ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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旬の人参
朝はいつも人参を搾ったジュースを飲んでいる。それが私の朝飯だ。
一回に搾る量は人参500gほど。それが200ccほどのジュースになる。
昨年の12月からはじめているので、計算上では約100kgを越える人参を飲んだことになろうか。
周りの人によく人参ジュースだけで農作業ができるよなぁと言われるが、慣れればどおってことはない。
人参を続けてくれているのは千葉の二人の友人で、二人とも無農薬の野菜栽培を手がけて数十年になるベテラン農家だ。作物を食べることは土を食べること。そう思っている私にとって、こだわるのは人参の形状ではなくその中身。つまりは土と育てられ方だ。その点ではまったく問題はない。送られてくるのは大きくて実の割れたもの、傷のついたもの、小さなものなどさまざまで商品にならないものばかり。どうせジュースにするのだからそれで充分だ。
この人参ジュースがおいしい。人参の独特の風味とコク、それに果物のような甘さ。ジュースとしても充分に満足できる。毎朝、うまい、うまい・・・と飲んでいた。
その味が突然変わったのは5月の半ばごろのことだ。
田植えのあたりを境に、昨年の秋冬のものから春撒きの新人参に変わったことで、味が一変した。ジュースにまったく手ごたえがない。例えていうなら、水を半分混ぜたのではないかと思えるような・・、薄くてコクがない。材料の人参も量を増さなければ200ccはできなかった。きっと栄養価もうんと減っているに違いない。どうしたのかと思って、友人に電話したところ、
「春の人参はそのようなものなんだ。晩秋の霜、冬の寒さにあたったもののようにはならない。」ということだった。
そうか。いつもあるようでいて、人参の旬はやっぱり晩秋なんだ。それにしても旬の力は抜きん出ている。驚きだった。このことは人参だけでなく全ての野菜にいえることに違いない。やっぱり食は旬だよ。
ところで、寒さ、冷たさを経なければおいしくなれない、コクが出ないというあたりは、俺たち人間とどこか似ていますね。
写真は一回の量です。
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2011.06.29:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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栄さんの20aを引き受けることになった。
春先に書いた「それぞれの春」でもふれたように、81歳の現役農民である栄さんが倒れた。そして1ヶ月。栄さんの20aは我が家で受け持つことになった。息子の春平が引き受けてくれる人を捜してはみたが、誰も「うん」とは言わなかったという。それも無理もない話だ。この20aは山あいにあり、近年に開田された田んぼだ。同じ手間をかけても里と比べればずっと収穫量は少なく、それに米価はとんでもなく安い。農家は借りてまでも作りたいとは思わない。この時期、自分の家の田んぼを維持するだけで精一杯というのが正直な話だ。だからにわかに持ち上がった栄さんの田んぼの引き受け手がいないというのも当然といえば当然だった。
「我が家で引き受けられないかなぁ?」
と春平が言い始めた。
「そんなことはやめた方がいい。私は反対だ。開田は何をするにも苦労が多い。栄さんの親戚の農家や近所の農家も引き受けることができないと言っているんだべ?なにもお前が骨をおることはない。それよりお前の身体を休めたほうがいい。」
真っ先に反対したのは92歳の母だった。ときどき空咳をする孫を気づかってのことだ。
「俺は大丈夫だよ。栄さんは田んぼとともに生きてきた人だべ。せっかく育てた苗を廃棄にでもしたら、入院先で『これで俺の人生は終わった』と思うに違いないよ。そんな栄さんを支援できるかどうか、このことは俺が百姓をする上での根本にかかわることだ。」
そんなことを繰り返し主張していた。
「栄さんがまたやりたいといいだしたら、いつでも返すつもりだ。それまでは俺が管理する。」
どうも、決意は固いらしい。言い出したらなかなか後には引かない息子の性格は家族みんなが知っていること。それならしょうがないだろうと母もしぶしぶ納得した。若いときには得てして「正義」や「理想」に走りやすいものだ。
品種は「はえぬき」。353aの我が家の田んぼに20aの栄さんの田んぼが加わった。
俺?俺は息子のやることには反対しないことにしているからね。あまり自分の意見は言わなかったよ。
<写真は田んぼの畦に咲いている野花。春シオン、忘れな草、オオイ ヌノふぐりなど>
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2011.06.05:
kakinotane
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ニワトリもタヌキも元気
ニワトリたちは元気です。
今年もタヌキが来ています。
明け方の3時半。ニワトリ達の大騒ぎ。もういつものことで驚きません。懐中電灯をもって鶏舎に駆けつけますと、タヌキがゆっくりと逃げていきます。
お前たちなぁ!俺になんど捕まれば来なくなるんだい。いい加減にしろよ。こんな声をかけてやりますが、やっぱりそこはタヌキ。一週間に一回はやってくるのです。鶏舎はしっかりと防御柵を施していますから、決して侵入などできません。かつてはずいぶんやられましたが、そこからちゃんと学んでいます。ですから、タヌキがニワトリにありつくことはほとんどゼロなのに、あいも変わらずにやってくるのです。
わが鶏舎はすでに彼らにとって「動物園」になっているのかもしれませんよ。
子ダヌキたちを連れて「あれがニワトリっていうものだよ。」と、教えるために来るのかもしれません。
そうだとしたらことは教育ですから、たとえタヌキとはいえ、やみ雲に妨害することはできませんね。
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2011.06.01:
kakinotane
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あと少しで田植えが終わり。
ようやく機械の田植えが終わりました。
田植え機械を洗い、感謝の言葉とともに収納しました。
あとは田んぼ一枚一枚の四隅を手で植えていく作業が残っています。
明日から始まりますが、全部で24枚、96箇所を植えていきます。
それで完全に終わりだぁ!
振り返れば3月の下旬。種の芽だしから始まった農繁期。
以来、土日のない日々が続きました。
俺、体重が4kgほど減ったよ。
108kgから104kgになったんだけどね。
家族は外見的にはまったく変化無しと言っている。
何なんだよぉ。4kgだぜ。それがなくなったのだよ。
だけどさ。あの小錦さんが240kgから236kgに減ったとしても
外見的にはあんまり変わらないべなぁ。
それと同じだと思えば納得か。
4ヘクタールを耕す二軒となりの重太郎さんは作業の途中で過労から寝込んでしまった。体が自慢の71歳。それでも4hの作業はさすがにこたえたということか。たしかに休み無しの肉体労働の日々、こたえるよなぁ。俺も腰が痛くなって、疲れてさ、二日寝込んだ。そのときはちょうど二日とも雨振りだったから、気分の負担もなく身も心も休めたよ。疲れたときには休まなければだめだよなぁ。
もうじき田んぼはひと段落。
次は畑。自給野菜の作付けだ。
なす、きゅうり、トマト、ピーマン、シシトウ、オクラ、葉ダイコン、ニンジン・・・などの自家野菜を植えてはじめて春作業が終わり。
6月4日ぐらいには完全にひと区切り。
そしたら2〜3日休もう。
オラハ温泉に行ってくる。
好きな本をもって温泉に行ってくる。
妻は6月14日から10日間の休暇をとって北海道の実家に行く。
その前が俺の休日だ。
92歳と89歳の両親がいて、二人一緒に留守にすることはなかなかできにくい。
だから・・・俺が先に、たった一人で温泉だ。
読書三昧の温泉休暇。いいねぇ。
付き合おうかという方がおられたならご一緒いたしましょうか?
<写真は春のカラフルな我が家の風景>
2011.05.31:
kakinotane
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食事会
春作業に忙しい日曜日の昼、仕事を休んで89歳と92歳の両親を囲んでの食事会をおこなった。集まったのは我が夫婦と息子夫婦、息子の義理の妹、兄の家族とそれぞれの子どもたち。
草もちを食べたいという両親の希望を入れて、テーブルに並んだものは納豆もち、おぞうに、あんこもちの三種類。草もちはちょっと・・・という若い息子夫婦の意見もあって、それぞれに草もちと白餅の二種類を作った。写真は白餅の納豆もち。
並んだ料理のなかでは春の山菜が人気だった。コゴミ、アイコ、フキ、シオデ。いずれも近所の山好きの友人がもって来てくれたもの。我が家の後ろに連なる朝日連峰からとってきたものだ。左に見えるのは俺が作った豚の角煮。入れ物に玉子ばかり目につくのは、肉を食べてしまったからだ。それだけうまかったということか。ジャガイモのにっころがしや、どこかハイカラな感じのする料理は若い夫婦がつくったもの。
中心的な話題などはなかったが、なんだかんだとおしゃべりしているうちに、時が過ぎていった。もうじき田植えが始まる。
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2011.05.22:
kakinotane
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北からの・・・
あと3〜4日で田植えができるところまで来ました。
植えてしまえば勝ったも同然!!
と行きたいところなのですが、原発が・・気分を重くしています。
もしかのことがあっても農家は田畑と一緒に移住することができませんし、
この地に幾百年、幾千年の「地域のタスキ渡し」と「楽しみの先おくり」があり、
今、そのタスキが自分(たち)に掛けられている責任を実感しながら暮らしていますので、
その時が来てもなかなか「ハイ、さようなら」とはいきません。
原発に限らず、三里塚に限らず、そうしなければならなかった地域の方々に思いを馳せながらわが身を振り返っています。
息子は
「放射線量を独自に測定し、収穫したお米に世界基準を超える
数値が出たときには、国が定めた基準でOKでも、出荷しないし、百姓をやめる。」
といっていますし、他方で「TPPが通っても百姓をやめざるを得ないだろう。いろいろやめていく材料にことかかないなぁ。」
などといいながら、代掻きをやっています。
そういわれてみれば、今さらですが、東日本の農家は、原発に、TPPに、作物(特に米)の暴落という三重の負荷を背負って春を迎えているんですよね。先行きは見えないのに、みんな淡々と暮らしています。暴動などは決して起きません。
誰かが「東北人の我慢強さは、中央からの東北への抑圧、収奪の歴史が作り出したものだ。」と言っていましたが、そうかもしれません。負けの歴史ですね。「美談」ではあってもその背景にはそれなりの歴史があるんですね。
わが長井市には「征夷大将軍」坂之上田村麻呂が蝦夷征伐の際に植えていったといわれる樹齢1200年の桜の木が二本あります。今では国の天然記念物になっていますが、征伐された蝦夷というのは北海道ではありませぬ。我が東北のこの地なのです。我慢強さが形成されたといえばそのころからのことかもしれません。その前からあったのか、その後のことなのか・・「敗北」という字は「敗れて北に」と書きます。「北帰行」という悲しい歌もありましたよ。
でもね・・・、みんなまとめておつりをお返しするときが必ずやって来ますよ。だからといって勘違いしてはダメですよ。やられたようには決してやりません。誰をも収奪しない、自然と共生する、東北らしい、やさしい地域社会を形成する。
京都から押し寄せてきた軍と戦い敗れた安倍の貞任も、北に逃げた義経も、榎本武揚も、「北帰行」の小林旭も、集団就職で水が合わずに帰ってきたかずちゃんも、そのときはみんなでてきて一緒に喜んでくれるだろうな。
<写真は田植え前の田んぼと我が集落、そして朝日連峰です。ダブルクリックでアップにしてご覧ください。>
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2011.05.20:
kakinotane
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桜の我が家
ようやく田んぼへの堆肥散布が終わった。今年の作付けは3・5h。昨年より45aほど増えた。品種はいつもの「ひとめぼれ」と「黄金もち」に今年は「コシヒカリ」を植える計画で、どのような味に仕上がるかいまから楽しみだ。
季節はすすみ、我が家の桜も散ってしまったが、写真は満開のときのもの。しかしまだ庭木の雪囲いはそのままで、ここだけ冬が終わっていない。田んぼ優先の毎日。どうしても後送りしているうちに、集落でも雪囲いを取り外してないのは我が家だけとなってしまった。ちょっと恥ずかしい。
息子の春平は疲れからかぎっくり腰をおこし、動けずに三日目だ。大変だねと原発被災者のまさきさんが手伝いに来てくれて、堆肥散布の助手と畑にねぎとジャガイモを植えてくれた。彼女は友達家族とともに近くのお寺で避難生活をしている。今度は臼と杵をもって餅つきのプレゼントに行こうと思っている。田植えはもうじきだ。
<写真はダブルクリックで拡大します。>
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2011.05.13:
kakinotane
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ある新聞への原稿
ある新聞より原稿を頼まれた。
「悲しい動物」と重複しているところがありますが、掲載します。
「都会の植民地ではなく、循環型自給圏の形成を」
東北の地に住む“百姓”として、こんな重い気持ちで種を播く春は、経験したことがない。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は広い範囲で自然資源を汚し、甚大な風評被害をもたらしている。
この原発事故は、まちがいなく避けることができた人災だ。自然を基盤とする農民や漁民の痛手は計り知れず、汚染はこの先何年続くか検討もつかない。同じ農民として心が痛む。まず因果関係がはっきりしている以上、東電とその原発を容認してきた国が、被災したすべての野菜、家畜、魚を速やかに買い取るべきだ。その上での補償であって、どのような意味でもこれ以上生産者に負担を負わせてはならない。
地方に建設された原発は、地方の貧しさに付け入った政治の醜い姿をあらわしている。その上での今回の放射能被害。地方は息の根が止められる事態に追い込まれている。
この間の「朝まで生テレビ」で東京都の副知事は「原発を都心からもっと遠くにもって行く必要があった。それが失敗だ。」
と話していた。
原発が必要だという人たちに共通しているのはその果実だけを求め、生まれるリスクを遠く離れた地方に押し付けようとすることだ。今もなお必要というならば自分の暮らしの場に原発を誘致するよう働きかけるべきだ。さらに放射線の汚染水も小分けしてそれぞれの地元や企業、家庭で引き受けるべきだろう。そのように働きかけとセットにして原発必要論を語るならば認めよう。果実とリスクを併せ呑むよう足元を説得してみればいい。それ以外のどのような必要論も詭弁である。地方を利用しようとするな。地方は都会に奉仕する家来ではない。
同じような都会中心の考え方は菅政権の復興計画にも出てきている。東北地方を新たな「食糧供給基地」と位置づけ、津波被害を受けた各地の農地を集約して大規模化を進めるよう国会に提出するという。あくまでも都会に供給する地方という位置づけだ。しかしその被災地は八郎潟などと違い人々の暮らしを刻んできた場だ。何よりも大切なのはそこに住んでいた方々の立ち上がりではないのか。以前あった地域コミュニティを活かす計画をつくらないと、住んでいる人が立ち上がっていけないというのがこれまでの災害の教訓である。「食料供給基地」の前に現地の方々の意見を充分に聞きながら、それらを活かす復興計画こそが必要なのではないのか。生産より生存、生活だ。地方は都会の植民地ではない。
都会の家来でなく、植民地でもなく、エネルギーから食料まで、小さくてもしっかり地域に根を下ろした自給圏の形成を目指す。農業を基礎にした脱原発、脱成長の循環型社会を目指すこと。その余剰を他の地域に回す。地方も都会もなく、一様に自立する。日本の社会をこのように構成しなおすことが求められている。「3・11」以後、少なくとも意識レベルでは生き方、暮らし方を変えようと考える人たちも多くなっていると聞く。不幸な中にも希望はある。この機を逃すことなく、エネルギー政策も食糧政策も新しく組み替えることが大事ではないかと思う。
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2011.04.28:
kakinotane
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それぞれの春 2
苗箱への土入れが終わった。30cm×60cm×3cmほどの箱に2cmほどの厚さで土を入れる。やがてそこにパラパラと種を撒くのだが、その土入れ、数が多いためになかなか難儀だ。今年の水田面積は350a。10aあたり24枚を準備するため、総数はおよそ850枚となる。近所の正雄さんに手伝ってもらってようやく終わった。一方で種籾の芽だしをはじめている。温湯法による種子消毒のあと、水に浸けていた種籾を32度の温度でおよそ一昼夜。硬い殻を破って小さな芽が顔をだした。いのちが動き出した。あとは秋の稔りに向けてどんどん成長していく。俺たちの仕事はその成長を助けるだけ。苗の成長にあわせて俺たちの暮らしが営まれていく。いのちが動き出したということは、作物にあわせる、そのような日々が始まったということ。春だ。
今年は昨年より40aほど田んぼが増えた。杖を突きながら肥料を撒く82歳の百姓、栄さんから託された田んぼだ。自分では今年、20aほどを耕すという。
「飯米ぐらいは自分で作らなくちゃなぁ。百姓なんだからよ。」
そういいながらすでに種まきの準備は終わっていた。まだまだ栄さんは現役だ。
我が家の本家の市さんが74歳で亡くなったのは昨年のこと。600aの田んぼは48歳の総ちゃんの仕事となった。土日のたびに、マチで公務員になっている叔父が手伝いに来てくれるが、まだ独身のために、一人でしなければならないことも多く、何かと大変だ。長身でなかなかの男前。気立てもいい男なのだが他の農家同様、縁がなかった。大きな仕事だけでなく、細かな日々の管理作業が多いのが農作業。それらは親父の担当だったが、今年からは全て総ちゃんの仕事となる。
隣の建ちゃんの家に農業を手伝うために次男が帰ってきた。建ちゃんは74歳。400aの田んぼを耕している。奥さんは足が悪く、働けない。長男はずっと体調が悪いままだ。建ちゃん自身もヒザに故障があるのだが、それでも何とか、足を引きずりながら一人で全ての農作業をこなしていた。
「父ちゃんを助けたくて・・」
地元の高校を卒業してから20年余年間勤めていた自衛隊を辞め、嫁さんともども帰ってきた。
「建ちゃんは立派な人だからねぇ。そのうしろ姿を見て育った子どもだもの・・、それにしても感心だねぇ。」
建ちゃんの後について農作業に励む次男夫婦を見ながら、村の人たちはあったかい気持ちになっている。
そして我が家。今年は息子家族がマチのアパート暮らしに終止符を打ち、我が家のそばに小さな家を建て、引っ越してくる予定だった。
しかし、その計画も原発によってしばらく様子をみることになった。
それぞれの春。それぞれの思いや人生をのせて季節は動き出した。
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2011.04.20:
kakinotane
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悲しい動物
東京都の副知事の猪瀬某は「朝まで生テレビ」で
「原発を都心からもっと遠くにもって行く必要があった。それが失敗だ。」
と話していた。
この発言を含め、原発が必要だという人たちに共通しているのは
その果実だけを求め、応分のリスクを決して負おうとしないということだ。
この期におよんでも・・・人間として恥ずかしくないのかと思う。
関東にも放射線が降っているではないかという向きもあろうが
そもそも果実は関東だけのものなのだから当然だろう。
なぜ関係のない福島・東北が負わなければならないのだ。
福島で行われているのは社会的殺人。沖縄と同じだ。
ここに来てなお原発の必要を説く輩がいる。
それを言うなら、自分の暮らしの場か実家のある地域に
原発を誘致するよう働きかけるべきだ。その人が東京なら東京に。
さらに放射線の汚染水も小分けしてそれぞれの場所や企業や家庭で引き受けるべきだろう。
その運動とセットにして必要論を語るならば認めよう。
それ以外のどのような必要論も詭弁である。
今朝、そんなことをつらつら考えながらまどろんでいたら鶏舎の方からニワトリの叫び声が聞こえてきた。カラスにびっくりしているのかなと思っていたのだが、狐だった。あっちにもこっちにも・・・、雪の上にようやく玉子を産み出したばかりの若鶏が30羽近く横たわっていた。食べられた後があったのは一羽だけ。
「どうして必要以上に殺しちゃうんだろう。人間みたいで悲しい動物」と、事態を聞いた友人はメールをくれた。
このメールと原発の話、一見関係無いようでいて、妙につながっているような気もして落ち着かない。
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2011.04.08:
kakinotane
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原発がどんなものか知ってほしい ・・建設現場からの声
知人から以下の文章が添付できました。
読んでみて、多くの方々にも知ってもらいたいと思い、ブログに転載させて
いただきます。
ちょっと長いですが、お読みください。
そして、もしよかったら、他の方に送信していただけたらうれしいです。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
菅野芳秀
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2011.03.29:
kakinotane
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タイで開かれる震災チャリテーコンサートへのメッセージ
地震と津波、それに原発の暴走。
危機はいまも続いていますがタイの友人から届けられたニュースは、久々に暖かく、涙腺のゆるむものでした。
東北・関東大震災に対して、レインボープラン視察に二度に渡ってお出でいただいたタイ国のポン市長を実行委員長に、友人であるバムルーン・カヨタとサネーさんを副実行委員長にした、大きな震災支援のチャリティコンサートが今月29日、タイのポン市で開かれます。
実行委員会にはタイ東北部(イサーン)のNGOの連合体(NGOCOD)や、ポン郡の郡役所前の朝市グループなど多数の団体が参加しています。
コンサートの主役はスースーバンドとカラワン。
スースーはかつて長井にも来てくれて、その模様は「レインボープラン」というCDになりました。
二つのグループとも「生きるための音楽」を目指している社会派バンドで、タイでの人気は絶大です。
下に添付しましたのは、アジア農民交流センターを代表して感謝とお礼のメッセージ。
お時間がありましたらご覧ください。
いいニュースですね。以下
日本の東北・関東大地震被災地への支援コンサートにお集まりのタイ国・コンケーン県のみなさん!感動あふれるコンサートをご準備いただいたスワット市長はじめ、実行委員スタッフのみなさん!そして、このすばらしい舞台を演出いただいたカラワン、スースーを始めとするアーチストのみなさん!そして、私たちの長年の仲間であるバムルン・カヨタさん、サネーさん!
アジア農民交流センター」と、そこに集う農民・市民はこころからお礼申し上げます。同時にアジア農民交流センターの共同代表として、そして何よりも日本の東北部、被災地にいて、今もなお続く恐怖と苦難に立ち向かっている多くの現地住民の一人として、皆様からの暖かい友情と励ましのメッセージに心からのお礼と感謝の気持ちをお伝えいたします。
3月11日、想像をはるかに越える大地震と巨大津波が東北・関東の海岸線の町や村を襲いました。たくさんの人が家族を失い、家屋を無くし、人々が共同で築いてきた多くのものを失いました。その被害はまだ全貌がつかめない今日の時点においてすら、死者・行方不明者は2万5千人に及び、全壊した家屋数は15,000戸を越え、避難所に身を寄せている方々は30万人を数えます。
わずか半月前まで家族や地域の人たちとの穏やかな暮らしのあった場所を訪ね、親を捜す人、子どもの名前を叫ぶ人、ただ呆然と立ち尽くす人・・・。震災から2週間たった今も途絶えることはありません。
災害は地震と津波だけではありませんでした。それによって破壊された福島の原子力発電所の暴発とその被害は、日本の東半分の壊滅という巨大な危機を孕んで今もなお続いています。
地震と津波は自然災害です。しかし、原発の災害は選び取ってきたエネルギー政策のもたらしたものです。希望は与えられるものではなく、創り出すもの。私たちが今、創り出す希望を語るとき、原子力発電を廃絶した社会、自然と共生する循環型社会を願わざるをえません。
人々はいま、苦しみと悲しみと絶望の中にいて、自分を励まし、お互いを支えあい、今日を生きるために懸命の努力を続けていますが、やがて必ず未来に向かって歩み始めるでしょう。この場にお集まりの皆様に、人と自然、人と人が寄り添い生きる新しい社会を創ろうとする希望への足跡を喜びとともにご報告できる日がきっとやって来るはずです。
皆さんのお気持ちに心から感謝申し上げます。今日、このチャリテーコンサートの模様を日本の被災地の方々はもちろん、インターネットなどさまざまな方法で日本中に、そしていま日本に滞在しているタイの皆様にも広く伝えます。人々は老若男女を問わず、遠く離れたタイ国の皆さんが示してくれた友情に心から感謝するでしょう。そしてそのことを決して忘れることはないでしょう。いただいた暖かい思いが、必ずや新しい日本の復興の力となっていくことを確信いたします。
ありがとう、みなさん。タイと日本の民衆の連帯に感謝して。
アジア農民交流センター一同を代表して 共同代表 菅野芳秀
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2011.03.26:
kakinotane
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