ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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本日、山形市の山形大学で「家庭科教育研究者連盟」の夏季シンポジュームがおこなわれます。下はそのなかで私が話を受け持つことになった分科会の紹介です。かつてブログに書いたものも含まれていますが邪魔でなければお読みください。


「分科会名「レインボープラン〜循環型農業の成果と課題」

昨年の秋、同じ村で米作りをしている百姓仲間が来てこう言った。
「米が安すぎだよ。今年、農協への生産者の売り渡し価格は1俵(玄米60kg)あたり9,000円だとさ。ついに10,000円を切ったよ。ほぼ40年前の価格に戻ったことになるんだぜ。それでな、40年前の朝日新聞の一ヶ月の購読料はなんぼかいうと・・だ。」
と、彼は書きとめてきたノートをめくって
「900円。それが今日では3,925円となっているからおよそ4・36倍だ。それを米の価格にあてはめれば・・だな。一俵あたり39,370円だ。それを9,000円だぜ。話題の戸別補償を加えても10,500円だよ。いくら規模を拡大しても追いつけない。この国では米作りは無理だということだべな。」とまくし立てた。そうかもしれない。それに、この米価によって、農法においても、化学肥料と農薬による省力化された農業がいっそうすすむだろう。環境と食にとって、決してプラスにはならない。時代に逆行している。

今年の2月のある日、隣町で米作りと和牛の肥育をやっている友人がやってきてこう言った。
「今度はTPP(環太平洋経済連携協定)だとさ。無関税で農産物が入って来るんだと。これが通れば自給率は14%まで下がると農水省が試算している。農業をやめろといっているのと同じだな。」
水田とともに、数千年の歴史を刻んできた村はいま、少しずつ崩壊への道を歩もうとしている。わが村の水田農家の平均年齢はおよそ67歳。日本の農家の平均年齢とほぼ一緒だ。後継者は育たない。期待された大規模農家も立ち行かない。村はこのまま衰退して行くのだろうか。

そして3月の原発事故を経て6月。千葉県の百姓で野菜農家の友人がやってきてこういった。
「ようやく春野菜の収穫にこぎ着けた。だけどな、あの日から今日まで、長年お付き合いをしていた生協から注文がほとんど入らなくなった。成長した葉物はそのまま収穫せずに、トラクターで畑に鋤(す)き込んだよ。このまま百姓を続けることができないのではないか。」

低米価もTPPも原発災害も根っこは一緒だ。経済成長と市場原理。いずれもその伸びきったところでの出来事だという点で。
「これまでも農業は自然死への道だったよ。TPPやめてそこに戻ればいいというわけではない。放射性物質を取り除いて、田畑が元の状態にもどればOKだということでもない。この国のあり方を、もっと根本から組み立てなおすことが求められているのだけど・・。」
千葉の友人はそんなことを言って帰って行った。
彼が言うように、この国の農業も食料もエネルギーも、いま新しく出直すことが求められている。
さて、山形県長井市ではレインボープランという名の市民と行政が協力しながら進めてきた事業がある。これをとおして「環境」、「循環」、「健康」、「福祉」、「自給」、「参加」などの視点から新しい農(土)と市民の関係を築こうとしてきた。具体的にはまちの台所の生ごみを集めて堆肥をつくり、農家がそれを活用して農薬や化学肥料を削減した作物を生産し、まちの台所に返そうという循環の事業である。稼動して13年。この事業は、時代への「対案」として育てられてきた。
この実例を報告しながら、農、食、地域やこれからの暮らし方、社会のあり様を考えようとする。
「3・11」以後、少なくとも意識レベルでは生き方、暮らし方を変えようと考える人たちも多くなっていると聞く。不幸な中にも希望はある。この機を逃してはならない。

ともに考えてみませんか?

(写真は真冬の我が家。暑いから寒い時の・・・)






 たくさんのご注文ありがとうございました。
おかげさまで若鶏の玉子はキレイになくなりました。
皆様のご支援に感謝いたします。



お元気でしょうか?
いろんなことがありましたが、私どもも元気で農業を営んでいます。
さて、ブログにおいでの皆さんに、我が農園の本業である自然養鶏の玉子のことでご相談があります。
いま、玉子が少し多めに産んでいまして、食べていただける方をさがしています。
若鶏の玉子です。

夏はいつも、鶏たちが産まなくなる時期ですがその時期に合わせてヒナを導入した結果、今度は多く産みすぎて困っています。
若鶏の玉子ですので、少し小さめですがプリンとした形状です。
スーパーの玉子で言えばS,M,LのSクラスでしょうか。
その玉子を1パック300円でお分けしています。
通常の大きさの我が家の玉子は580円/1パックしていますので、小型の分だけすこしお安くなっています。
いつまでもあまり続けるわけではなく、秋から冬にかけて
少しづつ産卵量が減っていきますが、そうですね、あと一ヶ月ぐらいは
この状態が続き、今度は足りなくなっていきます。
工場のラインと違いますので、この調整はすぐにはできません。
ヒナの増減から始まりますので最低でも半年はかかります。
そこが生き物たちと一緒にやっている仕事の難しいところですね。

メールでご返事いただければお送りいたします。
アドレスは以下のとおりです。
narube-tane@silk.ocn.ne.jp
ご住所、〒番号、電話番号、数量、お届け品ならば先様とお届け主の
両方のご住所が必要です。
お問い合わせは090-4043-1315までお電話ください。

4パック(10個入り)がお送りする際の最小単位です。
(箱の容量の関係です。)
送料は関東ならば630円かかります。
4パックならば
300円×4+630円=1830円となります。

生でおいしく食べられる賞味期限はお届けしてから20日間としています。
クールでお送りいたします。
届きましたら冷蔵庫に入れて保管してください。

お支払いは振込み用紙を同封いたします。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

久しぶりに本業の話でした。
自分のこととなると少し緊張しますね。






「誰にも責められてはいないが、みんなに責められている気持ちだ。」

 白鷹町の友人の牛が放射線に汚染されたワラを食い、出荷した4頭の牛の肉から1kgあたり55〜290ベクレルのセシウムが発見された。彼は50頭ほど飼っている米沢牛の畜産農家で、上はその彼の言葉だ。
 4月、彼は被災地の宮城県石巻近郊にボランテイアの炊き出しに行った際、以前取引のあった近くのワラ業者に電話をし、何か力になれることはないかと尋ねたところ、「俺もワラ屋だからね。」tと応えたという。分かってくれということだ。

自分の田んぼの稲ワラを与え、牛の堆肥をその田んぼにかえす。彼はかねてよりこのような牛と田んぼの小さな循環を大切にしていた。儲かるからといってやたらに牛の頭数を増やそうとせず、自分の管理している田んぼの面積に応じて飼う。これが彼のやり方だった。今年もワラは充分だったが、震災の渦中にいる業者の言をうけ、一台ぐらいならばと引き受けた。まさか宮城県北部の大崎平野の田んぼのワラまで放射能で汚染されていたとは考えられなかった。

 ところで私はワラは秋に田んぼから厩舎に取り込むものと思っていたので、春になぜ汚染したのかが分からなかったが、雪国以外のところでは田んぼに散在していた稲ワラを春に取り込むことは広く行われていることだという。

 国や県の関係機関がもっと早く事態を察知し、指摘してくれたなら対処の仕様もあったのにと思うと残念だ。関係者は牧草の汚染を知り、注意を呼びかけていたのだから、ワラの汚染にも当然気づいていたはずなのだろうが、やっぱり宮城県北部までとは思わなかったのだろう。

 牛肉から検出されたセシウムの量は国が定めた暫定基準の500ベクレル(
アメリカは1200ベクレル、カナダは1000、EUは1250、WHO、FAOは1000)よりはずっと下回っている。しかし、マスコミは「山形県の牛から・・」とセンセーショナルに報じ、県は「疑いのある牛」の個体識別番号をインターネットなどで公表した。その後、全てが基準値を下回っていることを強調したのだが遅かった。今、牛肉は記録的な安値をつけている。

 牛肉の取り扱い業者は「低い数値とはいえ、一方にゼロがあるのだから売れないだろう。」といっているという。畜産農家にとっては切なく、深刻な話だ。彼は「新聞やマスコミで報じられて以降、稲ワラ業者、畜産農家、食肉業者は被害者なのだが、加害者のようになってしまっている。」と話す。実感だろう。

県は宮城県などから稲ワラを買っていた112戸の畜産農家に対して出荷自粛を要請した。出荷時期になっても出荷できず、餌を食べ続ける。さらに買い手が付かないとすればその被害は甚大だ。
 政府は基準値である500ベクレルを超える被害については国が全頭を買い上げるといっているが、それ以下は対象外としている。

 誰が彼らをまもるのか。



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あらゆるものが緑に染まっている。
田んぼも畑も山も集落も、むせ返るような緑、緑の中にある。
うっかりすると自分も緑に染まりかねない。
田んぼの中のところどころに立っている柳の木などは、かつては人間だったという話だ。

あそこの柳は隣村の建ちゃんのご先祖だった。
こっちの柳はヤスのところのひいじいちゃんだったらしい。
ヤスのひいじいちゃんの場合は、田んぼを見ながら煙管(きせる)に火をつけてゆったりとタバコをくゆらせていたらしいよ。
そしたらそのまま緑になっていったのだとさ。
途中でそのことに気づいたんだけど「ま、これもいいや」といいながらそのまま柳になっていったという話だ。
ぼーっとしているとああなってしまうんだね。
ちょっとおっかないな。
ヤスのところは自分で選んでなっていったんだけどな。
俺も田んぼに出て行くときには気を抜かないようにしないと。

緑には勢いがあるよね。いのちの勢いというのだろうか、何か生き物たちの必死の願いのようなものを感じるよ。
今日、畑のわきの木を切り、草を刈り取る予定なんだけどね、木に申し訳ないな。
草にも申し訳ない。
俺たちが生きるためだとはいえ、木や草たちを切らなければならない。
刈らなければならない。
木や草だって寿命を全うしたいはずさ。
申し訳ないな。
夕方には緑ではなくなってしまう。

ごめんな。

 (写真は我が農園の無農薬田んぼ。左のダブルクリックで拡大してごらんください。)






10,11,12日と上京した。
東京の暑さは尋常ではなかった。
朝の6時に散歩にでて一時間ほど歩いたのだが、全身水をかぶったようになってしまった。
山形とは暑さがちがいますね。
天気予報を見る限り、気温上はあまり違わないけれど
そこには出てこない朝、晩のさわやかさがまったく違う。
今は同じ朝の6時。
わが村や田んぼにはうっすらと夏特有の霧がかかっていて、歩けばすこし肌寒い感じだ。
日中はさすがに暑く我が家の二階では過ごせないが、夕方、窓を開け放っていれば、寝るころには涼しくなっていて暑くて眠れないということはない。窓を開けたまま寝てしまえば、夜中にからだの冷たさで目が覚めてしまう。
そのぶんビールがうまいというむきもあろうが、こっちだってそれは同じ。その上こっちには畑から直にもいでくるキュウリがあるぞ、トマトがあるぞ。ササギ(ササゲ)の茹でたものもあるし・・なっ。
そんなことは天気予報では言わない.
だから気づかなかったかもしれないけどな。
「暮らしやすさ予報」ってのがあれば・・・そこまではいいかな。

こっちに来るかい?
年収はガクッと落ちはするが死にはしない。
何とか暮らしてはいける。大丈夫!
考えてみるか?
ま、それもあんたしだいだけどな。

とかいいながら、毎年の夏、東京への小さな優越感に浸るのです。
小さい奴だって?
承知の上だよ!

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 190cmで105kgはやっぱり太りすぎだろうか。
108kgと104kgの間を行ったり来たりしている。
朝は人参ジュース、昼と夜は60%が玄米であとは白米だったり、ソーメンだったりでことさら大食いということでもないと思うんだ。
何がいけないのか・・。
酒?
確かにお酒は飲む。
一週間のうち、5晩ぐらいはビール1本か日本酒1合。ちょっと越えることもあるけど、ま、たいしたことはない。ときどき、ピーナッツ系のお菓子をポリポリと食べることもあるし、お茶を飲みながらせんべいをかじったりもする。これだろうか。

 腹が・・ね。出ているんですよ。
 みっともないから何とかしなければ・・とは思うんですよ。
「体系と志の乖離(かいり)を何とかするんだぁ。」
とかなんとかいって、幾度もダイエットに挑戦してみたけれど、
連戦連敗で、だんだん自分に自信がなくなっていくのがわかる。
 原発やTPPやで、ただでさえうっとおしいのに、さらにデブとの戦いもしなければならないせいだろうか。最近、疲れることが多くなった。
どなたか、やせる方法を・・・、特に腹回りの脂肪を落とす方法をご存知ないだろうか?
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朝はいつも人参を搾ったジュースを飲んでいる。それが私の朝飯だ。
一回に搾る量は人参500gほど。それが200ccほどのジュースになる。
昨年の12月からはじめているので、計算上では約100kgを越える人参を飲んだことになろうか。
 周りの人によく人参ジュースだけで農作業ができるよなぁと言われるが、慣れればどおってことはない。
人参を続けてくれているのは千葉の二人の友人で、二人とも無農薬の野菜栽培を手がけて数十年になるベテラン農家だ。作物を食べることは土を食べること。そう思っている私にとって、こだわるのは人参の形状ではなくその中身。つまりは土と育てられ方だ。その点ではまったく問題はない。送られてくるのは大きくて実の割れたもの、傷のついたもの、小さなものなどさまざまで商品にならないものばかり。どうせジュースにするのだからそれで充分だ。
この人参ジュースがおいしい。人参の独特の風味とコク、それに果物のような甘さ。ジュースとしても充分に満足できる。毎朝、うまい、うまい・・・と飲んでいた。
その味が突然変わったのは5月の半ばごろのことだ。
田植えのあたりを境に、昨年の秋冬のものから春撒きの新人参に変わったことで、味が一変した。ジュースにまったく手ごたえがない。例えていうなら、水を半分混ぜたのではないかと思えるような・・、薄くてコクがない。材料の人参も量を増さなければ200ccはできなかった。きっと栄養価もうんと減っているに違いない。どうしたのかと思って、友人に電話したところ、
「春の人参はそのようなものなんだ。晩秋の霜、冬の寒さにあたったもののようにはならない。」ということだった。
そうか。いつもあるようでいて、人参の旬はやっぱり晩秋なんだ。それにしても旬の力は抜きん出ている。驚きだった。このことは人参だけでなく全ての野菜にいえることに違いない。やっぱり食は旬だよ。
ところで、寒さ、冷たさを経なければおいしくなれない、コクが出ないというあたりは、俺たち人間とどこか似ていますね。

   写真は一回の量です。

 




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 春先に書いた「それぞれの春」でもふれたように、81歳の現役農民である栄さんが倒れた。そして1ヶ月。栄さんの20aは我が家で受け持つことになった。息子の春平が引き受けてくれる人を捜してはみたが、誰も「うん」とは言わなかったという。それも無理もない話だ。この20aは山あいにあり、近年に開田された田んぼだ。同じ手間をかけても里と比べればずっと収穫量は少なく、それに米価はとんでもなく安い。農家は借りてまでも作りたいとは思わない。この時期、自分の家の田んぼを維持するだけで精一杯というのが正直な話だ。だからにわかに持ち上がった栄さんの田んぼの引き受け手がいないというのも当然といえば当然だった。
「我が家で引き受けられないかなぁ?」
と春平が言い始めた。
「そんなことはやめた方がいい。私は反対だ。開田は何をするにも苦労が多い。栄さんの親戚の農家や近所の農家も引き受けることができないと言っているんだべ?なにもお前が骨をおることはない。それよりお前の身体を休めたほうがいい。」
 真っ先に反対したのは92歳の母だった。ときどき空咳をする孫を気づかってのことだ。
「俺は大丈夫だよ。栄さんは田んぼとともに生きてきた人だべ。せっかく育てた苗を廃棄にでもしたら、入院先で『これで俺の人生は終わった』と思うに違いないよ。そんな栄さんを支援できるかどうか、このことは俺が百姓をする上での根本にかかわることだ。」
そんなことを繰り返し主張していた。 
「栄さんがまたやりたいといいだしたら、いつでも返すつもりだ。それまでは俺が管理する。」
 どうも、決意は固いらしい。言い出したらなかなか後には引かない息子の性格は家族みんなが知っていること。それならしょうがないだろうと母もしぶしぶ納得した。若いときには得てして「正義」や「理想」に走りやすいものだ。
品種は「はえぬき」。353aの我が家の田んぼに20aの栄さんの田んぼが加わった。
 俺?俺は息子のやることには反対しないことにしているからね。あまり自分の意見は言わなかったよ。
  
   <写真は田んぼの畦に咲いている野花。春シオン、忘れな草、オオイ    ヌノふぐりなど>
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 ニワトリたちは元気です。

 今年もタヌキが来ています。
明け方の3時半。ニワトリ達の大騒ぎ。もういつものことで驚きません。懐中電灯をもって鶏舎に駆けつけますと、タヌキがゆっくりと逃げていきます。
 お前たちなぁ!俺になんど捕まれば来なくなるんだい。いい加減にしろよ。こんな声をかけてやりますが、やっぱりそこはタヌキ。一週間に一回はやってくるのです。鶏舎はしっかりと防御柵を施していますから、決して侵入などできません。かつてはずいぶんやられましたが、そこからちゃんと学んでいます。ですから、タヌキがニワトリにありつくことはほとんどゼロなのに、あいも変わらずにやってくるのです。
 わが鶏舎はすでに彼らにとって「動物園」になっているのかもしれませんよ。
子ダヌキたちを連れて「あれがニワトリっていうものだよ。」と、教えるために来るのかもしれません。
 そうだとしたらことは教育ですから、たとえタヌキとはいえ、やみ雲に妨害することはできませんね。
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ようやく機械の田植えが終わりました。
田植え機械を洗い、感謝の言葉とともに収納しました。
あとは田んぼ一枚一枚の四隅を手で植えていく作業が残っています。
明日から始まりますが、全部で24枚、96箇所を植えていきます。
それで完全に終わりだぁ!
振り返れば3月の下旬。種の芽だしから始まった農繁期。
以来、土日のない日々が続きました。
俺、体重が4kgほど減ったよ。
108kgから104kgになったんだけどね。
家族は外見的にはまったく変化無しと言っている。
何なんだよぉ。4kgだぜ。それがなくなったのだよ。
だけどさ。あの小錦さんが240kgから236kgに減ったとしても
外見的にはあんまり変わらないべなぁ。
それと同じだと思えば納得か。

 4ヘクタールを耕す二軒となりの重太郎さんは作業の途中で過労から寝込んでしまった。体が自慢の71歳。それでも4hの作業はさすがにこたえたということか。たしかに休み無しの肉体労働の日々、こたえるよなぁ。俺も腰が痛くなって、疲れてさ、二日寝込んだ。そのときはちょうど二日とも雨振りだったから、気分の負担もなく身も心も休めたよ。疲れたときには休まなければだめだよなぁ。

もうじき田んぼはひと段落。
次は畑。自給野菜の作付けだ。
なす、きゅうり、トマト、ピーマン、シシトウ、オクラ、葉ダイコン、ニンジン・・・などの自家野菜を植えてはじめて春作業が終わり。
6月4日ぐらいには完全にひと区切り。

そしたら2〜3日休もう。

オラハ温泉に行ってくる。
好きな本をもって温泉に行ってくる。
妻は6月14日から10日間の休暇をとって北海道の実家に行く。
その前が俺の休日だ。
92歳と89歳の両親がいて、二人一緒に留守にすることはなかなかできにくい。

だから・・・俺が先に、たった一人で温泉だ。
読書三昧の温泉休暇。いいねぇ。

 付き合おうかという方がおられたならご一緒いたしましょうか?

  <写真は春のカラフルな我が家の風景>





 春作業に忙しい日曜日の昼、仕事を休んで89歳と92歳の両親を囲んでの食事会をおこなった。集まったのは我が夫婦と息子夫婦、息子の義理の妹、兄の家族とそれぞれの子どもたち。
草もちを食べたいという両親の希望を入れて、テーブルに並んだものは納豆もち、おぞうに、あんこもちの三種類。草もちはちょっと・・・という若い息子夫婦の意見もあって、それぞれに草もちと白餅の二種類を作った。写真は白餅の納豆もち。
 並んだ料理のなかでは春の山菜が人気だった。コゴミ、アイコ、フキ、シオデ。いずれも近所の山好きの友人がもって来てくれたもの。我が家の後ろに連なる朝日連峰からとってきたものだ。左に見えるのは俺が作った豚の角煮。入れ物に玉子ばかり目につくのは、肉を食べてしまったからだ。それだけうまかったということか。ジャガイモのにっころがしや、どこかハイカラな感じのする料理は若い夫婦がつくったもの。
 中心的な話題などはなかったが、なんだかんだとおしゃべりしているうちに、時が過ぎていった。もうじき田植えが始まる。

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