ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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雪が消えて
雪が溶けて土が久しぶりに顔をだした。
草の生い茂る季節はもうすぐだ。
ニワトリたちにとって、大地の上で思い切り遊べる春がやってくる。雪に閉じ込められた長い冬ともおさらばだ。鶏舎の外にでて、草地いっぱいに広がって伸びやかに遊ぶ。土をつっついたり、虫を追いかけたり、草をついばんだり、駆けっこをしたりの楽しい毎日がはじまる。そんな姿を見るために子どもや孫をつれた人たちがやってくる。道を通る人も立ち止まって見ていく。時には車でやってくる人たちもいる。こんな光景ももうすぐだ。
さぁ、フェンスをまわそう。
ある日、作業をしている私のところに、建ちゃんが声をかけてきた。
「こんなフェンスで、よく逃げていかないなぁ。」
えっ、逃げるって?なぜ?
そう、なぜ?なのだ。こちら側がつらくて、不幸で、あちら側が楽しくて、幸せで・・・。こんな場合はこっちからあっちに逃げていきたくもなるだろう。だけどな、こっちにおいしい食事があって、楽しくて、幸せでというならば逃げ出す必要がないではないか。
「逃げ出すなんてないよ。ただ野菜畑に侵入しないようにと思ってな。」
さて、日本人とニワトリのことは「神話」の中にも、岩戸の中に隠れたアマテラスを呼び出すためにオンドリを一斉に鳴かそうとした話として出てくるから、ずいぶん古い話だ。たぶんその時代にもあっちこっちにニワトリたちがいたのだろう。
それからずいぶん時はたって、とは言ってもオレが小さかったころのことだが、やっぱり村の家々ではニワトリを飼っていて、庭で遊ぶのんびりとした光景を見ることができた。こんな風にニワトリとの関係はずいぶん長くから続けてきており、かつ、その関係もそう悪くはなかった。ニワトリたちは逃げることなど考えなかっただろうと思う。
やがて、経済効率や生産性という考え方が入ってきたことで、この関係は一変する。ゲージに閉じ込めてニワトリを飼うようになった。両者の関係は歴史上、最悪だろうと思われる。
おそらくゲージの中のニワトリたちは、機会があれば一目散に逃げていこうとするだろうな。歩くことができない、羽を広げることもできない。風を感じることも、お日様にあたることもない毎日。ただただ卵を搾り取られるだけ。これほどの不幸は、他のどこへいってもないのだから。たとえ、途中でキツネかタヌキに襲われて、そこでいのちが終わることになったとしても、けっして「しまった。」とは思はないだろう。それでもゲージの中にとどまるよりはずっとましだと思うはずだ。
逃げよう!もう人間には金輪際近づくな。野生にかえろう。
もう一度、いい関係を取り戻そうよ。何がどうでもいいことで、何が大切なことなのかを暮らしの中から考えてみようじゃないか。ニワトリを通して、何かきっと、俺たちが失ってしまった大切なものが見えてくると思うよ。変わってしまったのは俺たちの方なのだから。
(写真は、雪の消えた大地の上を、オンドリを先頭に散歩するニワトリたち)
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2010.04.08:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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村の春
種籾の消毒が終わった。
モミを60度のお湯に5〜7分ほどつけたあと、今は水の中に浸している。
いよいよだ。
春ははじまり。
今年から田んぼが5反ほど増える。
その田んぼは今まで82歳の栄さんが近所の人から借りていたものだ。自分のものを含めて1・3hほどの水田を耕していたが、いよいよできなくなった。それがこちらに回ってきた。
栄さんにとって午後の3時過ぎは晩酌の時間で、夕方、話があるからと言うので行ってみたら、やっぱりいっぱいやっていた。歳に似合わずウイスキー党。水割りを飲みながら、あずけたい田んぼの説明をしてくれた。
「自分の田んぼは作れるのかって?当たり前だよ。まだまだ大丈夫だ。それに孫がやってみたいと言っているしよ。」
孫は20歳で工場に勤めているが、あまり仕事がなく、週に3〜4日も行けばいいので田んぼをやってみたいのだという。
「機械はまだ動くしよ。孫がやりたいというんじゃ教えなくちゃな。」
栄さんは張り切っている。まだまだ現役だ。
先日、70歳になる豊さんから「俺の田んぼを3反ほど買ってくれないか。」と電話があった。ちょっと前なら一反で120万はした田んぼ。去年豊さんはその田んぼ3反を120万円で買ったばかりだ。それを今年、90万円で手放したいと言う。何があったのだろう。「いや、ちょっとな・・・・。」と豊さんは口を濁して語らなかったが、よくよく困ってのことだろう。何とかできないかと息子と相談したが、断らざるを得なかった。我が家にも余裕はない。
隣の建ちゃんは74歳。ひざが痛いと足を引きずりながら歩いている。奥さんは建ちゃん以上に足が悪い。彼は4hの田んぼをほとんど一人でやっている。もう、苗箱に土入れ作業をやっていた。
「早いなぁ、建ちゃん。」
「うん、にわかなことはできないからよ。少しずつやっていかないとな。」
作業の手を休めて笑顔で応えてくれた。建ちゃんには笑い顔が似合う。
専業農家の道さんのところに行ったら、一人で庭木の雪囲いをはずしていた。息子は生産組合の研修で泊まりだという。息子といっても46歳。まじめに働く好男子なのだが、まだ独身だ。
「なかなか来てくれる人がいなくてな。誰かいいひといないかな?」
73歳の道さんにとって、息子の行く末が心配だ。
栄さんから引きついだ田んぼの持ち主と小作料について話し合ってきた。
「何ぼでもいいんだ。お互い様だから・・。」と、安い米値段にいたく同情され、励まされて帰ってきた。
村の春。
さまざまな春。
いろんな思いを持ちながら、田んぼの季節が始まっていく。
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2010.04.02:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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米袋につけた手紙
お待たせしました。ようやく申告作業にメドがたちました。ブログの再開です。これまでの間、コメントでつないでいただいた皆さん、ありがとうございました。
留守の間もたくさんの出来事がありましたよ。まず何から書こうかとかんがえましたら、やっぱりこれですね。米袋。出荷に使用する5kgの袋は、全て既存の袋を買い求めたり、白鷹町の精米センターのものを使わせてもらったりしていましたが、今月から自分達でデザインしたオリジナルな袋に変えました。そのお米に添えた文章です。
☀☀今月から米袋がオリジナルなものに変わりました。
「土、いのち、循環のもとに・・菅野農園」
はじめて「菅野農園」としました。今までは菅野芳秀の名前で出荷していましたが、それでは息子が隠れてしまいます。そこで今回の袋をきっかけに、積極的に「菅野農園」を表にだし、代表者を菅野春平としました。今年で28歳になります。私は60歳になりましたから時期としても丁度いいかなと。
実際のところ、田んぼにしても、ニワトリにしても息子が中心の労働になっています。もちろん、私もまだまだ現役の百姓。75歳ぐらいまではせっせと田んぼに通いますよ。その点では同じなのですが、「今度はオレが背負うことになる。」という息子の自覚がね。違うものになるのだと思います。
☃☃「3ヘクタールの水田と1,000羽の自然養鶏」。これが菅野農園の現在の内容です。田畑の副産物をニワトリに。ニワトリの副産物を田畑に。これらの循環を大切にして、農薬、化学肥料は極力使用しない。土は世代を超えたいのちの資源。土を大切にしつつ、できたお米や玉子はメッセージを添えて直接消費者に。これが菅野農園の基本です。これからどのような経営になっていくのかは息子しだいですが、この基本は変わらないと思います。
「とき(時)が来る。とき(佐渡の朱鷺)になる。」これは私の造語です。農の時代がやってくる。でもそこには農民はいない。農民は佐渡島の朱鷺のようになっていく。以前、そんな時代を予感して言葉にしたのですが、残念ながら時代はそのようにすすんでいます。農や食を考えるシンポジュウムなどに出てみても、そこに農民の姿を見ることは本当に少なくなりました。日本はどこに行くのでしょう。そんな時代のなかで、農民として生きて行くを選択した息子。「菅野農園」のこれから。どうぞお見守りください。
☃☃まだまだ雪の世界です。
南の方からウグイスの便りが聞こえてきます。もう梅の花は散ったと和歌山の友達は教えてくれました。ですが、我が村はまだまだ雪のなかです。そうですねぇ。田んぼには50cmほどはあるでしょうか。屋根の雪が落ちたところには150cmぐらいの雪の小山が。山々にはどんな花も咲いていません。まだ冬山です。 それでも暖かくなっていますね。山々では雪崩が始まりました。春はそこまで来ています。種の芽だしが始まります。
(写真はダブルクリックで大きくなります。)
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2010.03.08:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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ドイツのくみさんから
ドイツの「くみさん」からのコメントがすばらしい。これはコメント欄においておくのは実にもったいないと思い、くみさんには無断で載せました。くみさん、あしからず。
以下はくみさんの文章です。
先進的植物工場施設整備費補助金制度概要と言うのがあるんですね。
たまたま、私が開いたブログ(下にULRあります)に、
「植物工場セミナーのお知らせ」という宣伝のULRが出ていましたので、開けてみたら、なんと、政府はこんな戦略を立てているじゃありませんか。
「園芸農業の発展と地域活性化を目指して植物工場の普及拡大を図る」
日本は、こんなことをしようとしているんですか!
「平成21年度補正予算額47.2億円」
こんなお金を、食べ物を工場でつくる政策につぎ込むなんて。それで国民の食料安定供給を満たそうという根本的に間違った(私は間違っていると思う)流れを更に支援しようというんですか。
たとえば、冬に、レタスやトマトを食べるという、すでに狂った常識が消費者に浸透してしまっていることこそ何とかしなくちゃいけないことなのに、消費者が高く買うから、という市場心理にこたえて、工場で野菜を作って売れば、露地野菜より儲かるから、と業者が作る。こんなバカげた循環こそ断ち切らなくてはいけないのに。
それを変えていこうという流れを支援しないで、植物工場だなんて!!しかも、これが地域再生?経済産業省の役人はジャガイモがどうやってできるか、知らないんですよ。見たこともない。フライドチキンは鶏から作るって知らない。ひき肉が豚や牛から作られることも。
私のブログの中ですが、
「魚も肉も、野菜も、加工食品も、ほとんどすべてが、この番組(ブログの中の映像)の指摘しているとおり、グローバルビジネスに翻弄される庶民向けに作られ、販売されているのだなあ、と、しみじみ感じました。100g30円のひき肉、鶏丸ごと1羽、200円、アフリカから来た薔薇がひと束198円。牛乳1L80円。こんなことがあっていいのか? このフィルムの中に、アフリカ・セネガルのダカールの話が出ていました。
ダカールの最大のマーケットには、EUのトマトが並んでいるんだそうです。それは地元のトマトの3分の1の値段だそうです。だから地元の農家がやっていかれない。それで、EUの企業が経営する野菜農場に労働者として雇われる。そこで農薬を全身に浴びながら仕事をしたり、その仕事もない人はEU各地に出稼ぎに行っておよそ人権など無視した労働力として使い捨てられているというのです。」
上は農場と書きましたが、実態は工場です。
このフィルムの全編版http://video.google.com/videoplay?docid=-7738550412129841717#
には、スペインの実態が映されていますけど、トマトの苗なんて泣いていますよ。
1960年代にEU市場向けに政府が砂漠のような土地に水を引き、農民を誘致して大植物工場地域を作ったのです。
見渡す限りの土地をビニールハウスが覆い尽くしています。上の写真を見てください。想像を絶しますね。
その中で、集中治療室の病人さながらいろんな薬や栄養を点滴みたいに根元に注入されているんです。そうやって病気にならないよう、人手がかからないよう、早く安く実をつけるためにあらゆる技術を駆使してトマトの安定供給を図っている。そのトマトが、1000km以上離れたベルギーや、ドイツで、500g150円かそこらで売られているのです。でもスペインは今や、トルコや北アフリカ諸国の安い労働力に押されぎみで、苦戦を強いられているというのです。40年経って、スペイン政府は今度はどんな手を打つでしょう。
植物工場を日本にどんどん増やすことが、日本の食糧戦略であり、地域の活性化につながると信じる政府。儲かるためには何でもする企業。安くておいしければ何でも買う、何でも食べる国民。
恐ろしいことです。
菅野さんの勉強会、どうぞ、熱弁をふるってください。
菅野さんの卵が、世界を変えるには、一人一人の心を揺さぶり、これでいいのか?と、問いかけなくてはなりませんよ。
消費者には、1パック198円の卵が魅力的なんです。
なんでも安いのが平気なんです。
その消費者を変えなければ生産者はやっていけません。
消費者が変われば、政府や企業は玉虫色ですから、いかようにも変わると思うのです。
彼らは儲かれば、自分の立場が安泰なら、それでいいんですから。
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2010.02.17:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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ばかされる
雪に囲まれた生活が続いている。
木々の枝えだは雪におおわれていて、
風はそれらの間を静かに通り過ぎていく。
今は何の音も聞こえない。
全てのものが冷たく凍りついたような夜。
先ほど窓の向こうをすーっと白い和服をまとった「雪女」らしきものが通り過ぎて行った。
声をかけ、お茶でもいっしょにと思ったが、間に合わなかった。
今日の午後、西根地区公民館に行ってキツネの被害の話をしたら、
お茶のみに来ていた人達がかつてキツネにばかされた(幻惑された)村人の話をしてくれた。
「あのね、近所の○五朗さんは、自分の家の前を通り過ぎてどんどん山の方に入っていこうとしたんだと。夜中にだよ。幸いにも偶然、近所の人に見つけられ連れて帰ってもらった。キツネにばかされたんだともっぱらの評判だった。見つけてもらえなかったらあぶなかった。」
「○○ばあさんがまだ娘のころの話だ。隣の家のおばさんが町に買い物にいったきりいなくなった。みんなで探したら家とは反対の方向で見つけられたと。自分が誰だか分からなかったという。キツネに化かされたんだ。」
お茶を飲んでいた人達からこんな話をたくさん聞いた。
「ほんとか?今で言う認知症だったのではないか?」
「いや、みんな若かく、そんな歳ではなかったという話だ。」
「やっぱり、キツネだと村の人達は信じているよ。」
おばさんたちの話は続く。みんな本気だ。えぇっ、そんな話は遠くの人達の話かと思っていたよ。確かにオレも小さいときにはキツネにばかされた人達の話を聞いてきたけど、今もなお、恐ろしそうに話す人達がいる。もし、今でもそんなことがあるとすればオレは危ない。何度も捕まえたし・・・奴らにはたくさん恨みをかっているから。
もし、オレの誘いにのって雪女が簡単に部屋に入ってきてくれたら気をつけなければならないな。キツネかもしれないのだから。気がついたら、寒い鶏舎の鶏ふんの上に裸で寝ていたなんていうことになりかねない。
いや、実におっかない話だ。
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2010.02.01:
kakinotane
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地元の猟師に聞いてみた
地元の猟師に聞いてみたら、確かにキツネは増えているということだった。
「俺たちもキツネを追わなくなって久しい。何故って、キツネの皮が売れなくなったからよ。昔は一匹で2〜3万円にはなった。」
彼の言う皮とは襟巻きなどに使う毛皮のことだ。確かに最近では、キツネの襟巻きをしている婦人を見かけなくなった。例の頭から尻尾までついているヤツ。かつてキツネに限らず小動物の毛皮を頸に巻いている婦人がいた。見なくなったのはいつごろからだろうか。
もし、いまキツネの襟巻きをして街を歩いている人がいたら
「キツネがかわいそう。」「気持悪い。」「生理的に受け入れられない。」など、
環境派、自然派のみならず、普通の人達からも批難の声が上がるかもしれない。動物愛護団体などからもクレームが来るかも。
そういえば動物のはく製などもあまり見なくなった。金もちの玄関などにはきまって鳥や獣のはく製があったものだ。なくなったよなぁ。
人々のモノサシが変わったんだべね。環境破壊の進行と自然志向が人々の美的感覚を変えたのだべか。
その結果としてキツネが増え、我が家のニワトリが襲われるようになったということか。
ここだけの話だけどとことわり「食パンに殺虫剤を沁みこませておいておけばキツネを殺すことができるよ。」と教えてくれた人がいた。う〜ん・・・。 たしかに奴らは数十羽のニワトリ達を一晩で殺戮する獣だ。でもそれはできないよなぁ。こう見えて俺も環境派だし自然派だからね。あまっちょろいかもしれないけど・・・。
困ったよ。
やっぱり当面は頑丈に鶏舎を守り、奴らの侵入を防ぐしかないということだべね。
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2010.01.20:
kakinotane
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キツネ再来
キツネを捕まえた。これで二匹目だ(バックナンバー2009年5月21日「キツネがきた」)。
昨年の秋のことだ。
「ちょっと来て。キツネがかかっている。」
朝、息子が息せき切って呼びにきた。
「なに!本当か!」
鶏舎に走った。
今までずいぶん被害にあった。今年だけでも4度。被害数は180羽にも及ぶ。彼らに襲われた後の鶏舎に行けば、足が震え、思わず叫び声が出る。鶏舎の内外に数十羽の鶏のみじめな死骸が横たわっているのだ。「・・・どうして・・」
どうしてこれほどまでに・・。ライオンだって、必要以外の獲物は殺さないと聞く。一度にこんなにたくさんの鶏たちを食べられるはずがないのに。殺すこと自体が目的なのか。あまりにも残虐な・・・。一羽だけを襲うタヌキがかわいく思える。やられた鶏の多くはようやく玉子を産み出したばかりの若鶏だった。すべて集めても1000羽ほどの小さな自然養鶏。経営的にも大きな痛手となっていた。
キツネは金網を食い破って侵入してくる。補強するー侵入するー補強するー侵入する・・・のくり返しだった。もう大丈夫だろうと思っても、予想を超えたところから侵入してくるのだ。キツネは残虐だ、あるいは狡猾だ、頭がいい・・・などという民話上の話には根拠があった。我が家が経験したようなことを昔からたくさんの人達が経験しながらこの国のキツネ観が出来上がってきたのに違いない。
罠には小ぶりの痩せたキツネがかかっていた。俺の顔を見て逃げ出そうとするも、足ががっちりと挟まれていて動けない。
「そうか、腹へっていたのか。だけど許してやるわけにはいかない。」
わが農園は、自然との共生を謳っている。だけどそれにも限度がある。その線引きはお前と相談して決めたわけではないが、お前を放してやれば、更に数十羽のニワトリ達が殺されかねないのだから。
キツネよ。朝日連峰に棲むお前達には、昔からお前達にふさわしい食べ物があるだろう。ニワトリはお前達の食文化の外にあったはずだ。俺にしたってお前達を捕まえたくはない。キツネとのあれやこれやは民話の世界で充分だ。もう来るなよな。
写真をダブルクリックすれば大きくなります。キツネの眼にご注目!
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2010.01.12:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
たくさんの雪が降り、あたり一面が真っ白な銀世界、白と黒の世界となっています。
正月の朝、山に分け入り、私が「山の神さま」と呼んでいる、この地の微生物達へ新年のご挨拶に行ってきました。もう16,7年続けている行事です。
太古の昔から今日まで、全てのいのちあるものを次のいのちに繋いできたこの地の微生物たち。山の神さまたちによるいのちの循環。
百姓としてこの循環に調和する農業をとこころがけ、市民としてレインボープランという名の循環型地域づくりをこころざしてきました。
「今年も精進して歩みます。お見守りください。」
山々は雪でおおわれ、聞こえてくるものは雪が風に乗って、木々を揺らせる音だけでしたが、何かジワーッとしたエネルギーが体に沁みこんで来たように思いました。
また一年が始まりました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2010・1月 元旦 山形の百姓・菅野芳秀
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2010.01.03:
kakinotane
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更新の変わりに
稲刈りが始まりました。
ブログの更新の代わりに下の記事を読んでおいてください。
俺の・・ま、いいか。
http://blogs.yahoo.co.jp/rodojoho05/50634737.html
いい秋ですよ。
刈り入れにふさわしい秋晴れが続いています。
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2009.09.27:
kakinotane
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つづき
前回の続き
青年達が農業労働者の方に惹かれるのは根拠のないことではないよな。
前回のブログの末尾に書いたけれど、
農家になること、それを続けること、村の付き合い・・などを考えれば
手っ取り早く勤め人になったほうが・・と考えるのも仕方がないともいえる。
青年達は農家になることを求めているのではなく、今よりももっと土や生命体とつながることをもとめているのだろうし、その方向を農的生活へのパーセンテージを高めることにおいているのだろうから。
この動機自体は歓迎すべきことで、否定されることではないべね。
ここでロシアのダーチャを思い起こすよ。
「ロシアは今も荒れ模様」(米原マリ著)で知ったのだけど
ソ連からロシアに変わる動乱の時期、経済破綻の時期にあっても
国民の食糧生活は安定していた。その訳はダーチャにあったと書かれている。
青年達の農への流れと日本型ダーチャの構築とを
つなげられないだろうか。
青年達に限らず、国民全体の農的生活のパーセンテージを高めていく方向にだよ。
農家も、生産法人も、半農半Xも、ダーチャも・・・
混在する転換期の日本農業・・・。
いいんじゃないだろうか。
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2009.09.24:
kakinotane
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農学生からの質問
もうじき稲刈りがはじまります。
写真の風景は我が村と水田。
黄金色です。きれいですよぉ。
(ダブルクリックで。)
秋も深まったある日、こんなメールが飛び込んできた。農業を学ぶ学生からだ。
いつも楽しくブログを拝読しています。多分、2日に1度は覗いているのではないかと思います。ところで、今回メールさせていただいたのは9月10日付けの記事「芸能プロダクション」についてです。
日本雇用創出機構というところの調査では、日本のフリーターの約4割が「農業に興味を持っている」と回答しています。菅野さんの言うように、「時代が確実に農の側に来ている」のは間違いありません。ただ「生活の一部である」という農業を否定する人々は多いと思います。これは、日本の若いフリーターたちが行動できなかった理由の1つかも知れません。でも、そんな人達を説得するとしたら、一体なんと言えばいいのでしょうか?どうすればいいのでしょうか?どうしても分からないのがそこなのです。雇用や工業化が望ましいのかといえばそうではないと思うのですが、理由がついて来ないのです。(要約)
さてご質問への答だけど、難しいよなぁ。
俺が農民となった理由は単純だけど(「地域のタスキ渡し」参照)、たとえそれがなかったとしても、勤め人となり、給料をもらう農業労働者にはならなかっただろうなぁ。いまさらという感じだけど、それに恥ずかしながらでもあるんだけれどさ、俺は農業の魅力を以下のように捉えてきたんだ。
農家のやる農業はたいがい労働の場と生活の場が一緒だ。それだけに自分の個性、主体性、創造性において暮らしを自由にデザインできる。作り出すものの世界観においてさまざまな農業、さまざまな暮らし、さまざまな世界が生れる。そこが魅力だと。
だから、ここのところに面倒くささを感じたり、いまいち魅力を感じない人は勤め人のほうがいいだろうな。
俺は自分らしく生きたいと思い、個性を削りとられることなく、その個性とそれにもとづく創造性を何よりも大切にした農業と暮らしをと思ってきた。そこを基礎にして土や生命系、食に関係していきたいと思ってきた。こうなると単なる職業として農業を選び取ったというよりも、生き方として農民になったというほうが近いね。でも、これを言うと、生き方として・・・キザだねぇ、ぬけぬけとこんなことが良くいえますねぇという声はなかったわけではないよ。
それを承知でもう少し続けさせてもらうと・・・その観点に立ち、農業を始めるにあたっては、<二つの基本と四つの基準>を作ったんだよ。別に特別なことを考えたわけではないけどさ。
<二つの基本>は「楽しく働く」「豊かに暮らす」・・・なぁんだぁとなるかもしれないが、でもよく考えてみるとこれに尽きるんだよな。
これを受けての<四つの基準>は
1、暮らしの自給を大切にする
2、できるだけ自然生態系と共生する。
3、周囲の景観をデザインする
4、家族が参加できる農業とする
これを「金太郎飴農業」ならぬ「芳秀飴農業」と称し、さまざまな作物を植え、ニワトリを飼い、田畑との循環を作り出し、鶏舎のまわりには梅、プラム、サクランボなどのきれいな花を咲かせえる木々を植え、下には赤つめ草と白つめ草の種をまき・・・、田植えのときや、稲刈りのとき、子ども達は学校を休んで家族みんなで働いてきた。
学校を休むといえば冬の雪下ろしのときも休ませて、一緒に屋根に上ってきたよ。娘、息子のどちらの担任の先生も、ことわりの電話を入れると、笑いながら承諾したくれたっけ。子ども達がそれを望まなくなってからは止めたけどね。
「暮らしをデザインする」・・、農業を志す青年も、私の若いころと一緒だろうとおもっていたのだけど違ったのかな。
もう一度同じことを言うけど、俺は人生の一部として、だから当然「生活の一部」として農業を捉えてきた。職業としてというより、生き方として農業に就いてきた。他の何かのためにすり減らされる人生はいやだったしな。
だから質問にはそんな自分を語るしかないんだべね。
どんなもんだべ?
それと、青年を企業農業の勤め人に追いやるものの中に、百姓暮らしを自分で起こすことの大変さがあるだろうな。
そこのところは社会全体で考えてやらなければならないことだと思うよ。
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2009.09.23:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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ごめん
間違って、右側にある「お米と玉子を食べてみたい方のために」
に掲載するはずの文章が
「新米のご案内です。」の題名で
このブログのメインステージに出てしまいました。
品がないですね。
即、削除・・・しようと思いましたら
「お米と・・・」も一緒に削除になってしまうんです。
しょうがないですねぇ。
ごめん。ただの記事として見過ごしてください。
ご注文せずともけっこうです。
気にしないでください。
山形の百姓・菅野芳秀
2009.09.16:
kakinotane
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