ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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こんな題をいただいて・・「農業・農村の課題と展望」
寺山修司の脚本の中にこんな一節がある。ちょっと長いが引用する。「中学校の頃、公園でトカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん大きくなって、出られなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ、コカコーラの瓶の中のトカゲ。おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。(後略)」コカコーラの瓶はアメリカで、トカゲは日本だ。その一節はやがて有名な「身を捨てるに値すべきか、祖国よ。」と続くのだが、TPPに関する民主党内閣の姿勢を見ていると思わずこの文言を思い出す。
<農の希望はTPP、グローバリズムとは共存できない。>
私は農民だが、同時に日本列島に住む一人の生活者であり、また、今と未来に責任を負う1億2千万人分の一人でもある。そして、そのどれから見てもTPPへの道は危険だ。
ご存知のように、TPPは独立国の主権である関税自主権の放棄、貿易障壁の撤廃を柱として、内政干渉をルール化しようとするものだ。自由貿易とは言うが、あきらかに貿易上の取り決めという範疇を超えている。TPPとは強国がグローバリズムという名のもとに、国民国家の枠を超えて創り出した収奪システムだ。今まであったような交易上の範疇には入らない。いったん参加すれば国内法の上にTPPのルールが位置付けられ、この取り決めに違反したり制限を加えたりして外国企業に不利益を与えたとしたら、国が外国企業に訴えられ、莫大な賠償金を支払わなければならなくなるなど、今までの条約とは全く違う衝撃力を持っている。例えば日本の森が水資源の供給地として外国の企業に買い占められたとしても、国内法では制限を加えることができないのだ。(註;末尾に)
東日本の復旧には20兆円の資金が必要だと言われるが、当然のことながらこの公共事業も外国資本から自由ではなくなる。TPPは参加国の形を変える。単なる農業の問題ではない。
そもそもTPPはどこからやってきたのか。私は民主党政権が普天間問題で作ったアメリカとの「関係のゆがみ」を修復しようと携えていった「お土産」だと思っている。菅前総理が初めて口にしたのは横浜でのAPECの前、2010年の10月1日、国会での所信表明演説だ。そのときにはまだ野党はおろか肝心の民主党の国会議員ですらほとんど知らなかったという。それから1年と数か月。これまでいったいどれだけの議論を重ねてきたというのか。前に述べたようにTPPはこの国の形を変えるほどの大きな衝撃力をともなっている。だが、国会で議論が尽くされたとはとうてい言えない。国民の多くもよくは知らない。にもかかわらず、昨年(2011年)の11月、ハワイで開催されたAPEC首脳会談において、TPP参加に向けて事前協議に入ると明言してきた。参加の可否をめぐって、国会を解散し民意を問うぐらいのことは最低必要なことではないのか。民主党政権は、ことの重大性にもかかわらず、何ほどの説明も行うことなくTPP参加に前のめりになっている。マスコミだってそうだ。彼らはTPPのプラスとマイナスの両面を国民の前に明らかにしようとしてきただろうか。やってきたことは誰もが知っているように、ただ「バスに乗り遅れるな」とばかりに危機感をあおり、「TPP参加」を国民に押し付けようとしてきただけだった。ジャーナリズムの基本的な役割を放棄している。すべてが浮ついていて、原発と同様、肝心なことは国民に何も知らせず、政治権力、マスコミ情報権力、経済団体が一体となって、あたふたとことを進めようとしている。だが、ここでも彼らに未来があるとは到底思えない。
トカゲにビン瓶を割る力があるのかって?当たり前だ。割れる。石に噛り付いても割らなければならない。それ以外の道はあるわけはない。そういうことだ。
新年早々、いきなりのタンカでもうしわけない。だけど新春にふさわしく、夢のある「農業・農村の今後の課題・展望」を語ろうとしても今はTPPを避けては通れない。またTPPを知れば知るほど危機感が深まっていき、このような言葉になってしまうのだ。
<日本のコメが「不当に高い」?それって「不当に安い」の間違いでねえの?>
TPPをめぐる論議の中でまたぞろ農業攻撃が盛んになってきた。
「日本のコメは778%という高い関税率で守られていて、消費者は不当に高いコメを食わされ続けている。」と為政者やマスコミは盛んに水田農業をやり玉にあげ、規模拡大を進める必要があると合唱する。このような論に接するたびに、この国の「指導者たち」は農業をどうしてこう規模の面からしか見ることができないのだろうかとうんざりする。
そもそもだよ。高いとは言うけれど、彼らはご飯いっぱいの値段がいくらにつくのかを知っているだろうか?白米にして70gだ。104000円のコメを買ったとしても28円にしかならない。私のコメは殺菌、殺虫剤を使用せず、堆肥だけで育てたお米で105,000円だ。それでもお椀一杯が35円。2杯食べたって70円。コンビニに行けばペットボトル500mlの水は120円で売っている。この水よりも安い。この価格が「不当に高い!」と目くじらを立てて論じるほどのものなのだろうか?それほどの高さなのだろうか。
私の村は山形県の穀倉地帯、置賜地方の中にある。周りは水田ばっかりだ。そんな俺たちの今年のJAへの売り渡し価格は1俵(玄米60kg)あたり10,500円だ。「戸別補償」を加えても12,000円ほどにしかならない。一方、東北農政局は最新情報としてH22産の生産原価を発表しているがその価格は米一俵あたり14,445円。これが通常栽培の原価だという。実際はもっとかかっているのが実感だが、ま、いい。今年も似たようなものだろう。それを12,000円で農協に売り渡す。ちなみに生産資材は一切値下がりしてはいない。下がっているのは農家の売り渡し価格だけなのだ。事業としては全く成立しない。販売価格が生産原価を下回るという異常な事態はすでに10年を超える。
ちなみに12,000円という米価は38年前のS49年(1974年)の13,615円を下回る。当時の朝日新聞の一ヶ月の購読料はいかほどだったかといえば1,700円。それが今日では3,925円となっている。およそ2.3倍だ。それを米の価格にあてはめれば一俵あたり33,223円とならなければならない。それが12,000円だからツライ。
新聞がほぼ毎日のように「日本の米は高い」と書いてきた。新聞にそんなこといえるか?今日、一ヶ月の新聞購読料が1,700円でやれますか?お前たちもそれをやってみたら、農家の気持ちも多少は分かろうというものだ。それをやった上でなお、「日本の米が高い。」といえば話を聞こうじゃないか・・・なんてね、だんだんタンカ口調になってくるのですよ。
水田とともに、数千年の歴史を刻んできた村はいま、少しずつ崩壊に向かっている。わが村の水田農家の平均年齢はおよそ67歳。日本の農家の平均年齢とほぼ一緒だ。後継者なんて育つわけがない。規模の問題ではない。大規模経営の農家の方が立ち行かないのだ。
<何が「新成長戦略」か>
TPPをきっかけにして大規模化をはかり、1.8haの水田平均耕作面積を20〜30ha(山間部では10〜20ha)に変えていくと言っているが、たとえそうなったとしてもオーストラリアの3,000ha、アメリカの180haと競争などできるわけがない。俺は身長190cmで体重100kgの体格だが、俺をアメリカだとすれば、日本は30haになったとしても1/6の大きさ。赤ん坊より小さい。俺とまともに競争して勝てるわけがない。
外国からの安いコメが入ってきても日本のコメは輸出すればいいという意見もないわけではない。しかし、これほど現実を見ない話はない。コメの年間生産量は848万tだが、輸出量は2010年実績で2,000t。全体の0.23%でしかない。一部の特殊的な例をもって全体の危機を覆い隠すことはできない。
近年、環境と生態系に負荷をかけず、何よりも食の安心、安全を第一とする循環農業、有機農業への流れができてきたように見えたが、一転して農法は、農薬、化学肥料により傾斜したものにならざるをえないだろう。省力化、コストの削減、土からの収奪と土の使い捨て。未来の世代にはぼろぼろになった土しか渡せない。それでも生き残ることは難しいだろうが、そんな農業、そのような「国づくり」が進行していくのだ。それを民主党は「新成長戦略」という。でも、それがどのような意味で「成長」なのだろうか。
TPPには未来はない。農業、食糧生産をそのような「成長」路線から解き放ち、未来の世代を脅かすことのなく、いまある日本型農業を守り、土や海、森を始めとした、いのちの資源を基礎とする新しい人間社会のモデル、農業を基礎とした循環型社会を広くアジアに、世界に示していくことこそが日本の進むべき道ではないかと思うのだ。
<それでも考えたい!農業・農村の今後の課題・展望>
―――――そのための前提条件について―----------
1、“土はいのちの源”の上に立って
長年、百姓してつくづく思うことは、「土はいのちのみなもと」ということだ。作物は言うまでもなく土の産物であり、その育った場所の土の影響を全面的に受ける。
かつて山形県で収穫したキュウリの中からおよそ40年前に使用禁止となった農薬の成分が出て問題になったことがあった。農薬は40年経ってもなお土の中に分解されずにあった。そこにキュウリの苗が植えられ、実がつき、成長し、汚染されたキュウリができてしまったというわけだ。同じような例だが、隣の市ではかつてお米からカドミュウムがでたこともあった。企業が廃坑になった鉱山の後始末を充分にしなかったからだが、農民にはつらいだけの話だった。米は全て回収されて焼却処分された。つまり、作物は土から養分や水分だけでなく、化学物質から重金属まで、いい物、悪い物を問わずさまざまなものを吸い込み、実や茎や葉に蓄えるということだ。それらは洗ったって、皮をむいたってどうなるものではない。何しろ身ぐるみ、丸ごと溶け込んでいるのだから始末が悪い。土の汚染はそのまま食べる者の汚染につながっていく。
一方、土の力の衰えは作物を通して食べる者の生命力、免疫力に影響を与えていく。
作物の中のミネラルなどの養分をみてみよう。「食品成分表」(女子栄養大学出版部)によって1954年と、約50年後の2000年の野菜を比較すると(表参照)100gあたりに含まれるカルシウムや鉄分などの含有量は軒並み減っている。この傾向はここに上げた野菜にのみいえることではなく、ほぼ全ての作物にあてはまる。
原因は何か。それは土の力の減退にある。1954年まではほぼ堆肥だけで作物を作っていた。だが、60年代に入って堆肥中心のいわば有機農業から化学肥料や農薬を中心としたものへと農法を変え、効率と増産による最大利益を追い求めて来た結果、土の力が衰え、作物の質が落ちて行ったということだ。子どもたちは50年前と比べ、その含有養分が数分の一に成分値が下がった作物を取り入れながら、骨や肉、血液を作らざるをえないのだ。子どもを取り巻く基礎的食料の質の劣化。このことが子どもたちの生命力や精神力に少なからざる影響を与えているに違いない。
このように、もしその土が汚れた土ならば作物も汚れ、食べる私達も汚れていく。もしその土が疲弊した土ならば作物のもつ生命力は弱く、それを食べる私達の生命力、免疫力も弱くならざるを得ない。「土はいのちのみなもと」なのだ。土を喰う。そう、私たちはお米や野菜を食べながら、それらの味と香りにのせてその育った所の土を喰っている。私たちはさながら土の化身だ。土の健康は即、人間の健康に結びつく。食を問うなら土から問え。いのちを語るなら土から語れ。健康を願うなら土から正そう。生きて行くおおもとに土がある。そういうことだ。
土を食べ、土に依存することによって生きる。このことは我々のみならず、100年後の人たちにとっても、200年後の人たちにとってもかわらない。土の事情は食べる人たちに密接に影響を与える。土は世代を越えたいのちの資源なのだ。政治や行政の最大の課題が、人々の健康、すなわちいのちを守ることであるとすれば、そのいのちを支える土の健康を守ることは第一級の政治課題でなければならない。切実にそう思う。この食と土とのいのちの関係を抜きにし、面積や、規模だけを追う農業政策はすでに過去のものとしなければならない。必要なのは土に有機物や堆肥を投入し、農薬、化学肥料を極力軽減することが可能な政策、生産体制を築くことである。土を守る。これが前提の第一だ。
2、国民皆農を織り込んだ新しい道
個人的には、家族農業をそれ自体としてどう守るかというだけではなく(その課題はとても大切だが)、たとえば、農を志す都会の若者たち、農を織り込んだ暮らしを実現したいと思う市民や、自給的な生活を望む人たちにも広く農地を解放するような仕組み。農民的土地所有(利用)から市民的土地所有(利用)への転換。望めばできる国民皆農への道作りなどを織り込みながら、新しい生産のあり方、暮らしのあり方を提案する。
国民皆農といえばとんだ現実離れした話といわれそうだが、決してそうではない。今のロシアにその実例をみよう。ロシアのダーチャ。それは農業とは別の職業を持つ人々が、休業日を利用して自らのための食料を生産できる農地利用の仕組みのことである。このダーチャによって、1991年、ソビエト連邦が崩壊しロシア連邦になった政治・社会体制の激変時においても、国民生活はそれほど混乱することもなかったという。ロシアではこのダーチャのもと、都市の住民によって準主食であるジャガイモの8割、野菜の7割以上が、生産されている。わずかな年金しか受け取れない年金生活者にとっても、ダーチャの産物を自給にまわし、余ったものは換金の対象にすることができるという。
この市民的な農地利用が日本でもロシアのように国の自給率の多くの割合を占めるようになるにはずいぶん時間もかかるだろうし、それに見合う暮らしや労働のあり方、教育など、社会全体の仕組みも変えていかなければならないだろうが、決して不可能なことではない。
すでに家族農業を守ろうというだけではどうにもならない現実がある。しかし、だからといって、企業農業がその代替となるとはとうてい思えない。家族農業か然らずんば企業農業かではなく、それとは違う価値、それとは違うつながりのもとに、「環境」、「循環」、「健康」、「福祉」、「自給」、「教育」などを織り込んだ新しい農(土)と人々の関係を築いていくことが求められている。効率だけを追い求めてきた「成長神話」の中で、土から離れ、自然から離れ、人と人との結びつきもバラバラになってしまったかに見える社会のただなかに、土と食、土と暮らし、人と人の共同の原点に立ち返って、足元からもう一つの仕組みを創りだしていこうということだ。求められているのはこのような成長だ。
農業の一層の大規模化とケミカル化。挙句の果ての食の海外依存という道ではなく、家族農業と日本型「ダーチャ」の組み合わせ。これを次世代型農業の柱として政策化すること。これが前提の第二の条件であろう。
3、自給的生活圏の形成を
話は少し変わる。原発の話だ。以前、下のような文章をある新聞に書いた。その抜粋だがお読みいただきたい。
「地方に建設された原発は、地方の貧しさに付け入った政治の醜い姿をあらわしている。その上での今回の放射能被害。地方は息の根が止められる事態に追い込まれている。
以前、「朝まで生テレビ」で東京都副知事は「原発を都心からもっと遠くにもって行く必要があった。それが失敗だ。」と話していた。原発が必要だという人たちに共通しているのはその果実だけを求め、生まれるリスクを自分(たち)では背負わず、遠く離れた地方に押し付けようとすることだ。未来の子孫に肩代わりさせようとすることだ。今もなお必要というならば自分(たち)の暮らしの場に原発を誘致するよう働きかけるべきだろう。さらに放射線の汚染水も小分けしてそれぞれの地元や企業、家庭で引き受けるべきだろう。そのように働きかけとセットにして原発必要論を語るならば認めよう。果実とリスクを併せ呑むよう足元を説得してみればいい。それ以外のどのような必要論も詭弁である。地方を利用しようとするな。地方は都会に奉仕する家来ではない。地方は都会の植民地ではない。
都会の家来でなく、植民地でもなく、エネルギーから食料まで、小さくてもしっかり地域に根を下ろした自給圏の形成を目指すことが求められている。農業を基礎にした脱原発、脱成長の循環型社会を目指すこと。その余剰を他の地域に回す。この点では地方も都会もなく、一様に自立する。日本の社会をこのように構成しなおすことが求められている。「3・11」以後、少なくとも意識レベルでは生き方、暮らし方を変えようと考える人たちも多くなっていると聞く。不幸な中にも希望はある。この機を逃すことなく、エネルギー政策も食糧政策も新しく組み替えることが大事ではないかと思うのだ。」
電力のみならず食糧においても、大都会に一元的につながれてきた生産地と消費地の関係の転換を図ることが第三の条件だ。地域はまず何よりも大都会への供給地だ、というのは今までの考え方だ。地域の人たちの食、暮らしを考えた場合、大都会の前に地域の自給をまず実現し、その「余ったもの」を大都会へという順番だろうと思う。そのように地域自給圏を全国に形成する。そのモザイク的集合体として日本列島を構成しなおすのだ。その点では都会も例外ではない。圏内の農地を活かし、足りないところをなるべく近い県から支援してもらう関係を築くことで、災害に強い、自給的な地域に脱皮していくことが求められる。「国家的自給」の前に「地域自給」を。これによって日本の農と食の関係が今までとは全く違ったものになっていくだろう。(ここで言う生活圏、地域とはかつての「藩」の広がりを指している。)
日本の「食料・農業・農村への提言」を論ずるにあたって、今や小手先の手直しではどうなるものでもないということをはっきりさせなければならない。抜本的な視点からの政策が求められるところだ。もとよりこのことはTPPとは両立することはできない。
そう、これらの前提条件のすべてはTPPとは相いれない。TPPの阻止こそ食料・農業・農村にとっての「希望」の前提条件である。
<風前にともし火をかざす!だからこそ・・>
TPPは日米関係の総仕上げとしての役割をもっている。これによってアメリカは日本を政治的、軍事的のみならず、社会・経済システムと食料の面においても従属関係におくことができるだろう。アメリカと日本国内「ポチ」にとっての総仕上げ、「理想的な日米関係」が成立するということだろうか。
私は今まで農の危機を時代の転換期ゆえの危機と捉え、「対案」をもって時代に参加しようと訴えてきた。しかし、日本がTPPに参加することになれば、各地のさまざまな「対案」も、嵐の中の小船のように、大波にもみくちゃとなり、沈没してしまわざるを得ないだろう。まず、政府にTPPへの参加を断念してもらわなければならない。それを通してのみ、希望の道が開かれていく。もともと「対案」の平穏無事な成長などはありないが、TPPはひどすぎる。
今は時代の転換期。風前にともし火をかざすことが求められているが、すべてはTPPを葬ってからだ!
(註)ただ、それらは日本がアジア各地でやってきたこと。フィリッピンなどの山々をはげ山にしてきたのは日本である。それへの反対運動も当然あったわけで、私たち日本人はTPPの前のアメリカ国民がそうであるように、それには無関心であった。いま、TPPの議論において、「被害者」、「弱者」の立場に陥りがちだが、加害者の視点かもとらえ返してみる必要があろう。大切なことは日本を含め、アジアの人々の暮らしや権利にとって、TPPやグローバリズムはどのような意味を持つのかを明らかにすることである。
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2011.12.12:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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熱燗がいい!
みなさん
寒くなりましたねぇ。
外で冬野菜のとりいれなどをやっていますと
思わず鼻水などがタラァァァーッと出てまいります。
ズーズーッとすするのもなんですから、ヒッと手鼻をかむのですが
頬っかむりして、蟹股で、腰が曲がった大男の手鼻をかむ姿を想像してみてください。
鼻水が霧状となて畑に飛んでいきますぞ。
哀れですねぇ。切ないですねぇ。
孫の手を引きながらババーやジジーがよく通る小道に面している畑。
彼らにどのように映っているかなどはまったく関心がなく、
いや、そのような想像力を働かせるいことができないと言うべきか・・、
その辺にこの男のよる年波を感じさせますねぇ。
この男の最大の楽しみは、夜、熱燗の日本酒をグビッっと飲むこと。
熱い塊がのどを通って降りていく。
この様がなんとも、なんとも・・・。
寒さの中の一日は、これを旨いと感ずる為にこそあったのかとおもうほどなんですよぉぉ。
あぁぁ!いいっ!
あのな!
酒はなんでもいいわけではないよ。
俺が愛する酒は三重県は「新良酒造」のお酒。
知らないって?
そんなわけはないよなぁ。
明治大学は生田にさまよった4年間。
決して教室で学んだわけではないけれど
(天下国家ばっかり論じていたし・・・)、
だけどな、誰よりもその4年間を愛している男。
その男が経営者となり、杜氏となり、販売員となって世に問うている酒。
その酒こそがこの俺様の酒なのよ。
山形県に生まれ育った俺は、様々な酒をのんできたし、
それだけに多少はうるさい。
こんな俺が。
山形を愛してやまないこの俺がだよ。
自分で決めた愛郷の掟を破ってまでもすすめるこの酒。
この酒だけは特別だ。
三重県は「新良酒造」のお酒。
この新良酒造は「純米酒」しか造っていない。
酒の名前は「夢窓」。ムソウというんだ。
「生原酒」、「原酒」、「酒」の三種類。
お燗がうまいのは「酒」だけど生原酒も原酒もうまおぞおぉぉ。
おぬしも一回試してみな!
あんただって一杯やれば必ずそうなるって。ファンクラブみたいにさ。
飲んでみたい人はTELかFAXでたのんでみな。
0598-21-0256
もうやみ付きさ。
今度会うときはこの酒談義に花を咲かせようではないか。
おれもよっぱらったかなぁぁ。
もうちっとのむべぇ。
明日も雪降りかなぁ。
じゃ、一杯・・・あばよ。
菅野芳秀
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2011.12.10:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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人っていいですね。
もうじき今年も終わりです。
大変な年でした。
息子(28歳)と私(62歳)との小さな農園ですが、それだけに原発には思いっきり翻弄されました。
放射性物質は独自に検査し、結果は1ベクレルも出なかったのですが、
東北ということで・・注文はずいぶん減りました。
その苦境を助けてくれたのは友人たちです。
私には誇るべきどんな「お宝」もありませんが、
友人たちの存在こそどんな「お宝」にも勝るものだと実感した年でもありました。
また、その友人たちの呼びかけに応え、ご注文をお寄せいただいた方々からもあったかいものをたくさんいただきました。
おかげさまでいつものお正月を迎えることができそうです。
人っていいですね。
2011.12.09:
kakinotane
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11月のお米につけた手紙
☆秋が深まり、朝は濃い霧におおわれるようになりました。霧が晴れればそ
こにはカラフルな村の秋があります。色づいたりんご、柿、もみじ、銀杏、菊やコスモスの花々・・。とてもきれいですよ。裏にそびえる朝日連峰は峰から1/3ほどが葉っぱを落としています。もう頂の木々は冬支度です。
☆家の前に広がるおよそ800hの水田はもうすっかり稲が刈り取られ、
ほとんど人影はみえません。唯一我が家のトラクターの堆肥を散布している姿
があるだけです。化学肥料は田んぼの土を劣化させるという考えから、30年の間、作物作りはずっと堆肥中心でやってきました。自然発酵鶏糞とレインボープラン堆肥の二種類。春になってからでは忙しすぎるために秋のうちに一種類の堆肥を散布しておきます。
☆私たちは土を食べています。たとえばかぼちゃは土から良いもの、悪いもの、さまざまなものを吸い上げ膨らみます。だから私たちはかぼちゃをたべながら、かぼちゃが育ったところの土を食べているのと同じ。私たちは作物の味と香りにのせて土を食べている。アメリカの土を食べ、アルゼンチンの、中国の、フィリッピンの土をたべ・・。その土が汚染されているならば私たちの身体が汚染され、土が弱っているならば身体が弱っていく。私たちはさながら土の化身です。
☆食べられる土を作ろう。食を問わば土から。健康を求めるなら土から。町を築くなら土から。未来は土から・・・。土はいのちの源。そう思いながら農業にたずさわり、堆肥を撒き続けてきました。それだけに原発事故は恨めしいですね。
☆3・11を経たこの秋、友人たちを含め、たくさんの方々から支えていただきました。その結果、落ち込んだ米への注文がようやく昨年水準まで回復することができました。原発事故の過酷さを知った年でもありましたが、それ以上に人の情け、あたたかさを体験した年でもありました。
☆お米に黒い斑点がついているものがあります。それは「カメムシ」の食痕です。殺虫剤を使用しないお米につく勲章のようなものですので気になさらずに食べてください。虫も食べ、人間も食べる・・どこかいい世界ですね。
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2011.11.16:
kakinotane
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TPP
秋が深まり、朝は濃い霧におおわれるようになりました。霧が晴れればそこにはカラフルな村の秋があります。色づいたりんご、柿、もみじ、銀杏、菊やコスモスの花々・・。裏にそびえる朝日連峰は峰から1/3ほどが葉っぱを落としています。もう山の頂は冬支度です。
この間いろんなことがありました。
まずTPP。10月31日、私が共同代表を務めている「TPPに反対する人々の運動」主催の集会が東京の文京区民センターを会場に開かれました。参加者は500人を越えました。北海道農民連盟からの60人を始め、福岡からも、長崎からも、山形、岩手からも・・たくさんの方々が参加し、TPPの問題点を話し合いました。
TPPは「農業対工業」である、などと本質をゆがめられて伝えてきた当初の報道から、少しずつ本当の姿が国民の前に明らかになるに従って、反対である、あるいは拙速すぎると言う声が大きくなってきています。
金融、医療、公共事業、労働・・・など多岐にわたる分野において、いままでの日本の社会経済システムを大幅に変える内容を含んだTPP。その推進軸はアメリカ。菅前総理が「日本を世界に開く」などと言っていましたが、実態は「日本をアメリカに差し出す」に等しく、原発同様、未来に大変な禍根を残すことになってしまいます。後では遅すぎる。今、この局面で声を上げなければならない。切実にそう思って行動してきました。あらためて私たちの力量が問われます。
今日、ハワイで開かれるAPECに向けてわれわれの代表団6名が成田を発ちました。ハワイでは参加各国のNGO、民衆運動の代表団と連携し、日本の反TPP運動をアピールすると共に、グローバリズムを推し進め、弱肉強食の収奪の網の目を世界中に張り巡らし「99%の人々」の生存権を一層脅かそうとする者たちに、抗議の声を上げる予定です。
まだTPPはよく分からないという方がおられましたらご連絡ください。一冊100円のTPPがよく分かるパンフレットがあります。お送りします。
この間の出来事の二つ目は、原発によってお米への注文が大きく落ち込んだことです。
「えっ、なんでぇ?」
この続きは次回としましょう。
2011.11.10:
kakinotane
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我が農園のお米を食べていただいている方々に
お米をおとりいただいているみなさん
山形の百姓・菅野芳秀です。
もっとも気がかりな我が家のお米の放射線検査結果がでましたのでお知らせいたします。
数日前より山形県では県内231箇所で、刈り取り前と出荷前の二度に渡るお米の放射能検査を行い、いずれも「検出せず」の結果を公表していました。その検査の下位限界値は20ベクレル/1kgでした。
我が農園ではもっと詳しく知りたいと、9月25日、茨城大学の「応用粒子線科学」専攻長・高妻孝光教授においでいただき、お話を伺うとともに、お米の検査をお願いいたしました。昨日、その検査結果がでました。
研究室での12時間の連続検査の結果、「検出せず」!!
我が農園の米からは、わずか1ベクレル/1kgの数値も出なかったということです。よかった!
皆さまにお届けするお米は、昨年とまったく同じお米であることが、最新科学の力で実証されました。これでご安心いただけると思います。
息子は、かねてより「自分の子どもに食べさせられないものをお届けすることはできない。」、「もし高い数字がでたら俺はこの米を廃棄し、百姓をやめる。」と家族にも周辺にも宣言していました。この結果に胸をなでおろしています。
田畑といういのちの場が無事であってほしい・・山や空に祈る日々が続きました。その土は守られていた。過去から引き継いだ健康な土をそのまま未来にお渡しすることができる。息子のこととあわせ、農民として生きる土台が健全であったことに、山にも空にも感謝したい思いです。
それだけに、フクシマの農家を思うとき、辛く切ない思いが湧いて来ます。彼らも同じ思いで、山をながめ、空を仰いでいたことでしょう。
全国からたくさんの検査依頼を受けていた高妻教授研究室の検査設備を、12時間の長きに渡って独占しましたことに痛みを感じます。また、あわせて、どのような小さな放射線も見逃さないようにと監視いただいた関係者の皆さんに改めて感謝いたします。
これで稲刈りにも力が入ります。
土・いのち・循環の下に・・菅野農園
〒993-0061
2011.09.29:
kakinotane
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「さよなら原発」集会
19日の大江健三郎さんたちが呼びかけた「さよなら原発」集会(於;明治公園)に参加してきました。
ものすごい人でした。
開始までまだずいぶん時間があるのに、これ以上は入りきれないぐらいになっていて、入るのをあきらめた人たちは周辺の道路や空き地にまであふれている。それでも千駄ヶ谷駅や信濃町駅から明治公園までの道路は集会に向かう人の流れでいっぱいだった。
これほどたくさんの人たちを一度に眺めるのは・・・40年ぶりかな・・・。はじめてかもしれない。それはさておき、この規模は原発の歴史上初めての出来事だろう。
あふれる人たちを呆然とみながら・・・わけもなく・・・日本は変わる!大丈夫だ!
との気持ちが湧いてきましたよ。
会場では若い青年たちもたくさんいたけど、
明らかに団塊の世代だと思われる人たちが目立っていて、
そうなんだよな。来たんですね。あの人たちも。
かくいう私も「日大全共闘」、「芝工大全学闘」、「明大全共闘」の旗がたなびく下、全体集会の前の小さな集会に参加しました。
芝工大の人・・といっても60歳代の方なんだけど、その挨拶を聞いていたら、当時のままなんだよね。話のリズムがさ。言葉遣いも。参加者からも時々「異議なし!」などという掛け声が上がったりして。「異議なし」だよ・・・。懐かしいというかなんというか・・、ねぇ。
でもさすがに「ナンセンス!」はなかったけど。
子ども連れのお母さんもいる。老人も。商店街で普通に歩いている人たちがそのまま駆けつけたという感じなのだ。労働組合の旗もたくさんあったけど、集まっている方々はとにかく多様だ。
地殻が動いている。ずいぶん長らく動くことがなかった岩盤が動きはじめた。そんな思いをもった集会でした。
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2011.09.21:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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かつて掲載した文章から
「いまや、都会の人達は卵かけご飯は食べなくなっているんだよ。気味悪いから。箱根の旅館やホテルでも朝食に生卵や、温泉卵は出さないところが増えているよ。」
食に詳しい小田原の友人が教えてくれた。そうだろうね。
身動きのできないカゴに入れられ、添加物のかたまりのようなエサと予防薬漬けの毎日。カゴの下を見れば、健康なニワトリのフンとはまったく違う液状のゲリ便が・・。彼らの産み出す卵は・・・ストレスのかたまり・・・。
世界中の生き物達の中でゲージ飼いのニワトリたちほど不幸な動物はいない。羽を持っていても飛ぶことはおろか、広げることすらできず、足があっても歩くことができない。お日さまを拝むことも、風をうけることもなく、両脇に隣人の体温を感じ、対面に自分と同じように苦しむ同輩を眺めながら、長い一日を過ごしている。うわぁーぁ、やりきれないねぇ・・・。
私は農業に就いてから、そんな工業養鶏の現場を知り、抵抗力のない子どもや年寄り、病気がちな人、妊婦などにはゲージ飼いの卵は食わせられない、そうおもってきた。
我が家の玉子は、自然に近づけてニワトリたちを飼い、草や野菜などの緑餌をたくさん与え、放し飼いで充分運動させる。そんな中から産み出された玉子だ。昔の玉子もそうだった。
ドイツ全土から、2007年1月1日よりゲージ飼いのニワトリ達がすっかり消えた。全ては大地の上で飼育されている。ヨーロッパ全体では2012年1月1日から実施するという。いい話ですよ、人間であろうがなかろうが、幸せにつながる話は歓迎だ。EU加盟国の国民は昔の玉子を食べることになる。
彼らを生き地獄から救ったのは消費者運動だという。ドイツ政府に働きかけて実現した消費者運動の大きな成果。自分達が手にする食べ物の質を問題にするだけでなく、そのつくり手の状態にまで思いの範囲が及んでいるということか。
他方、日本の消費者運動はどうだろうか。残念ながら自分達が食べる卵の安全・安心を問題にしても、ニワトリ達をゲージから解放しようという声は聞いたことがない。思いはそこまで到達していない。自分(達)に、問題のない食べ物が手に入るなら、それから先のことには...ということか。
話が変わって、日本の米作りの現場。東北農政局が発表したH18年度の生産原価は15,052円/60kg。農家がJAに売り渡す価格は12,000円/60kg前後。作れば作るほど赤字が出てしまう。H19年もH20年も同じだった。こんな原価割れの米作りが数年続いている。農家の平均年齢は67歳。当然のことながら若がえる兆しはまったくない。いまさら転業もできないから・・という年寄り達の思いだけが継続の原動力だ。
ニワトリ同様、消費者の思いは生産現場まで到達していない。それだけではないけどね。
タマゴやお米に限らず、生産現場を知り、そことの関係をもう一度作り直すことから始めなければならないのではないだろうか。それにはまず、現実を知ること。それと、生きるうえで何が大切か、どのように生きたいのか・・を考える「哲学」を暮らしの中に。ここからですね。
だけどなニワトリたちよ。
かの国のように消費者運動にだけ頼っていてはいかんぞ!
自分でなんとかする道をみつけなければな。
自力解放の道を・・さ。
何ができるかって?
自分で考えるんだよ!
2011.09.17:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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沖縄に行って来ます。
12~15日のきわめて短期の旅行ですが
沖縄宮古ー本島に行ってきます。
それまで留守にいたします。
かえってきましたらいよいよ稲刈りの準備です。
2011.09.11:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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ドイツのTVだそうです。
ドイツのTVだそうです。
ご覧になった方も多いかとおもいますが・・。
http://www.youtube.com/watch?v=4S1bTmrILgs
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2011.09.01:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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俺だけかな
どうでもいい話なんだけど。
この暑い最中に話題にしなければならないことでもないんだけど・・・な。
聞くたびにガクッときて大いにリズムが壊されてしまうことがある。
それは言葉と話し方に係ることだ。三つ。
一つ目は、「ハーイ」ということ。電話の終わりのところで「ハーイ」。ひどい場合はその「ハーイ」を三つぐらい重ねる人もいる。軽い話の後ならばそれも良いかもしれないが、大切な話や深刻な話の後にこれをやられると、今までの会話はなんだったんだという気分になってしまう。「あんたとの電話はこれで終わり。ハイまたね。」ということか。電話にしたって終った後の余韻というものがあるだろうが。これでは台無しだ。一目置いている人からこれをやられると、エッと思ってしまうよ。
二つ目は「中上げ」。話している途中の小さな区切りともつかないところでクイックイッと話の語調を上げる、そう、例の話し方。出てきたのはずいぶん前だが、やがてなくなるだろうと思って我慢してきたけどもなかなか消えない。なんなんだよ、あの話し方は。聞いているこちらのリズムがかき乱されることおびただしい。上げられる度に思考が停止してしまう。決して話し手のプラスにはなっていないはずなのにそのことがわからないのかな。バカでないべか・・。
三つ目は「〜ございます。」という話し方。こちら(山形県)では公務員からJA職員まで良くやる話し方だ。「〜してございます。」、「〜資料が入ってございます。」、「取り組んでございます。」・・・。決してへりくだっているのではないことは態度でわかる。言葉というか、語尾だけがバカ丁寧なのだ。「〜います。」でなぜ悪い。日常的な態度が尊大である分だけ、このギャップが気持ち悪い。
やめてほしいねぇ。バカとは言わないが、少なくても利口そうには見えないよ。俺だけだべか、こんなことを思うのは・・・。
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2011.08.30:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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外に出ることができない・・。
我が家のニワトリたちは3月11日以降、まったくといっていいほど外に出ていない。
わずかに鶏糞を田畑に運ぶときに数日出た程度だ。あとは鶏舎のなかに入りっぱなし。原因は原発事故。
われわれのところの空間線量は県庁発表で0.04〜0.07マイクロシーベルト/h前後。ドイツから送っていただいた例の測定器をもって自分で計測してみても0.08(地上50cm)〜0.12ほど。空間ではなく、実際にニワトリが踏んだり食べたりする土がどの程度汚染され、それが玉子にどう移行するかは、われわれにもまだ分かっていない。空間線量はそう高くはない、だから心配しなくてもいいよと同じようにニワトリを飼っている友人は言うのだが、わが農園の担当者である息子はもしものことを考えて「うん」とは言わない。
鶏舎は四面が金網で土の上に建てられている。風は吹き抜けていくし、お日様の光は朝と夕に鶏舎の中まで入り込んではくる。1坪に10羽以内で一つの集団は100羽以内。ニワトリたちはその中で餌を食べたり、遊んだり、玉子を産んだり・・と一日を過ごす。
とはいえこれは平飼い養鶏ではあっても放し飼い養鶏ではない。例年ならばニワトリたちの遊ぶ鶏舎の周りの草は、彼らにキレイに食われてしまうのだが、今年はゆらゆらと生い茂っている。さながら草に囲まれた鶏舎といった具合だ。
如何に中が快適でも、外の魅力には勝てないはずだ。ニワトリたちはきっと、外に出たい、外に出たいと思っているだろうな。羽を広げて飛び回りたい。走りたい。土を啄ばみたい。草を食べたい。日光浴をしたい。虫を追いかけたいと。でもそれができないのだ。つくづく申し訳ないと思う。
土の調査を、友人を介して大学の研究室に頼んでいる。すまないがもう少し待っていてくれ。
写真・・・いつもはこんな風景なのだが
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2011.08.23:
kakinotane
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