ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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しばらく休みます。
90歳代の両親のサポートと確定申告が重なっています。
今のところ、文章を書くゆとりがありません。
しばらくの間、このブログをお休みいたします。
ですがコメント欄を使っての交流はご自由にどうぞ。
私も時々見させていただきます。
それでは申告作業が終了するまで
どなた様もごきげんよう。
2013.02.15:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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寒村
列車の窓などから、雪でおおわれた寒村を眺めていますと、こんな寒々とした村に住む人たちの暮らしって大変だろうなぁ、などと思ったりしませんか?小さく歩いている人がいて、その方が老人だったりすると余計に同情的になったりする。しますよねぇ。
でね、私の村はそんな寒村なのです。老人がときど〜き、雪の中をポツンと歩いていたりします。もし旅行者が通ったりすれば(そんな人はまったく来ませんが)、見るからに淋しい風景とうつるでしょう。
「寒そうだなぁ。年寄りの身には堪えるだろうなぁ。早く春が来ないかと思っているのだろうなぁ。」
一方、そんな寒村の世界も中に入ればちょっと違った姿になります。外は雪。田畑の仕事はまったくの休み。雪片付けの仕事はあるものの、時間はぜいたくにあります。日頃、読むことができなかった本や、訪ねて行きたくてもできなかったところに行ってみるとか・・、そんなことはしなくても、隣近所にお茶のみにでかけゆっくりと過ごしてくるなど、お金は無いけれど、何ものにも代えがたい豊かな時間があるんです。
関西の百姓仲間は
「菅野のところは雪があって、暮らしにメリハリがあるからいいなぁ。俺たちのところは年がら年中畑仕事だよ。それは多少稼げるけれど、あわただしい。」
と言ったことがあり、私はそれに
「冬に暮らすために春から秋にかけて働いているようなものだよ。さっぱりのこらない。」
と返したことがありました。どちらがいいかはその人の考え方、生き方によりますね。私は断然に雪の寒村が好きです。列車の窓から同情の目がそそがれていることも知っていますよ。今度はわざと腰を曲げて手を振ってやりましょうか。列車の人は喜んでくれるだろうか。
2013.02.08:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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まなざし
言葉に関して言えば、嫌な言葉がもう一つあって・・「まなざし」。
これをある状態で聞くと思わず発した人から眼をそむけたくなる。いたたまれなくなる。最近はあまり使う人が少なくなったけど、ひところはお前まども!流行っていたんだね。
この言葉自体は「しんけんなまなざし」とか「澄んだまなざし」とか、目や視線の様子を表わすときにつかわれる言葉だけれど、嫌なのはその言葉が使われる状態だ。どのような状態かと聞かれてもなかなか説明が難しい。
まず、使う人が「強者」の立場、上から下を見ることのできる立場に立っていること。これをAとする。そして、「まなざし」と表現される側が「弱者」でなければならない。これをBとする。Aによれば周囲はBの立場をよくは理解していないとされる。まずこの関係がある。その上で、「強者」Aは「弱者」Bの代弁者、理解者として「無理解な周囲」に対しようとする。そんな時Aが使う言葉が「Bのまなざし」。
そうだなぁ。農民はまずこの言葉は使わないよな。そのような状態にあっても「まなざし」なんて言葉は浮かびもしないだろう。使うのは「インテリ」だ。そう、使う人は例外なく自分のことをその「インテリ」だと自認しているタイプの人たちに多かった。無理解な周囲に対してBの立場からの正義を代表しつつ、すこし告発の意味合いも含んでいたかもしれない。正義の代弁者。
しかし、Bの置かれている社会的な関係をよく見れば、Aの属している「強者」自体が問われている場合が多いのに、Aは自分だけ特権的にその範ちゅうから離れたうえでBの代弁者、告発者としてふるまう。そんなAが発する言葉、「Bのまなざし」。
これは聞きづらかった。
今はもうほとんどいなくなってきたけど、こんなのは形を代えて
これからもいろいろでてくるだろうなぁ。
(写真は朝日連峰とその裾野に広がるわが村)
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2013.02.02:
kakinotane
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絆って?
「うん」も「はい」も聞きたくないが、「絆」(きずな)はもっと嫌だなぁ。これを聞いた瞬間に一気に嫌悪感が広がっていく。なぜって?ん〜、どのように説明しようか・・・・。
今、地元の公民館の文化振興会事業として、長井市に残る「卯の花姫伝説」の紙芝居づくりをしている。脚本は、なんと・・オレ。ここから、まわりくどい説明になってしまうけど・・。
時代は平安。
当時、都のあった京都では大和朝廷を築いた一派が力を持っていたが、今でいう関東以北には朝廷になびかない者たちが多数いた。朝廷ではそれをエゾあるいはエミシと呼んでいた。それらを漢字でどのように書いていたかと言えば「蝦夷」。
語源は古代中国にあり、中国では都のあったところより東方で暮らす人たちを未開の野蛮人という意味の「夷」(エゾ、エミシ)と呼んでいたという。京都ではそれにさらにみにくい動物の一種である「蝦」(ガマ)の字を加えて「蝦夷」と表現し、関東以北を同じように蔑んでいた。
蝦夷の中心には陸奥の国(現在の宮城、岩手)に一大勢力を持っていた豪族、安倍の頼時。京都の朝廷はそれらを配下に治め、全国を支配下に置こうと、源頼義、義家に派兵を要請した。
そのころ、羽前の国(山形県)の長井の庄に、安倍の頼時の息子である貞任の子ども、「卯の花姫」が暮らしていた・・・・。
と、このように物語は進んでいくのだけれど、結局はこの娘をたぶらかし、エゾ、エミシの大量殺りくを行っていく。そのような伝説を紙芝居にしようというわけだがここではそれを紹介したいわけではない。
あえて極論をいえば、この平安時代の東北平定以来今日まで、ずっと、都・都市・中央、国家からの東北に対する差別と収奪が行われてきているのではないか。今回の東電の福島原発の存在と事故、さらに事故後の処理。放射線量のごまかし、放射線下への人々の放置と救出活動の放棄、原発難民の放棄に除染のいい加減さ。甘い汁を吸おうと寄ってくるゼネコン。それを見逃す環境庁。青森への放射性廃棄物貯蔵施設の押し付け。東北東海岸の復興の遅延、家畜小屋かと見間違うほどの避難施設とそこへの放置・・・・。枚挙にいとまがない。私はこれらのなかに連綿たる東北地方への差別の存在を感じてしまうのだ。
「絆」はそれを問わない。暴かない。安っぽい一体感を強調することで現実世界を糊塗しようとする。ちがうだろうか。
戦後から今日まで、沖縄からの叫びにも似た日本・「本土」への要請。それは「絆」への要請だったはずだ。これらを一貫して無視してきた日本・「本土」が、「本土」内といえども辺境の地、東北との「絆」を本当の意味で築けるわけがないと思える。
沖縄との関係でも東北との関係でも、求められているのは単純な「絆」ではない。「本土」、都市中央、国家の側の大いなる反省、謝罪とその上に立った関係の再生なのだと思うのだがいかがだろうか。
2013.01.21:
kakinotane
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話し方
自分のはなしの途中で「うん」と自分で合いの手を入れる人がいる。このあいだ東北電気保安協会からという人がきた。
「菅野さんの、うん、作業小屋の、うん、電気の回路が、うん・・・」
聞いているうちにだんだん腹が立ってきて、「はい、はい、わかった。こっちで何とかするから。」といって早々と帰ってもらった。
両親の介護のことで来てくれる方も
「お母さんの、うん、背中の、うん・・・」
この「うん」を「はい」にする人もいて、このあいだ、父親の年金のことで電話くれた方はそのような話し方をするひとだった。
「芳明さんの年金が、はい、お届けした書面に書いていた通りでいいのか、はい・・・」
おれも馬鹿だねぇ。話の途中で、
「あのさ、申し訳ありませんが、その、間にはいる『はい』がものすごく聞きづらい。話をよ〜く、お聞きしようと思っても、その『はい』が気になって集中できない。」
なんて言ってしまったよ。
最近はようやく少なくなったけれど、ひところ「中上げ」と私が読んでいたもの、これも聞きづらかった。
「自由↑、と民主主義↑、この問題の関係性↑・・・」小刻みに語尾を上げる話し方。これも聞きづらかった。あげられるたびに「うん」というあいの手が強制されているような気分になっていく。これは集中を妨げる。
これら、話し手はいいと思ってやっているのだろうか?
少なくても農民にはあんな話し方をする人はいないよ。
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2013.01.20:
kakinotane
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寒たまご
寒い。
だけど、この時期の玉子はことのほかおいしい。
一年中で一番おいしいのではなかろうか。
冬の寒さの中のおいしい玉子。
これを昔から「寒たまご」といって、人々はこの深い味わいを楽しんできました。
一度試してみたい方は
narube-tane@silk.ocn.ne.jp
までお知らせください。
玉子は10個入れ1パックで580円、送料が630円です。
何個でもお届けできますが箱の関係上4の倍数がおさまり良いみたいです。
生で食べることのできる賞味期限はお届けしてから15日です。
なんでいま、PRするのか?
というむきもあろうかと思います。
と、いいますのは・・
寒さの中であるにも関わらず、1〜4月は多くの玉子を産むのです。
すこし余り気味。
だから、ぜひ、試してみませんか?
ゲージ飼いの薬漬けで、ストレスのかたまりのような卵ではなく
寒さの中でも元気に遊びまわる自然養鶏の玉子を。
もちろん、一年のなかで一番おいしい「寒たまご」。
お仲間何人かでまとめていただければ、送料はその分少なくなりましょう。
ご注文をお待ちしています。
2013.01.14:
kakinotane
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寒いけど・・
寒い日が続いている。
おととい(12日)などはマイナス16度だよ。
昼になっても零下のまま。
地下水の水道管が凍って水が出なくなった。
そうなると凍り付いて動かなくなってしまっている蛇口などの露出部分にお湯をかけまわったり、氷になっているホースの中の水を溶かしたり・・・。それでもダメな場合は水道屋さんに来てもらうことになる。
低温でも凍らせないコツはいつでもチョロチョロと絶え間なく水を出しておくことだ。
鶏舎の水道も、家屋の水道も、昼も夜も一日中、ちょろちょろと。
今回だってそれはやっていた。
雪国の常識だからね。
だけど今回の寒気はそのチョロチョロも凍らせるほどのものだったということだ。
その日はまた、珍しく晴天だったために「ダイヤモンドダスト」を見ることができた。
空気の中に含まれる水分が凍おり、そこに朝日があたって輝く。
あたり一面のの空気がキラキラキラと輝くのだ。
これはきれいだよ。
だけど長くは見ていられない。
なにしろ寒い。冷たい。
そんな中でもニワトリたちは元気だよ。
彼らの日常は変わらない。
鶏舎の中で駆けっこをしたり、エサをついばんだり・・。屋外は雪のため出れないが、その分、鶏舎の中で遊んでいる。
彼らは寒さには強いよ。
今回はこれだけの文章だけどね。
だからどうしたと言われてもなぁ。
物事にあまり社会的意味合いなんて求めない方がいいよ。
ただやたら寒いけどニワトリは元気だよというだけの文なのだから。
(写真は鶏舎の中で野菜を食べるニワトリたち。外は雪だ。)
2013.01.14:
kakinotane
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美しい十代
CDを買ってきた。
俺が高校生の頃の歌。
聞き直してみると、懐かしくはあるが、違和感もある。
ちなみに、三田明の「美しい十代」という歌。
若いころ,よく歌ったっけ。
その三番目の歌詞はこうだ。
遅くなるから さよならしよう
話しあったら つきない二人
明日またねと 手を振りあえば
丘の木立に 夕陽が紅い
美しい十代 あぁ十代
抱いて生きよう 幸福の花
「抱いて生きよう しあわせの花」かぁ。
いいなぁ。あの頃。
いまさらだけど
「遅くなるからさよなら」する時間が
「丘の木立に 夕陽が紅い」時間帯だ。
夕日が沈む前?
なんだ!まだ明るいじゃないか!
美しい十代・・・。
何を考えてこのような詞を書いたのだろうね。
そんな時代だったのかといえばちょっと違う。
俺は山形の田舎の高校生だったけれど
一級下の女の子と
お互いが暗くなるまで部活をやってから
待ち合わせて一緒に帰っていた。
わずか1kmのデートだったけど、当然のことながら暗かった。
別れ際に握手するだけの関係だったけれどね。
それを美しいというかどうかは主観の問題。
思うに
「暗くなるからさよならしよう」は、当時の若い作詞家が書いた詞ではないだろうね。
年寄りが想像で書いた詞だと思う。
舟木一夫の歌の詞もそうだ
学園広場の一番目
「空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた」
修学旅行では
汽車はゆく 汽車はゆく
はるばると はるばると
若いぼくらの 修学旅行
汽車はゆく 汽車はゆく
ひとすじに ひとすじに
若いぼくらの 修学旅行
高校生は当然のことながら自分たちのことを「若い」とは歌わない。
「若い」は相対的な概念だ。
これらの歌詞も年寄りの作詞家が書いたものにちがいない。
いまさら、どうでもいいことだけどね。
かつての俺たちが歌っていたものを
これは当時の年寄りが作ったものだと言って、ああだこうだと
講釈を並べるのは、俺自身が歳をとったからだろうな。
あぁ、なんでこんなこと・・・
いい大人の書くことではないよな。
馬鹿だねぇ、おれ。
2013.01.09:
kakinotane
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あけましておめでとうございます。・PART2
新しい年が始まりました。
私たちの村はすっかり純白の雪に包まれています。
家々の庭先などにはまだ真っ赤に熟れた柿の実が雪の帽子をかぶってぶら下がっていて・・・私の得意な「柿の種のはなし」の季節です。
えっどんな話かって?では・・・
今にも落ちそうな柿の実に尋ねてみる。
「あなたの今の気持ちは?」
柿の実は応えるだろう。
危機だ。この先に希望が感じられない。不安だ・・・。
今度は実の中の種に同じように聞いてみる。
種はこのように応えるだろう。
充分に育った。希望が近づいた。さぁ、がんばるぞ・・と。
同じ柿の中に二つの物語がある。
単純化してはいますが、現実とはえてしてこのようなもの。
同じ現実を前に、柿の実の立場に立って嘆き悲しむのではなく、
種の立場から希望を語ろう。
みんなでなるべぇ柿の種。
と、まあ、こんな話です。
光と影、山と谷も一対ですからね
。一緒です。
辛いことのたくさんある人生ですが、いいことだってないわけではない。
どなた様もめげずに参りましょうぞ。
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2013.01.07:
kakinotane
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あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
昨年はこんな年でした。
1、2月、タイでレインボープランをやっているイサーンのコンケーン県ポン市に、 長井市長、県会議長婦人、市役所職員、アジア農民交流センターの仲間たちとともに行ってきた。ともに循環型まちづくりをすすめる地方都市として友好関係をさらに高めていこうとの協定書を交わしあった。かけがいのない友人であるバムルーン・カヨタ氏、バムルーン・ブンパンヤ氏とも会うことができた。元気だった。もう23年の付き合いだ。
2、5月、従姉(いとこ)と56年ぶりに再会した。私が小学校に入る前に両親と訪ねて行った時以来だ。我が家の両親に会いに来てくれた。私の母親の実家は長野県真田町。彼女はそこの実家を継いでいる。どんな人生だったのだろうか。今年の5月にはもう一人の従姉(43年ぶり)と連れ立って再度来てくれることになっている。楽しみだ。俺以上に両親が楽しみだろう。
3、10月、息子の家族(本人、妻と子ども二人)が我が家の庭先に家を建て、引っ越してきた。93歳の母親が「春平の小屋」と言っていたものだ。俺も調子に乗って「我が家には三つの小屋がある。作業小屋にニワトリ小屋に春平の小屋。」なんて言っていた。ずいぶん賑やかになったとお思いでしょうが、さほど変わらない。孫の顔を毎朝 3分ぐらい見ることができるようになったぐらいかな。
4、お米がとれなかった。来年の秋までどうして暮そうか。本気で心配しているよ。
5、11月、岐阜県にお住いの「自然卵養鶏法」(農文協)著者、中島正氏を訪ねた。佐賀県在住の農民で作家の山下惣一氏、劇団「青年座」のスタッフ、地元の 農民・小林武が一緒だった。ご高齢のため養鶏はやめていたが、中島正氏と山下惣一氏との往復書簡を収録した「市民皆農」(創森社)で見せておられるように、ますます論理は冴えわたっている。すごい方だった。
6、12月、千葉県佐倉市にある「宗吾霊堂」に行ってきた。3回目だ。過去2回は「宗吾さん、俺の中に入ってくれ。いっしょに農業、農村をよくして行こう。」とお願いしてきた。始めは26歳の時。2回目は30代だったかな。今回は今まで入っていてくれたことへのお礼ともうしばらく入っていてほしいとのお願いだった。TPPがあるからね。いやだとは言わなかったよ。そこって何?という方は 検索してみたらわかりますよ。
7、12月、「STOP!!TPP山形県民アクション」を立ち上げた。23日の記念講演会にはおよそ200人の人たちがかけつけてくれた。これからですよ。
8、地区長としてほぼ30回の会議や作業に出なければならなかった。これは重荷だったよ。でもこの3月で2年の任期が切れる。あともう少しの辛抱だ。
9、妻の病気はだいぶ軽くなってきた。これももう少しだ。
10、93歳の母親、91歳の父親、我が夫婦、鎌倉で働いている娘、息子夫婦ともども元気に年を越すことができた。昨年はこれだけで充分に良い年だったよ。
さて今年はどのような年だろうか?
なにはともあれ、健康で過ごすことですね。
みなさまにとりましても、健康で過ごせるいい年でありますように。
2013.01.06:
kakinotane
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友人のフェースブックから
友人がフェースブックに掲載した福島の原発下で働く東電社員労働者の実態です。
ぜひ、知っていただきたく、転載いたします。
読まれたあと、さらに拡散していただけたらありがたいです。
<以下>
みなさんにお願いがあります。
この情報をみなさんの力で拡散願います。
本日、今も福島原発で働く東電社員と懇談してきました。
驚愕の事実が分かりました。
東電社員及び家族の補償の打ち切りが決まったそうです。
昨日説明会があったそうです。
説明会は紛糾し、会社からは異議があれば裁判を起こせばいいだろうと言われたそうです。
また、説明会の資料は外部に絶対に公表しないように言われたそうです。
福島原発で働く社員の多くは警戒区域に住まいがありました。
いわば町の人間なのです。
補償の打ち切りの理由は、借り上げ住宅が借りられたのだから
精神的苦痛はないとのことでした。
彼らは住まいを奪われ、家族を失いながらも、あの震災当日に命を削りながら働いた人間達です。
そして、これからの福島原発の収束を支えていく人間でもあります。
10月に家族分については補償すると約束したのは東京電力です。
しかし、2ヵ月もしないで反故にしたのです。
彼らも被災者であることは明白です。
いうなれば被災者への侮辱になるのです。
私の友人は本気で会社を辞めると言っていました。
怒りよりも悲しいと・・・・
何の為に今まで頑張ってきたのか分からないと
自分はまだしも家族まで補償されないことがつらいそうで、離婚をしてなんとか家族だけでも救えないかとも考えていました。
彼らは原発設備のプロです。彼らの尽力なくして原発の収束はありません。
想像してください。やる気もなく、会社に恨みのある人間が原発を扱うことを。
彼らは原発をメルトダウンさせることもできてしまうくらいの知識はあります。
私が恐れていた事態が起きてしまいました。
東京電力に断固抗議します。
また、広野独身寮(通称Jビレッジ寮)を東京電力は仮設住宅並みの設備を整えていると言っています。
うそです。スーパーハウスを安っぽくしたプレハブ寮です。
風呂もシャワーしかありません。トイレは仮設トイレです。車の持ち込みも禁止。
人間が暮らす最低限度しか整っていません。
そこに友人が何十人といます。
今日あった友人は顔つきが依然の顔とはかけ離れていました。
そして皆が命を張った結果がこれかと、なかば頭がおかしくなっています。
東京電力社員で高給与なのは、上の人間だけです。
原発は地方採用の人間(高校卒)がおもです。
30代で400万ほどの年収です。
命を削り、人間的生活ができず、会社の上層部の判断により起きた原発事故で
生活を失しなった人達が、これしかもらえてないのです。
こういった人間が何百人もあの福島原発にいるのです。
彼らが辞めたら、原発の知識も薄い人間が福島原発を収束していくことになります。
改めて、東京電力という会社の暗部を知ったしだいです。
彼らは給与という足かせにより、強制労働させられているといっても過言ではないでしょう
私は今までの投稿で拡散希望など書いたことはありません。
しかし、今回の件については怒りを禁じえません。
お願いです。彼らを救うきっかけになる可能性を信じ拡散願います。
断言します。近い将来このままでは福島原発は最悪の結果が訪れます。
社員を守らない会社に未来はありません。
会社が社員をかえりみず、会社の存続だけを考え、最低責任である補償すら果たさないのであれば、それは破滅を加速するだけです。
もう一度言います。
東京電力は命をかけた人間に、いやなら裁判を起こせと言いました。
これ脅しですよね。
友人はそれでも「頑張る」と言いました。
私は悲しくなりました。
「頑張らなくていいよ」と言いました。
とても切ないです。
たった2年でこれです。あと東電試算でも廃炉までに35年かかります。
どうかよろしくお願いいたします。
みなさんのお力を貸してください。
福島原発で働く人より。
2012.12.29:
kakinotane
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「STOP!!TPP 山形県民アクション」の設立集会
今月の23日、山形県は寒河江市におよそ200人の人たちが集まり
「STOP!!TPP山形県民アクション」設立記念講演会が開催されました。
暮れのあわただしいときによくもまああ、200人もの人たちが集まってくれたと思います。
平時の500人にあたりますね。
県平和センター岡田代表の開会のあいさつの後、
県選出の国会議員舟山やすえ(みどりの風)、
鈴木憲和(自民党新人)両氏からの来賓のあいさつと続き、
大妻女子大学の田代先生の
「TPPは暮らしと地域社会を破壊する」と題した講演と
農民や市民、労働者などのそれぞれの分野を代表する人たちからTPP反対の意見発表 。それに、
人々の運動を代表しての大野和興さんの連帯のあいさつが行われ、
最後に私が基調提案をして盛会の内に集会は終わりました。
暮らしの足元から、
生活の場からのTPP反対運動が求められています。
「活動家の政治課題としての反TPP」運動に終わらせることなく
「国民の生活課題としての反TPP」運動まで
もっともっとすそ野を広げて行きたいと思います。
集会後に
「今日来てほんとうによかった。やっとTPPがわかった」
「わかりやすい映像でTPPをPRしなければね。いいの知らないか?」
「いいパンフレットはないのかな。勉強会を開きたい」
などの意見が寄せられました。
これからだよな。ここからです。
もうじき人々の運動からパンフレットがでますが
それに大きな期待を寄せいています。
まず山形からは首都圏の政治の場の闘いとはちょこっとちがう
地域ならではの運動をつくりだして行きます。
ご注目ください。
2012.12.26:
kakinotane
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