ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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TPPはこれからが決戦をむかえますが、
「幅広い連携を各界に働きかけ、あわせて市民と国会議員との連携をすすめることができるのは、
国会議員では今や舟山さんと篠原孝さん(長野県・衆議院議員)しか残っていない。」とわたしは思います。
春の衆議院選挙以降、他の方からもこのような声は頻繁に聞こえてきます。
舟山さんには「反TPP」運動の全国的リーダーとして、
TPPに慎重な立場をとっている国会議員や各界各層の人たちをつなぎ、運動を勝利に導く重要な役割が託されています。
 その点では捲土重来を期す山田正彦(全国比例・みどりの風・元農林大臣)さんも同じですね。

 引き続き応援しています。


「お母さん、今吹いていったのは春風っていうんでしょう?」

「うん、そうだよ、気持ちいねぇ。」

「お母さん、今のも春風?」

「ちがうよ。いま、菅野さんが通って行っただけだよ。」

「そお?でも気持ちいい風が流れたね。」

「うん、菅野さんって、そんな方だからね。」

これを目指しますぞ。

もうじきです!

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夜中に目が覚め、トイレに立った。
山形県は西川町の旅館でのこと。
トイレの入り口には大きな鏡が貼ってあり、自分の身体を横から見ることができた。
「なんだ、これ?なに・・この腹、このお尻・・?」

いままで鏡があっても正面からしか見ていなかった。
それでは実物の一面しか写していなかったんだね。
こんなに腹が出ていて、お尻が出ていて、不恰好だとは思わなかったよ。
知らなかった。
いくら190cmでも三桁の体重はきついよな。こんな格好だとは・・・。
で、三桁から二桁になるまで頑張ってみることにした。

「菅野さんは背が高いから・・。そのぐらい体重があってもいいんだよ。」

うるせい!だまれ!まどわすんじゃねぇ!

こんな甘言に自分を見失っていた。
自分が馬鹿だった。





たくさんのご注文をいただきました。
ありがたく、本当にありがたく思います。

インターネットで広がったと言いましても、やっぱり「人」ですね。
人が人に広げてくれまして我が農園の「自然養鶏」が支えられたということだと思います。「人」の輪に改めて感謝いたします。

 といいましても、まだニワトリたちは元気に生み続けているんですよ。
190cm100kgを折りたたみながら、感謝しつつ、焦りつつ、恐縮しつつ・・。






 友人、知人のみなさま

今日は菅野農園からのお願いです。
心苦しくはありますが、以下をご覧いただけたらと思います。

 菅野農園からのお願いです。
我が農園の自然養鶏が産んだ自然卵を食べていただけませんか?
贈り物に活用していただけませんか?

<どんなニワトリが産んだ玉子か?>
我が農園は4ヘクタールの水田と、自然養鶏(玉子を産む1,000羽の放し飼いのニワトリたち)の組み合わせで成り立っています。
ニワトリたちは午前中、鶏舎の中で玉子を産み、午後はローテーションに従って外に出ます。草を食べ、虫を追いかけ、お日様が西の山に沈むまで遊びまわります。そんな暮らしの中から産んだ玉子を自然卵と呼んでいます。

<どんな玉子か?>
自然卵の味は淡白です。ゲージ飼いの卵のように決して脂っぽくはありません。また生臭さもありません。もちろん、遺伝子組み換え飼料は使っていませんし、薬物、添加物の類も一切使用していません。また、玉子の黄身の色を濃く見せるための色素も入れていません。赤ちゃんからご老人まで安心して食べていただける玉子です。

<どうして余っているのか?>
例年ですと1月中旬から5月いっぱいぐらいが産卵の山で、6月から12月は谷というように推移していくのですが、6月になってもニワトリたちの産卵は衰えません。余り出しています。工場のラインと違い、自然とニワトリたちとの間に生まれたできごととしか言いようがありません。玉子はお送りしてからおよそ20日間は生で食べることができます。その後は焼いたり煮たりしてお召し上がりください。

<肝心な情報>
お送りする単位;10個入れ4パックで一箱(またはその倍数)です。
価格;1パック(10個入れ)580円です。
送料;6月中のご注文は送料を菅野農園が負担いたします。
お支払;同封の振込用紙をご活用ください。

もちろん、ご無理は禁物です。無理にご注文なさる必要はございません。
できましたらご友人、お子様、お孫様へのお贈り物などのご活用戴けたらと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

ご注文;narube-tane@silk.ocn.ne.jp

             土といのちとの循環の下に・・・菅野農園






添付の記事は判読できますか?
(ダブルクリックをしてみてください。)
「日刊現代」に載ったのだそうです。
6月1日の集会は私たち置賜百姓交流会の呼びかけがきっかけで生まれた
「ストップ!TPP山形県民アクション」と
JAが主催する「TPP断固反対山形県連絡会議」との共催で開かれました。
アメリカからTPPに反対する市民団体・「パブリック・シチズン」の有名な活動家である
ローリーワラックさんをお呼びしての「国際シンポジューム」。
盛況でしたよ。400の椅子が足りないぐらいでした。
実際1,000名の会場でも満杯にできたのですが
会場が400人規模しか取れず、制限しながらの開催でした。

参議院選挙を含め、山形のたたかいにご注目ください。

       ストップ!TPP山形県民アクション・共同代表  菅野芳秀




友人のFBからのシェアです。
TPP反対票を集めておいて、当選したら推進にまわる。
すごい政党ですよ、自民党。
完全になめられていますね、俺たちは。

この写真、拡散していただけたらと思います。






昨日から田植えだ。
我が家が始めるぐいだからあっちでもこっちでも・・。
久々に村はにぎわっています。
この田植えの時期と稲刈りの時期はお祭りのようですね。
会社勤めの息子も、嫁も、あるいは東京に出ている妹も・・。
田植えにはみんな帰ってきて一緒に農作業。
そんな光景も見ることができます。
10時と3時の一服の時間は賑やかですよ。
いいよねぇぇ。
こんな村って。


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忙しく田植えの準備を進めている。田んぼの中の仕事やニワトリの管理はほとんど息子の仕事。俺の方は1,000枚の苗箱の生育管理、玉子の配達、集金、お米の精米、出荷などで息子とは別で分けている。今日も息子は代掻きの準備で、俺は畑で野菜の作付というように。

なんだ、一緒に仲良くやっているんじゃないのかという向きもありましょうが、体験的にいうと、息子と父親はなるべく一緒に仕事をしない方がいいとおもっている。必ずそこに意見の違いが生まれ、感情のシコリのようなものができてくるからね。俺と親父の場合はそうだったなぁ。

私の父は化学薬品、化学肥料の信奉者だった。やたら肉体を絞るだけの苦しい農作業の時代から、化学の力でようやく解放された世代なのだから当然だとも思う。農村でも腰の曲がった老人を見かけなくなったのもこの力に負うところが大きい。

化学を疑う俺の考えややり方をあまり信用していなかった。
“苦しかった時代になぜ戻るんだ?頭だけが先走ってはだめだ。身体がついていかないだろう。うまくいく訳がないではないか”

というのが親父の考えだったのだろうな。心配していたのだろう。ことあるごとに意見は対立したよ。私の気持ちが楽になったのは完全に任せてもらえるようになってからだ。

世代は代わって、俺と息子。息子が農業を始めてしばらくしたら、ところどころで意見の違いが出るようになった。ヤバイ・・同じことを繰り返す。ここは息子に任せよう。よしんばそれで失敗したとしても、それはそれで息子の経験になるものだ。そばにいれば口を出したくもなる。今はできるだけ一緒には仕事をしないようにしよう。

もちろん、相談を受けたらその限りではないし、手を貸してと言われればすぐに行くんだけどね。
息子から見たら、一番大変な作業をしない、単なるグータラ親父と映っているのかもしれないけれどな。でもよ、これが一番いいんだって。

  写真は朝日連峰を背にしたわが村の全景です。

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おもしろい文章を見つけました。
かなりの程度、私もこのように思っていました。
TPPをこの文脈で読めばよく見えてくると思います。
ちょっと長いですが、お時間のある方はぜひお読みください。

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壊れゆく日本という国 神戸女学院大学名誉教授・内田樹(朝日新聞)

 日本はこれからどうなるのか。いろいろなところで質問を受ける。「よいニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」というのがこういう問いに答えるときのひとつの定型である。それではまず悪いニュースから。
 それは、「国民国家としての日本」が解体過程に入ったということである。
 国民国家というのは国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のことである。平たく言えば、国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りすることを政府がその第一の存在理由とする政体である。言い換えると、自分のところ以外の国が侵略されたり、植民地化されたり、飢餓で苦しんだりしていることに対しては特段の関心を持たない「身びいき」な(「自分さえよければ、それでいい」という)政治単位だということでもある。
 この国民国家という統治システムはウェストファリア条約(1648年)のときに原型が整い、以後400年ほど国際政治の基本単位であった。それが今ゆっくりと、しかし確実に解体局面に入っている。簡単に言うと、政府が「身びいき」であることをやめて、「国民以外のもの」の利害を国民よりも優先するようになってきたということである。
 ここで「国民以外のもの」というのは端的にはグローバル企業のことである。起業したのは日本国内で、創業者は日本人であるが、すでにそれはずいぶん昔の話で、株主も経営者も従業員も今では多国籍であり、生産拠点も国内には限定されない「無国籍企業」のことである。この企業形態でないと国際競争では勝ち残れないということが(とりあえずメディアにおいては)「常識」として語られている。
 トヨタ自動車は先般、国内生産300万台というこれまで死守してきたラインを放棄せざるを得ないと報じられた。国内の雇用を確保し、地元経済を潤し、国庫に法人税を納めるということを優先していると、コスト面で国際競争に勝てないからであろう。外国人株主からすれば、特定の国民国家の成員を雇用上優遇し、特定の地域に選択的に「トリクルダウン」し、特定の国(それもずいぶん法人税率の高い国)の国庫にせっせと税金を納める経営者のふるまいは「異常」なものに見える。株式会社の経営努力というのは、もっとも能力が高く賃金の低い労働者を雇い入れ、インフラが整備され公害規制が緩く法人税率の低い国を探し出して、そこで操業することだと投資家たちは考えている。このロジックはまことに正しい。
 その結果、わが国の大企業は軒並み「グローバル企業化」したか、しつつある。いずれすべての企業がグローバル化するだろう。繰り返し言うが、株式会社のロジックとしてその選択は合理的である。だが、企業のグローバル化を国民国家の政府が国民を犠牲にしてまで支援するというのは筋目が違うだろう。
    ■     ■
 大飯原発の再稼働を求めるとき、グローバル企業とメディアは次のようなロジックで再稼働の必要性を論じた。原発を止めて火力に頼ったせいで、電力価格が上がり、製造コストがかさみ、国際競争で勝てなくなった。日本企業に「勝って」欲しいなら原発再稼働を認めよ。そうしないなら、われわれは生産拠点を海外に移すしかない。そうなったら国内の雇用は失われ、地域経済は崩壊し、税収もなくなる。それでもよいのか、と。
 この「恫喝(どうかつ)」に屈して民主党政府は原発再稼働を認めた。だが、少し想像力を発揮すれば、この言い分がずいぶん奇妙なものであることがわかる。電力価格が上がったからという理由で日本を去ると公言するような企業は、仮に再び原発事故が起きて、彼らが操業しているエリアが放射性物質で汚染された場合にはどうふるまうだろうか? 自分たちが強く要請して再稼働させた原発が事故を起こしたのだから、除染のコストはわれわれが一部負担してもいいと言うだろうか? 雇用確保と地域振興と国土再建のためにあえて日本に踏みとどまると言うだろうか? 絶対に言わないと私は思う。こんな危険な土地で操業できるわけがない。汚染地の製品が売れるはずがない。そう言ってさっさと日本列島から出て行くはずである。
 ことあるごとに「日本から出て行く」と脅しをかけて、そのつど政府から便益を引き出す企業を「日本の企業」と呼ぶことに私はつよい抵抗を感じる。彼らにとって国民国家は「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。汚染された環境を税金を使って浄化するのは「環境保護コストの外部化」である(東電はこの恩沢に浴した)。原発を再稼働させて電力価格を引き下げさせるのは「製造コストの外部化」である。工場へのアクセスを確保するために新幹線を引かせたり、高速道路を通させたりするのは「流通コストの外部化」である。
 大学に向かって「英語が話せて、タフな交渉ができて、一月300時間働ける体力があって、辞令一本で翌日から海外勤務できるような使い勝手のいい若年労働者を大量に送り出せ」と言って「グローバル人材育成戦略」なるものを要求するのは「人材育成コストの外部化」である。要するに、本来企業が経営努力によって引き受けるべきコストを国民国家に押し付けて、利益だけを確保しようとするのがグローバル企業の基本的な戦略なのである。
    ■     ■
 繰り返し言うが、私はそれが「悪い」と言っているのではない。私企業が利益の最大化をはかるのは彼らにとって合理的で正当なふるまいである。だが、コストの外部化を国民国家に押しつけるときに、「日本の企業」だからという理由で合理化するのはやめて欲しいと思う。
 だが、グローバル企業は、実体は無国籍化しているにもかかわらず、「日本の企業」という名乗りを手放さない。なぜか。それは「われわれが収益を最大化することが、すなわち日本の国益の増大なのだ」というロジックがコスト外部化を支える唯一の論拠だからである。
 だから、グローバル企業とその支持者たちは「どうすれば日本は勝てるのか?」という問いを執拗(しつよう)に立てる。あたかもグローバル企業の収益増や株価の高騰がそのまま日本人の価値と連動していることは論ずるまでもなく自明のことであるかのように。そして、この問いはただちに「われわれが収益を確保するために、あなたがた国民はどこまで『外部化されたコスト』を負担する気があるのか?」という実利的な問いに矮小(わいしょう)化される。ケネディの有名なスピーチの枠組みを借りて言えば「グローバル企業が君に何をしてくれるかではなく、グローバル企業のために君が何をできるかを問いたまえ」ということである。日本のメディアがこの詭弁(きべん)を無批判に垂れ流していることに私はいつも驚愕(きょうがく)する。
    ■     ■
 もう一つ指摘しておかなければならないのは、この「企業利益の増大=国益の増大」という等式はその本質的な虚偽性を糊塗(こと)するために、過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進(こうしん)は矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。
 国際競争力のあるグローバル企業は「日本経済の旗艦」である。だから一億心を合わせて企業活動を支援せねばならない。そういう話になっている。そのために国民は低賃金を受け容(い)れ、地域経済の崩壊を受け容れ、英語の社内公用語化を受け容れ、サービス残業を受け容れ、消費増税を受け容れ、TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、原発再稼働を受け容れるべきだ、と。この本質的に反国民的な要求を国民に「のませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽(あお)りがどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民にのみ込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。
 国民をこういう上ずった状態に持ち込むためには、排外主義的なナショナリズムの亢進は不可欠である。だから、安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである。外交的には大きな損失だが、その代償として日本国民が「犠牲を払うことを厭(いと)わない」というマインドになってくれれば、国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替えることに対する心理的抵抗が消失するからである。私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば「日本の国富を各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス」なのである。
 現在の政権与党の人たちは、米国の超富裕層に支持されることが政権の延命とドメスティックな威信の保持にたいへん有効であることをよく知っている。戦後68年の知恵である。これはその通りである。おそらく安倍政権は「戦後最も親米的な政権」として、これからもアメリカの超富裕層からつよい支持を受け続けることだろう。自分たちの個人資産を増大させてくれることに政治生命をかけてくれる外国の統治者をどうして支持せずにいられようか。
 今、私たちの国では、国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって国政の舵(かじ)を取っている。政治家たちも官僚もメディアも、それをぼんやり、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の「末期」のかたちなのだろう。
 よいニュースを伝えるのを忘れていた。この国民国家の解体は日本だけのできごとではない。程度の差はあれ、同じことは全世界で今起こりつつある。気の毒なのは日本人だけではない。そう聞かされると少しは心が晴れるかも知れない。
    *
 うちだたつる 50年生まれ。専門はフランス現代思想。憲法9条から格差、温暖化まで論じる。合気道七段の武道家。「街場の文体論」など著書多数。
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雪が消えた。
ニワトリたちが外に出て遊ぶ。
緑の草たちも少しずつ増えてきた。
農作業の合間に草の上に腰をおろし
梅の花の下のニワトリたちを眺めている。
いいねぇ。お日様と緑とニワトリたちと・・。
見ている私もどこかゆったりした気持ちになってくる。
一羽が身体をくっつけるように近づいてきた。

羽をなでる。
こんな時にはこの娘の産む玉子はおいしいかな・・なんて考えないね。
ただ春の陽ざしのなか、私とニワトリたちとのいい時間が流れていく・・・

・・・・

それだけ。

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寒い雨の日ばかりでお天気が続かない。
例年なら晴天が続き、雪解けが進んで一気に田んぼも乾くのだが、今年はいつもの春ではない。
これではトラクターが入れない。
堆肥散布ができない。
田んぼにレインボープラン堆肥と発酵鶏ふんの二種類の有機肥料を散布する我が家ではついに一部を残し、レインボープラン堆肥の散布をあきらめた。かつてこんなことはなかった。どうなっているんだろう。
このまま発酵鶏ふんさえも振れずに田植えを迎えるなんて言うことはないと思うのだが、いささか心配になってきた。

写真はようやく芽をだし、成長を始めた苗


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