ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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「うん」も「はい」も聞きたくないが、「絆」(きずな)はもっと嫌だなぁ。これを聞いた瞬間に一気に嫌悪感が広がっていく。なぜって?ん〜、どのように説明しようか・・・・。

今、地元の公民館の文化振興会事業として、長井市に残る「卯の花姫伝説」の紙芝居づくりをしている。脚本は、なんと・・オレ。ここから、まわりくどい説明になってしまうけど・・。

時代は平安。
当時、都のあった京都では大和朝廷を築いた一派が力を持っていたが、今でいう関東以北には朝廷になびかない者たちが多数いた。朝廷ではそれをエゾあるいはエミシと呼んでいた。それらを漢字でどのように書いていたかと言えば「蝦夷」。
語源は古代中国にあり、中国では都のあったところより東方で暮らす人たちを未開の野蛮人という意味の「夷」(エゾ、エミシ)と呼んでいたという。京都ではそれにさらにみにくい動物の一種である「蝦」(ガマ)の字を加えて「蝦夷」と表現し、関東以北を同じように蔑んでいた。
蝦夷の中心には陸奥の国(現在の宮城、岩手)に一大勢力を持っていた豪族、安倍の頼時。京都の朝廷はそれらを配下に治め、全国を支配下に置こうと、源頼義、義家に派兵を要請した。
そのころ、羽前の国(山形県)の長井の庄に、安倍の頼時の息子である貞任の子ども、「卯の花姫」が暮らしていた・・・・。
と、このように物語は進んでいくのだけれど、結局はこの娘をたぶらかし、エゾ、エミシの大量殺りくを行っていく。そのような伝説を紙芝居にしようというわけだがここではそれを紹介したいわけではない。

あえて極論をいえば、この平安時代の東北平定以来今日まで、ずっと、都・都市・中央、国家からの東北に対する差別と収奪が行われてきているのではないか。今回の東電の福島原発の存在と事故、さらに事故後の処理。放射線量のごまかし、放射線下への人々の放置と救出活動の放棄、原発難民の放棄に除染のいい加減さ。甘い汁を吸おうと寄ってくるゼネコン。それを見逃す環境庁。青森への放射性廃棄物貯蔵施設の押し付け。東北東海岸の復興の遅延、家畜小屋かと見間違うほどの避難施設とそこへの放置・・・・。枚挙にいとまがない。私はこれらのなかに連綿たる東北地方への差別の存在を感じてしまうのだ。

「絆」はそれを問わない。暴かない。安っぽい一体感を強調することで現実世界を糊塗しようとする。ちがうだろうか。

戦後から今日まで、沖縄からの叫びにも似た日本・「本土」への要請。それは「絆」への要請だったはずだ。これらを一貫して無視してきた日本・「本土」が、「本土」内といえども辺境の地、東北との「絆」を本当の意味で築けるわけがないと思える。

沖縄との関係でも東北との関係でも、求められているのは単純な「絆」ではない。「本土」、都市中央、国家の側の大いなる反省、謝罪とその上に立った関係の再生なのだと思うのだがいかがだろうか。
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