ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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4月生まれの若鶏を始めて鶏舎の外に出すことにした。あまり早くに出しすぎるとカラスの標的になる。生後3・5ヶ月。もう大丈夫だろう。

 さぁ、外に出てこいよ!明るい陽射しのもと、草や虫たちがお前達を待っているぞ。戸を思い切り開け放つ。先輩の鶏たちなら、待ってましたとばかりに一気に出てしまうのだが、そこは初めてのこと。若鶏たちはなかなか出ない。外への一歩一歩がドキドキものなのだろう。

 「分かる、分かるぞ。俺もそうだったよ。」新しい世界にとまどうニワトリ達を見ていたら、ふるさとを離れ、東京に出て行った18歳のころのことを思い出した。
 東京とはどんなものか、テレビや話で知ってはいた。でも、それはニワトリたちが、鶏舎の中から金網越しに外の世界を眺めていたのとあまり変わりはなかったと思う。そこは田舎出の青年にとって、理解しがたいことの多い世界だった。

ぼくの忘れもしないカルチャーショックの第一は、団地に住む知人の住宅だった。なんと、お風呂と便所が一緒になっているではないか。こんな組み合わせって有りか?ここは東京。山形の我が家は別々だけどそれはきっと「遅れている」からに違いない。そう思った。想像を超えた世界だった。

第二のショックは食堂でのこと。いくつかのおかずが見本となって並んでいた。その中の一つに目がいった。小鉢の中にお刺身が入っていて、その上にとろろがかかっている。当時我が家には冷蔵庫というものがなかったから、お刺身などという生の魚は食べたことがない。うまそう。食べてみたい。お金はなんぼ?食堂の中にべたべたと貼られている品書きの短冊をみた。名前が見当たらない。きっとお刺身は「とろ」というものに違いない。とろととろろで「とろとろろ」か。あたりを付けて見渡すが、やっぱりない。結局食べずに帰った。
ようやく後でその名は「やまかけ」という、全く実態からかけ離れた名をもつおかずであることを知った。そんなの分かるわけがないよ。

 同じようなことがもう一つあった。ぼくが住み込みで働いていた新聞販売店の隣にラーメン屋さんがあった。食べたことのないさまざまなメニュー。お金がなかったが、ぼくは思い切ってラーメンと「さめこ」を頼んだ。「さめこを一つ下さい」。ラーメン屋のお姉さんは不思議そうにぼくを見た。田舎者だから発音が悪く、聞き取れなかったのだろう。そう思って、なまりに気をつかいながら、もっと大きな声で「さめこを一つ」と注文した。

その後のことは、もう書きたくない。ぼくは「餃子」を「さめこ」と読んでいたのだ。「鮫子」。「餃子」などという字は当時の田舎にはなかった。

こんなことはまだまだたくさんあったけど、ぼくは少しずつ田舎とは異なった世界になじんでいった。

若かったねぇ。かわいいよなぁ、あの頃のオレ。今ではいい思い出さ。

なぁ、若鶏たちよ。これから、君たちの暮らしの場は、鶏舎の外にも広がっていく。そこには、お日様やさわやかな風とともに、たくさんの「やまかけ」話や「鮫子」話がまっているだろう。とまどうだろうなぁ。でも、世界が広がっていくって、なかなかいいもんだよ。




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