ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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 前回の続き

青年達が農業労働者の方に惹かれるのは根拠のないことではないよな。
前回のブログの末尾に書いたけれど、
農家になること、それを続けること、村の付き合い・・などを考えれば
手っ取り早く勤め人になったほうが・・と考えるのも仕方がないともいえる。

青年達は農家になることを求めているのではなく、今よりももっと土や生命体とつながることをもとめているのだろうし、その方向を農的生活へのパーセンテージを高めることにおいているのだろうから。

この動機自体は歓迎すべきことで、否定されることではないべね。
ここでロシアのダーチャを思い起こすよ。
「ロシアは今も荒れ模様」(米原マリ著)で知ったのだけど
ソ連からロシアに変わる動乱の時期、経済破綻の時期にあっても
国民の食糧生活は安定していた。その訳はダーチャにあったと書かれている。

青年達の農への流れと日本型ダーチャの構築とを
つなげられないだろうか。
青年達に限らず、国民全体の農的生活のパーセンテージを高めていく方向にだよ。

農家も、生産法人も、半農半Xも、ダーチャも・・・
混在する転換期の日本農業・・・。

いいんじゃないだろうか。


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もうじき稲刈りがはじまります。
写真の風景は我が村と水田。
黄金色です。きれいですよぉ。
(ダブルクリックで。)


秋も深まったある日、こんなメールが飛び込んできた。農業を学ぶ学生からだ。

いつも楽しくブログを拝読しています。多分、2日に1度は覗いているのではないかと思います。ところで、今回メールさせていただいたのは9月10日付けの記事「芸能プロダクション」についてです。
日本雇用創出機構というところの調査では、日本のフリーターの約4割が「農業に興味を持っている」と回答しています。菅野さんの言うように、「時代が確実に農の側に来ている」のは間違いありません。ただ「生活の一部である」という農業を否定する人々は多いと思います。これは、日本の若いフリーターたちが行動できなかった理由の1つかも知れません。でも、そんな人達を説得するとしたら、一体なんと言えばいいのでしょうか?どうすればいいのでしょうか?どうしても分からないのがそこなのです。雇用や工業化が望ましいのかといえばそうではないと思うのですが、理由がついて来ないのです。(要約)

さてご質問への答だけど、難しいよなぁ。
俺が農民となった理由は単純だけど(「地域のタスキ渡し」参照)、たとえそれがなかったとしても、勤め人となり、給料をもらう農業労働者にはならなかっただろうなぁ。いまさらという感じだけど、それに恥ずかしながらでもあるんだけれどさ、俺は農業の魅力を以下のように捉えてきたんだ。

農家のやる農業はたいがい労働の場と生活の場が一緒だ。それだけに自分の個性、主体性、創造性において暮らしを自由にデザインできる。作り出すものの世界観においてさまざまな農業、さまざまな暮らし、さまざまな世界が生れる。そこが魅力だと。
 
だから、ここのところに面倒くささを感じたり、いまいち魅力を感じない人は勤め人のほうがいいだろうな。

 俺は自分らしく生きたいと思い、個性を削りとられることなく、その個性とそれにもとづく創造性を何よりも大切にした農業と暮らしをと思ってきた。そこを基礎にして土や生命系、食に関係していきたいと思ってきた。こうなると単なる職業として農業を選び取ったというよりも、生き方として農民になったというほうが近いね。でも、これを言うと、生き方として・・・キザだねぇ、ぬけぬけとこんなことが良くいえますねぇという声はなかったわけではないよ。

それを承知でもう少し続けさせてもらうと・・・その観点に立ち、農業を始めるにあたっては、<二つの基本と四つの基準>を作ったんだよ。別に特別なことを考えたわけではないけどさ。

 <二つの基本>は「楽しく働く」「豊かに暮らす」・・・なぁんだぁとなるかもしれないが、でもよく考えてみるとこれに尽きるんだよな。

これを受けての<四つの基準>は
 1、暮らしの自給を大切にする
 2、できるだけ自然生態系と共生する。
 3、周囲の景観をデザインする
 4、家族が参加できる農業とする

 これを「金太郎飴農業」ならぬ「芳秀飴農業」と称し、さまざまな作物を植え、ニワトリを飼い、田畑との循環を作り出し、鶏舎のまわりには梅、プラム、サクランボなどのきれいな花を咲かせえる木々を植え、下には赤つめ草と白つめ草の種をまき・・・、田植えのときや、稲刈りのとき、子ども達は学校を休んで家族みんなで働いてきた。

 学校を休むといえば冬の雪下ろしのときも休ませて、一緒に屋根に上ってきたよ。娘、息子のどちらの担任の先生も、ことわりの電話を入れると、笑いながら承諾したくれたっけ。子ども達がそれを望まなくなってからは止めたけどね。

「暮らしをデザインする」・・、農業を志す青年も、私の若いころと一緒だろうとおもっていたのだけど違ったのかな。
 もう一度同じことを言うけど、俺は人生の一部として、だから当然「生活の一部」として農業を捉えてきた。職業としてというより、生き方として農業に就いてきた。他の何かのためにすり減らされる人生はいやだったしな。

だから質問にはそんな自分を語るしかないんだべね。

どんなもんだべ?

それと、青年を企業農業の勤め人に追いやるものの中に、百姓暮らしを自分で起こすことの大変さがあるだろうな。
そこのところは社会全体で考えてやらなければならないことだと思うよ。


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 間違って、右側にある「お米と玉子を食べてみたい方のために」
に掲載するはずの文章が
「新米のご案内です。」の題名で
このブログのメインステージに出てしまいました。

品がないですね。

即、削除・・・しようと思いましたら
「お米と・・・」も一緒に削除になってしまうんです。
しょうがないですねぇ。

ごめん。ただの記事として見過ごしてください。

ご注文せずともけっこうです。
気にしないでください。

         山形の百姓・菅野芳秀




<新米のご案内です。>

また、新米の時期がやってまいりました。
今年は長雨と日照不足に悩まされましたが
どうにか無事に秋を迎えることができました。
みなさまにこうして新米のご案内ができることに
生産者として安堵感をおぼえます。

例年、どうしても梅雨から先は風味が落ちていましたので
昨年産は出荷直前までモミ貯蔵といたしました。
今年の新米からはモミ貯蔵だけでなく、
梅雨から先、低温倉庫で貯蔵できるよう大工さんと計画中です。
来年は新米の風味をより失わずにお送りできるのではないかと
期待しています。

今年の米作りは、堆肥の量を抑え、稲に無理をさせずに8俵を目標に育てました。(以前、私は10〜11俵/10aぐらいとっていました。)
もちろん、そのことで農薬も抑えることができました。(下記参照)
肝心の味も努力に見合うものになっていてくれたらと思います。

どのぐらいとれているのかは、刈り取ってみないとわかりません。
今年は長雨と日照不足で、昨年よりもとれないことは
はっきりしています。

あらためて、今年の我が家の米を紹介します。
                     
1、品種;昨年同様に「ひとめぼれ」ともち米の「黄金もち」です。

2、肥料;ほとんどを堆肥で育てました。堆肥は「自然養鶏の醗酵鶏糞」と「レインボープラン堆肥」の二種類です。これがこだわりです。

3、農薬(殺菌・殺虫剤);田植え時点の一回だけ。後は玄米酢で対応しました。我が家もこの米を玄米で食べます。

4、価格;価格は白米、七分とも10kgあたり5,000円(送料別)で昨年同様です。もち米も同じ価格(3kgは別価格)です。

5、保管と発送;お米はモミのまま貯蔵し、夏は低温倉庫で保管します。毎月10日が到着日。風味が損なわれないように発送直前に精米しお届けいたします。

6、ご注文;メールかファックスでお受けいたします。メールアドレスはnarube-tane@silk.ocn.ne.jpです。

7、ご注文の変更;注文してはみたものの、なかなか予定どおりには行かない場合があります。つき方、量の変更などさまざまです。その場合は前月の月末までお知らせ下さい。調整いたします。

8、お支払い;郵便局の振込み用紙を同封いたします。一年分を一括してお送りいただける場合でも、もちろん月ごとでもかまいません。

9、新米の発送;10月の発送は稲刈り作業の関係で、15日過ぎになるかもしれません。お許しください。

10、締め切り;田んぼは昨年と同じ面積です。予定収量に達し次第、締め切りといたします。お早めにお申し込みください。

                       2009,9


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朝霧が立ち込めるようになった。
我が家の前に広がる800hの水田は日々緑から黄色に変化している。
壮大な景色の移り変わり。もうじき稲刈りだ。

ずいぶん留守にしてしまいました。
みなさん、お変わりありませんでしたか?
あわただしく過ごしていまして、なかなかパソコンに向かう時間がありませんでした。
そんな中にもえっと思うことがありましたよ。

一ヶ月ほどまえのこと、携帯電話をみたら「03-0000-0000」の着信暦がありました。
「先ほどお電話いただきました菅野と申します。ご用件はなんだったのでしょうか?」
「あのう、失礼ですがどちらの菅野さまでしょうか?」
電話の相手は受付係のようなニュアンスだ。そうか、向こう様は会社なんだ。
「山形県の百姓です。30分ぐらい前にお電話いただいたようですが・・・。」
「そうですか。それではしばらくお待ち下さい。こちらでお調べいたします。」
「ありがとうございます。ちなみにそちら様はどのような会社なのでしょうか?」
「はい、『東京○そう(しょう)』ともうしまして芸能プロダクションです。それではお待ち下さい。」
なに!芸能プロダクション?
そのような職種に友人はいない。ということは・・・会社の業務として電話をくれたということか。
だとすると・・・もしかしたら・・・おれに?

そうか。時代はついにここまで来たか。
「青年達よ。なくなったって誰もさして困らない虚飾の文化(仕事)の中で、貴重なエネルギーをこれ以上浪費するのはやめよう。人生を擦り減らすのはやめよう。田園まさに荒れなんとす。日本を土から問いなおそう。築きなおそう。農村は君達を待っている。」
プロダクションに実務を依頼しながら、百姓として、百姓のままで、広く全国にメッセージを飛ばす・・・いいかもしれない。

TBSラジオで、久米宏さんと30分ほどの対談を行ったのは昨年だったけど、反響が大きかったので再放送をさせてほしいとの連絡があったのは今年の冬だ。また、NHKの「ラジオ深夜便」で、全国にむかって月に一度の15分間、「土、いのち、食、地域、自然」などの話題を中心に、2年間にわたって話してきた。NHK東北放送では今年の冬、伊奈かっぺいさんと40分ほどの対談をした。そんな中で、個人的にもさまざまな反響を感じてきたのだけれど。まさか、次がこんな形でやってこようとは・・・。

「あのう、菅野さま。ただいま調べましたが社員の中には該当者はいませんでした。申し訳ございません。間違い電話だったかと思います。」
「えっ、間違い電話ですか?」
「はい、菅野様は当社のオーデションをお受けになりましたか?」
「オーデション?いいえ、なにも特技はありませんので。」
「それではやはり間違い電話だったと思います。大変ご迷惑をお掛けしました。」
「えっ、あ、そうですか・・」
実にあっさりと終わってしまった。

この出来事を村の百姓仲間との酒飲みの席で話したら、俺のカン違いをさんざんからかわれ、酒席を大いに陽気にさせたよ。

だけどな、ま、こんな笑える話はわきに置くとして・・・だ。
カン違いではないと思えるのは、時代が確実に農の側に来ているということだと思う。
しかし、その農への流れの中で、何よりも注意しなければならないことは、農業の担い手が企業だ、生産法人だといいながら、暮らしとともにあった農業が、単なる勤め先になろうとしているということだ。そこには百姓はいない。村はない。

農への青年たちの志は、単なる農業労働者になることではないはずだ。

それを百姓の農に。誰もが新規参入できる、暮らしとともにある農に。
そこのところを「青年達」と一緒に語り合っていかなければならないと思っている。


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 栃木県にアジア学院というアジア、アフリカの、主に農村地域で活動する人たちが学ぶ全寮制の学校がある。渡航費、研修費ともほぼ全額キリスト教の世界的基金や市民の寄付などでまかなわれていて、農作物の生産、畜産、加工などの農業全般について学ぶ。基本は地域資源を活かした有機農業、地域をベースとした自給自足の「生きるための農業」だ。9ヶ月の研修終了後はそれぞれの国に戻り、村に根を張って、その土地の人々と共に働く“草の根”の農村指導者を目指していく。
(アジア学院=http://www.ngo-arena.org/members/ari/ari.html)

 その学生達が・・・と言っても、それぞれの国では立派な活動暦のある方々なのだが・・・毎年、我が家を訪ねてくれる。もう10年ほどになろうか。今年も二班に分かれ、第一班はすでに7月23日に。もう一斑は8月18日の予定だ。写真は第一斑、通訳スタッフを含む17名の人達。

 私が取り組んできた循環農業の内容。農民になろうとしたそもそもの動機。レインボープランを市民とともにつくり出そうとした考え方。農村を内側から変えようとしてきた経過と教訓・・・などについて話したうえでお互いの話し合いをとのことだ。

 この巨体の男はどんな奴だ?始めはそんな視線も感じたが、鶏舎のそばの木陰の下で語り合っているうち、農村のお互いの抱えている問題が驚くほど一緒で、それぞれの実践が国境をこえ、なお、教訓として共有し合えることに気づいていく。笑いや感動をともにしながらの2時間、あっという間にすぎていった。別れがたい。掛け値なしにそう思えるほどのいい時間だった。お国に帰られたらどんな苦労が待っているのだろうか。ともすれば自分自身の健康や生活は一番最後に回しやすい私たちの生き方。それでもなお健康には気をつけられますように。

今度は18日の第二班、いまから楽しみだ。

 参加して見たい方はいらっしゃいますか?どうぞ、お申し出ください。
 

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しばらくブログを休みにしていました。
雨続きの、不快な気候が続いていますが、お元気ですか?
休みの間いろんなことがあったんですよ。先日もこんなことが・・。ひとつずつ紹介していきましょう。以下・・・。

朝起きて、何気なく道路わきに止めてあったトラックを見たら、荷台に鳥かごらしきものがあり、中で何かが動いている。なんだろうと思って近づいてみると、生まれて40日ぐらいの二羽のニワトリが入れられていた。息子に聞いてみても知らないという。では・・どうしてここに・・・?・・捨て子か!・・・捨て鳥だ。

 そういえば、その10日ほど前、3〜40代の女性から「子どもが何かの景品にもらってきたヒヨコが大きくなって困っている。引き取ってもらえないか。」という電話があった。
 その時は丁重にお断りしたのだが、彼女なのだろうか。名前も住所も聞かなかった。ま、詮索してもしょうがないが・・。

子どもではない、捨てていったのは親だろう。それにしても、自分の家庭の厄介モノを、縁もゆかりもない他人の家に捨ててくる・・・、そのことで自分の悩みを、他の人の悩みにしてしまう・・・なんとも切ない話で、子どもに人の道を教える以前の問題だ。

お店の景品かお祭りで売られているものは、ほとんどがオンドリだ。この幼鳥もオンドリに間違いはあるまい。確かに我が家にはたくさんのニワトリがいるし、一群に一羽、全部で12羽のオンドリがいるが、だからといって・・・。今でさえ、朝4時前から一斉に始まる時の声はご近所の迷惑になっている。これ以上は飼えない。

ちなみに、我が家の90歳になる年寄りに聞いてみた。
「川の土手か、他の人の家に捨ててくるんだぁ。だってしょうがないもの。誰かに拾ってもらえ、大切に育ててもらえって手を合わせてなぁ。少しのエサも付けてやれ。」

なんだぁ、違うのはエサのところだけか。我が親ながら、いい歳のとり方はしてないな。

結局は、我が家で飼うことになるのだろう。なんともやり切れない話だよ。 

(写真は入っていた鳥かごと二羽)

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田んぼは順調です。

見わたす限りの緑の水田。我が家の田んぼは周囲のものと比べて少し違う。周囲は濃い緑。我が家は少し薄い緑。肥やしが不足しているような葉色だ。周囲は一株あたり40本ぐらいの本数がたっていて、見るからに勢いがあるが、我が家は20本ぐらい。貧弱に見える。
 たとえて言えば、周囲は20代、30代の盛りなのに、我が家は16,7歳のまだ少年、少女だ。

田植えと同時に肥料を落としていく田植え機械が普及してから、周囲の稲との成育格差が広がってきていて、その差は遠くからでも分かるほど。でもこれでいい。初期成育が旺盛な稲は、病気にかかりやすく、クスリの助けが必要になる。我が家の稲は大丈夫だ。

ニワトリにも同じことがいえる。
栄養満点の配合飼料で育てた雛は性成熟がすすみ、生後140日ぐらいで卵を産み出す。だけど産卵寿命は短く、早く老け込んでしまう。病気にも弱い。
自然養鶏の場合は如何に性成熟を遅らせるかを考える。少なくとも180日ぐらいまで産卵を遅らせるようつとめる。粗末なエサを与えること、運動させることがコツだ.

人間も性成熟の早い欧米の人は老化が早く、欧米ならずとも、たくさん食べて、まるまる太った人は老若男女にかかわらず病気にかかりやすい。

稲も、ニワトリも、人間も、健康には「不足がち」が一番だね。
子どもの育つ精神風土も「うっすら貧乏」が一番いいみたいだし・・。

えっ、おれ?
190cm、100kgだよ。

 ニワトリと同じ粗末な食事で運動・・実際、菜っ葉食べて、農作業やっているんですがね、「うっすら貧乏」だし・・・。全て理想形だけどな・・
酒が悪いんだべか?

ともあれ、今年も稲は順調に育っていて、おいしいお米をお送りできる日も近い。
ご期待ください。

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友人がタマゴかけご飯専用の醤油が売られていると教えてくれた。
きっと、市販の「めんつゆ」のように、
味がよくなる添加物をたくさん使ってあって、とても
おいしく、人々を引き付ける味なんだろうな。

一方、ゲージ飼いの工業卵は、エサの操作と飼料添加物で、消費者好みの濃厚な味に仕上げられていると聞く。

この二つの取り合わせかぁ・・・うまそう!

目先のおいしさって大事だよね。
明日の健康より、いまの幸せ。
何でもそうだよ。
これでいいじゃないのかなぁ。

だって、まわりを見てみろよ。
食糧も原子力発電も教育も、国づくりも・・。
全部が・・・。

いや、まて、まて。
何も、タマゴかけ専用醤油ぐらいで
そこまで広げることはないか。

どうも最近、気が短くなっていけない。


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一週間ほどまえ、我が家の田んぼの畦を歩いていたら,鴨が2mほど先から急に飛び立った。よく見ると巣があり、そこに玉子を産んでいた。この畦の草刈りは止めておこう。
大丈夫だ、追い出したりはしない。ここは安全だ。
ゆったりした気持ちで子どもを育てろな。

この村の周辺では毎年、時期を定めて「鴨駆除」、「カラス駆除」、「鷺駆除」を行っていて、ちょっと前まで早朝から鉄砲の音が聞こえていた。
駆除するのは、鴨たちが田んぼに入り、苗を踏んだり、蹴ったりしてしまうからだという。
そうかも知れないが、苗はそんなにひ弱ではない。
たとえ踏みつけられたとしても、またたちあがり、立派に成長する。

わざと鴨を放し、草や害虫を食べさせる農法があるぐらいなのだから、被害というよりも、恩恵の方がきっと多いはずだ。実際に被害があるかどうかを点検もせずに、時期がきたからと、ただ慣行的に鉄砲の標的にされたのでは鴨たちはたまらない。佐渡のトキを絶滅に追い込んだのも、このような考え方なんだろうな。

駆除する場合は、よくよく調査し、充分検討し、なお代替案がないかを話し合った上でのことだろう。

そんなことをのんびり考えていたら、今朝、薄明るくなっころ、またもや鶏舎からニワトリ達の叫び声が聞こえてきた。タヌキかキツネか!
フトンから飛び起き、鶏舎に走った。
どこだ、どこが現場だ。
1,000羽のニワトリは12の部屋に分かれている。そのどこかが
騒ぎの発祥地。

あっ!最後の鶏舎にさしかかったときだ。
外におびただしい数のニワトリが横たわっていた。
数えれば37羽、玉子を産み出したばかりの若鶏たちだ。
キツネだ。金網が噛み千切られ、こじ開けられている。

以前、被害を受けてから、鶏舎を頑丈な資材で補強したが、一ケ所だけ
資材不足からまだのところがあった。そこをつかれた。

それにしても37羽。自然界の動物は自分(たち)の食べるもの以上は捕獲しないと聞く。タヌキはそうだ。自分が食べるものだけを持っていく。だけどキツネは違う、殺戮自体が目的なのか。異質だ。

力が抜けていく。
息子と埋葬の穴を掘りながら、どうするかを語り合う。つぶやきあう。

農業改良普及所の元職員が、内緒だけど・・・と断って、
「パンに殺虫剤を沁みこませておいて置けば、やっつけることはできるよ。」と教えてくれたことがあった。でも毒で殺すというのは、気が重い。

もちろん、もはやきれいごとでは済まされない。ニワトリがかわいそうであるだけでなく、我が家の暮らしもおびやかされている。まず残されていた一ケ所の補強だ。それでも際限なく攻守が続くだろう。「駆除」は最小限にすべきだが・・ここまで来れば・・・・・パン・・なぁ。

なぁ、キツネよ。
ムクドリや鴨やタヌキたちから、あいつは甘い奴だと聞いたのかも知れないが、俺にだって限度があるぞ。

さまざまな生き物に囲まれて・・・この自然の豊かさよ!
ありがたくって涙がでてくる。

(朝の忙しい時に、一気に書いたので、国語的なミスはごめん!
写真はないよ。残酷すぎる。)



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ここのところ寝不足が続いている。
原因はムクドリ。
二階の屋根裏に巣を作っていて、早いときは朝の3時半ごろから動き始め、遅い時には夜の11時半ごろまで騒いでいる。
天井裏というのだろうか、板一枚隔てた上。寝ているところのちょうど真上のあたりだ。「カシャカシャ・・・」「トントントン・・・」動き回る音が不規則に続き、眠れたものではない。
キツネやタヌキの騒ぎがおさまり、ようやく静かな夜が戻ってきたというのに今度はムクドリ。

どんどん・・・と下から棒でたたき、追い出しにかかるものの、
出て行こうとはしない。せいぜい10分ぐらい静かになるだけだ。
まだ農繁期が続いていて疲れてもいる。
だけどここのところの睡眠時間は4時間ぐらいか。

不眠状態が何日か続いたある朝、ついに意を決して追い出しにかかった。
家の構造は、どこからも天井裏に上がっていけない。仕方がないので押入れの天井板をはがしてみたが、巣を作っているところにはたどり着けないようになっていた。巣を取り除くことはできない。

それなら進入してくる穴を塞ぐしかない。場所は二階の屋根のすぐ下。キツツキがあけた穴だ。一階の屋根の上にはしごをかけ、布切れをギュッと詰めた。これで入ってくることはできない。
押入れの天井板をはがしたままにしておいたから、そこから天井裏に明かりがさしているはずで、中に残っている鳥はここから部屋に降りくればいい。これで万全だ。

 昼休み、鳥のことはすっかり忘れていた。少しでも寝不足の解消をしようと二階に上がり、横になっていたら・・・足もとで何かが動いている。ムクドリだ。十畳ほどの部屋の中とはいえ、なかなか捕まえられない。隙間から隙間に逃げ回わっている。大丈夫だ。食いはしない。出て行ってもらうだけだから、貴重な時間を浪費させないでくれ。

ようやく捕まえてみたらまだ子ども。お前か、オレの睡眠を邪魔していたのは。オレの手の中で泣き叫び、震えている。あどけない目。二度と来ないようにコンコンと諭し、窓から放してやった。するとどこにいたのか、二羽のムクドリがサッとやってきて合流し、3羽が寄り添うように飛んでいった。きっと親鳥だな。心配していたんだなぁ。住まいをかえて仲良く暮らしてくれ。すこし申し訳なさを感じながら、いい気持ちで見送った。

これでようやく眠れるぞ。
横になってウトウトはじめたら、またムクドリが・・。これも捕まえ、放してやった。今度は6羽ほどのムクドリが、放たれた子どもに合流し、飛んでいった。家族と親戚が来たのかな。よかった、よかった。

さて、寝るぞ。
横になってウトウトしたら、またムクドリが・・・。放したら、今度も3羽ほどのムクドリ合流し・・友だちかな。

さて、今度こそ!そう思ったら、またムクドリが・・・。

よぉし、いくらなんでも、これで終りだべ。そう思っていたら・・・またムクドリが・・。

そして・・また、ムクドリが・・。

いい加減にしろ!
お前達!どうせ出てくるのなら一度に出て来いよな!!せっかくの昼休みは台無しになってしまったじゃないか!

気分の良さもすっかりなくなってしまい、いらいらしたまま午後の仕事にむかった。


そんなことなので、この話からの教訓めいたことは一切なし!
ただ眠たいだけ。

写真は我が家。


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