ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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NPO法人「有機農作物普及・堆肥化推進協会」が3月23日をもって解散します。日本において生ごみたい肥化運動を推進してきた中心団体でした。この解散総会に向けてメッセージを送りました。
以下の文章がそれです。

 本日の堆肥化協会解散臨時総会にお集まりのみなさん。
全国で生ごみの堆肥化を進めているみなさん。
まだまだ雪の多い山形の地にはおりますが、私もみなさんと同じ気持ちを強くもって本日を迎えていることをお伝えしたいと思います。
それは
「堆肥化協会の大きなご功績に感謝し、その解散後も、堆肥化協会が掲げて来られた旗を、今度は、私たち全員が、さらに高く、高く掲げて前進する」
ということです。
私が、堆肥化協会と出会いましたのは、レインボープランが生まれて間もない1997年4月のことでした。今にして思えば、当時の堆肥化協会関係者のほとんどすべての方々がレインボープランの里、長井市を訪ねて来られたのだと思います。
以来、今日まで、レインボープランは堆肥化協会によって励まされ、力をづけられ、確信を与えられつつ進んでまいりました。夏の発表会で全国からお集まりの皆さんにレインボープランをご紹介する機会を与えていただきましたのは一回や二回ではありません。毎年出される報告集によって全国の豊かな事例を知ることができ、ともすれば狭い世界に陥りがちな私たちの認識を広げることができました。また、塩分問題を含め、生ごみ堆肥化に関わるたくさんの問題について理論的、科学的確信を与えていただきました。レインボープランの今日は堆肥化協会の存在抜きにはありえません。ここに改めて心からの感謝の気持ちとお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 さて、みなさん、堆肥化協会が解散することで、その掲げた未来は本日をもって潰えて行くのでしょうか。終わってしまうのでしょうか。そうではありません。誰もが気づいているように、二年前の「3・11」以降、その指し示す世界はますます重要になってきています。終わるのではありません。始まるのだと思います。いままで堆肥化協会がその持てる力のすべて、全身全霊をかけて築いてこられた世界の上に、その旗を引き継いで第二ラウンドが始まる。これから始まる、ここから始まるということなのだと思います。
 堆肥化協会の窮地に何ほども寄り添えなかったわが身の非力を謝罪しながら、あわせて、瀬戸先生や会田さん始め、理事、スタッフの皆さんに感謝しつつ、全国のみなさんとともに堆肥化協会の旗を引き継ぎ、これからの第二ラウンドを靴音高く歩み続けることをあらためてお誓いし、メッセージに替えたいと思います。

      2013年3月23日
               レインボープラン推進協議会・相談役
                                 菅野芳秀

  写真は昨年の4月、梅の花が咲いた後に降った雪です。
  梅と雪・・・雪と梅・・いいですねぇ。だから雪国が大好きです。
  ダブルクリックで大きくなります。






まあ見てやってください、この写真。
ダブルクリックで大きくなります。
実に堂々とやっていますよ、立ちション。
生き方までわかるようなこのほれぼれする姿。
俺もよく立ちションするけど、ここまでじゃない。
いいですねぇ。

この猫、きっといい人生を歩んできたのだろうな。
自信をもって生きてきたんだろうな。
この姿は一つの目標、到達点ですね。

オレ、人生、がんばろう。





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朝、布団の中で目が覚める。
今までの朝にはない感覚、空気、光・・。
あっ、春だ、春が来たんだ!
そう思える一瞬があるんですね。
まわりの雰囲気が今までとは質的に違うのです。
障子に映る朝日の強さなのか、部屋の空気の柔らかさなのか。
それともまわりの木立から聞こえてくる小鳥たちのさえずりがそう思わせるのか。
何がどう変わったからという特定できるものは何もないのですが、でも確かに違う。
皮膚感覚でとらえた違い。そう言った方が的確かもしれません。

そう思える、そんな朝。
3月2日の朝がまさにそうでした。
この日のあとも雪の降る日がありましたし、最高温度が零下という日もありましたが
2日を境にして確かに気候が変わってきているのです。

それを感じた時の微妙な気持。
肩から力がすっと抜けていくような安堵感。
もう雪に悩まされずにすむ。
絶えず雪を意識し、よくも悪しくも雪を中心とした季節が終わるのだという解放感。
私の春はまさに、この「朝の感覚」からやってくるのです。

これらは雪国に住む人に共通の感覚なのか、
あるいはまだどこかに野性を残している(と思われる)私固有の感覚なのかはわかりません。
 でもそんな風に春の訪れを感じ取れる感覚をうれしいと思います。

 (まて、まて、まだ確定申告が終わってないぞ。文章を書いてる場合じゃないよね。)






 昨日、埼玉から知らないご夫妻が訪ねてこられました。
「菅野さんに会いたかった」と。
「えっ」

以前、NHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」に月一回、
2年間ほど出ていたことがありました。
「日本列島暮らしのたより」コーナー。
我が家で飼っている放し飼いのニワトリの話や
それを襲いにくるキツネの話、タヌキの話などをやっていました。
それが面白かったんだと。
それにね、声がよかったんだと。
うれしいですねぇ。

もう4〜5年前の話なんですけどね。
わざわざおいでいただいたご夫妻とともに、
久しぶりに賑やかな時間をもちましたよ。

 でも、がっかりしたんじゃないかなぁ。
声の良さって言っても、この顔と体格ではな。
きっと姜尚中さんのようなイメージを持ってこられたんじゃないのかな。

 上の写真の風景も見てみたかったんですと。
ダブルクリックしてみてください。
本当にきれいですよ。
 「素晴らしい風景だ」と言ってくれましたよ。

 放送によく出ていたニワトリ達は雪に囲まれ、
全員鶏舎の中。
夏にもう一度、今度は放している様子を見に来ますと言って帰られました。

次回、おいでになられる時までに
姜尚中さんのようになってお待ちしていましょう。

中野さんはこんなキャラでしたか?

http://www.dailymotion.com/video/xl2042_yy-yy-yyyyyyy-yyyy_fun

反TPPの運動は始まったばかりです。
ニュージーランドやアメリカの市民運動は
交渉に入ってから始まった運動です。
まだ日本は交渉にすらはいっていません。
まずこれを食い止めることですね。

■緊急声明!「TPPに反対する人々の運動」は呼び掛けます
http://antitpp.at.webry.info/201302/article_3.html

これからですね。 

 
 90歳代の両親のサポートと確定申告が重なっています。
今のところ、文章を書くゆとりがありません。
しばらくの間、このブログをお休みいたします。

ですがコメント欄を使っての交流はご自由にどうぞ。
私も時々見させていただきます。

 それでは申告作業が終了するまで
どなた様もごきげんよう。




列車の窓などから、雪でおおわれた寒村を眺めていますと、こんな寒々とした村に住む人たちの暮らしって大変だろうなぁ、などと思ったりしませんか?小さく歩いている人がいて、その方が老人だったりすると余計に同情的になったりする。しますよねぇ。
 でね、私の村はそんな寒村なのです。老人がときど〜き、雪の中をポツンと歩いていたりします。もし旅行者が通ったりすれば(そんな人はまったく来ませんが)、見るからに淋しい風景とうつるでしょう。
「寒そうだなぁ。年寄りの身には堪えるだろうなぁ。早く春が来ないかと思っているのだろうなぁ。」
 一方、そんな寒村の世界も中に入ればちょっと違った姿になります。外は雪。田畑の仕事はまったくの休み。雪片付けの仕事はあるものの、時間はぜいたくにあります。日頃、読むことができなかった本や、訪ねて行きたくてもできなかったところに行ってみるとか・・、そんなことはしなくても、隣近所にお茶のみにでかけゆっくりと過ごしてくるなど、お金は無いけれど、何ものにも代えがたい豊かな時間があるんです。
 関西の百姓仲間は
「菅野のところは雪があって、暮らしにメリハリがあるからいいなぁ。俺たちのところは年がら年中畑仕事だよ。それは多少稼げるけれど、あわただしい。」
と言ったことがあり、私はそれに
「冬に暮らすために春から秋にかけて働いているようなものだよ。さっぱりのこらない。」
と返したことがありました。どちらがいいかはその人の考え方、生き方によりますね。私は断然に雪の寒村が好きです。列車の窓から同情の目がそそがれていることも知っていますよ。今度はわざと腰を曲げて手を振ってやりましょうか。列車の人は喜んでくれるだろうか。




言葉に関して言えば、嫌な言葉がもう一つあって・・「まなざし」。
これをある状態で聞くと思わず発した人から眼をそむけたくなる。いたたまれなくなる。最近はあまり使う人が少なくなったけど、ひところはお前まども!流行っていたんだね。

 この言葉自体は「しんけんなまなざし」とか「澄んだまなざし」とか、目や視線の様子を表わすときにつかわれる言葉だけれど、嫌なのはその言葉が使われる状態だ。どのような状態かと聞かれてもなかなか説明が難しい。

 まず、使う人が「強者」の立場、上から下を見ることのできる立場に立っていること。これをAとする。そして、「まなざし」と表現される側が「弱者」でなければならない。これをBとする。Aによれば周囲はBの立場をよくは理解していないとされる。まずこの関係がある。その上で、「強者」Aは「弱者」Bの代弁者、理解者として「無理解な周囲」に対しようとする。そんな時Aが使う言葉が「Bのまなざし」。

 そうだなぁ。農民はまずこの言葉は使わないよな。そのような状態にあっても「まなざし」なんて言葉は浮かびもしないだろう。使うのは「インテリ」だ。そう、使う人は例外なく自分のことをその「インテリ」だと自認しているタイプの人たちに多かった。無理解な周囲に対してBの立場からの正義を代表しつつ、すこし告発の意味合いも含んでいたかもしれない。正義の代弁者。

 しかし、Bの置かれている社会的な関係をよく見れば、Aの属している「強者」自体が問われている場合が多いのに、Aは自分だけ特権的にその範ちゅうから離れたうえでBの代弁者、告発者としてふるまう。そんなAが発する言葉、「Bのまなざし」。
これは聞きづらかった。

 今はもうほとんどいなくなってきたけど、こんなのは形を代えて
これからもいろいろでてくるだろうなぁ。

 (写真は朝日連峰とその裾野に広がるわが村)

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「うん」も「はい」も聞きたくないが、「絆」(きずな)はもっと嫌だなぁ。これを聞いた瞬間に一気に嫌悪感が広がっていく。なぜって?ん〜、どのように説明しようか・・・・。

今、地元の公民館の文化振興会事業として、長井市に残る「卯の花姫伝説」の紙芝居づくりをしている。脚本は、なんと・・オレ。ここから、まわりくどい説明になってしまうけど・・。

時代は平安。
当時、都のあった京都では大和朝廷を築いた一派が力を持っていたが、今でいう関東以北には朝廷になびかない者たちが多数いた。朝廷ではそれをエゾあるいはエミシと呼んでいた。それらを漢字でどのように書いていたかと言えば「蝦夷」。
語源は古代中国にあり、中国では都のあったところより東方で暮らす人たちを未開の野蛮人という意味の「夷」(エゾ、エミシ)と呼んでいたという。京都ではそれにさらにみにくい動物の一種である「蝦」(ガマ)の字を加えて「蝦夷」と表現し、関東以北を同じように蔑んでいた。
蝦夷の中心には陸奥の国(現在の宮城、岩手)に一大勢力を持っていた豪族、安倍の頼時。京都の朝廷はそれらを配下に治め、全国を支配下に置こうと、源頼義、義家に派兵を要請した。
そのころ、羽前の国(山形県)の長井の庄に、安倍の頼時の息子である貞任の子ども、「卯の花姫」が暮らしていた・・・・。
と、このように物語は進んでいくのだけれど、結局はこの娘をたぶらかし、エゾ、エミシの大量殺りくを行っていく。そのような伝説を紙芝居にしようというわけだがここではそれを紹介したいわけではない。

あえて極論をいえば、この平安時代の東北平定以来今日まで、ずっと、都・都市・中央、国家からの東北に対する差別と収奪が行われてきているのではないか。今回の東電の福島原発の存在と事故、さらに事故後の処理。放射線量のごまかし、放射線下への人々の放置と救出活動の放棄、原発難民の放棄に除染のいい加減さ。甘い汁を吸おうと寄ってくるゼネコン。それを見逃す環境庁。青森への放射性廃棄物貯蔵施設の押し付け。東北東海岸の復興の遅延、家畜小屋かと見間違うほどの避難施設とそこへの放置・・・・。枚挙にいとまがない。私はこれらのなかに連綿たる東北地方への差別の存在を感じてしまうのだ。

「絆」はそれを問わない。暴かない。安っぽい一体感を強調することで現実世界を糊塗しようとする。ちがうだろうか。

戦後から今日まで、沖縄からの叫びにも似た日本・「本土」への要請。それは「絆」への要請だったはずだ。これらを一貫して無視してきた日本・「本土」が、「本土」内といえども辺境の地、東北との「絆」を本当の意味で築けるわけがないと思える。

沖縄との関係でも東北との関係でも、求められているのは単純な「絆」ではない。「本土」、都市中央、国家の側の大いなる反省、謝罪とその上に立った関係の再生なのだと思うのだがいかがだろうか。

自分のはなしの途中で「うん」と自分で合いの手を入れる人がいる。このあいだ東北電気保安協会からという人がきた。
「菅野さんの、うん、作業小屋の、うん、電気の回路が、うん・・・」
聞いているうちにだんだん腹が立ってきて、「はい、はい、わかった。こっちで何とかするから。」といって早々と帰ってもらった。
両親の介護のことで来てくれる方も
「お母さんの、うん、背中の、うん・・・」
この「うん」を「はい」にする人もいて、このあいだ、父親の年金のことで電話くれた方はそのような話し方をするひとだった。
「芳明さんの年金が、はい、お届けした書面に書いていた通りでいいのか、はい・・・」
おれも馬鹿だねぇ。話の途中で、
「あのさ、申し訳ありませんが、その、間にはいる『はい』がものすごく聞きづらい。話をよ〜く、お聞きしようと思っても、その『はい』が気になって集中できない。」
なんて言ってしまったよ。
最近はようやく少なくなったけれど、ひところ「中上げ」と私が読んでいたもの、これも聞きづらかった。
「自由↑、と民主主義↑、この問題の関係性↑・・・」小刻みに語尾を上げる話し方。これも聞きづらかった。あげられるたびに「うん」というあいの手が強制されているような気分になっていく。これは集中を妨げる。
これら、話し手はいいと思ってやっているのだろうか?

少なくても農民にはあんな話し方をする人はいないよ。
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寒い。
だけど、この時期の玉子はことのほかおいしい。
一年中で一番おいしいのではなかろうか。
冬の寒さの中のおいしい玉子。
これを昔から「寒たまご」といって、人々はこの深い味わいを楽しんできました。
一度試してみたい方は
narube-tane@silk.ocn.ne.jp
までお知らせください。
玉子は10個入れ1パックで580円、送料が630円です。
何個でもお届けできますが箱の関係上4の倍数がおさまり良いみたいです。
生で食べることのできる賞味期限はお届けしてから15日です。

なんでいま、PRするのか?
というむきもあろうかと思います。
と、いいますのは・・
寒さの中であるにも関わらず、1〜4月は多くの玉子を産むのです。
すこし余り気味。
だから、ぜひ、試してみませんか?

ゲージ飼いの薬漬けで、ストレスのかたまりのような卵ではなく
寒さの中でも元気に遊びまわる自然養鶏の玉子を。
もちろん、一年のなかで一番おいしい「寒たまご」。

お仲間何人かでまとめていただければ、送料はその分少なくなりましょう。

ご注文をお待ちしています。


寒い日が続いている。
おととい(12日)などはマイナス16度だよ。
昼になっても零下のまま。
地下水の水道管が凍って水が出なくなった。
そうなると凍り付いて動かなくなってしまっている蛇口などの露出部分にお湯をかけまわったり、氷になっているホースの中の水を溶かしたり・・・。それでもダメな場合は水道屋さんに来てもらうことになる。
低温でも凍らせないコツはいつでもチョロチョロと絶え間なく水を出しておくことだ。
鶏舎の水道も、家屋の水道も、昼も夜も一日中、ちょろちょろと。
今回だってそれはやっていた。
雪国の常識だからね。
だけど今回の寒気はそのチョロチョロも凍らせるほどのものだったということだ。
その日はまた、珍しく晴天だったために「ダイヤモンドダスト」を見ることができた。
空気の中に含まれる水分が凍おり、そこに朝日があたって輝く。
あたり一面のの空気がキラキラキラと輝くのだ。
これはきれいだよ。
だけど長くは見ていられない。
なにしろ寒い。冷たい。

そんな中でもニワトリたちは元気だよ。
彼らの日常は変わらない。
鶏舎の中で駆けっこをしたり、エサをついばんだり・・。屋外は雪のため出れないが、その分、鶏舎の中で遊んでいる。
彼らは寒さには強いよ。

今回はこれだけの文章だけどね。
だからどうしたと言われてもなぁ。
物事にあまり社会的意味合いなんて求めない方がいいよ。
ただやたら寒いけどニワトリは元気だよというだけの文なのだから。

(写真は鶏舎の中で野菜を食べるニワトリたち。外は雪だ。)