ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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「よしひでぇ−、早く来てくれぇ」
この間のことだ。お昼の少し前、大声で呼ぶ親父の声が聞こえた。あぁ、またか。そう思いながら僕は急いで声のする方に走っていった。

やっぱりそうだった。ニワトリ達が畑一面に散らばって野菜を食べている。ここは両親が作っている野菜畑。ばあさんも加わり一緒に棒をもってニワトリ達を出口に追い込もうとするが、すばしっこく、なかなか思い通りの方向には行ってくれない。逃げるニワトリ、追う僕たち。80才を越える両親はよたよただ。後でこってりと怒られることになるなぁ。そう覚悟しながらニワトリたちを追い続ける。

僕は1,000羽のニワトリをなるべく自然に近いかたちで飼いたいとおもっている。健康な玉子を得るためだ。ニワトリたちは壁のない開放型鶏舎の中で暮らしているが、3〜4日に一度は外に出る。広い草地、お日さまが照り、虫達がいて・・・。これで充分だと思うのだが、まだ足りないらしい。わずかなすき間を見つけては畑の方に侵入してくる。両親には悪いがこれも仕方がないことだと思っている。それだけ元気なニワトリがいるということだから。

僕がこのようにニワトリ達を飼っているのは、健康でストレスの少ない毎日をおくりたいという彼等の願いと、おいしい玉子を食べたいという僕たちの願いとはかなりの点で一致すると思っているからだ。だから僕はニワトリ達にとってこのほうがいいのではないかと思えることをできるだけやるようにしてきた。鶏舎の中では一羽あたりの空間を広くとり、エサはなるべく多くの種類を与え、水は朝日連峰の地下水だ。外にでて一日中あそぶこともできる。

話しは変わるが、鳥インフルエンザの事件は、テレビを通してケージに飼われたニワトリたちの過酷な日常生活を写し出した。薄暗い鶏舎の中、小さなカゴにぎっしりと詰め込まれているトリ達。ストレスのなかで、いのちのない卵を産み続ける毎日。
このニワトリ達ほど不幸な動物は他には思い当たらない。動物園の象だって動き回ることはできるのだから。僕がその中のニワトリだったら、よしんばインフルエンザにかかることなく生きながらえたとしても、そのことを素直にはよろこべないだろう。
ニワトリ達を閉じ込めているのは、その方が手間がかからず効率的に卵をうむからだ。ここにはニワトリを不幸にしても人間の利益になればという構図がある。でも僕にはどうしてもニワトリを不幸にすれば、まわり回って人間もまた不幸になっていくように思える。

だから僕にはカゴはいらない。