ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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暑い夏から一転して雨続きの秋。田んぼがぬかるみ、稲刈り作業が思うように進まない。それでも何とかコンバインが稼動できる圃場はあるのだが、中には全く入れないところもある。写真の田んぼは地下水が高く、雨が続けばすぐにぬかるんでしまう。おまけに稲が倒れていて、無理に入ればキャタピラーの押し出す泥で隣の稲が埋まってしまうのだ。こんな田んぼが4枚、あわせて75a(75m×100m)もある。
 というわけで稲刈りを一時中断し、息子と二人で田んぼのなかに排水のホリを掘る作業を続けた。例年ならばこうなることを予想して、8月の早い時期に掘るのだがあの天気、今年はいらないだろうと思っていた。事実、圃場は乾き、中を歩いてもくるぶしより下に沈むことがなかった。ところが一転して雨が続き、歩けばズブズブと30cmは沈んでしまう。読みが甘かった。仕方がない。ぬかるんだ田んぼに足を取られながら、稲を掻き分けホリを掘っていく。一枚の田んぼの特にぬかるみの強いところから排水路まで「U」字型のホリを何本も掘っていく。腰の痛む仕事だ。
 あぁあ、夏のお天気の何分の一でもいいから、この圃場に分けてくれないだろうか。乾かないと作業にはいれない。
ま、こんなことをですね。情けなく繰り返し思いながらですね。泥まみれになっての作業をやらざるを得なかったわけですよ。
 少しましになった田んぼから順に刈り進んでいく。写真の田んぼは一方からしか刈れなかった田んぼ。
 稲刈り終わったなら、温泉に湯治に行くべ。


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毎日が雨、稲刈りができずに待機の日々が続いています。うるち米の田んぼはいいのですがもち米の方が問題。倒れてしまっているところが多く、その穂から芽が出てきたところもあります。
 コンバインは倒れている稲でも刈ることができますが、隣の稲をキャタピラの押し出す泥で埋めながら進んでいきます。これでは動けません。田んぼに堀をほって排水につとめ、土壌が乾いて固まるのを待つしかありません。
 あ〜あぁ・・、夏の天気がうらめしい。あの一部でもこの秋に分けてくれたらなぁ。東京では今でも夏日が続いているという。我が田んぼにそのカケラでも持ってこれないか。

 そんなわけで、家の中でたまった実務仕事をしていたところ、思い出したのですねぇ。飼い犬のモコにまつわるおもしろい出来事を。それをご紹介いたしましょう。憂鬱な日々には楽しい話を。これに尽きますね。

<以下>

 我が家にはモコという飼い犬がいます。中型犬でオスです。モコは気立てのいいこと、器量のいいことでは近所の評判です。ある晩、モコは鎖がとれて、月夜の村に散歩に出かけました。そして・・・出会ったのです。一夜限りではありましたが・・・妻となるべき運命の方に。朝までその方と一緒に過ごしました。それは人生で一番ステキな夜だったといいます。その当然の結果というべきか・・六匹の子どもが授かりました。オスもメスもいます。
人間たちは生まれたばかりの子犬たちを前に
「川に流してしまうべぇ。」、「どこに捨ててくる?」
などと無慈悲な言葉を投げかけています。

 どなたか子犬を引き取ってくれる方はいないのだろうか?幸せな出会いから産まれた子犬、きっともらっていただける方にも幸せの波動が届けられるにちがいありません。散歩のお供に。日々の暮らしの同伴者に。あなたの暮らしにもう一つのメロディが奏でられるでしょう。モコも言います。

 「太古の昔から、私ども犬はあなたたち人間のよき同伴者でした。あなたのそばに私の子がいることで、あなたを幸せにこそすれ、絶対に不幸にはいたしません。もらっていただけませんか?あなたのご連絡をおまちいたしております。」

 こんなことを書いて、およそ200軒の方々に配りました。そしたらさっそく反応がありまして6匹の子犬はそれぞれの家庭に引き取られていきました。だけどその後も「子犬はまだいますか?」という問い合わせが続きました。なぜだい?自慢じゃないが、堂々たる雑種だよ。その疑問に業界に詳しい獣医の友人が応えてくれました。

 「雑種の犬はいまや貴重価値なんだよ。血統書を持つ犬はペットショップで取引されるからビジネスとして繁殖されるけど、雑種犬はそうはいかない。でもビジネス以外の繁殖の道ってあるかい?鎖につながれているだろう。だから自然繁殖の道はない。異性との出会いもままならず、減少の一途をたどっているというわけさ。中には雑種の犬が欲しいという人もけっこういて問い合わせが来るんだが肝心のその子犬が見つからないんだよ。」

 我が家のモコの場合は鎖を解いて散歩に出かけた結果として子どもができたけど、それがなければ、子を持つことなく終わってしまったわけで、多くの雑種はその運命にあったわけですね。それを知って少し複雑な気分になりましたよ。

ほとぼりが冷めた頃、知らぬ振りしてまたモコを放してやろっと。村の犬は放し飼いが一番だよ。

ま、こんな話なんですが、憂鬱が晴れるほどのこともなかったですね。あ〜ぁ。


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 いよいよ我が家も今日から稲刈りです。
「思いのほかとれているよ。」
「米の肌が悪い。」
さまざまな声を聞く。
我が家の米はどうなんだろう。
まず、もち米から刈り取っていく計画だ。
もち米の終了後、コンバイン、乾燥機、籾摺り機などをきれいに掃除し
うるち米と混ざらないようにした上で、「ひとめぼれ」の刈り取りに
はいって行きます。

 辛淑玉さんから拙書への「書評」をいただきました。
恐縮しながら、掲載させていただきます。

 『玉子と土といのちと』(菅野芳秀著)

 伊江島の故阿波根昌鴻さんは、『命こそ
宝』や『米軍と農民』(岩波新書)の中で、
敗戦後、米軍が銃剣とブルドーザーで沖縄の
土地を収奪していたとき、米軍と闘う農民た
ちが陳情規定を作ったことを語っている。
 その中に、「人間性においては生産者であ
るわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚
を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構
えが大切である」と書かれていた。
 破壊者は、破壊することで金を生み、力を
蓄え、戦争、資源の収奪、環境破壊を繰り返
してきた。そうした資本主義の暴走の結果、
いまの20代の若者は、生まれてから一度と
して社会が上向きの時代を経験していない。
先の見えない不安感は絶望を産み、厭世感が
再生産されてきた。他者との関係を遮断した
り、自死を選ぶものも少なくない。
 人は土から離れては生きていけない。その
ことを笑いながら考えさせてくれた本が、菅
野芳秀著『玉子と土といのちと』(創森社)
だった。 日々のエッセイをまとめたニワト
リと玉子の本なのだが、これが読みながら爆
笑することばかり。
 農家の後継ぎという立場から逃げたい一心
だった青春時代。沖縄での基地反対派住民の
生き方から、地元を逃げ出さなくてもいいよ
うに、そこで生きて変えていく道を選んでい
った著者。
 身長191センチ、体重105キロ。自己
紹介は、「元プロレスラーです」とか「百姓
になる前は相撲取りでした」と笑いを誘う。
最近太ったことを気にしていると、母親が
「ダイエットで痩せようとする百姓がいるも
のか。たくさん食え、そしておもいっきり働
け。百姓は働いて痩せるものだ」と一喝。
 3ヘクタールの水田と千羽の養鶏、そして
自家用の野菜畑を循環型農業で営んでいる。
田畑から出るくず米やくず野菜、そして雑草
はニワトリの餌となり、鶏のフンが野菜畑の
肥料となるのだ。自然卵養鶏の玉子は、化学
調味料や鰹節を入れなくても美味しくいただ
ける。
 放し飼いにした鶏からは病気が殆どなくな
ったことなど、さまざまな実験を繰り返しな
がら、ニワトリの姿に自分を重ねる。狭い鶏
舎から広い空間に鶏を移したら、鶏たちは、
最初はおどおどキョロキョロしながら周囲を
見ていたという。
 著者もまた、18歳でふるさと山形を出て
東京に来た。テレビで知ってはいたが、見る
もの全てがカルチャーショックそのものだっ
た。
 例えば、団地に住む知人の家に行くと、お
風呂と便所が一緒になっている。こんな組み
合わせってあるのか!とのけぞる。きれいに
するところと排泄するところが一緒なんて。
家族がオフロに入っているときに、急にした
くなったらどうするのか。わけがわからない。
しかしここは東京。山形の実家が違っている
のはきっと遅れているからだと思い込もうと
する。
 食堂に行くと、刺身の上にとろろがかかっ
ている料理がある。しかし、品書きの短冊を
見てもそれらしい名前がない。もちろん値段
もわからないので、恐ろしくて注文ができな
い。刺身がトロだということはわかったので、
トロととろろで、「とろとろろ」かと探して
みたが見つからない。あきらめて戻った数日
後、それが「やまかけ」であると判明する。
実態からあまりにもかけ離れたその名前に唖
然とする。
 ラーメン屋に行ったときは、食べたことの
ないメニューを注文してみようと、ラーメン
と一緒に、メニューに書いてあった「さめ
こ」を頼むと、店の人が不思議そうに彼を見
た。そう、「さめこ」とは餃子のことだった。
餃子という字は、当時、田舎にはなかったの
だ。
 そんなエピソードに包まれながら、鶏たち
の世界と人間世界を往復し、気がつくと一つ
の卵を通して社会が見えてきた。ふーむ。
 それにしても、闘う農民はなんて愉快でカ
ッコいいんだろう。





 遠くにお住まいの方から拙書への書評をいただきました。
お読みいただければ分かりますが、とても丁寧に言葉をつづられる方です。
また、評者の感性の豊かさ、そのみずみずさが書評を通してにじみでています。このような方に書評を書いていただき、かつ望外の評価をいただきましたこと、光栄におもいます。(つい、いつになくあらたまった口調になってしまいます。)


「玉子と土といのちと」。
素晴らしい本でした。二回読みました。
「今度生まれるなら菅野さんちの鶏になりたい」。
その言葉がどれほどの意味を持ったものなのか、
ここでは、それが私なぞの想像をはるかに超えた大きなものであったことを教えられます。
この本はなによりも、学者が組み立てた理論や啓発の書ではなく、
「ドブロクに手作りソーセージ」という幸せに憧れる、大地に野太く根を張った男の実践の書であることです。その面白さ、迫力、驚き。そして読み終えた後に深く広がるのは、この本が見事な思想の、哲学の、教育の、食文化の、自然や風土の「書」であるという思いです。

私がいちばん感動したのは、「山の神様」の話です。
泥水を飲んで、地域の微生物を取りこんでいた鶏たち。
「山の神様」につながるこの話は、神秘的ですらあります。
でもそれは同時に、菅野さんの鶏たちの野生味の健在さを改めて感じる場面でもありました。
微生物・発酵。これは本当に太古の時代へとつながる生命の鎖なのですね。
母の田舎から時々自慢の沢庵を送ってもらうのですが、家の改築で、沢庵の居場所だった納屋が取り壊され、別の場所に。そうしたら、沢庵の味はまるで変わってしまいました。常在菌の繊細さ、デリケートさを痛感しました。
 それにしても菅野さんの発酵への探究心は素晴らしかった。鶏たちへの、玉子への、そしてすべての野生のいのちへの深く謙虚な愛情を感じずにはいられませんでした。
「土」の話も教えられることの多い、感動的なものでした。私もあの4年生の教室にいたかったなぁ。土と砂を分けているもの。それは植物や動物たちの遺体が含まれているかどうか。解っていそうで、ぼんやりしていた分かれ道。これは土からの強烈なメッセージですね。私たちは本当に「土」そのものを食べているんだなぁと、そしていのちの連鎖を「土」から実感するというユニークさ。
「菅野先生」ならではの深く、そしてワクワクする授業でしたね。

それにしても、ヒナから若鶏になり、玉子を産んで、換羽で再び若返り、産卵し、時には獣に襲われ、やがて命を終えてゆく。その間に一面の雪に覆われる冬がきて、春が来て。
その鶏たちを生き物として豊かに育て、危険から守り、「エサ」などとは呼びたくないような心のこもった「日替りランチ」を与える菅野さんや春平さんがいる。
そう考えると、その子たちの産んでくれる玉子は、なんと、なんと貴重なものであるか。
 生まれて、恋をして、せっせと働いて、いのちを終える鶏たち。そのいのちを全うした鶏を、ためらわずに、美味しくいただく菅野さん。
愛情を持って育てたからこその行為。「食べる」ことで完結するこの関係は、しかし、まだまだ未来へと繋がるのですね。
やがて、鶏たちの血肉は菅野さんの身体を通って、大地へと還ってゆく。
大きな宇宙の食物連鎖の中で、一瞬のいのちを、輝やかせて。
(私も、とてもとても愛する人がいたら、その人の遺灰を食べたいと思う)

タヌキやキツネと闘う話も、息を呑みました。
彼らも生きねばならない。
しかし鶏たちが一瞬にして襲われるこの脅威とは、
絶対に闘わねばならない。
生きていくとは、考えようでは残酷な悲しさそのものですね。
「いただきます」という、日本ならではのこの言葉は、神さまに向けられたものではなく、こうして与えていただいた幾千ものいのちへの感謝の言葉ですよね。
この話が胸を打つのは、キツネやタヌキたちと、菅野さんが同じ環の中に居ることです。どちらも必死で生きている。その「必死」同士の闘いだからです。
人間という高みに立って闘おうとはしないから、農薬を浸した食パンは置かない。
同じ環の中に居る仲間だからこその、闘いの作法を、菅野さんは守るのです。

ああ、こんなに長くなってしまった。ごめんなさい。読むのも大変ですよね。
もうじき終わります。

菅野さんの優しさは、今さら言うこともないほどなのですが、
鶏たちの辛さを身をもって体験する断食の実行には、
優しさを貫く強靭な意志を感じました。
断食って、すこし憧れがあるのです。

「地域」と菅野さんの関係というか、地域への菅野さんの眼差しについても、
少し感想があったのですが、長くなってしまうので、またの機会にしますね。
母上の「ダイエットでやせようとする百姓なんかいるもんか。たくさん食え。
百姓は働いてやせるもんだ」この言葉が可笑しくて、そして何といい言葉かと、
何度も読み返しました。
「サメ子」の話も、おなかを抱えて笑いました。誰にもこういう武勇伝(?)があるのですね。

最後に、山羊の「ぴょん」の話は、たまらなく好きでした。
菅野さんと「ぴょん」との5mの距離。
抵抗しつづけるその5mに、切ないほどの共感を覚えます。
山羊はつながれているものだと思っていた、私です。

素晴らしい本を読ませていただきました。
本当にありがとうございます。
たくさんの人に読んで欲しいと、切望します。

  猛暑の夜に  






 
 我が農園は今年も下のようにお米を作りました。
下の文章は定期的に買っていただいている方々へ9月分のお米と一緒に同封したものです。

   <以下>

田んぼの稲は少しずつ黄色みをましています。
おかげさまで無事、新しい秋を迎えることができました。

今年も新米のご案内をお送りいたします。

1、品種;昨年同様に「ひとめぼれ」ともち米の「黄金もち」です。

2、肥料;堆肥中心で育てました。堆肥は「自然養鶏の醗酵鶏糞」と「レインボープラン堆肥」の二種類です。こだわりです。

3、農薬(殺菌剤);田植え時点の一回だけ。殺虫剤は使用しません。その後は玄米酢などで対応しました。我が家もこの米を玄米で食べます。

4、除草剤;一回のみ使用。あとは薬ではなく除草機をかけました。

5、価格;白米、七分とも10kgあたり5,000円(送料別)、玄米は4,600円で昨年同様です。もち米も同じ価格(3kgは別価格)です。少し高い印象を与えますが、堆肥使用、無農薬に近づいている農薬削減など、食と環境の安全に心がけた我が農園の米作りを支えていただければありがたい。

6、保管と発送;お米はモミのまま貯蔵し、夏は低温倉庫で保管します。毎月10日が到着日。風味が損なわれないように発送直前に精米しお届けいたします。

7、ご注文;メールかファックスでお受けいたします。一年分をあらかじめご予約いただければ、どこまでご注文をお受けしたらいいのかを押さえる上で助かります。

8、ご注文の変更;前月の月末までお知らせ下さい。調整いたします。

9、お支払い;郵便局の振込み用紙を同封いたします。もちろん月ごとでもかまいません
一年分一括の場合はお礼に我が家のレインボープラン秋野菜をお送りいたします。

9、新米の発送;今年は10月10日前にお送りできるようです。

10、締め切り;田んぼは昨年と同じ面積です。予定収量に達し次第、締め切りといたします。お早めにお申し込みください。

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 今年は低い米価が更に下がりそうです。それにつけても、スーパーで売られているお米は安すぎです。この価格で農家が生きて行けるわけがない。でもなぜそんなに安いのか・・・。それには訳がある。こんな話を聞きました。

 大量のくず米を混ぜることで安くできる。農家はLLの網目を通ったものをお米として販売し、それより小さいものはくず米として、1kg60円(毎年違いますが)ぐらいの価格でJAに売る。業者はそのくず米を集め、Mの網目にかけなおして得たお米をいいお米に大量に混ぜる。それで安い新米が出来上がるんだと。

 わが農園ではニワトリの餌としてくず米を買い求めますが、ここ数年、くず米の値段が高値のまま続いています。上の話を聞いてその訳が分かったように思いました。農家のだしたくず米がいいお米の足を引っ張っている。農家は泣きますよ。

 
                       2010,9

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ここのところの1週間は実にあわただしかった。

「生ゴミは宝だ・第18回生ごみリサイクル交流会2010」が早稲田大学を会場に開かれ、参加した。ちょこっと話をさせていただいた。

 アジア太平洋圏の農村リーダーたちが1年間の行程で栃木県の那須にあるアジア学院で、自給、自立のための農村開発を学んでいる。その研修生たちが今年も35名、マイクロバスに乗って我が農園に来られた。鶏舎などの掃除に忙しかった。

 大正大学の学生たちが3名、我が家に2泊で遊びに来てくれた。大正大学ではレインボープランの研修がアーバン福祉学科・まち・環境・福祉コースの必須科目になっている。昨年、履修した2年生が、また来て見たいということで。

 長井市はカソリックのシスターたちの会派を超えた共同研修地となっていて、今年も全国のさまざまな修道院や教会から20名のシスターたちが、2泊3日の行程で来られた。レインボープランの研修や農業体験、市民との交流が主だけど、我が農園も行程に入っている。

 その機会にあわせ、日本を代表する平和・人権活動家として、世界を舞台に広く活動されているシスター弘田の「世界は今、人権、平和」の講演会をもった。100名を超える人たちが集まり、弘田さんから
「このテーマでこんなに集まることは東京でもないよ。」とほめられたが・・・。

家族はこの渦に巻き込まれた。
申しわけなかった。

そろそろ稲刈りの準備。

もっとゆっくりと時間が過ぎていく予定だったのだけど、そうでないみたいだった。



                        
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朝、晩は幾分涼しくなってきたとはいえまだまだ真夏の暑さが続いている。
昨日の昼、温度計を見たら35度あった。
田んぼでの仕事はあるのだが外にでて働こうという気になれない。
お天道様が西に傾き、多少涼しくなった頃を見計らって田んぼに行ったら、ちょうど栄さんも軽トラックでやってきたところだった。栄さんは82歳。現役の農民だ。(2008,10「80歳の現役」参照)
しばらく世間話をした後、栄さんはこう切り出した。
「来年からオレの残りの田んぼを作ってくれないか?」
栄さんからは昨年、40aほどを託されていた。
「孫が一緒にやるって喜んでいたのに、どうして?」
栄さんには20歳代の工場勤めをしている孫がいる。
「田植えを手伝ってくれたけどその後の管理は俺だけだった。遊びには行くが田んぼには来なかった。もうあきらめたよ。」
 動力散布機を背中に背負い、杖をつきながら肥料を撒いていた。背負っているものの総量は20kgを超えるだろう。田んぼの畦なのだから当然のことながら足元が不安定だ。左手に杖、右手に散布機の筒をもって畦を進んでいく。
「オレの歳で転んでしまったならそれっきりだ。だから気を張っているんけれど、もう無理だよ。」
それでも栄さんは自家消費用の田んぼは何とか自分で耕すという。

「田んぼには小さい頃からのオレの思い出がたくさん詰まっている。離れたくないよ。お前にここの田んぼ45aをお願いできればオレは10a。最後までできるから・・・頼むよ。」

 実は1ヶ月ほど前、隣村の米作り専業農家である豊さんからも30aほど買ってくれないかとの相談があった。100万円だという。ちょっと前までは10a100万円はした田んぼだ。今はその1/3の価格になっている。それでも買い求めたいという農家はなかなかいない。農協に売るお米の販売価格よりも生産費のほうが上回っているためだ。これが13年も続いている。
「無理だよ。1000羽の自然養鶏との複合経営。田んぼがケミカル依存なら何とかできるだろうが、我が家は違うから。」
若い農業後継者がいる我が家にこのような話が集まりやすくなっているのだろう。でも,隣村の田んぼまでは手が回らない。断らざるを得なかった。
 すでに村の農家の平均年齢は70歳近くなっている。こんな話はこれからもどんどん生まれてくるだろう。我が家にも限度がある。それでも同じ集落の栄さんの話は引き受けざるを得なかった。

写真は栄さんの田んぼ。畦草はもう刈れない。除草剤の世話になっている。

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もうしばらく拙本「玉子と土といのちと」へいただいた感想を載せたいと思います。二番手にご登場いただきますのは、わが菅野農園の玉子とお米を取り続けていただいている神奈川県は藤沢市在住のOさんです。
 本文前にすこし文章がありますがそれは略させていただきました。
「メインデッシュ」はあるよというご感想、読んでいて思わず「ニコッ」としましたね。ありがとうございました。以下


まず、購入時を含めて、初めからの印象から入りますと、書店にも
依りましょうが、購入書店では「農業専門書」の書棚に有り、これはまた
「とりつき難い本かな」と言うのが第一印象でした。

 ところが、読み始めましたら、如何して中々分かり易い内容で、(要所の写真等を含めて)文章もウイットに富んで面白く、「オンドリの朝の鳴き声が」翌朝微妙に変わったところには、私も一家の主として(まあ、給料袋運び屋程度の亭主ですが)やはり、1回や2回同じような場面を経験しており思わず苦笑をしました。

 かと言ってその様な事ばかりではなく、内容の多くは町に住んだ事しかない私どもには“成程、その様なものか”と感心したり、勉強になるものでした。
 題名にある「土」がいかに大切なものかが一貫して流れたおり、第1章から
第3章までは前記の思いで読みました。

第4章、第5章は日々の皆様の御苦労の程が、私なりに分かったつもりです。

第6章では地域との繋がりが如何に必要かが読み取れました。
菅野様の御案内に有りましたが、「メインディシュが無い、飲み屋の・・・」との事でしたが、、
どう致しまして、私にはこの章が「メインディシュの当たるのでは」と思いました。

 御本の全体としては、その構成および流れは良く、分かり易いものでした。
失礼にあたるかも知れませんが、「農業専門書」よりも、より親しみやすい
「農家のエッセイ集」として多くの方々に読んで頂ければと思います。

 以上、纏まりのない駄文で恐縮ですが、私の読後感です。

今後もお元気に、農業に尽くされ私どもに安心、美味しいお米・玉子をお送りください。

 (写真は春、若葉の生い茂ったばかりの土の上で)






 ちょっと前まで新潟県は魚沼の改良普及員として農業指導にあたっていた友人が以下のような書評を送ってくれました。

   玉子と土といのちと (創森社)
 むかしむかし、新左翼という言葉がありました。独占資本からの開放、日帝の殲滅。まさに若者が社会の枠から逃れ出ようとした運動でした。
 菅野さんはそれをニワトリの世界で実現したようです。
 本の中ではニワトリの解放戦線をつくろうとアジっています。現在のニワトリはその大半がゲージという檻の中に数匹詰め込まれ、身動きも満足に出来なく餌も卵を産めばよいという目的でつくられただけのものを与えられています。
 こう言うと何か私たちの生活が投影されているようで身につまされます。
 かっての闘士がニワトリの解放区をつくって、空を飛ばしている様は実に愉快ではないですか。
 文章も独特の決めつける「○○である」調を脱し、本人も言っていますが、「やさしく」かつ「語りかける」ような軽快な流れをかたちつくっています。
 何故、「卵」でなく「玉子」なのか。
 菅野さんの農業哲学、「ニワトリがよろこぶ」飼い方にあらわれています。
 どうして、地べたをあるかなければならないのか。餌は地産地消でなければならないのか。そこに山の神様までご出馬されるから物語を一層おもしろくしています。
 また、オンドリの話しなどは男どもに身の悲哀を感じさせられます。
 この本は菅野芳秀そのものをさらけ出した世の人々への警告とも言えるでしょう。


 ありがたい評価です。友達からこのような評価をもらえたことがうれしい。
 
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☀暑いですねぇ! それも毎日、毎日・・。
そのせいなのでしょう、田んぼの穂は例年に比べ1週間ほど早く顔をだしました。
 今は高温障害が心配です。これにかかりますと、米が白っぽく変色し品質がグンと落ちてしまいます。水を張ること、それを時々抜くこと、新しい水をまた入れること・・など、とにかく水管理がその対策の全てです。
その点で我が家は朝日連峰の麓、水が切れることはまずありません。年中、冷たく清冽な水が流れています。
 「我が里の何もなけれど何事もなく
       田んぼに蛙(かわず)の声聞く夕暮れ」
これは91歳の母親の詠んだ句ですが(特に下の句はどこかで聞いたことがあるような)、きれいな水が豊かに流れているということがとてもありがたい。このような目から見ればいい農村なんですね。

☁昨年から出番を待っていたお米は、モミ貯蔵庫から今年の3月に新しく建てた「低温貯蔵庫」に搬入しました。その際、全てのモミを玄米にしました。
 その結果、今期のお米がどのぐらい足りないかが分かりました。8月発送分の足りないところを友人の作る特別栽培米・コシヒカリでお願いせざるを得なくなり、事情を説明しご承諾いただきましたが、毎月お米をとっていただいている方々にはご迷惑をかけることになってしまいました。
 農家直送米の場合、新米のでる前の月あたりに昨年産米の過不足が明らかになるわけですが、その調整をどのようにしているのだろうか。足りなかった場合、あまってしまった場合、それぞれに対応が難しい。零細米作り農家の生き残りは「農家直送米」でと考えている我が農園としては、ぜひ知りたいところです。

 このままずっと夏が続くのではないだろうか。秋になるのだろうか。





山形の百姓・菅野芳秀です。
昨晩、Hさんから電話がありました。
「本を出したんだって?」
「うん」
そうなんです。
「玉子と土といのちと」(創森社1575円)
7月20日付けですのでようやく書店に並んだころです。

ニワトリと共に暮らした30年のなかで見つけた面白い発見、
ええっそうなんだぁ!という出来事、そんな中から見えたニッポン・・などなどを
百姓の合間に書き綴ってきたものを本にいたしました。

「小料理屋のお通しのようなものをまとめて本にしたようなものです。」
メインデッシュが見当たらない。
そんな本なんです。

みなさま方には「謹呈本」としてお送りすべきなのでしょうが、ごめん。
一冊送料込みで2,000円を超えますので、全員にというわけにはいかず、
さりとてそのうちの半分の方に・・というわけにもいかず・・、結局どなたにも贈らずに
・・知らんぷりしていよう・・静かにしていよう・・と思っていた中でのHさんからの電話でした。

買って読んでくれといっているわけではないよ。
それはそれでうれしいのだけど、
ここはこの間、世話役さんとして奮闘してこられたHさんに一冊お送りして
辛口の書評を書いてもらい、皆さんには買って読んだつもりになっていただければ
いいかなと。

「対象の不毛性を感じるよ。」
かつて全共闘運動が盛んだった頃、Hさんは、教授だったか、右翼だったかを相手に論争を挑んだときに発した言葉です。
「都会の青年はこんな気取った言葉を使うんだ!」
びっくりしましたねぇ。山形から出て行った田舎青年としましては。
そのときの光景が突然よみがえってきましたよ。
「お通しのような本にどうして書評ができるんだい?」
と控えめにつぶやかれることはあっても、ここは優しいHさんですから、
「対象の・・・」とはいわないよな。

どっちにしてもあまり関心はないよ。
そんな方が多数派だとは思いますが、
夏の盛りの・・・Hさんと菅野の劇場を・・・といったらHさんに失礼か・・
お楽しみいただければうれしいです。

それではHさん、今日発送いたしますので
よろしくお願いいたします。
                    菅野芳秀

ということで、Hさんからの書評をここで公開させていただきましょう。



 長いあいだ、ご無沙汰いたしました。
このたび『 玉子と土といのちと 』(四六判・220頁・定価1,575円=税込)を創森社から上梓いたしました。
全体を貫くテーマは「土はいのちの源」。

世のほとんどのニワトリたちはこれ以上ないほどの過酷な環境の中で暮らしています。ニワトリたちをゲージに追いやっているものは「経済効率」。そのモノサシは、我々自身にも向けられていて、日々追い立てられているような、余裕のない暮らしとなっています。

ニワトリたちをゲージではなく、大地の上に。
彼らを大地に解放することは、我々を「解放」することにつながっていくのではないか。そんなことをも考えながらの30年間の自然養鶏。でもそこには実際に取り組んで見なければ分からないさまざまな問題がありました。生煮えの理念を雪やタヌキやキツネたちが襲います。

玉子とニワトリから社会がみえる。
人間が見える。
土といのちと循環の世界が見える。

ちょっと気取ってますね。
内容はかつて「現代農業」誌に一年間連載したもの、あらためて書き下ろしたもの、それにブログで紹介したものなどで構成されています。

「まえがき」にも書いていますが、本にするほどの文章か・・・との戸惑いもありましたが、出版社の薦めもあって踏み切ることにいたしました。
期日にせかされて、本文の校正や、あれやこれやの文章を書いていましたので、ブログの更新がままなりませんでした。

「まだ更新されていない・・よっぽど横着なのか、何か病気にでもかかっているのか・・。」

ご心配をおかけいたしました。そんな訳だったのです。

機会があればぜひ手にとっていただき、お読みいただければ光栄です。


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