ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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 俺がまだ洟垂れ小僧だったころ、東北は山形県の農村でのことだけど、当時は家の中の囲炉裏やかまどでご飯を炊いていた。その煙が村中の家々の屋根から立ち上っていく。だから夕方になると村はうっすらとした煙でおおわれていた。

 男の子は坊主頭で女の子はおかっぱ頭。子ども達は風邪をひいているわけではないのに一様に洟を垂らしていて、それも透明なものではなく、どういうわけか鼻汁は濁っていた。それをしょっちゅうこするため、上着の袖はピッカピカに光っていた。来ているズボンはほとんどが兄や姉からのお下がりで、膝やお尻に丁寧にツギがあてられていた。そんな子ども達が村のあっちこっちで歓声をあげながら走りまわっていた。村全体が子どもたちの遊び場だった。にぎやかと言えば村の中にはヤギやニワトリ、牛や馬が飼われていて、夕方になると「ヒヒ〜ン」や「モオ〜」、「メエ―」や「コッケッコッコ〜」など、動物たちの鳴き声のオンパレード。エサをねだる声が聞こえてくる。犬は当然のことながら放し飼いで、村中を自由に歩き回り、恋をしたり、ケンかをしたり・・・、ストレスの少ない犬自身の人生を楽しんでいた。

 そういえばあのころは酔っぱらった村人がよくもたれ合いながら歩いていたっけ。どこかの家で酒をご馳走になり、「今度は〇〇の家に行くべぇ。」「いやいや、おらえさ行くべぇ。」と一升瓶をぶら下げながらふらふらと。あっちの家、こっちの家と飲み歩く。寄るところはたくさんあったのだろうな。我が家にもしょっちゅう酒飲みが来ていた。実際のところ、村人は良く働いたがよく飲み、よく酔っぱらっていた。
 こんな光景も思い浮かぶ。これは以前にも書いたことだが、ばぁちゃん達の立ち小便。腰巻を前後に広げて、畑の方にお尻を突き出し、両足を広げて「シャーッ」と。小便をしながら道行く人たちと立ち話をしていた。「いまからどこさ行くのや。」「うん、買い物に。お前もえがねがぁ。」「うん、えぐ。」なんてな。そんな光景になんの違和感もなかった。ごく当たり前のことだった。
 お金のかからない自給自足のくらしだった。モノはないけれど、のどかでのんびりとした時間が流れていた。貧しかったけど、子どもも大人もどこかで将来に「希望」をもっていた。

 それからずいぶんと時が流れた。イガグリ頭やおかっぱの子ども達、洟を垂らして外で歓声をあげて遊ぶ子ども達はいなくなった。ツギのあたった服を着ている子どももいない。ヤギもニワトリも、牛も馬も消えてしまった。村を歩く酔っ払いも、立ち小便のばぁちゃんもいない。犬はすべて鎖につながれ苦しそうだ。村はきれいになり、静かになった。だけど・・。
 そして人々はやたら忙しい。子ども達から大人まで、あわただしく暮らしている。村人どうしの関係もずいぶんと希薄になった。大人達の口からはため息を聞けても希望を語る言葉が聞かれなくなって久しい。モノはたくさんあるけれど、みんな・・・あんまり幸せそうではない。どうしたんだろう?どうなってしまったんだろう。どこで間違ってしまったのだろうか?

 おーい!もどってこいよぉー!ヤギもニワトリも、牛も馬も、イガグリ頭やおかっぱの少年少女も・・・酔っ払いも、立ち小便のばぁちゃんもみんな戻ってこい。そして、そして・・みんなでもう一度やり直さないかぁー!今ならできる。まだ間に合うから。

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