ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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 ようやく田植えが終わりました。
やれやれです。農繁期は約2ヶ月続きました。この間、休みは無しでした。でも、休みたいとは全く思わなかったですね。次々とこなさなければならない仕事が目の前にぶら下がっているし、かつ、同じ農家仲間の進み具合はほとんど我が家の先を行っている。こうなるとね、休もうという気にならないのです。
他は他、我が家は我が家。農法が違うのだからかかる時間も違って当然と平然としていればいいのですが、なかなかそうはならない。これを説明するのは大変なのですが・・まず、作業の順序の説明をしなければなりません。一般的に耕耘、化学肥料散布、水入れ、代掻き、田植えと進んでいきます。我が家の場合、化学肥料散布はありませんが、その分、耕耘のまえに醗酵鶏糞とレインボープラン堆肥の二種類を撒く作業があります。これに息子と二人10日間ほど費やします。田んぼは段々田んぼになっています。上の田んぼに水を入れれば、下の田んぼにもその水が浸入してきて耕耘しにくくなってしまいます。だから上の田んぼの人はすぐ下の田んぼの耕耘作業の終わるのを待って、水を入れるわけです。
早く水を入れて、代掻きに進みたい上の田んぼの農家は、我が家の耕運作業が終わるのを待っていてくれる。我が家は全身にそれを痛いほど感じながら、せっせと堆肥散布に精をだす。
「いつごろまでかかるんだい?息子の務めの関係で今度の日曜に田植えをしたいので、早く水を入れて代掻きしたいのだけど・・。」耕耘前の我が家の作業に待ちきれず、すまなそうに聞いてくる。「ごめんな、あと少し・・」
我が家の田んぼは6箇所に分かれていて・・だから6箇所で農家が待っているわけですね。これってなかなかなものなのですよ。春を楽しみながら我が家のペースで・・なんてできないのです。
田んぼに堆肥を撒く人がいなくなっただけでなく、近頃は田植えと同時に化学肥料を散布する機械がでまわってきたことでひと工程が削除され、いっそう作業期間が短かくなっている。追い立てられること、追い立てられること・・・。さくらが咲いていることは分かっていましたよ。視界には入っていました。だけどね。それだけなのです。
やがて堆肥散布が終わり、耕運も終了し、我が家も水を入れることができるところまで来ればほっとしますね。これでようやく自分のペースで進めても誰にも迷惑をかけないですむ・・・と。
 電車の窓などから見る田園風景はのどかですよね。でも、その風景の中にいる住民はそうのどかではありませぬぞ。

ともあれ、終わりました。今年も全てに堆肥を撒いてスタートいたしました。
今年は稲刈りまで、殺虫剤ゼロ、殺菌剤は田植え時点の一回だけで行こうと思っています。

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ようやく機械の田植えがおわりました。
あとは田んぼの四隅を手で植える作業が残っています。
二日ほどかかりますが、それで今年の田植えは終わり。
同時に2ヶ月ほど続いた春の農繁期もようやくピリオドです。

「夢の続き」をお読みいただきましたか?
その続きを書かなければと思っていたら
沖縄のジャーナリストで親しい友人が、ひとつのブログを
紹介してくれました。
一気に読みました。
何が問われているのか。
ここにその核心が書かれています。
ぜひ、お読みいただけたらと思います。
すこし長いですが、がんばって。

それにしてもこの国のマスコミはひどすぎる。
ひとつの共同意図の下に動いているとしか思えません。

私の方にさる友人から、野中さんが自民党幹事長時代に機密費を受け取ったマスコミ人の一覧表が届いています。
唖然としました。
TVでおなじみの面々です。
ひとつの政党から「賄賂」を受け取り、その政党に有利な
発言をくりかえし世論に働きかけることで、お返しする。
ジャーナリズムもなにもあったもんじゃないです。
いつか国民に明らかになるでしょう。
この国の国民は本当に不幸です。

それではそのブログです。

http://kariyatetsu.com/nikki/1240.php



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農繁期に入って一ヶ月半。
いよいよ、明日から田植えに入ります。
ここまで来るのが大変で、田植えに入ってしまえば
相変わらず重労働が続くとはいえ、比較的楽なのです。

 米作り仕事の最初の山は種まき、育苗作業。
これは30cm×60cm、厚みは4cmの育苗箱750枚に土を入れて種を蒔き、育苗ハウスに移す仕事ですが、これがなかなかキツイ。
 その後は田んぼへの堆肥散布。
堆肥はレインボープラン堆肥と自然発酵鶏糞の二種類で
化学肥料は使用しない我が家のこだわりの作業。3・2haの水田全体に
くまなく、かつ薄く均一に撒いていきます。
これもキツイ。27歳の息子は腰を痛め、4日ほど動けない日が続きました。
私も腰と相談しながらやっていたのですが、その作業が終えた今も
腰の重さが続いています。

1000羽の自然養鶏の仕事も平行してありまして、
餌作り、餌やり、玉子とり、汚れおとし、パック詰め、地方発送、配達、集金・・・などほぼ毎日ありますので、身体がいくつあっても足りない状態となります。

 そして明日からの田植え作業。ここまで来れば終わりが見えてきます。
田んぼの上で田植え機械に乗りながら、周りの風景などを楽しむゆとり
もできてきます。
 畦には忘れな草やオオイヌノフグリなどの草花が生い茂り、水田には
雪を残している朝日連峰の雄大な山並みが写しだされています。
どこまでも広い大空の下、10cmかそこらのか細い苗を植えるにしたがって
薄緑の面が広がっていきます。

 田んぼの春の巻。ゴールもう少しですが、まだ終わったわけではありません。

 というわけで、夜は一合のお酒か、ビール一本で、そのまま寝てしまいます。もうしばらくまとまった文章を書ける状態にはありません。
遠く沖縄に思いを馳せながら、田んぼ仕事に取り組んでいます。



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 面白い夢を見ました。
普天間の海兵隊基地をめぐる鳩山首相のことです。夢の中でも、彼は「腹案」があると言っていました。「日本国の総理大臣としていのちをかけて」とも。現実とほぼ重なります。
 
 夢の中の彼は、普天間の基地は県内移設、国内移設ではなく、初めから国外への撤退を要請しようと決めていました。でもそれを単純に言い出したのでは、アメリカは簡単に「NO」と言うに決まっていますし、国内でも「国家間の約束ごとをたがえることはできない。」とか「日本の安全保障上、不可能だ。」とか、「海兵隊が沖縄にあることの抑止力」だとかのあれやこれやの意見が百出し、事実上、収集困難になるだろうとの読みから、ある迂回策をとることにしました。それが彼の「腹案」でした。まさに、いのちをかけた「腹案」でした。
 
 それは、今日の日米関係のバランスを打ち破っていく上で、民衆のエネルギーに全面的に依存しようというものでした。民衆のエネルギーが時の政治構造に大きく影響を与え、ダイナミックな変革への道を切り拓いていく。日本での成功例は少ないですが、韓国でも、フィリッピンやタイでも良くあることです。鳩山首相は普天間の国外移転の可能性はそれしかないと考えていました。
 
 約束してきた普天間基地の県外移設をいったん反故にし、期待を裏切ってみせることで沖縄県民の怒りをかい、普天間に決して後戻りできない状態を作り出す。一方でわざと徳之島の自治体、住民の頭越しに基地の移設案を表明することで、島民の拒否の運動に火をつける。現実の鳩山首相のやっていること、マスコミや野党からたたかれていることと同じことを、夢の中では冷徹に考えた上での戦略としておこなっていったのです。

夢の中ではさらに厚木海軍飛行場のある神奈川県にも受け入れの打診をすることで、首都圏にも大きな反発を作り出し、全国的な反基地の盛り上がりを形成していきました。そしてそれら,いくつかの節目となる局面で国際的な報道機関にリークし、沖縄普天間の事態を国際的な広がりをもって報じられるよう仕組みました。
 夢の中の鳩山首相は実に見事な役者でした。国民はその計算された「迷走」の実際をしりません。マスコミもこぞって政府の無力さをなじりました。しかし、間違いなく民意は盛り上がり、世界のマスコミはこれを伝えました。
その上にたって、5月下旬、鳩山首相は日本国政府声明としてアメリカ政府に対して次のような趣旨の文章を送ります。

「今、日米両国の関係は大きな危機の中にある。沖縄の全県民が海兵隊普天間基地の県外への移転を求めている。移転先にと検討した鹿児島県徳之島でも、全ての自治体と住民がその受け入れを拒否している。日本本土の米軍、自衛隊基地周辺でも同じだ。つまり日本国中の全自治体、全国民が国内移転を拒否している。これを承知であえて移転を強行するなら、大きな混乱を招かざるを得ないし、日米関係全体に悪影響をおよぼすであろう。
日本国政府は、普天間からの海兵隊の移転先をめぐり、沖縄県内、外にわたってその可能性を探ってきたのだが、いまや残された結論はただひとつだ。沖縄の海兵隊は日本から撤退していただくしかない。それが国民の意思であり、その代表機関としての日本国政府の結論だ。日本国以外のどこに持っていくかは日本国が口を出すことではない。」

 夢の中、国際世論は日本の姿勢を支持しました。

アメリカは普天間から国外に移転せざるを得ませんでした。


 この戦略を練ってきたのは鳩山、小沢を軸とする少数の政治家でした。特に小沢は「第七艦隊があれば日本の全ての米軍基地は不要」といい、「米国との対等な関係を目指す」と主張してきたことで、アメリカと日本国内アメリカ派から常に狙われ続け、失脚すれすれのところで生き延びてきていた政治家です。歯車の推進役には沖縄県知事も参加しました。沖縄県民集会に知事が参加し、県内移設にNOと言ったことで完全に退路を断ち、アメリカへの大きな圧力を与えることに成功したのです。

 夢から覚めてみたら、TVで、みのという司会者が、コメンテーターの元三重県知事と「県内移設」の可能性に言及している鳩山政権の迷走ぶりを笑い、国外を主張する同じ与党の社民党党首を「彼女は困っているだろうな。」「うん、泣いているでしょう。」とニヤニヤ笑いながら話しているところでした。
困っているのも、泣いているのも、沖縄、そして、アメリカにとっての愛犬ポチ、日本とその誇りなのです。

 夢の話はこれで終わりです。

 で、どうでしょうか。「迷走」は狙ってのことなのか、ただそうなってしまっただけなのかはいまさら問いません。でも結果として、起こってきている沖縄普天間の海兵隊基地国外撤去のエネルギーを、「夢」のようにつないで行くことはできないものなのだろうか。
さらにその続きを嘉手納、岩国、横須賀、厚木、三沢へと。

私の長年の友人が次のようなメールを送ってくれました。

「私も還暦を過ぎ、もう62才です。私が生まれる前からの米軍、占領軍を見て育ち、もういい加減に外国の占領軍は追い出したいと強く思いました。そうでないと私の生涯は占領下で一生を過ごし、独立国での経験がないままに黄泉の国へ旅立つことになりそうです。」

私もまったく同じ意見です。

沖縄に申し訳ない。
ポチ日本に終止符を!

これを単なる春の夢話に終わらせたくはありません。

  写真は外で遊ぶオンドリとメンドリたち

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「ヘルシーエコライフ」の「奇跡よ、起これ」経由のみなさまへ


今晩、書きますので少しお待ちください。
昨日は水田への堆肥散布やお米の発送業務で一日が終わりました。

昨日の午後、息子のフエンス作りがようやく完成し、ニワトリたちの一群がはじめて外に出る。
うれしいんだねぇ。喜びを全身であらわしているよ。それはそうだね。鶏舎の中は10坪の世界。やっぱり狭い。お日様の下で、駆けたり、草を食ったり、土を突っついたりとさまざまだが、一様に喜んでいるのが良く分かる。見ていて退屈しないね。
ようやくはじまった春。まだ草は十分ではないがやっぱり緑にニワトリはよく似合う。これからずっと、外遊びができるぞ。彼らにとってもうれしい日々が続く。

 昨日、ビニールハウスに行き、苗床にかけていた育成用の被覆シートをはいでみたら、稲の苗がようやく1.5cmほどになっていた。全体的に寒さの影響を受け、生育が遅い。今日から、息子は鶏糞散布の準備に入る。オレは苗への散水作業の後、玉子の配達と集金だ。春はあわただしい。

写真をダブルクリックしてみてください。ニワトリたちの喜びようが
 伝わってくるようです。



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 4月の最後の日。
小雨が降る午後、息子と二人で堆肥散布をした。
寒さが続いていて、山々にはまだ雪がたくさん残っている。
畦の草は生えてきたばかりでまだ心もとない。
農家は会えばすぐに始めるのがお天気の話。これは今に始まったことではない。だけど今年は誰もが心配そうに、この天候は異常だと話している。とにかく寒い。こんな日が続いていて、種を撒いても芽がなかなか出ない。出ても成長が遅い。
 これらのことが農家に平成4年の凶作を思い出させている。緊急にタイ米を輸入したあの凶作だ。もし、凶作になったとしても、昨年カビ問題で注目を集めた輸入米、ミニマムアクセス米があるではないか、今年は大量に処分できる好機到来と政府筋は考えるかもしれないが、食わされる立場に立てばたまったものではない。しかし、市場に米がなくなればこれだって奪い合いになるだろう。今年はどんな年になるのか。
 いま散布しているのはレインボープラン堆肥で、これが終わればすぐに自然養鶏の醗酵鶏糞の散布に入る。二種類の堆肥散布と化学肥料に農薬を極力省くのが我が家のこだわりだ。その後に耕耘、代掻き、田植えと続き、終わるころには6月になっている。さてと・・、厚着をして田んぼに出よう。ヒッと手鼻をかむ。ああ忙しい。

   写真は堆肥散布中の息子、オレはこちらで鼻水たらしながら眺めている。

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ようやく原稿が仕上がりました。
東京の出版社である創森社からお話をいただいたのはずいぶん前になります。
ニワトリと一緒に暮らしている農家のあれやこれやを気楽なタッチで書いた本です。
以前、「現代農業」に一年間ほど連載していた「山の神様と歩む自然養鶏」という文章に、書きためていた文章と書き下ろした文章を加えて出来上がりといたしました。
まだ、本の題名はきまっていません。きまりましたら、お知らせいたします。
たぶん、お盆ごろの出版となるのではないでしょうか。
共著はけっこうあったのですが、単独で出した本としては今回で二冊目です。一冊目が「生ごみはよみがえる」(講談社)です。これは鉛筆を使って、一字一句レポート用紙に書いたものでした。今回のものはパソコンに打ったものです。
仕上がりはどうなるでしょうか?
楽しみです。

今夜は久しぶりに晴れて上弦の月。
すがすがしい月夜です。
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紅梅と雪。
赤と白。
季節はずれの雪でこんな風景が生まれました。
なかなかなものですね。普通ではありえない光景です。
少しの歌心でもあれば、短歌のひとつもひねりだせるのでしょうが、なんにも。

写真をダブルクリックしてみてください。
  きれいですよ。

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びっくりした。
朝起きてみたら真っ白な銀世界。それも20cmの積雪、半端ではない。4月の半ば過ぎにこんなに雪が降るなんてちょっと記憶にない。

 どうすんべ。まだ種まきの準備ができていない。育苗ハウスに屋根ビニールをかけていなかった。だからハウスの中も雪の原だ。まさか雪の上に種を置くわけにはいかない。ハウスの中の雪はいつ溶けてくれるだろうか。土が乾かないと耕運もできない。18日に屋根ビニールをかけ20日には種まきに入る予定だった。予定より一週間は遅れてしまう。田植えもそれだけ遅れるだろう。困った。

 いつものことなのだが、仕事は早めに取り組んでいけば何の問題もなかったのだけど、それができないのですよ。ぎりぎりにならないとできない。なんとかならないだろうか、このクセ。

 文章を書いたり(なんて言うと聞こえがいいんですが、単なる身辺雑記です。)、NPO「レインボープラン市民市場虹の駅」にかかわる作業にも出かけ、他方で玉子の配達や集金、育苗箱への土いれなどをやってきた。このように「他方で」と、本業の農業にかかわる仕事を位置づけざるを得ないほど、他のあれやこれやが忙しかった。もう春。農繁期が始まる。そろそろ農作業を中心とした生活に入らなくてはならないなと思っていた矢先の雪だった。罰だね、これは。

  (写真は今朝の我が家の風景)

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 雪が溶けて土が久しぶりに顔をだした。
草の生い茂る季節はもうすぐだ。
ニワトリたちにとって、大地の上で思い切り遊べる春がやってくる。雪に閉じ込められた長い冬ともおさらばだ。鶏舎の外にでて、草地いっぱいに広がって伸びやかに遊ぶ。土をつっついたり、虫を追いかけたり、草をついばんだり、駆けっこをしたりの楽しい毎日がはじまる。そんな姿を見るために子どもや孫をつれた人たちがやってくる。道を通る人も立ち止まって見ていく。時には車でやってくる人たちもいる。こんな光景ももうすぐだ。

さぁ、フェンスをまわそう。

ある日、作業をしている私のところに、建ちゃんが声をかけてきた。
「こんなフェンスで、よく逃げていかないなぁ。」
えっ、逃げるって?なぜ?
そう、なぜ?なのだ。こちら側がつらくて、不幸で、あちら側が楽しくて、幸せで・・・。こんな場合はこっちからあっちに逃げていきたくもなるだろう。だけどな、こっちにおいしい食事があって、楽しくて、幸せでというならば逃げ出す必要がないではないか。
「逃げ出すなんてないよ。ただ野菜畑に侵入しないようにと思ってな。」

 さて、日本人とニワトリのことは「神話」の中にも、岩戸の中に隠れたアマテラスを呼び出すためにオンドリを一斉に鳴かそうとした話として出てくるから、ずいぶん古い話だ。たぶんその時代にもあっちこっちにニワトリたちがいたのだろう。
 それからずいぶん時はたって、とは言ってもオレが小さかったころのことだが、やっぱり村の家々ではニワトリを飼っていて、庭で遊ぶのんびりとした光景を見ることができた。こんな風にニワトリとの関係はずいぶん長くから続けてきており、かつ、その関係もそう悪くはなかった。ニワトリたちは逃げることなど考えなかっただろうと思う。

 やがて、経済効率や生産性という考え方が入ってきたことで、この関係は一変する。ゲージに閉じ込めてニワトリを飼うようになった。両者の関係は歴史上、最悪だろうと思われる。

 おそらくゲージの中のニワトリたちは、機会があれば一目散に逃げていこうとするだろうな。歩くことができない、羽を広げることもできない。風を感じることも、お日様にあたることもない毎日。ただただ卵を搾り取られるだけ。これほどの不幸は、他のどこへいってもないのだから。たとえ、途中でキツネかタヌキに襲われて、そこでいのちが終わることになったとしても、けっして「しまった。」とは思はないだろう。それでもゲージの中にとどまるよりはずっとましだと思うはずだ。

 逃げよう!もう人間には金輪際近づくな。野生にかえろう。

 もう一度、いい関係を取り戻そうよ。何がどうでもいいことで、何が大切なことなのかを暮らしの中から考えてみようじゃないか。ニワトリを通して、何かきっと、俺たちが失ってしまった大切なものが見えてくると思うよ。変わってしまったのは俺たちの方なのだから。

  (写真は、雪の消えた大地の上を、オンドリを先頭に散歩するニワトリたち)


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種籾の消毒が終わった。
モミを60度のお湯に5〜7分ほどつけたあと、今は水の中に浸している。
いよいよだ。

 春ははじまり。

 今年から田んぼが5反ほど増える。
その田んぼは今まで82歳の栄さんが近所の人から借りていたものだ。自分のものを含めて1・3hほどの水田を耕していたが、いよいよできなくなった。それがこちらに回ってきた。
 栄さんにとって午後の3時過ぎは晩酌の時間で、夕方、話があるからと言うので行ってみたら、やっぱりいっぱいやっていた。歳に似合わずウイスキー党。水割りを飲みながら、あずけたい田んぼの説明をしてくれた。
「自分の田んぼは作れるのかって?当たり前だよ。まだまだ大丈夫だ。それに孫がやってみたいと言っているしよ。」
 孫は20歳で工場に勤めているが、あまり仕事がなく、週に3〜4日も行けばいいので田んぼをやってみたいのだという。
「機械はまだ動くしよ。孫がやりたいというんじゃ教えなくちゃな。」
栄さんは張り切っている。まだまだ現役だ。

 先日、70歳になる豊さんから「俺の田んぼを3反ほど買ってくれないか。」と電話があった。ちょっと前なら一反で120万はした田んぼ。去年豊さんはその田んぼ3反を120万円で買ったばかりだ。それを今年、90万円で手放したいと言う。何があったのだろう。「いや、ちょっとな・・・・。」と豊さんは口を濁して語らなかったが、よくよく困ってのことだろう。何とかできないかと息子と相談したが、断らざるを得なかった。我が家にも余裕はない。

 隣の建ちゃんは74歳。ひざが痛いと足を引きずりながら歩いている。奥さんは建ちゃん以上に足が悪い。彼は4hの田んぼをほとんど一人でやっている。もう、苗箱に土入れ作業をやっていた。
「早いなぁ、建ちゃん。」
「うん、にわかなことはできないからよ。少しずつやっていかないとな。」
作業の手を休めて笑顔で応えてくれた。建ちゃんには笑い顔が似合う。

 専業農家の道さんのところに行ったら、一人で庭木の雪囲いをはずしていた。息子は生産組合の研修で泊まりだという。息子といっても46歳。まじめに働く好男子なのだが、まだ独身だ。
「なかなか来てくれる人がいなくてな。誰かいいひといないかな?」
73歳の道さんにとって、息子の行く末が心配だ。

 栄さんから引きついだ田んぼの持ち主と小作料について話し合ってきた。
「何ぼでもいいんだ。お互い様だから・・。」と、安い米値段にいたく同情され、励まされて帰ってきた。

 村の春。
さまざまな春。
いろんな思いを持ちながら、田んぼの季節が始まっていく。



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