ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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ツバメの巣立ちが近づいている。
「ツバメそのものが珍しくなっている。ネオニコチノイド系農薬のせいだ。農薬で弱った虫を食べ、ツバメだけでなくミツバチも、多くの野鳥もいなくなっている。」
「菅野さんの家では、家の中で巣作りしている。これも珍しい。他ではあまり見る事が出来ない光景だ。きっと幸運が舞い込むよ」と友人。
 農薬の為だけでなく、巣作り出来る場が無くなったことも減ってしまった一因だろう。かつては家の外に巣を作っていたが、最近の住宅はツバメや野鳥を寄せ付けない。そこで我が家では、玄関の戸を開け、家の中に巣を作れるように止まり木の様なものを作って待っていた。さあ、来てくれ!
 今年、最初にツバメを見たのは4/1。以来ずっと玄関を開けて・・。もちろん寒いけどな。いつでも入って来れるようにと思ってさ。やがてやって来て巣作りを始めた。ヤッタゼ。そして今日(6/19)、5羽のツバメが巣立ちを迎えている。また4,000劼慮こうまで帰っていくのか・・。どこか淋しい思いだ。
(写真は我が家の庭のグミの実。甘くてすっぱくて美味しい。春の最初の果実だ。)
 たくさんのコメントとシェアをいただきました。そして力を貰いました。感謝です。
 さて、憲法も、軍備も、沖縄も、原発も、俺たち自身の暮らしも・・あらゆるものが追いつめられている。だが、深刻なのはそれに対する抗議の声が聴こえない事。聴こえても小さいままで、大きくはならないこと。民主主義が機能していない。

 農と食も同じだ。すでに書いたように後が無い。このままでは取り返しの付かないことになるだろうが、それでも大きな声にはならない。どこに声をぶっつければ良いかが分からないということもあるだろう。もう諦めたという人もいるだろうな。それも分からないではないが、俺たち世代だけではなく、次世代の事も合わせて考えれば諦める訳には行かないことではある。

 流れの方向を変えるには、シンドクテモ声を上げるしかない。あらためて言うまでもなく俺たちがこの国の主人公だ・・たしか・・そうだよな。なら、国と社会の操縦桿を握っているのは俺たちだ。国じゃない。国会議員でもない。一匹の蝉の声は小さくても、大合唱となれば違って来る。それが民主主義というものだろう。
んなことは、今更お前に言われなくても分かっているよ!全て分かっているんだよ!・・そりゃぁそうだよなぁ。

 そこで・・だ、いや、それでも・・だ。もし首都圏で大合唱の場所があれば、いったいどれだけの人が討論の輪に加わってくれるだろうか?。そこの所が分からない。でも、それが知りたい。どう思いますか?

  (画像は菅野農園の放牧養鶏)

 いよいよ農業の世界は切羽詰まってきた。特に稲作では際立っている。「おれ、都会人だから関係ない」って?食糧を供給してきた農業の危機は、あなたの食といのちの危機に直結している。
まず、いま食べ物の供給地である農村で起きていることを稲作を中心に、思いつくままあげてみる。

農民はどんどん離農している。もちろんずいぶん昔からその傾向はあったが、ここ数年はそれ以前とは比べものにならないぐらいの早さと規模で離農が進んでいる状態だ。村では今までになかった「農仕舞い」(農終い)という言葉が行き交う。安さを求めて風土の違う海外の農産物と無理やり価格競争させ、国内農産物を買い叩いてきた結果だ。農家のコメの出荷価格は生産原価にすら届かない。こんな国ではアホらしくて農民なんてやってられないという事だろう。自分の家族の為のわずかな畑や水田を残して、後はきれいサッパリと離農する。

その結果、農民と言えば、少数の大規模農家(法人)と、今さら勤めには……と残った、わずかな年寄りだけ。就農している農民の年齢ピークは70〜73歳。その人たちもあと数年で現場から離れていくだろう。そのあとを継ぐ世代はほとんどなく、わずかな大規模農業だけが残るのだろうが、それもやがて離農に追い込まれていくだろう。無策のなか、国内農業には破綻への道だけが開かれている。

プロの農民たちが逃げ出すぐらいだから、現場は慢性的労働力不足。だから圃場も充分に管理できない。水田から春の若草の風景が消えつつある。代わりに広がっているのは、除草剤による枯草の風景だ。農法の省力化、ケミカル化だ。SDGs?どこの話だ?

そこに追い打ちをかけているのが海外に依存している化学肥料と家畜のエサの高騰。そして、農業機械の高騰だ。機械への補助金があるだろうって?それは昔の話。今は規模拡大など「成長路線」の計画書を提出できなければ補助の対象にはならない。よって現状維持の菅野農園などの家族農家には一切の補助金が無く、いったん故障したらそのまま離農するしかない。つまりは「小農はやめてしまえ」という事。事実、どんどんやめている。

その上、頻繁な異常気象とコロナウイルスや政変などによる流通ルートの不安定さだ。その結果、最悪のシナリオが近づいているようにも見える。これは国民的な問題だ。そうなったなら遺伝子組み換え作物であろうが、農薬漬けの穀物であろうが、それがコオロギなどの昆虫食であっても、手に入るものは何でも食べなければならなくなる。

トマホークの買い付けなどと言っている場合じゃない。安定して食べ物を確保する道、自国の農を育てる道こそ肝心だったのだが、農の崩壊過程に入った今となってはもう遅すぎかもしれない。

そんな事態が近づいているにもかかわらず、食べ物を粗末にするおバカな番組が横行して、食の危機を改善する民意が育たない。政治も国民のいのちを守る、最低限の役割を果たしていない。

 もはや「ゆでガエル」状態だね。感性が完全にイカレテしまっている。
だけど、全ての国民がアホなわけではない。ある種の破局が近いことに気付いている人たちは、首都圏を離れ、あるいは離れずとも、田畑と暮らしとの距離を縮め、自力で生存の道を確保しようとしている

 ちょいと話が変わるがな。3月下旬の夜半。わが家の鶏舎にキツネが侵入して、ニワトリ100羽を残らず殺していくという事態が発生した。厳重に警戒している中での出来事だった。もし侵入に失敗したら、俺たちが彼等を捕まえていた。現に菅野農園では今までにも7匹ほどのキツネを捕まえ、処分している。それでも奴らは来た。食べ物を求め、覚悟の上での侵入だったのだろう。
食べ物が無いという事はそういう事だ。命がけのこと。人間だってキツネにもなる。

 俺は幾度となく、警鐘を打ち続けてきた。あとはあなた方が自分で何とかするしかないな。でもな、最悪の時を迎えた場合でも、残っている小農はきっと、あなた方と共に一緒に食べ物を探す努力はすると思うよ。でも基本は「自分で何とかすること」だ。
もし起これば破局。こんな情報が私に届きました。にわかには信じがたいですが、フェークとも思えないところが恐ろしい。拡散致します。(菅野芳秀)

森重 晴雄
2日 ·
私、森重晴雄は原子力の耐震構造を研究し、原発の主要耐震構造の設計に携わってきました。また、伊方原発3号機の建設責任者でもありました。
 実は、緊急に皆様にお知らせしなければならないことがあります。それは、福島第一原発の1号機の原子炉は、強い地震が来れば倒壊の危機にあるということです。 この1号機の原子炉は450トンもあり、高さは20mもあります。すぐ隣には使用済み核燃料(10万年の隔離管理が必要)を392体も冷却しているプールがあります。原子炉の下には、高線量で近付くことも出来ない溶け落ちた核燃料デブリがあります。そのデブリは1〜3号機を合わせると約880トンもあります。
 その原子炉が倒れればどういうことになるのかお考え下さい。 とても恐ろしいことです。使用済み核燃料のプールが崩壊すれば、使用済み核燃料の溶融も免れません。そうなれば溶け落ちた約880トンもの核燃料デブリの制御も不可能になります。 3.11どころではありません。世界の大変な危機となります。
 私はこの原子炉倒壊が心配で、原子炉が倒壊しないように緊急対策の工法を指示した文書を政府要人に渡しました。
 しかし、政府要人の回答は、東京電力から連絡がない限り対応しないという何とも無責任な回答でした。 政府と東京電力は原子炉倒壊の危機が迫っているにもかかわらず、無知なのか無責任なのか分かりませんが、何の対策もしようとしていません。
  原子炉が倒壊してからではどうにもならなくなります。 3.11を超える大惨事を想定せざるを得ません。
どうか皆様も、政府と東京電力が原子炉倒壊の危機に緊急対策をするように、声を大にして下さい。

...もっと詳しく
朝日連峰の残雪がどんどん小さくなり、ブナやナラの若葉たちが山頂目指してせり上がっていく。里には園風景、渡る風が気持ちいい。こんな春の若草の景色の中に、どうしても目が行ってしまうのが除草剤によって枯れてしまている畔草だ。そもそも畔草は風雨から畔を護り、根は土をしばり水田の決壊を防いでいる。だから農家は畔草を散髪しても、根まで枯らさなかった。
 いま、枯れた畔の風景が広がっている。心が荒む風景だ。背景に水田経営の規模拡大と小規模(家族)農家の離農と老齢化。今更どうしようもないのか。数千年、数百年の農家、農村の歴史と文化。それらを背負いながら、なお離農を決断する農家に翻意をうながす言葉は見当たらない。
 キーワードは「地域社会」「支え合う」「つながる」「環境」などだろうが、根本はこんな現実を作るに至った政治。それを選んできた我々に返って来る。
フェースブックは同人誌(紙)の様なものですね。
同じように考える人の中だけで主張や提言、感情がクルクル回っていて、そこから外には出て行かない。
世の中が(社会が)これだけ劣化しているのに、だからこそ広く世に問わなければならない課題が多いのに、その為の意味ある主張が、ある種の同心円から外に出て行こうとしない。
 フェースブックを鳥の眼から言えば、「不満分子」のガス抜きの役割を果たすよう仕組まれているかのように見えなくもない。
もちろんそれでも「内の世界」の中では伝達力はあるし、「いいね」を通して自己確認にもなるだろうが・・・。
 求められていることは「外の世界」への働きかけであり、その為の有効な伝達力、発信力。「書を捨てよ、町に出よう」だ。なっ、ご同輩!
 (写真は成長する苗たち。田植えの予定は5月20日頃だ。)
友人で,元西日本新聞社編集委員の佐藤弘さんが送ってくれた写真。昨年の12月、東京で行われた尊敬する山下惣一さんを偲ぶ会の懇親会で。
左から三里塚の石井恒司さん、農業ジャーナリストの榊田みどりさん、一人おいて置賜百姓交流会の新江洋一さん。なぜか一人だけ、大口開けて笑っているノー天気な奴がいる。みんなシミジミトと「献杯」しているんだよ。バッカじゃないか、こいつ。
置賜自給圏・・・。地域の命運を国にあずけない。国は沈んでも自分たちの生活圏、経済圏は沈まない。いのちは守り合える。助け合える。支え合える。住民相互の働きかけによって、人肌の体温を持つ地域社会を取り戻していく取り組みだ。大切だと思っていることは地域の中の隣人を思いやる関係。食に関して言えば有機(農産物)だから、ではなく、我々の地域の仲間がやっているからそを買う。それを使う。そして支え合う。こんな助け合う関係が行き交う社会だ。人間関係が希薄になって、都会では葬式すら出せず病院から火葬場に直送という事例が増えているという。いくら田畑がそばにあっても、行きかう人の関係や温かみがそこに無ければ、農村地域からだって餓死者がでる。
「食と農の自給圏」を求める運動は、大げさに言えば、地域の操縦桿を国や政府に預けず、住民が引き受け、ともに暮らしていける社会を創り出していこうとする運動だ。足元の資源を大切にして、安易にそとの地域や外国に依存しない運動だ。
写真は昨年の5月下旬の風景。田植え直後、野の花が美しい。
ツバメは例年より半月早く、4月1日にやって来た。いまはツガイで巣作りしている。やって来たと言えば、今年は野鼠が多いのか、毎晩のようにフクロウが来ている。さらに、ニワトリを手にしようとキツネの襲来も繰り返されている。彼等も命がけだ。今日蝶々を見つけた。隣町で鳥インフルエンザのカラスが発見された。わが家からギリギリ10匏外で、ニワトリの殺処分からスレスレで免れた。その為、ニワトリ達の放牧をいったん中止した。水稲の種まきがようやく終わった。集落のケンちゃん(83歳)、重さん(80歳)は今年も田んぼを作る。大したもんだ。あれもこれも、生きている者みんなが忙しく、慌ただしい。にぎやかな里の春だよ。
こんな声が聴こえて来ませんか?
「どうして日本は・・いつまでもアメリカのポチでいるんだい?軍備も、原発も、主要な国内政策も、独立国として当然の権利としての予算案も。要(かなめ)となるものは全てポチとしてアメリカにお伺い立てて決める・・。悔しくはないのかい?情けなくは無いのかい?その手下でいいんかい?お前に自尊心というものがないのかい?
沖縄に申し訳なく無いのかい!20歳そこそこで、希望を未来に託して特攻で死んでいった青年たちにもうしわけないだろう!死んだ青年たちが託したタスキ。未来の日本への独立を願うタスキ。あなたの肩にもかかっているだろう?それをどこにやった?このままでは彼等に顔向けできないだろう?・・・などと考えているとね・・絶望感で一杯になるんですよ。そしてね。選挙となるとその恥知らず共がいつも国民の多数派だよ。それらを選ぶ国民も国民。やっぱり誇りを失ったバカだね。日本人はどうしようもないねぇ。そこからは希望が見えないよ。アホな国民だよ。まったく!・・」
こんな声がきこえてきませんか?


写真は我が家のトリたちではありません。利益の為に飼育されている鳥。自由を奪われている鳥たちです。でもここに居れば腹は満たされます。
キツネによるアクシデントに際し、皆様から多くのメッセージが寄せられました。ありがとうございました。
 当時、白鳥たちが、鶏舎からわずか500mほどの所に群れを成して落穂を啄んでおりました。一見してのどかな光景に見えますが、鳥インフルエンザの脅威を強く感じていましたので、これ以上は近づかないようにと警戒していました。そこに来てのキツネの襲撃でした。一晩で100羽の幼鶏がやられてしまいました。総数1000羽のうちの100羽です。成鶏ではなかったために、玉子へのにわかな影響は出ていませんが、身近ないのちを失った衝撃は大きく、これからの事を含め、頭を悩ましていました。 
 頭を悩ます事は他にも。春はスズメやツバメも卵を産む季節です。それが自然の摂理。わが家のニワトリ達も盛んに玉子を産んでました。と言うか。毎日のように玉子が増え、どうにもならなくなっていました。
 鳥インフルエンザとキツネの再襲撃への警戒、鶏舎の補修、失った幼鶏の補充、そして増えすぎた玉子の問題・・。これらがいっぺんに押し寄せ、混乱していたなか、多くの方々からのメッセージと、玉子へのご注文が寄せられ、とても助けられました。
 菅野農園は水田と自然養鶏を組み合わせた循環型の小さな農園です。私どものような農園の生きていく道は年々細くなるばかり。ですが、小さくても、だからこそ確かなものを作り、食べる人の健康と自然環境にしっかりと向き合っていく家族農園として、これからも変わらずに頑張って行こうと思います。皆様のご支援、ありがとうございました。  2023年4月2日
  (写真は5月の風景です。)
歩く度に両ヒザが痛くて辛い。
サッサとは歩けない。
整形の医者は「二けたまで体重を落とすか、手術かなぁ」という。
因みに俺の体重は104kg。身長は190cmだ。
数値だけを見ればかの大谷くんとあまり変わらない。
かつての俺は、この体格で、肩で風切って歩いていた。
今は春風に煽られてフラフラ、フラフラと・・。
でもな、軟骨が減ってしまったことによるヒザの痛みは、長年の百姓労働の結果だからさ、これは自分を誉め、受け売れるしかないのだけど・・。
それでもシツコク整体治療院と整形外科を交互にハシゴしながら、何とかサッサと歩ける脚を取り戻したいと思っている。