の旅館やホテルでも朝食に生卵や、温泉卵は出さないところが増えているよ。」
食に詳しい小田原の友人が教えてくれた。
そうだろうね。

身動きのできないカゴに入れられ、歩くことも、羽を広げることもできず、添加物のかたまりのようなエサと予防薬漬けの毎日。カゴの下を見れば、健康なニワトリのフンとはまったく違う液状のゲリ便が・・。

彼らは世界中で最も不幸な生き物だ。同じような苦しみを背負った生き物はほかに見当たらない。彼らの産み出す卵は・・・ストレスのかたまり・・・。

そんな工業養鶏の現場を知ってから、抵抗力のない子どもや年寄り、病気がちな人、妊婦などにはゲージ飼いの卵は食わせられない、そうおもってきた。

きっかけは、妻の妊娠だった。せっかく農業に就いているのだから、朝露のしたたる新鮮な野菜を食卓にあげ、納得のいくお米を食べようとしてきたが、玉子はまだだった。

「よし、ニワトリを飼おう。ついにその時期が来た。」

時期なんかとっくに来ていた。だけど根が横着だからね。なるべく先送りしたいと思っていたんですよ。でも、子どもができることでようやく重い腰をあげることになった。

以来30年、外からの求めにも応じているうちに羽数は800羽〜1,000羽となった。「玉子がほしい」という声は体験的にわかるしね。

同じ長井市内の方々には毎週配達し、遠くの人達には宅配便の定期便でお届けしている。

初めて我が家の玉子を食べてみた方から「昔の玉子もこうだった」とか「生玉子かけご飯が安心して食べられることがうれしい」などの声が寄せられている。そうですね。そうでしょうとも。

また以前にも書いたことだが味については

,△辰気蠅靴討い襦△△屬蕕辰櫃ない。生臭さがない。っ犬げ色・・・などの感想が目だった。

そう!多くの人達に誤解があるようだが、自然養鶏の玉子(それを私は「卵」ではなく「玉子」と呼んでいます。)は「あっさり」系の味なのだ。決して濃厚な味ではない。

他方、最近のゲージ飼いの卵はこってりとした、油っぽく、クリーミーな味が主流らしい。その味はたくさんの「魚粉」をエサのなかに入れればできるという。いまや卵は、味、黄身の色ともに人工的に調整できるようになっている。企業養鶏は消費者の好みの先取りが基本だ。

これも以前に書いたことだが、いい玉子の条件は、そのもつ生命力にある。これは食べ物全体にいえること。

卵が産まれてからいつまで孵化(ヒヨコにかえること)できるかの実験結果では『こってり系』はほぼ2週間で孵(かえ)らなくなるのに対して、草や野菜をふんだんに食べさせた自然養鶏の『あっさり系』は60日を過ぎてもヒヨコに孵(かえ)ることができるという。

我が家の玉子は、自然に近づけてニワトリたちを飼い、草や野菜などの緑餌をたくさん与え、放し飼いで充分運動させる。こんな飼い方からうまれた『あっさり系』だ。昔の玉子もそうだったよ。

ドイツでは2007年、法律を制定し、ニワトリ達をゲージから解放した。オーストリアでは今年、2009年1月1日から。EUでは2012年からだという。EU加盟国の国民は昔の玉子を食べることになる。

でもさ、日本の消費者の卵への不安は、ニワトリ達の苦しさと共にまだまだ続くということだ。

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 子ども達が学校給食で残したものを、ニワトリ達はとても楽しみにしている。いつもの定食であるトウモロコシ、くず米、米ぬか、カキガラ・・・などと比べれば、与えられたときの喜びように格段の違いがある。お汁の中に入っていた具やキンピラごぼうなどへの反応は少ないけれど、好物のスパゲッティの時には鶏舎の中は大騒ぎだ。

 そのご馳走が、まったく途絶えてしまうことが年に何回かある。春休み、夏休みのときだ。もちろん、草や野菜くずはふんだんに与えてはいるが、それはいつものことで、食の楽しみの代用とはならない。

「もう一種類、肝心なものを忘れてはないかえ?」
「なにやってんだよ。早く持ってきてくれよ。」
こんなことを言いたいのだろうな。目が訴えている。

まてまて、昔から言うように、若い時の不足は必要なことだ。それがやがて人生の糧になると言うではないか・・なんてニワトリに言ってもしょうがないか。

 食べ物の不足に関してはオレにも山ほどの体験がある。それが人生にプラスに作用しているかどうかはわからないけど。今回はその中のひとつ、納豆話だ。

「菅野をみならえ。彼は大変な窮乏生活に耐えている。」一緒に仕事をしていた同僚は後輩たちにこう言った。職場の小さな炊事場でお湯が沸いている。そばにはオレとうどんの束と納豆が一つ。

二十代のころ、オレは小さな労働組合の専従のような仕事をしていた。給料は安く、正義感と情熱だけで暮らしているような毎日。いつもお金がない。近くの食堂には「がんばる丼」だったか、「まけない丼」だったか、正確な名前は忘れたけれど、切なくなるような名前のメニューがあった。それはご飯の上にかつお節とキャベツを一緒に炒めたものがのっかっているだけの安さだけがとりえのドンブリ。それがオレの定食だった。うまかったけどね。

そして更に腹が減ると、うどんと納豆の食事となる。ドンブリの中に納豆をあけ、醤油と少しの水、それにネギとかつを節を入れてかき混ぜる。そこに茹でた鍋から直にうどんをすくい、納豆をからませてズルズルといく。コツは納豆を多めにいれること。それにうどんをすくう際、茹でつゆをできるだけ丼に入れないことかな。これがうまいんだよね。お金もさしてかからず満腹になることができるし、言うことなしだ。これは「ひきずりうどん」といって、冬の山形県では普通に食べられているもの。オレの大好物だった。これを好きで食っているわけで、少なくとも同情されたり、ほめられたりするようなものではない。

それを知らない同僚がオレを見習えという。よっぽどひどい食事にみえたのだろう。違うんですよ。はっきりとそういえばよかったのだけど、でも、せっかくの同僚の顔をつぶしたくはなかったし、オレもいい子になってみたい年頃でもあってね、ただだまってうどんを茹でていたよ。

 やがて故郷から米を送ってもらうようになると、納豆と他の食材との取り合わせを楽しむようになった。今もそうだけど、当時も納豆は安かったし、何よりも大好きだったからね。納豆とシーチキン、あるいはサバの缶詰、納豆とえのき茸のびんづめ、納豆と豆腐、納豆とマヨネーズ、納豆とそーめん・・・。

たくさん試してみた。これらの多くは想像以上のおいしさだった。いつしかオレは納豆の食べ方、その探求力において・・もしかしたら・・日本一かもしれないと思うようになっていた。その食べた量もハンパじゃない。全国十指に入るだろうと、これまた本気で思ったほどだ。

与えられた環境を越えようとすることももちろん大事だが、その環境のなかでの楽しみ方を開発することもおもしろい。やっぱり若いときの苦労は・・というべきか、貧乏だったおかげで、納豆にかけては日本一かも、という妙な自信を持つにいたった。この自信が、それ以降のオレの人生をどれほど支えてくれたことか・・・。いや、ホント。

ニワトリ達の感じている(かもしれない)「不足感」が、その後の彼らの成長にどのような影響を与えるのかは分からない。だけど学校の始まりをどんな向上心あふれる子ども達よりも、大きな期待感をもって待っているのは我が家のニワトリ達だといっても間違いではあるまい。

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春です。
暖かな気持ちのいい気候が始まりましたよ。
今日もまた布団が干せる。うれしいねぇ。
ニワトリ達も元気です。
鶏舎の中で一冬過ごしました。
まだ外には出られないけれど、待ちどおしいのでしょうね。
朝、エサを持って入っていくと、そのわずかな間をとらえて外に出ようとします。
「もういいじゃないかぁ。いままでがまんしていたのだもの。出してくれぇぇ!」
まだだよ。柵ができるまで待ってくれ。

春は小鳥達も卵を産む季節ですね。我が家のニワトリたちも小鳥達と一緒。一年を通してみれば、春のいまがピークです。
小鳥たちの産卵が春に集中するのは、生まれたヒナが
冬の厳しさに耐えられるまでに成長することが求められているため。そうしなければ生き残れない。野山の草や花もおなじ。冬を想定したサイクルとなっている。

自然養鶏はこの自然のサイクルにこだわってきました。普通のゲージ養鶏(工業養鶏)の場合は産卵を一定に保つために、春、夏、秋、冬通してヒナを導入します。でも、我が家は春以外にヒナを導入していません。ヒナは180日ぐらいから玉子を産み始め、約半年の間、高い産卵率を維持します。春がその最盛期。そこに春という季節の持つ産卵刺激が加わって・・・産卵ピーク。そして我が家に何が生れているか・・・。

パニック。玉子だらけ。困惑。
「今日もこんなに産んだ。どうすんべぇ。」
「ほんじゃぁ、玉子をとってくれている方々に少しずつサービスするべぇ」
「また余りだしたよぉ」
「じゃぁ、老人センターにでももって行って食べてもらうべぇ」
「今度はどうする?」
「都会に住んでいるオレの友人に、PRしてもらうよう頼んでみんべぇ」

毎日がこんな感じなのです。息子は
「やっぱり、夏から秋にかけてもヒナを導入するべ。そうすれば春のピークが緩和されるから。」
「いや、ちょっと待て。はやまるな・・。」

この状態が5月いっぱい続き、6月を越えるころには今度は一転して不足に変わってしまうのです。

 自然養鶏・・・自然卵。
季節の変化に合わせて、産卵量もまた変わっていく。
これが自然なのだろうが・・・・なかなかさ・・その渦中にいると・・・大変ですぞ。

「おーい、なんとかなんねべかぁ」と都会の友人達に声をかけてみたが余っている玉子は行き場がなく、どんどん増えていくことの恐怖はなかなか想像できないだろうなぁ。

あと2ヶ月。
なんとかすんべぇ!



写真は早春、はじめて外に出たニワトリたち。
 うれしさに舞い上がらんばかり。
実はシャッタアーチャンスをのがしたが
この後、高く、たかく・・飛んだ!
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